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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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ネットでの新聞購読や、
iPadの到来による電子書籍の本格導入の気配によって、
本や新聞などの紙媒体の不要論が叫ばれています

その時に、
紙の質感やインクの香り、
ページをめくることを含めての「読書」、
みたいなことが主張されます
特に「文化人」とか「愛読家」とか呼ばれる人から

でも、
何か違うんですよね
そういうことじゃないんです
いや、
そういう側面があることももちろんだし、
「本を愛する人」がそう思って本に固執するのは良いんです

そうじゃなくって、
もっと一般的な日本人として、
紙媒体の本や新聞が家にあることの意味を、
その「子供に与える影響」の重要性を、
もっともっと過大に評価するべきじゃないかと思うのです


子供は大人の模倣をして「背伸び」をすることで成長するわけで、
子供が新聞に興味を示すのは、
文字や内容に興味を持っているわけでなくって、
だって文字や文章を読む能力はその時点ではないわけで、
読書とわかって新聞にアクセスするわけじゃなく、
「父さんが読んでいる謎のモノ」に興味をもって、
「大人だけがする行為」に自分も参加することで、
自分を認めてもらいたいという思いがあるんだと思うんです
「あら、しんちゃん、新聞読めるなんて偉いね」
なんて会話があったりして、
より頑張って読んだりして

学校とか塾とか、
そういう教育じゃなくて、
家庭での自然な学習機会として、
家に新聞があるというだけで、
子供が自然と新聞に興味を持つことで、
それは子供を机に縛り付けて勉強させるよりも、
自発的で本能的な学習だと確信しています

本が家にあることも同様で、
自分の親なんて家で生活しているだけだと、
ご飯食べてお風呂入って寝ているので、
生活行為は大人も子供も同じで、
あまり大人が立派だというような感じを受けないんだけど、
家に本棚があって小難しそうな本が並んでいるだけで、
「大人の深み」みたいなものを子供が感じてしまうわけです
この効果も大きいと思います

また、情報を選択的に取得するのではなくて、
そこに情報が転がっていて、
とりあえずそこにある情報を拾ってみるという行為も、
幅広い学習機会だと思うのです
学習の本質は、
「自分にとって未知の存在を知覚すること」
だと思うので、
自分がほしいと思う情報を検索して取得するような行為は、
それでいくら情報を集めても学習とは言えないのです
そういう意味で、
自分以外の誰かが用意した文章をとりあえず読むという行為は、
大変に効果的な学習だと思います

紙の新聞や本を捨て去って、
ネット新聞や電子書籍になってしまうと、
たとえ論文を読んでいたとしても、
2chを見ててもyahooを見ていても、
子供が模倣する行為としては同じなのです
モニターに向かう大人の真似をしてモニターに向かうことが、
子供にとっては重要なのであって、
そのコンテンツは子供にとっては重要ではない

だから、
大人にとっては、
新聞を紙で読んでもネットで読んでも、
そのコンテンツに差はないけども、
それが子供に波及する学習機会の提供を考えた時には、
まったく異なるものになってしまうわけです

そうやって家に新聞や本が存在するということで、
子供が家庭で自然と学習してきたことで、
今の日本の高い識字率や文化水準が保たれているんだと思います


子供の生育環境の一環としての、
「本や新聞が家庭に存在すること」
を、
もっともっと真剣に考えねばならないと思うのです
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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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