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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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うちの大統領がエドさまのALOHA日周トランスクリプトームに感動したらしく,
その意味みたいなモノをしばらく考えた。

水塊をマクロな視点で見て,
つまり「生態系」を「1つの生物」と見立てて,
(光合成生態系なので)日周変動をファンクションで追いかければ,
「1つの生物で見れば当たり前」のことを,
「生態系の連動を明らかにした。クワッ」ってなるってことか。

1つの生物であれば,
朝起きて,じょじょに体温があがって,発汗して,とか,
ご飯を口で食べて,順次消化器官が動いて,諸器官にエネルギーが行き渡って,とか,
インプットに対して体内でのファンクションの連動が経時的に起こる。
あと環境条件。
寒いところでは,体が熱を作ろうとして震えるとか,そういうヤツ。
海洋表層水塊を1つの生物だと思って見れば,
周辺環境ってのは,大気海洋境界や,混合層下部とかでの物理過程。

そういうのは「当たり前」なんだけど,
それを「生態系」っていう「別々の生物の集合」で見ると新しく見える。
技術革新で可能になっていた以上,あとは単なる着眼点の問題。
コロンブスの卵ですが。


で,
これからはみなさんこぞって海洋表層で同じことをやるんでしょうけども,
同じ思考のフレームで,別のフィールドに転用できないものかね。
特に深海・海底系で。

簡単に思いつくのは「操作」系。
エサを注入して経時変化を追っかける。
消費し尽くして元に戻るところまで。
あとは温度。
熱源を設置して(エサなどは添加せず熱だけ),どう変化するか。

でもエドさまの仕事の美しさは天然の周期性を明らかにしたところだろう。
生物ファンクションのタイムスケール(分・時・日)で天然に変動して,
しかもその強度の幅も大きいってのは,やっぱり光関係しかない気がする。

深海に日周期の光源を設置して云々と言っても,
水平方向の移流が早くて定常状態が期待できない。
海底でやるのか?

悩ましい。
楽しいけど。
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たまに整理しないと混乱してくる。


2014年度(いま)
11月:特になし。下旬は居室引越。
12月:上旬渡欧。中旬以降は幼稚園冬休み対応で帰省?
1月:特になし。最後の自由時間か。下旬に海外学振発表予定。
2月:サードシフトで開店休業。
3月:引き続きサードシフト。ちきゅうなにそれおいしいの。

2015年度(現職任期の最終年度)
国内残留なら前期はサードシフト。渡欧なら早いうちに諸々。
初夏に定年制再審査予定。落ちたら?和菓子屋?
冬にインド洋航海が複数の可能性。取捨選択&代打リリーフの手配。

2016年度(どこで何やってる?)
どうなることやら

2017年度(長子が小学生に)
ここまでに一定レベルの安定のようなモノが必要?
自分が転校したことないからわからん。
落ちました。
面接での悪ふざけが過ぎたということのようです。


今回の審査については色々と思うところがあって,
まず先に受けた人々から入ってくる情報がひどかった。

審査員は任期付研究員の(制度的な意味での)現状を理解していないようで,
「自由にやりたいのになんで定年制になりたいの?ずっと任期付で良いじゃない」
と言っていたらしい。
そもそも労働法改訂で「5年以上の任期付はアレ」ってことになったから,
それにあわせて今回の審査がはじまったんじゃないの?って話で。

「これまでの研究とこれからの意気込み」みたいなモノを話せというお題で,
それにそって話をしても,その後の質疑ではそれについてはほとんど触れられない。
それどころか,
「あなたがやりたいって言ったことが出来なくなったら,どうするんですか?」
みたいな質問が繰り出されるという。
たとえば「生態系解析が得意なんです!」ってプレゼンをしても,
「もうそれは良いです。ずっとラボで培養してくださいって言われたら,どうするの?」
みたいな質問をされるような感じ。

これって要するに,
「定年制に移行して不良債権化しないか」って値踏みなんだろうけど,
でもその「値踏み」行為がかえって不良債権化を促進している。
そういう噂(というか感想)を事前に聞いて,
すっかりシラケてしまった。

ボクは普段から「自分がやりたい研究」ってことよりも,
チーム・会社・コミュニティ・科学界として「為されるべき研究は何か」って,
わりとそういう視点で研究対象を選んでいるわけです。
だから「こういう計画です」って話をして,
それを「ボクがやりたいと思っている」と思われるってのがすごくイヤで,
いわゆる「自分の研究」の話はしたくなかった。
これは早い段階で決めた。

今回の審査については事前に審査項目が案内されていて,
それで見るとボクが落ちる要素はどこにもなかった(コンプライアンスを除く)。
客観的に見て,ボクが落ちたらみんな落ちるでしょう,ぐらいの。
それで舐めてかかったっていた。

