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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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JAMSTEC本部は震災後も停電にならず。18時時点で、追浜駅前は停電していなかったが、一つ横浜よりの交差点からすべて停電。横須賀と横浜の境界??

横横家の隣のラーメン屋がなぜか電気もついて営業していた。周辺は停電で真っ暗なのに。まったくの謎。

18:30金沢文庫でシュクロウ・マナベ博士のご婦人と対面。つくばにいるというダンナさんの安否を気遣っておられた。

19:00。一旦家に帰り、娘とヨメの無事を確認。手回し式のラジオ付ライトが活躍。水筒に水を入れ、電池とトイレットぺーーパーを持って自転車で再度、金沢文庫に出陣。

金沢文庫駅西側の近隣学校、「避難所指定でない」ため、体育館を解放sることはできないとのこと。体育館の耐久性の問題もあるようで、それは仕方がなかろうが、こういう時のために頑丈にしておけばいいのに。 

金沢文庫駅西口。タクシー待ちの長蛇の列。「地震後から4時間並んでいる」「せっかくここまで進んできたので待つ」と言い皆動かない。「今日中に家に帰れる」という幻想を捨て、とりあえず暖を取らないと命に関わるだろうに。

某政党の広報車。「法律的に一般人を乗せて走れない」とのことであったが、ヘッドライトでタクシー待ちの列を照らしていた。 

タクシー待ちの中に、内視鏡手術をして退院したところ、というおばあさん。「もうダメ」とのことで、某政党の車に病院搬送を頼んだが「法律的に無理」とのこと。しかし中の人が周辺の車をヒッチハイクしてくれて、無事病院に搬送できた。やはりシステムは悪くても人は悪くない。 

金沢文庫東口。金沢区役所から人がきて、区民(地域?)センターを避難所として、タクシー待ちの人の中の希望者が移動。頑固に残る人々と、あきらめて歩く人にわかれる。

東口であった案内は西口ではなかった様子。それはどうなのよ、金沢区。 v

金沢八景の人々は横浜市大の迅速な判断でみな収容された様子。

と、いう辺りで電気回復。搬送された婆さんを病院に見舞った後、帰宅。(22:30)

停電しても銀行ATMコーナーは明かりがついていた。そこに入って暖を取っている人がいた。病院も自家発電があるので玄関待合室で暖を取ることができた。

駅でその旨を叫び続けたが、みなタクシー待ちの列から離れなかった。 RT : 明日は土曜だから、とりあえず帰るの諦めて暖をとって体力温存した方がいいですよ

しかもタクシーには一人ずつ乗ったりしてた。行き先別に並んだり、前後で励まし合ったり、情報を共有する様子は皆無だった。悲しいかったよ。

呼びかけに真っ先に応じた女性二人組(元々は他人)は、歩いて5分の病院で毛布をもらって待ち受けスペースでラジオを聞き停電復旧を待っていられた。

「窓のカギをかけずに家を出たから心配、早く家に帰りたい」とタクシーに五時間並んで震える杖をついた妙齢の婦人がいた。 「命の危機」だった婆さんも、車いすに移る時に自分のカバンを看護士に預けることを嫌がった。

うちの会社も、停電情報が流れているのに、あわてて車で帰る人が多数。また、今日中に公共交通機関が回復して帰れる前提の人も多数。ネットとテレビで情報を得ていたのにそれか、と。残念。明日は土曜だし、会社のライフラインは無事なのだから、宿泊する方が絶対に安全なのに。

誰もタクシー待ち順番をゆずるような気配はなかった。「健康に不安のある方は避難所まで付き合います」と言ったら、大学生ぐらいの男女4人組が「うちら寒すぎて限界だしー」とか言ってきた

JAMSTEC横須賀は、非常食備蓄を開封し、宿泊者用毛布も配布し、暖かい館内で、みなさん明るく過ごしてます。津波も海面が上昇するのを確認したぐらいで、「よこすか」も緊急出港しましたが、大丈夫です


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