大学教育の本質的な意義を(抽象的に)あらわすならば,
「子供を大人にする」
ということに尽きる。
じゃあ「大人」ってなんなのと聞かれれば,
それは福沢諭吉に言わせれば「独立自尊」だろうし,
ちょっと具体的に言えば「主従関係によらない人間の確立」とか,
「自分の頭で考えて,自分で判断すること」とか,
そういうようなこと。
今の大学教育ってそういう能力を開発するようになってますかね?
ボクにはとてもそう思えない。
出欠を取ったり,
試験で点数をつけたり,
レポートを提出するだけで終わったり,
それってまさに「大人」から出た指令をこなす「子供」を養成していて,
学生を「大人にする」どころか「子供に固定化する」方向にしか働かない。
また「優秀な子供」こそが「優秀な学生」として顕彰されるわけだから,
現状の大学が輩出する「大学で教育された人材」の中でブリリアントな人は,
必然的に「子供のまま」ということになってしまう。
やっぱり,そんなのおかしいよね。
大学生に,大学に所属する間に求めるのは,
「賢い子供じゃなくて,バカでもいいから大人になる」
ということ。
だから大学教員に求めるのは,
「子供を大人にするための場の構築」
なのです。
学生と教員が,
対等かつ相互批判的な関係でガンガン対話するような,
そういう場が望ましいな,と思う。
そのために重要なのは,
ついつい「子供」として振る舞いがちな学生に対して,
ついつい学生を「子供扱い」してしまいがちな大学教員の側が,
徹底的に「大人同士」という態度をとり続けることだと思う。,
未完
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「子供を大人にする」
ということに尽きる。
じゃあ「大人」ってなんなのと聞かれれば,
それは福沢諭吉に言わせれば「独立自尊」だろうし,
ちょっと具体的に言えば「主従関係によらない人間の確立」とか,
「自分の頭で考えて,自分で判断すること」とか,
そういうようなこと。
今の大学教育ってそういう能力を開発するようになってますかね?
ボクにはとてもそう思えない。
出欠を取ったり,
試験で点数をつけたり,
レポートを提出するだけで終わったり,
それってまさに「大人」から出た指令をこなす「子供」を養成していて,
学生を「大人にする」どころか「子供に固定化する」方向にしか働かない。
また「優秀な子供」こそが「優秀な学生」として顕彰されるわけだから,
現状の大学が輩出する「大学で教育された人材」の中でブリリアントな人は,
必然的に「子供のまま」ということになってしまう。
やっぱり,そんなのおかしいよね。
大学生に,大学に所属する間に求めるのは,
「賢い子供じゃなくて,バカでもいいから大人になる」
ということ。
だから大学教員に求めるのは,
「子供を大人にするための場の構築」
なのです。
学生と教員が,
対等かつ相互批判的な関係でガンガン対話するような,
そういう場が望ましいな,と思う。
そのために重要なのは,
ついつい「子供」として振る舞いがちな学生に対して,
ついつい学生を「子供扱い」してしまいがちな大学教員の側が,
徹底的に「大人同士」という態度をとり続けることだと思う。,
未完
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