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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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ごぶさた。

9月下旬の中国から帰ってきて,
リジェクト2連発(インド洋とメタン菌)があって,
かいれいとよこすかの2航海の準備とか調整とかあって,
10月26日から11月7日までKR15-16航海でした。
さらに戻ってすぐに在外の面接があったり,
さらに下関のかいめいに納品立ち会いに飛んだり。

ドタバタ。
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間が空いてしまった。
振り返ってみるとブログエントリが激減しているのは,
やっぱり昨年度のテニュア審査の結果が出てから。

昔からネガティブ,というか怒りに満ちたことを書き殴ってはいたものの,
それは(基本的には)社会の仕組みとかそういうモノに対してだったので,
むしろ声を大にして言いたいことだった。

でも今回のネガティブな感情は社内のことだし,
なにより自分個人の問題(problemというよりissueですね)なので,
ブログと言えども書き殴ることが憚られ,
でも頭の中の少なくない部分をソレが占めていたのも事実なので,
だから何も書けなくなってしまっていた,という状況だったんだろう。


と,急に書いたのは,
若手会に出て久々に会った連中に「最近,更新してないっすね」と言われたから。
それだけ。
なので特に書くこともない。


予定表を振り返ると(予定なのに振り返るのか?),
6月末からSSF航海に乗船して(航海中,色々と思うところがあって),
下船後はなぜか飲み会続きで,
桃神祭に行って,子供を実家に帰省させて,帰省から戻して,
盆休みは遊んで,プラハに行って,
論文と申請書とをコリコリ進めて,
その間,安保関連法案などで心を悩ませて,
チバケ週間で(今週も学会任務で北京で),
ということで今に至っている。

こうして見ると,遊んでばっかりだな。
事実なんだが。


子供はすくすく成長していて,それはそれで結構なのだが,
やっぱり別居生活という部分にも色々と思うところはある。

なんといっても,
今の日本の「病巣」みたいなモノが子供達に植え付けられることは我慢できない。

やはり自分の手元にいれば,そういうものから守ってやれるだろうし,
その他の「大きくないけど小さくない様々な影響」で独立自尊の人として育てたい。

「育てたい」って言うとなんか調教みたいだけど,そういう強いものではなくて,
「育っていけるような環境を作っておいてあげたい」みたいな,そういう思い。
このあたりは表現が非常に難しいけども。

そういうことを考えると,
やっぱり一年ぐらいは海外で暮らしてみたいなぁ,と思うわけで。
そのあたりも難しい決断になりそう。
「幕末〜明治維新」を記した物語は多数あるけども,
そのほとんどは「維新の英雄達」みたいな物語が多くて,
一方で,
「太平洋戦争」については昭和天皇の関わりが論じられていて,
そう考えた時に,
「そういえば維新の頃の明治天皇ってどうやったんやろ」
と思ったので読んだ。
http://www.amazon.co.jp/dp/4101287333

明治天皇は「五箇条の御誓文」にある通り,
民主国家としての大日本帝国の樹立を指向していた。
その中で,模倣するものすらない状況下でありながら,
維新革命後の世界であるべき「天皇」を作り上げようと生きた人だったのかもしれない。

先に大枠だけが与えられその中で「天皇」として生きるという意味では,
「戦争責任と日本国の象徴」を生きた昭和天皇も,
「平和憲法下の象徴」を生きておられる今上陛下も,同じかもしれない。

「万世一系」という憲法条文とは矛盾するかもしれない「南朝正統説」に同意するなど,
「天皇」という立場と一定の距離を置いて(あるいは天皇機関説と言えるかもしれない),
自身の処し方を捉えていたようにも感じられる。

タイトルにあるほど「ひと・明治天皇」に迫っているとは言い難いが,
維新から急速な近代化(西洋化)を達成し日露に至るまでの,
「維新の英雄達」と「明治世代」が奮闘する政治の「裏側」を,
「明治天皇」という視座から概観する興味深い一冊だった。
世の中を賑わせている案件なので,
日米安保とか地位協定とか,
実際問題としてどういう風に物事が決まって,
どういう風に運用されているかを知りたくて。
http://www.amazon.co.jp/dp/4004310733

もちろん「西山事件」自体にも興味があったし。
こちらは読了済み「密約―外務省機密漏洩事件 -岩波現代文庫- 澤地久枝/」
http://www.amazon.co.jp/dp/400603136X/


