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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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うっかり時間が空いてしまった。
入試期間での家族旅行があってワンオペになったり。
チームで電撃退任があったり。
なんだか心身共にドタバタして、ここを書くことすら忘れていた。
というのは言い訳なのだど。

書きたいことは貯まっている。
大きくわければ2種類ある。

1つは私生活あるいは私的な領域に属すること。
いわゆるミドルエイジクライシスのような話が大半だ。

自分の健康のような話から、社会における役割のような話まで。
この数年で大きな変化を感じている。
様々な話題で方向性が固定的になっていて、それゆえ下り坂に感じる、みたいな。
こっちこそ書いておきたいのだが、書き始めるのにMPを必要とするので、筆が進まない。

もう1つは研究者生活の領域での話題。
特にポスドク達と接している中で各人に話したことを、一般論としてまとめておきたいのだ。

〜〜〜

いまの所属には(広義の)ポスドクが4人いる。
学生指導をしている教員からすれば、大した人数ではないだろう。
人数はさておき、ウチでは、各人の研究テーマが大きく異なっている。
それもボク自身がやってきたのとは違うテーマに、それぞれが取り組んでいる。

この体制になって一年半が過ぎ、それぞれが論文を書くフェーズになった。
ポスドクだから一通りは自分で書けるのだけど、書き方を見ていると、なんだか危うい。

直感的に危ういと思うので、つど指摘するのだけど、ビシッと表現できない。
抽象的にダラダラと喋ってしまうので、彼らにもストレスをかけている気がする。
なにより私的な能力への指摘でもあるので、その点でも負担は大きいと思う。

だから、この危うさ、あるいはそれへの指摘を、一般化しておきたい。
そうすれば、研究指導の方法論を確立することに繋がるんじゃないか。
そんなことを考えている。

我々のような自然観察を基点とする研究では、観察の記述がなにより重要だ。
記述とは、情報化である。
現実世界にある複雑で豊かな様子を、一面で切り取って情報化する。
情報化とは、単純化だ。
豊かな現実を、情報として表現できる程度のものに落とし込む行為だ。
一方、情報から現実は復元できない。
観察による情報化は常に不可逆だ。
だから、観察結果の記述という行為には、「おそれ」のようなものが伴ってほしい。

「生データをよく吟味しろ」というのは、よく指摘されることだろう。
これには2つの意味がある。
生データを作るプロセス、すなわち「情報化」は適切に行われているか。
すなわち、現実の何を削ぎ落として、何を記述しているのか。
生データを読むプロセス、すなわち「情報」として適切に扱っているか。
すなわち、原理的に不可能な現実の復元に取り組んでいることに自覚的であるべきだ。
両者はまったく異なる。

生データを見た時の、これは真であるかの評価と、真であると仮定しての解釈と。
2つを同じ「生データを吟味」という表現にしてしまうことは、指導として良くない。

ここまでで、すでに話が混線してしまっている。
書き方の話題。
書き方の指導の話題。
ちゃんと切り分けねば。

〜〜〜

友人Kが「書けないことが多い」と言っていた背景が、すこしわかるようになってきた。
たしかに自分がポスドクだった頃に比べれば、書けないことが多い。
しかし、だから何も書けないといって書かなくなるのでは、芸がない。
それでもなお書けることを書こうとすることで、なにかが整理されていくだろう。
そう。
これは大いなる独り言なのだ。
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