外回りをしていると「なんの研究をしているか」を聞かれる場面が多い。
初手では「海に行って深海を調査しているんです」と回答している。
しかし中には「それで?なにを?」と踏み込んでくる人もいる。
とても面倒くさい。
別になんでもいいやん。
所内でも言われる。
専門家同士でもあるわけで、具体的な話をせねばならない。
でも、具体的に何かをやっているわけではないので、回答に困る。
自分だけの研究テーマを持って、それに取り組む生活は、もう止めている。
そもそも興味がないのが1番だが、それでもなお、研究者としてやるべきことがあるからだ。
実際、研究者として、今でもそれなりに忙しく暮らしている。
狭義には研究と言えないプロジェクトの職務に、それなりのエフォートを割いている。
そんなプロジェクトを遂行しつつ、これを研究にもすることが、ポイントだ。
プロジェクトには目的があって、そこには狭義の研究ではない要素も多い。
もちろん、プロジェクトには狭義の研究の要素もあるが、それは大きくないし、奨励もされない。
だからといって、研究自体は否定もされないし、それはそれで重要でもある。
ただし、自分自身では研究はしていないので、誰かが研究をすることになる。
研究の部分は、自分で研究をしたい人を巻き込んで、いわば「進めてもらう」。
そうして、プロジェクト推進と研究進捗の両立をマネージするのが、今の仕事だ。
身近で一緒に暮らしている人は、ボクの働きぶりを(なんとなく)理解してくれている。
みんな協力的だし、否定的な態度は(思っているかもしれないが)見せることはない。
しかし、すこし距離のある人からすれば、ボクは何もやっていないように見えるだろう。
仲介業とか代理業か、そういう仕事しかしていない(ように見える)からだ。
そんな働き方にあって、自分が大事にしていることがある。
共著論文でも、主著論文のようにしっかりと、原稿に貢献することだ。
著者としての貢献が十分に出来ない場合、著者となることを断っている。
内容が理解できないとか、原稿に目を通す時間がないとか、理由はその時々だが、基本は断る。
これが、自分は研究者だと言い張れるための、最後の一線だと思っている。
(あくまでプロジェクト職務と研究の兼ね合いの意味で)
これがあるからこそ、それなりの信頼を得て、協働できているのかもしれない。
なんか違う話になってきたな。
まぁいいや。
初手では「海に行って深海を調査しているんです」と回答している。
しかし中には「それで?なにを?」と踏み込んでくる人もいる。
とても面倒くさい。
別になんでもいいやん。
所内でも言われる。
専門家同士でもあるわけで、具体的な話をせねばならない。
でも、具体的に何かをやっているわけではないので、回答に困る。
自分だけの研究テーマを持って、それに取り組む生活は、もう止めている。
そもそも興味がないのが1番だが、それでもなお、研究者としてやるべきことがあるからだ。
実際、研究者として、今でもそれなりに忙しく暮らしている。
狭義には研究と言えないプロジェクトの職務に、それなりのエフォートを割いている。
そんなプロジェクトを遂行しつつ、これを研究にもすることが、ポイントだ。
プロジェクトには目的があって、そこには狭義の研究ではない要素も多い。
もちろん、プロジェクトには狭義の研究の要素もあるが、それは大きくないし、奨励もされない。
だからといって、研究自体は否定もされないし、それはそれで重要でもある。
ただし、自分自身では研究はしていないので、誰かが研究をすることになる。
研究の部分は、自分で研究をしたい人を巻き込んで、いわば「進めてもらう」。
そうして、プロジェクト推進と研究進捗の両立をマネージするのが、今の仕事だ。
身近で一緒に暮らしている人は、ボクの働きぶりを(なんとなく)理解してくれている。
みんな協力的だし、否定的な態度は(思っているかもしれないが)見せることはない。
しかし、すこし距離のある人からすれば、ボクは何もやっていないように見えるだろう。
仲介業とか代理業か、そういう仕事しかしていない(ように見える)からだ。
そんな働き方にあって、自分が大事にしていることがある。
共著論文でも、主著論文のようにしっかりと、原稿に貢献することだ。
著者としての貢献が十分に出来ない場合、著者となることを断っている。
内容が理解できないとか、原稿に目を通す時間がないとか、理由はその時々だが、基本は断る。
これが、自分は研究者だと言い張れるための、最後の一線だと思っている。
(あくまでプロジェクト職務と研究の兼ね合いの意味で)
これがあるからこそ、それなりの信頼を得て、協働できているのかもしれない。
なんか違う話になってきたな。
まぁいいや。
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