交渉ってのは「相手の弱み」をどっちが握ってるかで決まる。
どっちも握ってなければ,交渉の余地というか,価値がある。
けれども,
「弱み」を見透かされていると,
その磁力からは逃れることが出来ない。

そういう普遍的な交渉事の仕組みを理解し,
日本の「弱み」を握った米国が,
それを巧妙に利用して日本に多大な要求を押しつけている。

しかし日本国民として納得がいかないのが,
その「弱み」ってのが政治家個々の名誉に対する「スケベ心」であって,
まったくもって「日本国」自体が抱える弱みではないこと。
そんなことのために,こんなことを強いられているのか,と。

日米関係の背後にあるものがよくわかったけども,
それだけにとても悲しい気持ちになった。
5月17日ぐらいから左耳奥がコロコロ
5月25日ぐらいから体調わるめ
5月26日は連合で一泊
5月28日にノドと高熱が爆発
5月30日から咳が止まらず
6月3日から熊本で一泊
6月6日から子供で一泊
6月10日ぐらいから右顎下にぷつぷつ
6月12日ぐらいから左前腕が過敏


だいたいいつもの流れ。
疲労が溜まる。
扁桃腺がはれる。
高熱が出る。
熱がひいて咳が出る。
ヘルペスが出る。

これを年に数回。
どうにかならんもんか。
年間売り上げ550億円,
月間販売タイトル4500本,
AV女優1万人,
AV男優70人
という売り文句に興味を持って購入。

AV男優のみで生計を立てる人々へのインタビューを中心に,
AV男優の実態,撮影現場の様子,セックスとは,愛とは,など。

面白かったのは,
全員が相手(女優・視聴者)をものすごく意識していること。
つまり自分が楽しい・気持ち良いということよりも,
相手が喜んでくれることに自分の喜びを見出す,ということ。
これって,スポーツの「プロ論」にも通じると思う。

ところどころに「へー」と思う統計や仕組みが紹介されているものの,
それ以上のことは特になく。
ボケーッと読んですぐ読了。

星3つ
http://www.amazon.co.jp/dp/4041103886
政治と宗教と家族の話は,よほど親しくない限り話してはならぬ。
そうやって教わった(のか刷り込まれたのか)わけだけど,
それってどうなの,ってことを,
今回のいわゆる大阪都構想の住民投票で考えたわけです。

「話してはならぬ」のは,
話し手と受け手の,両方が「未熟」であるからなんじゃないか,
というのが結論なのですが,
それをうまくまとめられないでいる状況です。


「話してはならぬ」のは「人それぞれに事情」があって,
傷つけてしまったり,不仲になってしまったりする。
そういうリスクを感じて,そのリスクを回避しようということなんだろうと思う。

でも,じゃあなんで,「リスク」が生じてしまうのだろうか。


イマイチまとまってないので,今日はここまで。
ナギの幼稚園の親子遠足に参加。
09時に幼稚園に集合して,3ブロックほど先の緑地公園へ。
記念撮影,ドラえもんダンス,自由時間,お弁当,帰路,14時解散。

親の構成としては,母親のみ参加が8割ぐらいで圧倒的。
GWの谷間だからか両親参加が2割弱。
その他(父親のみのウチも含む)は5組ぐらいか。
下の子供をベビーカーで連れてきている組も多かった。

出発前に,園長先生が幼稚園側の意図として,遠足の目的を3つあげた。
1. 幼稚園での子供の様子を親が見る
2. 子供と外を出歩く時の作法を親が身につける
3. 親同士の親睦を深める

1は,そのまんま。
2は,「手を離さない」「親は常に車道側へ」「交差点では立ち止まる」の3点。
3は,どうなんでしょうか。

そんな話を聞いた上で出発しても,
子供が路上で遊ぶのを放っておいたり,
携帯いじってたり,
そういう親がわりと多かった(感覚的には2割ぐらい)。
あと,よその子がそうやって遊び回ってるのに対して,
注意したり,車道に飛び出さないように手を出したり,
そういうことは,ほとんどどの親もやってなかった。


一番の戦慄がお弁当タイム。

タコさんウインナーどころか,
ハート型の卵焼きとか,
星形のサンドイッチとか,
もちろんキャラ弁とか,
とにかく手間暇かかった手作り弁当ばかり。

かくいう我が家も手作りで,
オニギリが人面になっていたわけです。
それだけではなくて,家を出る前には,
「暑くて腐るかもしれないから,お弁当の時間に公園まで届ける」
などとも言っていたわけです。

