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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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そのままなんだけどもグーグルアカウントの無料分(17GB)がGmailだけでパンパン(>16GB)になってきたので,破綻する前に手を打つことにした。カネで解決というのがもっとも早いのだけれども,それもちょっと違うなぁと思って,別の手を考えてみた。以下は覚え書き。

1.グーグルで2個目のアカウントを作成
2.メイル:旧アカウントへ転送しているメイルを新アカウントへの転送に書き換え
3.メイル:旧アカウントから新アカウントへ転送開始
4.メイル:旧アカウントの「連絡先」のみをインポート。
5.カレンダー:[.ics]形式でエクスポート&インポート
6.サイト:権限者に新アカウントを追加,権限を移行,旧アカウントの権限を削除
7.Scholar:旧アカウント公開のまま(各種サイトや共著者などリンク維持のため)
8.Scholar:新アカウントは非公開で同情報を入力(検索&サジェストのみで運用)

あまり大した作業はしていない。
アカウント切替も簡単にできる(Firefox for MacとAndroid)。
ラクチンかも。
しばらく様子見。

追記(4月7日)
8.メイル:フィルタを旧アカウントからインポートした。
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年度末の定期点検停電の対応と,定年退職する恩師からの遺言拝受・遺産相続のために出張帰国。
出張日程が決まってから様々な予定がモリモリと入った(入れた)。



3月1日(水)
朝出発準備。
もうスイスで使わないモノと日本の親族への土産を詰めて,大型スーツケース2つ分。

13時頃 自宅出発。チューリッヒ空港のスイスラウンジでだらだら。17時から夕食でタイカレーが出てきた。うまし。
18:35発19:35着 NH6100 チューリッヒ - フランクフルト
15分しかなかったけどもシャワーで保湿体制を整える。

20:45発16:15着(翌日) NH224 フランクフルト - 東京(羽田)
「鹿島Jリーグ制覇への道」みたいな30分動画に続いて,
「CWC決勝 鹿島vsレアルマドリー」の日テレ版をフル観戦。
2時間ほど眠る。
「この世界の片隅に」視聴。すずの怒りポイントはすんなり入ってきた。
自分にはコントロールできないことでも,周囲がそれで良いと思ってやっているからと受け入れてきたのに,実はそうでもなくて,「なんや!そんな程度に考えとったんか!そんなやのにガマンさせられとったんか!」という感じで。知らんけど。



3月2日(木)
羽田から京急川崎へ。東横イン京急川崎に投宿。
驚くほど寒い部屋。廊下よりも寒い。部屋にキッチンがあって換気扇があるせいかも。
暖房をかけてもドンドン冷えていくので,もうこれはたまらんっといったぐあいでフロントへ。
「仕様です」ということでガッカリ。
今後の予定とキャンセル料を考え,最後の1泊だけ変更することに。

近所にあるヨドバシアウトレットでプリペイドSIMを購入。
設定するも,なぜか全然つながらない。何度確認しても問題無い。
よくよくパッケージを見ると,有効期限が切れていた。
店員に言って別メーカーの新しいモノに代えてもらって,無事つながった。
7days-1GB-2500JPYが相場のよう。
「メイルとツイッタの確認」「暇つぶしの2ch」「使わない時は切る」で1GBは問題無くクリア。

到着後のホテル・SIMに加え,川崎の小汚さにもやられる。
本屋で立ち読みの後,ラーメンを食べて就寝。
部屋が寒すぎてしっかり眠れない。とはいえ飛行機の分も取り戻す程度には寝た。



3月3日(金)
朝ご飯は川崎の吉野屋。
新逗子経由で葉山自宅。
空気の入れ換えをして,荷物をドロップして,スーツ一式を回収。
同僚に迎えを依頼していたが,別の同僚への連絡と行き違いになり待ちぼうけ。
ブッキーのワゴンに荷物を詰め込んで職場まで。

10時から航海打ち合わせ。5月の航海で自分は乗らないけど,影の首席なので。
メイルやスカイプでは声を上げない人々の考えていることなどを聞く。
大筋でこちらが考えていたように進めて行けば良さそう。一安心。
今回の出張費の出本である部署の事務部と,自分の身分がある部署の事務部に土産と土産話。
いろいろとお世話になっておりますので。

