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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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ORIサッカー部の時もそうだったのだけど、
昼休みのサッカーには色々と思うところがある

毎日の昼休みのプレイを、
試合ととらえるのか、
練習ととらえるのか、
単に娯楽ととらえるのか

このあたり、セル爺の言う、
「日本にスポーツ文化がない。あるのは競技文化」
って指摘がまさに的を射ていると思う

要するに、
昼休みにサッカー好きが集まってやるサッカーを、
すぐに「競技」にしてしまう、
あるいは「競技」と捉えてプレイする人が、
結構多いということ

たとえば、上手い人にありがちなんだけど、
「ボール扱いが拙い人」にはパスしないとか、
「自分で持って持って持って、最後の最後にラストパスを狙う」とか、
そういう、
「まぁあんたが一番上手いから、そうすれば勝てるけどさ」
ってオナニープレイをして、
はたしてそれは「サッカーを楽しんでいる」と言えるのだろうかね

ボクは、
サッカーというゲームの枠組みの中で、
各々が「サッカーを楽しんでる」という実感が持てる範囲で、
「プレイに参加」できれば、それ以上は何もないと思う
もちろん勝てばより楽しいけどもね
そしてそれが「スポーツ」なのだと思う

各々の技術と体力の差を踏まえて、
それでも皆がゲームに参加しながら、
快適に「スポーツ」をしている実感を持てれば、
ボクはそれで良いと思うのです

特にサッカーはチームゲームなので、
味方と連動している実感がうまれる瞬間に、
「スポーツとしての醍醐味」があると思っているし、
「競技として勝利を追究」する時にもこれは重要な条件だと思う

だから、
「個々の力量」が「局面」や「試合の勝敗」をわけるような、
そんなサッカーをしているうちは、
サッカーというものを健全に楽しめていないのではないか、
とすら思うわけです

「個々の力量」が問われるのは、
フィールドの22人の力量がハイレベルで均一で、
両チームがよくオーガナイズされている場合に限られる
トラップもおぼつかない人が大勢いて、
試合の流れを読む眼が無い人が大半でって中で、
パスの精度とか、
ドリブルの優劣とか、
接点の激しさとか、
そういうものを求めても、ぶっちゃけ意味がない
そんな中で「個人の力量」を発揮してゲームを支配しても、
ぶっちゃけ、やってる方だって楽しくないだろう
(いや、楽しいからやってるのか!?)

そういう所を求めるんじゃなくて、
まずは、まず初めに、
チームとしてこういうプレーをしよう、というような、
共有できる方向性のようなものを持って、
それの実現に向けてプレイすることが、
結果的に昼休みを快適に過ごすことができるんじゃないかな

それはたとえば、
「ゲームの流れの中でワンタッチパスを三回回してみる」でも、
「とにかくロングをトップにあてて他の人はサポートする」でも、
「好き勝手に攻めるけど、守備ではちゃんと戻ろう」でも、
何でも良いのだけどね
とにかく個人の力量が問われない範囲で、
サッカーというモノを楽しめる方向性を、
サッカーというモノがわかっている人が提示することが、
ひいては皆がサッカーを楽しみ、さらに上達する道筋なんじゃないかな

はじめっから高いレベルで良いサッカーをして勝利したいなら、
つまり「競技」としてサッカーを楽しみたいなら、
そういう場に出ていってやれば良い
それがすごく楽しいことはよくわかる
でも、昼休みのサッカーにそれを持ち込むのは、断固反対

昼休みのサッカーは「スポーツ」なんだよ


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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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