それで「ふざけた発表」をしようと思ったんだけど,
ふざけるなりにマジメに作ろうとは思っていた。
直前の週末までちきゅう乗船だったので,
木曜の面接に向けて3日間で作り上げよう,と。
でも火曜に突然コンノが辞めて,水曜にはネクスト掘削のゴタゴタがあって,
相当にイライラしていて,ナゲヤリな気分になってしまった。
まったく準備をしないまま向かえた当日も,
朝から死刑執行役がデスクにきたから相手をしていて時間がとれなかったり。

発表は,
経済はもう上向きにならない,人口が減っている,原油価格が上昇している,ことから,
社会的共通資本論を引用して,
こういう社会背景の中で,これから先のボクが定年を迎えるまでの30年,
海の独法は何をすべきなのか,どうあるべきなのか,そういうことを考えていきたい,
という話をした。

質疑は聞いていた通りの「感じの悪い」モノだった。
ボクはずっとイライラしてた。

「この場は君の思想信条を聞くところじゃない」と審査員の誰かが言って,
それに複数の審査員が同調して嘲笑気味にわらった。
これで完全に気持ちが切れた。
この人達とは一緒にやっていけない,と。

「今後リーダーになってチームを率いていくのにウンタラ」とか,
「多分野で連携して大きな研究費を申請するのにウンタラ」とかいう質問には,
「得意です」「客観的にみて向いてます」とか回答した。
何を今さら,誰に向かっていっとるんじゃ,と。
あと何を聞かれたかは忘れたけど,
「それは来年も面接審査を受けさせてもらえるなら,その時に話をします」
と回答したこともあった。

そんなこんなではあったけど,後に残る客観的事実としては,
他の人と同じだけの時間(40分)をかけて面接審査をして,
自身の発表を除くほとんどの時間は他の人と同じような内容の質疑で,
体裁上としては「面接審査」は成立していたと思う。
少なくとも「ふざけるな!」「出て行け!」とは言われなかった。


で,
正式な通知を受け取る2週間前に,
内示ということで「審査で不採用」という話を聞かされた。
他の人の結果がまったく漏れ伝わってこない中で,
どうやら「わざと漏洩」してきたようだった。
不採用になった人は全般に事前に知らせて,
早々に就職活動をはじめられるようにという「配慮」なのか,
それともボクのケースだけの特異事例なのか,
それはわからないけども。

不採用を聞かされた瞬間は,さすがに血の気が引いた。
でも「面接が理由で」みたいな話を聞いて,納得した。
自業自得だからなぁ,と。

その後,2週間ぐらい色々と考えて,正式な通知を受け取って,
それで思っていることを整理すると,
自分が落ちたこと自体は本気で自業自得だと自覚しているんだけど,
それ以上に,
面接だけで「こういう人間」を落とすっていう会社の態度については,
まったく共感できない。
もしボクがボクじゃない誰かで,ボクが不採用になったという話を聞いたら,
「あーあ」って思うだろうって意味で。イミフだけど。


そんなこんなで,残り任期は1年5ヶ月。

ヨメはこんなボクを支えると言ってくれているけども,
妻子を持つ身として,
もうバカなことは出来ないなぁ,もう自分勝手は言えないなぁ,と。
生きていくためには,イヤなことでも,やらなきゃならんなぁ,と。
泥水をすすってでも,毒饅頭を食ってでも,頭を下げてでも,と。

産まれてこのかた30余年にわたってアトピーに悩まされているわけです。

この地味な病気(体質)ってのは厄介で,
放っておいても別に命に関わるわけではないのだけれども,
他人の目からは不潔/不快に見えているだろうし,
自分自身もチョイチョイ不便を感じるという具合で,
なんとも鬱陶しいのです。

しかも根本的な原因みたいなモノはよくわからず,
「こうすれば完治する」というようなクスリや手術があるわけでもなく,
医者に言われるのは常に「生活環境・生活習慣の改善」みたいな,
何とも漠然としたアドバイスなのです。

自分だけの話に限れば,色々な法則性を把握しているわけです。
たとえば,
・保湿剤の塗布を怠ると死亡確定
・汗をかいた後そのまま乾燥させると死亡確定
・夕食に特定のモノをとると翌朝悪化(消化の悪いモノがアカン)
というのが三大悪です。

ボクは一応フィールドサイエンティストですが,
なんでも揃っている調査船への乗船が主なので,
・船内はあまり汗をかかない
・基本的には24時間シャワーを使える
・食事は強制的にヘルシー(?)
と体にとって良いことずくめの生活が実現しているわけです。
むしろ乗船してない時の,
自転車通勤で汗だくになって,
食事作るのが面倒だから夜は外食(ラーメン)ですませて,
って生活の方がヤバイ。

