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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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原発事故に端を発する「電力問題」には、
短期的と長期的、二つの問題がある


短期的には、
災害により(?)原発が停止しているため電気供給が足りないこと
これに対処するため計画停電が実施されている

また、計画停電の実施範囲外でも、
コンビニの灯りは半分消灯されており、
自動販売機は消灯されており、
暖房の温度は従来より数度下げられている
このほかにも家では使わない家電の電源を抜くとか、
そういう「節電」が行われている

これらの「節電」は一見すると素晴らしい
しかしその根底にある思想はどうだろうか
「今はガマンの時」
「電力供給が戻れば、電力使用も元通り」
ということではないだろうか


長期的な「電力問題」とは、
「原発なくして震災前の”電力供給”が維持できるか」
という議論であろう

危険を伴う原発を、それでも存続させるかという倫理的問題や、
他の発電法が原発の発電能力を補完しうるかという技術的問題や、
そういうものが議論されるだろう

「原発推進派」は、おそらく、
原発自体を推進したいのではなくて、
「原発無くして電気需要をまかないきれない」ということだろう
これに対して原発否定派が存在するわけだが、
その多くは「原発が担っていた発電を火力や水力などに求める」という、
「代替発電派」である

しかしボクは、
「原発推進派」も「代替発電派」も、
より根源的な部分、
つまり、
「震災前の”生活・経済”を維持するために、震災前の”電力供給”が必要がある」
という点で一致していると思う

一方で、今回の事態を受け、
「震災前の電気を過剰に要求するライフスタイル」について見直し、
「そもそも電気はどれだけ必要なのか」という問いもあがっている

つまり、長期的な電力問題とは、
「現在の生活を維持するには電気が足りない」という思想と、
「現在の生活は異常に電気を消費している」という思想との対立であり、
発電法の技術的な議論では永遠に解決しえない問題なのである
前者を「維持派」、後者を「撤退派」と言うこともできるかもしれない


ここで短期的な電力問題に戻るわけだけど、
コンビニとか自販機とか暖房とか家電とか、
そういうものの電力消費について考える時に、
「節電」というのは、
「本来の需要に対して節約する」という意味だろうから、
これは「維持派」的な考え方であると思う
イメージ的には震災前のスタイルはそのままでボリュームを絞る感じだろうか

「撤退派」的に考えれば、
コンビニや自販機は「無くなっても別に良いかな」というものであり、
暖房だって「家一軒にコタツ一つあれば良いじゃない」という具合だろう
こちらは、震災前の生活スタイルのスイッチを切ってしまう感じ
このことを「節電」に対して「脱電」と呼んでみようと思う



「節電」も「脱電」も、
短期的な電力問題に寄与する効果としては大差ないだろう
しかし長期的な電力問題を考えた時に、
両者の効果は決定的に異なる 



個人的には「脱電」「撤退派」なので、
たとえば「コンビニと自販機が無い街」というのも、
試してみる価値はあると思う
この地方選、
そういうことを提唱する候補がいれば、
投票するのになぁ



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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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