昼はサッカーをしたかったが,シャワー室改装中かつシンポジウムで不在者多数のため,無し。
居室に戻って同僚とお喋り。こちらもシンポジウムで不在者多数。
ラボに移って機器の対応をしつつお喋りを続ける。
機器運用の方針について。新手法開発が先か,既存手法での試料処理が先か。など。

さらに同僚と打ち合わせ。自分と同じ制度で来年度出発するらしい。
海外渡航の是非というか,実際どうなのとか。日本での仕事との兼ね合いなど。
その他,個人的な事柄も含めて,外で海を見ながら話す。
職場内の植え込みが腰ぐらいの高さですべて刈り取られていて不思議に思う。
後から聞くと,今年度の業者は契約満了らしく意趣返しなのでは,と。ホンマかいな。

さらにさらに同僚(兼務部署の上司)と打ち合わせ。
ここまでの執筆状況と,これからの執筆方針について。
アレとコレは切り分けて,コレとアレはマージして,など。
研究内容に加えて人間関係も考慮せねばならぬのが大変だが,これもどうにかなりそう。

打ち合わせが長引いたので,遅刻して「囲む会」へ。追浜うれたの。いわゆる「川口軍」。
二次会は文庫の「ぷう」。少しメンバーに入れ替わりあり。
川崎への終電で店を出たが「もう少し話したかった」と言われては仕方ない。
追浜の同僚宅で3人飲み。気付いたら5時半。
這々の体で川崎に戻り寒い部屋で7時頃に就寝。
10時頃,フロントからの「掃除入って良いですか?」電話で起こされる。断って再就寝。

12時頃,再起床。池上の久松温泉で12時開始の宴会にちょっと遅刻しそう。
というところで,パソコンが無いことに気付く。職場に忘れたらしい。
松屋で昼食の後,追浜へ移動,無事回収,池上へ。15時過ぎ到着。
2階の宴会場でダラダラ宴会。
社会人になってから(なったことあるか?)職場以外で知り合った人々。
友人という属性以外がまったくない友人なので,ものすごく気楽。
途中で温泉に入って温まり(熱すぎて入れないけどね!),19時に温泉はおひらき。
蒲田に移動してカラオケ。いつも通り好き勝手に歌い踊りまくる。
ドルオタ女性もいたので,ももクロは4曲やったかな?
もちろん2時間では終わらず延長して23時頃におひらき。



3月5日(日)
7時起床。体温があがらない。冷え,飲み過ぎ,食事不足,時差(日本の朝8時はスイス0時)。
胃も固まって動かない。少しゴロゴロしてから着替え。
一張羅の方のスーツは尻がまったくおさまらない。太りすぎた。
予備に持って来たストレッチ黒パンツに一張羅ジャケットのみで出動。

11時,小町通りのカレー屋。自宅の管理をお願いしている同僚と会食。
職場の現状などなど。まぁ良いことはそれほど無いですわな。
12時過ぎに別の喫茶店へ移動。ベトナムコーヒーなど。
14時に同僚2名が合流。危ない政治ネタや社会ネタを大声で。やばいやばい。
披露宴の余興について最初で最後の打ち合わせ。まぁどうにかなりますよ。

15時半,鶴岡八幡宮。舞殿での挙式を見学。久々に会う同僚など。
噂通りに新婦側友人は日本語がわからないメンバーのようで,身が引き締まる。
17時,鶴ヶ岡会館。式に来なかった兄さんと合流。初っ端から研究の話をハイスパートで。
研究が出来る人との会話は細かい部分を飛ばしても理解しあえるのでラクチンだ。
係の人に軽く苛つかれるまで受付前で喋り続ける。

17時半,開宴。あきらかに新郎の趣味が満載の宴。
出てくる食事がどれもうまい。これはポイントが高い。
余興は「3つの袋」。
ボクはパントマイム,他2名の同僚が英語スライド表示と,それをGoogle翻訳した日本語読み上げ。
お袋・金玉袋・思い出袋。金玉については,親族も外国人もウケていたので,良かった。
披露宴の途中から兄さんが席を移ってきて,また研究の話など。20時終了。

公式2次会がなかったので15人ぐらいでうろつく。しかし店がない。
ひとまず分離して,4名だけになって二次会。職場で接点の少ない変なメンツ。
しかし結婚式の感想など,ゲスの勘ぐりも含めて,おおいに盛り上がる。
22時頃,再合流して三次会。もう一方の部隊にゲス勘ぐりを披露したり。
川崎行きの終電に合わせて解散。タクシーで帰る人と川崎でだらだら飲む。