おそらくこういう法則性はそれぞれの患者が把握しているんだろうけど,
一方で患者間では結構異なっていることが多くって,
ある人にとって劇的に効く療法や劇的に悪化する習慣が,
他の人にとっては何でもなかったりすることもしばしばで,
たとえばネットなんかでは,
患者間対立みたいな状況になったりしているのです。

それはそれとして,アトピーで何よりしんどいのは,
何と言ってもその絶対真理にわけです。
つまり,
「掻かなければ治る」が,
「掻かずにはいられない痒み」という,
「わかっちゃいるけど,やめられない」状況です。

これが,自分の意志薄弱さも相まって,心身共に疲弊させていくわけです。
医者や家族から「掻かなければ治る」とか言われたら,
「そんなもん紀元前からわかっとるわ!ドアホウ!」と言い返したくなるわけです。

で,
そんな30年闘争の末に辿り着いた一つの結論が,
「掻かないとか,絶対ムリ!」ということです。
ムリ。
真理は真理で受け入れよう,と。

で,で,
「掻くのガマンしない」を出発点にしてしまえば,
少なくとも精神的には割と楽になれるわけです。
「しょうがないじゃない。病気だもの」みたいな。
この開き直りに至ってはじめて,次善の策に全力を投じられるわけです。
「掻いて起こる悪化を最小限に留めよう」と。
つまり「掻き破りだけは避けよう」と。
「完治ではなく低レベル安定を目指そう」と。

そこで「爪ヤスリ」なわけですよ。

掻くのは指だから,爪の存在はかなり重要。
爪切りだけですますと,いくら深爪しても,
爪に「尖り」が残ったりして「掻き破り」を起こしてしまう。
なにより,爪から繰り出される鋭角な刺激は,
痒みにとって最高に気持ち良い悪魔の囁きなのです。

だから「爪ヤスリ」で「尖り」を完全に除いてしまう。
これなら「掻く」という行動も「指と患部の皮膚がこすれるだけ」ですむ。
もちろん「摩擦」も本当は良くないんだけど,
掻き破りに比べれば悪化は短期的・小規模に抑えられる。

爪ヤスリをはじめて以来,
(クスリは続けているものの)かなり低レベル安定が続いている。
悪化が激しくなる時は,たいていヤスリをサボっている。
これはかなり明確に相関がある。

掻くことによる悪化は,たぶん「原因」とは違って,
患者全般に共通することだと思う。
だから「爪ヤスリ」は多くの人にとって効果があるんじゃないか,と,
わりと強気に薦めることが出来る患者ユニバーサルな療法なのではないか,と。



寒くなって乾燥が激しくなって,
そんな時にヤスリをサボっていてだいぶ悪化してきたので,
書き残しておこうと思って書いたのでした。
国際線チケットをウェブで取ろうとしたら,
・マイレージ会員としての名前 CHI
・クレジットカードの名前 CHI
・パスポートの名前 CCI
あたりの不一致で前に進めなくなった。

いそぎパスポート名に統一すべく電話。
ANA-VISAカードです。

クレジットカード会社に「名義変更」で連絡したが,
「それは表記の変更なので別窓口」と言われ,
先方が転送してくれてお話。
証明書類なしで口頭のみで変更できた。
変更後のカードが後日送られてくるらしい。
ちなみに,
ヨメのパスポートは未変更だが,
「家族カードなので夫婦は同時に変更せねばならない」とのこと。
とりあえず受諾したが,
夫婦別姓のところとかこういうのでイチイチ大変なんやろなーと。

航空会社にも「名義変更」で連絡。
こちらも「名前の変更ですねー」って具合で,
証明書類なしで口頭のみで変更できた。
即時ウェブで反映された。
こちらはヨメに関しては何も言われなかった。

ということで,
チケット手配できそう。
Kくんのインド,
Mさんの可能性と希望,
Tさんのなし崩し,
Kくんのポチ

すべてに通底しているのは,
「人事権」が「個人」に付与されているという思い違いなんかな。

なーんだか。
1000人ぐらいのコミュニティってのは,
ギリギリ互いの「顔」が見える範囲だと思う。

一方で「機能する集団規模は150人まで」みたいなことを言うので,
じゃあそれを基準に1000人程度のコミュニティを考えると,
7つぐらいのサブコミュニティがあるような状態か。

150人規模であれば,
トップは1人に収斂しても運用ができるだろうか。
それとも15人ぐらいのグループに割って,
そこから10人ぐらいのリーダーが出てきて,
トップグループを形成して運用するのだろうか。