こういうのって,ボクにはサッパリ理解できない。
むしろこういうのが,「生き苦しい世の中」を形成しているんじゃないかと真剣に思う。

幼稚園に子供を行かせるのは,
子供の成長のためってのが第一にはあるけども,
少なくない比率で「親がラクをするため」ってのも理由としてあると思うのです。
もちろんそうじゃない家庭もあるだろうし,それ自体は良し悪しの話じゃないけど,
「親がラクをする」ってことを,何か否定的な意味合いだけで捉えるのは,
それは違うんじゃないの,と思うわけです。

「親がラクをする」っていうと,
「子供への愛がない」って捉える人が少なくない。
そういうのの具体的な形として,
「お弁当は手作りじゃないと(子供が愛を感じない)」ってのがあるんだと思う。
それを自分自身が思って,それで自分が弁当を作るなら,それはそれで良い。

でもボクが感じるのは,それだけじゃないよな,ってことで,
なんというか,もう一周迂回しているような感じ。

つまり,
「お弁当は手作りじゃないと(子供が愛を感じない)」って自意識があって,
それが他人に向いて,
「お弁当が手作りじゃないなんて(ロクな家庭じゃないのね)」ってなって,
それがもう一度ひっくり返って,
「お弁当が手作りじゃないなんて(ロクな家庭じゃないのねって思われる)」ってなって,
そんな視線を感じるがゆえに,
忙しい中わざわざ凝ったお弁当を作っているんじゃないか,って。

そんな風に考えちゃって,グッタリしてしまった。


ボクは家人(嫁・義母)に対しては,
「コンビニ弁当でも良いじゃん」「パン屋のパンじゃダメなの」と言ったんだけど,
やっぱりその感覚は彼女らにとっては受け入れ難いものだったみたい。

「世間」が総体として「なんとなく形成していく空気」みたいなものに対して,
ボクはすごく反感を抱く習性がある。
その感覚が,家人と共有できていないってのが悲しいし,
ひいてはうちの子もそういう価値観に育っていくのかと想像したりして,
今後の生き方について考え込んでしまっている。

【今日のダーリン】2015/04/25より。


 「本気」までは、けっこうなれるのだ。
 「本気」というのは、瞬間でもかまわないし、
 「本気」でやった結果が不首尾に終っても、
 いいといえばいいようなところがある。
 しかし、「ほんとうの本気」の場合は、
 地面に叩きつけられるような失敗があっても、
 「やらなきゃならないから」また立ち上がる。
 あたりまえのこととして、ファイティングポーズをとる。
 そこでうまくいかないことがあっても、
 やめずに、どうやったらうまくいくのか考えて、
 考えたことをやってみる。
 やってみるだけの条件が整わなかったら、
 それをするために、また「本気」になる。
 
 「夢」を語る人は多いけれど、
 それが語るだけのためのものだったりすることも多い。
 「ほぼ日」の2月にやったイベント
 『活きる場所のつくりかた』に出てくれた人たちは、
 みんな共通して、「ほんとうの本気」をやっていた。
 「ほんとうの本気」というのは、
 大きく目を見開いて、肩ひじに力を入れてやること?
 そうじゃない、「ほんとうにやる」にはどうしたらいいか
 考えて、ほんとうに動き出すことなのだ。
 それを笑顔でやれたら、もっといいけどね。
 そのほうが、人が手伝いたくもなるしね。
最近「建前」の捉え方について考えてる。

「建前」って「かくあるべし」みたいなモノで,
いわば「理想」みたいなモノだと思う。
それに対して「本音」の方は,
「でも現実ってこうだよね」というようなモノ。

「建前」ってのは社会で共有されている(という設定の)モノで,
だから,ある時に「建前」を掲げてしまうと,
意外とその「建前」は堅牢なものになってしまう。

「ある時の理想」を「建前」にしたんだけど,
その後,状況がかわって「理想」も変わることがある。

そういう時に,
「建前」を堅持することで,
「建前」が「今の理想」と乖離してしまう。

そういう状況になっている場合に,
「建前」に対して「本音」と「理想」の2つが逆方向に存在することになって,
これが整理しきれてないと,
同じように「それは建前でしょ」って言い方をしても,
むかっていく主張がまったく逆方向ってことになる。

「建前」が堅牢すぎるのも考え物だ。
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