3月6日(月)
少しウトウトしたぐらいで移動開始。品川でラーメン。
東大柏キャンパス。恩師が部屋にいた。そして訪問することを忘れられていた。
共同研究の都合で名札だけは残るが,本当の本当にキレイサッパリと引退する模様。
ずっとそう言っていたが,本当にそうするんだなぁと。
途中で准教授殿も合流してお話。

来客があったので部屋を出て,別分野で准教授をしている友人の部屋へ。
最近うまれた子供のことで頭がいっぱいの様子。
そして彼の学生で今春に学位を取り,我が社でポスドクをするという人とも。
再度,出身分野のお茶時間に合流して,12時過ぎに帰路。

14時にホテルをかえる。京急Exイン川崎。15時チェックイン。
小説家をしている友人からのオススメ本を本屋で購入した後,就寝。17時に起床。

18時に大田区体育館へ。
新日本プロレス45周年旗揚げ記念日。
「子供の頃親とテレビで見ていた」ぐらいのプロレス知識の同僚と。
よろこんでもらえたようで何より。
すぐに選手名コールをはじめるオッサンのせいで,ジットリした展開が台無しに。
とはいえリング上は充実していましたよ。
本間の頸椎負傷で代打出場した天コジが本間ムーブからの戴冠。
田口とヒロムは(コール親父がいなければ)コミカル〜シリアス〜大技への展開で良かった。
オカダとタイガーWは,オカダがしょっぱいなぁと。

22時終了で部屋に戻って爆睡。朝まで。


3月7日(火)
6時過ぎに起床。7時過ぎに部屋を出て空港へ。
ANAラウンジに入り込み,カレーとからあげ。
これを書いて,そろそろ搭乗。

朝まで飲み,昼から飲み,部屋寒いなどで,フラフラだったが,
京急Exインが素晴らしかったので,今が一番体調が良いかもしれん。
前夜の観戦途中から喘息咳が出始めたが。

予定を詰め込みすぎるのは,もう体力的に限界だ。
次回は5月中旬予定。もっと気楽なスケジュールにしよう。
これからますます地球温暖化やエネルギー資源枯渇が問題となってくるので,そういう文脈から地球工学の必要性が強調されてくると思う。「必要性が強調される」ってのはわりと穏当な表現で,要するに「莫大な予算が突如ふってわいてそのバブルに多くの関係研究者が踊らされる」ということです。

たとえば化石燃料の使用で大気中に増えた二酸化炭素を地層中に埋めて温室効果を軽減しようという「CCS」だとか,それの発展系でただ埋めるだけじゃなくて利活用(利用じゃダメなの?)してやろうという「CCS/U」だとか。あるいは成層圏エアロゾルを増やして日射量を減らすだとか,貧栄養海域に栄養塩を撒く(組み上げる)ことで海洋光合成総量を増やして生物ポンプを働かせようとか。



まず地球工学的な取り組みに対しての期待感/嫌悪感がある。かなり大規模に人間が自然に手を加えるということで,科学の勝利的にとらえる向きと,人間の横暴極まれりととらえる向きと,まぁ両方あるでしょう。科学の進歩が生み出した問題をさらなる科学の進歩で封じ込めるのか,はたまた科学は進歩したけども科学を利用することについては持続的撤退を決意するのか。

で「科学の進歩に期待しよう」ということになると,次は地球工学的な取り組みの成否に関する見通しがわかれる。もちろん進めようとする陣営は「いける」というだろうし,情動的あるいは客観的に見る陣営からは「むりでしょ」という声もあがるだろう。地球工学的な大規模な操作で,その成否を的確に予測するのは難しい。この話題で重要なのは「予測の困難」ということを,単に予測精度が低いと考えるのか,それとも予測困難であるということ自体が計画の不十分さを露呈しているのだと考えるのか,ということで。つまり,操作に対する応答を適切に予想できないのに操作するというのは,観察を目的とした科学研究であればいざ知らず,地球環境に対して実施する計画において適切なのだろうか,ということだ。

