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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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ナギの幼稚園の親子遠足に参加。
09時に幼稚園に集合して,3ブロックほど先の緑地公園へ。
記念撮影,ドラえもんダンス,自由時間,お弁当,帰路,14時解散。

親の構成としては,母親のみ参加が8割ぐらいで圧倒的。
GWの谷間だからか両親参加が2割弱。
その他(父親のみのウチも含む)は5組ぐらいか。
下の子供をベビーカーで連れてきている組も多かった。

出発前に,園長先生が幼稚園側の意図として,遠足の目的を3つあげた。
1. 幼稚園での子供の様子を親が見る
2. 子供と外を出歩く時の作法を親が身につける
3. 親同士の親睦を深める

1は,そのまんま。
2は,「手を離さない」「親は常に車道側へ」「交差点では立ち止まる」の3点。
3は,どうなんでしょうか。

そんな話を聞いた上で出発しても,
子供が路上で遊ぶのを放っておいたり,
携帯いじってたり,
そういう親がわりと多かった(感覚的には2割ぐらい)。
あと,よその子がそうやって遊び回ってるのに対して,
注意したり,車道に飛び出さないように手を出したり,
そういうことは,ほとんどどの親もやってなかった。


一番の戦慄がお弁当タイム。

タコさんウインナーどころか,
ハート型の卵焼きとか,
星形のサンドイッチとか,
もちろんキャラ弁とか,
とにかく手間暇かかった手作り弁当ばかり。

かくいう我が家も手作りで,
オニギリが人面になっていたわけです。
それだけではなくて,家を出る前には,
「暑くて腐るかもしれないから,お弁当の時間に公園まで届ける」
などとも言っていたわけです。

こういうのって,ボクにはサッパリ理解できない。
むしろこういうのが,「生き苦しい世の中」を形成しているんじゃないかと真剣に思う。

幼稚園に子供を行かせるのは,
子供の成長のためってのが第一にはあるけども,
少なくない比率で「親がラクをするため」ってのも理由としてあると思うのです。
もちろんそうじゃない家庭もあるだろうし,それ自体は良し悪しの話じゃないけど,
「親がラクをする」ってことを,何か否定的な意味合いだけで捉えるのは,
それは違うんじゃないの,と思うわけです。

「親がラクをする」っていうと,
「子供への愛がない」って捉える人が少なくない。
そういうのの具体的な形として,
「お弁当は手作りじゃないと(子供が愛を感じない)」ってのがあるんだと思う。
それを自分自身が思って,それで自分が弁当を作るなら,それはそれで良い。

でもボクが感じるのは,それだけじゃないよな,ってことで,
なんというか,もう一周迂回しているような感じ。

つまり,
「お弁当は手作りじゃないと(子供が愛を感じない)」って自意識があって,
それが他人に向いて,
「お弁当が手作りじゃないなんて(ロクな家庭じゃないのね)」ってなって,
それがもう一度ひっくり返って,
「お弁当が手作りじゃないなんて(ロクな家庭じゃないのねって思われる)」ってなって,
そんな視線を感じるがゆえに,
忙しい中わざわざ凝ったお弁当を作っているんじゃないか,って。

そんな風に考えちゃって,グッタリしてしまった。


ボクは家人(嫁・義母)に対しては,
「コンビニ弁当でも良いじゃん」「パン屋のパンじゃダメなの」と言ったんだけど,
やっぱりその感覚は彼女らにとっては受け入れ難いものだったみたい。

「世間」が総体として「なんとなく形成していく空気」みたいなものに対して,
ボクはすごく反感を抱く習性がある。
その感覚が,家人と共有できていないってのが悲しいし,
ひいてはうちの子もそういう価値観に育っていくのかと想像したりして,
今後の生き方について考え込んでしまっている。

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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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