それでも「やるしかない。やろう。」ということになるとして,じゃあ誰がやるんだ,という問題が起こる。最後に責任をもって「ゴーサイン」を出すのは誰なのかと。これほどの計画であれば国家事業となり国際的な関係も生じるいわゆる政治マターであり,名目上の計画推進者は政治家となろう。しかし計画の実質的中心が科学者であることは間違いない。(これまで生きてきて感じるのは)できるだけ多くの旨味を,できるだけ小さな責任で得たいというスケベ心というのが,大きな計画になると無視できない存在になってくる。あるいは一定以上の権威に任せるという考え方と,そんな計画の成否を見届けぬままいなくなる人に任せて良いのかという考え方と,それもある。これだけの計画を自分の名前でしっかりと引き受けることができる科学者がいるのだろうか。

そういうアレコレを乗り越えて,計画が実施され,さらに成功したとする。となると,計画に参加していない人々は「なんだイケルじゃないか」と考える。「二酸化炭素を出しても地中に埋めればオッケーだね」とか「温暖化が進んでも成層圏エアロゾルで冷やせばオッケーだね」とか。そうして,根源的な部分にある問題(二酸化炭素の放出とか)に対する無責任感みたいなものがより強まってしまう。


など色々とあって,これから地球工学の時代がくる(すでに来ている)のは間違いないけども,じゃあそこで「中の人」として,賛成するにしても反対するにしても,どのような活動・発信ができるのだろうか,と考える。それはたぶん「アウトリーチ」ではないだろうな。
野村克也(ノムさん)がよく使うフレーズ。
「エースと4番は育てられない」
そのこころがどこにあるのか。

競技の特性に基づく戦術・戦略があり,努力の方法論がある。
これらを知り,努力を重ねることで,一流の選手にはなれる。
しかし「超一流」になるには,そうした「論」を超えた「能力」が必要である。
この能力は,持っている人しか持っていない。
持っていない人が,努力によって獲得できるものではない。

生物的な意味での「先天性/後天性」ではなくて,
業界に入る段階の前後でわける意味で「先天性/後天性」を使うならば,
「エースや4番」には先天的な能力が不可欠である,ということになるだろう。

==============

野球の話はここまでにして,研究の話。

友人とチャットをしていて「学問と歴史」の話に。
「本郷」には本邦学問の歴史がある。
連綿と続くその歴史を感じて今を生きると,それはある種の呪いのようだ。

東大とは。
大学とは。
学問とは。

新たな研究の地平を切り拓く研究者を生み出すことは,大学の使命である。
少なくとも東大の教授というのは,そういう使命を帯びている。
では「東大教授になる人」は育てられるのか。

「エースと4番は育てられない」という意味にのれば,
ボクの答えは「No」である。

ある「才能」が東大に入る。
東大教授は,前世代において「才能」であり,今まさに東大教授である。
教授という華が放つ臭気が,才能を引き寄せる。
才能は才能を知る。
才能は,教授の下でついに開花し,やがて教授となる。

これを傍から見れば「育てた」と見えるかもしれない。
しかしやはり「才能が,自ら臭気をかぎつけ,開花し,教授となった」のである。

一方で,ミノル・オジマの言葉だと又聞きしたが,
「大学の使命は次の教授を育てることである」
という言い回しがある。

東大は「才能」を集める。
東大には「才能」を開花せしめる教授がいる。
才能と教授との遭遇は,偶然でしかない。
この偶然の確率を引き上げるのが「東大」という場である。

巨視的に見れば「東大が育てる」ことに間違いはない。
しかし微視的には「東大で才能が教授と出会う」だけである。

学問を為す主体が人間である以上,学問の歴史は人の歴史がある。
人の歴史とは,出会いである。
出会いは,偶然である。

==============

というような「お話」は,もはや架空の世界のことかもしれない。
大学というモノ,東大というモノを,研究に特化して,しかも先端の先端だけを見れば,
「東大の使命」というのは,こういうことなんじゃないだろうか。

「東大」やら「教授」やら「人事」やらの実態は,
もちろんこんな「脳内お花畑」的なモノではないだろう。

ただ,理想というか,理念というか,そういう概念的なものとして,
こういうような位置付けを考えてみるのも,
「大学論」みたいな話では意味があるのかね,なんて思ったりして。


余談。
いま文科省によって大学が3つに分類されている。
トップ・特色・教育だっけ?
これとは別に学部・修士・博士という3分類もある。
この3x3マトリクスをベースに,大学というものの位置付けをするのも面白いかも。
という話題もあった。
教育とか子育てとか,まぁそうやって言われるようなモノについて,色々と考えるところはあるけども,やっぱり直接的な働きかけ以上に,環境的な要素は大きいなぁとつくづく感じているところである。

すごく卑近な例で言えば「本を読んでくれると良いなぁ」と思って本を置いておいても,テレビがついていればそちらに向かっていくし,教えてもいないのにテレビのリモコンを操作して見たいチャンネルに合わせている。テレビ本体・チャンネルボックス・DVDプレイヤの3種を使い分け,テレビ欄を確認し,DVD音声を日本語に設定して視聴している。そういう状況にあって「本を読みなさい」と言っても,まぁ何の効果もないわけです。しかしテレビの電源をこっそり落として「あぁ今日はテレビは使えないんだ」となると,ヒマだし本でも読もうかな,となる。そのまま他にやることがなければ,本を読み続けて,そのうち寝る。

行動原理はすごく単純で,今できる一番楽しいことをやる。それが出来なくなったり,楽しくなくなったりしたら,次に移る。ただそれだけ。テレビやゲームは「娯楽」として作られているものなのだから,面白いに決まっているし,さらにここまで育つ上で「面白いモノ」として与えてきたのだから,そういう価値観もビッチリ染みついている。だからこそ「アレやれ,コレやれ」と言うのではなく,コッソリと「アレが動かない」ようにするとか「コレが置いてある」とか,そういう環境状況を作ってやることで,大人が思う方向に誘導していくのだろう。もちろん大人が誘導することの是非はあるが,ここではそれはさておきということで。

そしてそれ以上に「子供は大人をまねたがる」ので,大人が何かをしている姿を見せる(見られる)というのも,非常に大きな要素である。大人が本を読んでいる様子を見たことがなければ,子供もなかなか本を読まないだろう。大人がテレビを見て喜んでいなければ,子供もテレビを見て喜ばない(かもしれない)。

それで,昔に書いた「家に新聞があることの意味」って話にもつながるけども,そういうのって大事だよなぁとあらためて感じている。
安易な紙媒体不要論が子供を殺し国を滅ぼす
http://kawagucci.blog.shinobi.jp/Date/20100516/

今の生活で何が問題って,ボクは仕事をするのにラップトップを見て,本を読むのにKindleを見ているんだけども,子供達にとってそれは「Youtubeが見られる機械を使ってお父さんが何かをしている(=遊んでいる?)」とか「iPadみたいなヤツを独り占めしている」とか,そういう風に「見えている」ということ。たとえば,論文やメイルを紙に書いて紙で読んでしていれば,子供達にとって読み書きすることに対する親近感は全然違うと思う。

じゃあ翻って,機械を使っている様子を見て,機械を使うことに対して親近感を持つかどうかで言えば,まぁ親近感は持っている。テレビのリモコンも,iPadも,それほど操作法を教えていないのに,扱うようになっている。でも,文字を読めば,どんどんと未知の文字が押し寄せてくるので,その深淵のようなものに触れることもあるけども,機械だと自分が使うものだけを把握していれば,未知のものは視野から外れてしまうのかもしれない。

あぁもうこんな時間。そんなこんなでとにかく難しいなぁと。
いつものオジチャン(おにいさん?)から。

===============
100%明確になることはないとしても、ゴールを、ゴールに必要な質の高さを示すこと。

そしてそのゴールに至るまでのプロセスを手前側から示し、実際に今どの立ち位置にいるかを指摘すること。
http://d.hatena.ne.jp/keikoba/20170209/1486593996
===============

ここで重要なのは,「ゴールに必要な質を示す」ことと「プロセスを手前側から示し」ということの分離だと思う。

「ゴールの質を示す」とどうしてもその流れで「向こう側から」順を追って考えてしまう。
でもそれだと「今の立ち位置」と交わらないこともありえる。
逆に言えば,「今の立ち位置」からだけで考えると「ゴールの質」はドンドンと下がってしまう。

そこに難しさと面白さがあるなぁと。
これは研究に限らず,たとえば競技スポーツでも同じだけれども。

ある程度まで研究を進めると「ゴールの質」と「手前側からのプロセス」とが両方とも見えてくる。
両方が見えても,それらをうまく交わらせることが出来ないことが多い。
そこで身悶えてしまう。

今まさに,来年度の航海計画についてメイルで侃々諤々している点も,これなのだろう。
ある人は「ゴールの質」を求めて「向こう側からプロセスを逆算」という計画。
ある人は「手前側からのプロセス」を示して「ゴールは薄ボンヤリ」という計画。
これらがうまく交わらない。

もちろん「ゴールの質」を求めることは大事に決まっている。
でも調査航海は人間がやることで,体力と時間は有限だ。
向こう側から逆算しても手前側と交わらなければ絵に描いた餅。

さてさて。
Senior EditorのAmy Whitchurch博士。
http://www.nature.com/ngeo/authors/about_eds/index.html

セミナー前に自分のメイルをサーヴェイしたら,自分の関係(地震ネタが多い)はいつもこのAmyから「unfortunately」メイルをいただいていることがわかった。担当分野なのだろう。



「わかりやすさ」ってのは,無数にある変数を近似して特徴的なものに代表させることで獲得されているのかもしれない。だとしたら「わかりやすさ」というのは「単純化」なのかもしれない。わかりやすい形式で発信することは,近道のようでいて,もっとも遠回りなのかもしれない。

そして受信側。「わかりやすさ」を求めると,それは「単純化されているモノ」しか受け入れないことになるが,世界は複雑なのだから,やっぱりちょっと危ないよね。「リテラシー」とかなんとか振りかざしている人は,それはそれでイヤだけど,「いわゆるリテラシーみたいなもの」が不足していると陥ってしまう危険性のようなものはあると思う。

自分が何を目指しているのか,といういつもの問題になるのだけれども。発信側としての自分は,まぁどうでもいいな。それはどうでもいい。受信側としての自分も,どうでもいいんだ。たぶんね。

傍から見ていて「あぁ発信側の伝えたいことと受信側が受け取っていることが食い違ってるなー」と感じる場面が少なくなっていけば,きっとそれが自分にとって「楽に生きられる場」なのだと思うから,そういう世の中に,少なくとも自分の目の届く範囲での世界で,なっていくようにしたいなぁというのが願いなのかもしれない。

人が2人いて「意見が食い違う」のは良いんだ。何も苦にならない。でも「会話が成立していない」のは苦しい。そういうことなのかもしれない。

他者理解における共感の限界を超えて理論構築すること
http://lineblog.me/mogikenichiro/archives/8319969.html

ーーー以下引用
「共感を前提に他者へのアプローチを考えると、間違える。....自分と比較的に似た資質の人の場合にはうまくいくが、その「共感のサークル」を超えて人の理解を支えることができない。」
「相手のきもちを、いわば理詰めで推理し、なぜそのようなきもちを持つのかを理解するはたらきが必要である。そのことによって、必ずしも共感できない場合でも、人間というものを理解することができるようになってくる。」
ーーーここまで


これはすごくしっくりきた。
ボクはたぶんこの裏返しだ。
最初から「相手のきもちを理詰めで推理」した上で接してしまう。

だから,
「理詰めで推理した相手」と接するので「共感」に至らないし,
「共感のサークル」のメンバーになることがないし,
理解を超えた考え方の人に恐怖を覚える。

子供相手の時は特に,共感のサークルに入ることが大事だなと。
日々常々つくづく思っている次第。
新しい携帯にしてかわったこと。

辞書アプリがサクサク。街中の看板など表記が気になった時に即座に調べられるようになった。ちょっとしたことだけどすごく便利。暇つぶしにもなる。

カメラがきれい。外食とかちょっとした景色とか,カメラを持ち歩かずに日々の状況を撮影できる。スイス生活の記録にちょうどいい。カメラが重いしかさばるのが億劫だったので。オデカケにはカメラを持って行き,日々の生活は携帯で,という感じになりそう。

暇つぶしがサクサク。前のヤツはちょっと重いサイトだとカクカクだし,SNSアプリなどをいれたらアプリ本体にメモリを食われて全体がフリーズしてしまっていた。

音楽が聞ける。前のヤツは・・・同上・・・。さすがSONYで音も良い(気がする)。

6万円といえども毎日使うものだと思えばそれほど高い買い物ではないのだから,ケチらなければ良かったなぁと後悔。一方で,どの機能も日本に帰ったらあんまり使わないかなぁとも。
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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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