7つのサブコミュニティとはいえ,
全体としては1つのコミュニティなので,
意識や計画の統合をする場面も生じるだろう。
そのためにサブコミュニティとは別の「コア」を置くのか,
はたまたそれぞれが対等に繋がる「ネットワーク」になるのか。

コアにしろネットワークにしろ,
各サブコミュニティと直接的に繋がる接点になる人員は,
1人出ると7人,2人出ると14人。
最小単位として機能するために15人のグループを作っているわけで,
これより大きな「ヘッドグループ」を編制するのは矛盾しているかもしれん。

そうやって考えていくと,
グループ:サブコミュニティ:コミュニティ:コア(ヘッドグループ)について,
どういう「割り」にしていくべきだろうか,というのが見えてくるかも。

でも,
組織システムは個性ある個人の集まりであることが大前提なので,
個性の多様性によって生じるグループの振れ幅があって,
それが伝播して組織全体も揺れ動くので,
組織図の図面だけでは管理しきれないことは自明なのだから,
その振れ幅,あるいはシステム設計の誤差と言っても良いかもしれない,を考慮して,
「あそび」のあるシステム構築が望まれるわけです。

で,
その「あそび」をどの程度織り込むか,みたいな部分で,
構成員の「顔」が見えていないと,
なかなかにうまくいかない。

基盤部なのにあそびが大きすぎたり,
縦揺れする部分なのに横方向にしかあそびが無かったり,
図面通りいかないからといって「部品」を入れ替えたり,
そういうことでは,アレです。

もうホンマ,アレっす。
何があっても味方でいてくれる存在がいるってのは,
何にも代えがたいものだなぁと思うわけです。

誰かのそういう人に自分はなりたいし,
自分にとってのそういう人があらわれれば,そんなに幸せなことはない。

そういうわけで,
ヨメの存在は非常に大きいのです。

たまには書き留めておこうと。
ちょっと最近,あんまり気乗りしなくてもプロレスを見るようにしてる。
「一寸先はハプニング」だから,パッと見てカードが魅力的で無くても。


10年ぶりぐらいにNOAHの生観戦。すっかり凋落。
「盛り上がったらハンカチを振って」とかいう完全な失敗。
一体感を出したい意味でも,グッズを買わせたい意味でも。

アンダーカードのコミカルプロレスが,
「こういうヤツが面白いヤツやろ」という意図が見え見えで痛い。
雅央がいれば充実するのに。
外様組はすばらしい。
拳王は色気があるし,大原はじめはプロレスがうまい。
永田さんは「貫禄を出しながらもズレてる」ムーブが絶妙。

一方でNOAHトップ層が「バチバチ」に走りすぎていて,
プロレス特有の色気がない。
特に三沢以来の「受け」の文化が完全に消失しているようで。
明確に「杉浦が悪い」と言っておこう。

で,丸藤vs関本。
期待を上回ることがなかったのは,丸藤に工夫が見られなかったから。
もっと徹底して首攻め(膝攻め?)をするかと思ったが,
いわゆる「魅せ技」に終始していた印象。
煽りVTRから「最後は虎王連発」というのがわかっていただけに,
そこまでの持って行き方に工夫がほしかった。
リング上での挨拶も次に繋がる何かがあるわけでもなく・・・。


新日両国は,良くも悪くも最近の新日そのまま。
田口のファンキーが突き抜けて「ケツ」を継承したみたい。
これは良いかも。

しかし,なにより棚橋。
もうスゴイとしか言いようがない。
「暗黒の10年」はこの棚橋(と永田と中邑)覚醒のためにあったのではないか,と。
「ピープルズチャンピオン」「笑顔を届けるという意味で天下を獲る」ですよ。


当たり外れも全部まるめて,やっぱりプロレス良いなぁ。
もっと積極的に見ていこう。
所内対抗戦。

はじめの30分はシムラ殿と組んでツートップ。
そのうち最初の15分は動きがかぶる場面が何度もあり,イマイチ。
休憩時に話し合い仕事を分担。
ボールを追いかけて流れがちなシムラ殿に対し,
ひたすら中央で待ち続けるポストプレイヤー役を。
それぞれの個人の力量やスキルから言えば,
あっちがポストでこっちが衛星をやる方が良いのだけれども,
そこは性格の問題もあるので。
これが非常に良く機能した。
相手3バックがワイドに開きがちで1CB(サノ殿)になっているもんだから,
ボクはひたすら1CBにチョッカイをかけ,張りつけにする。
するとシムラ殿がその脇で好き放題にプレイ。
守備時も相手攻撃の基点になるべき1CBに張り付いてフィルタ。
これは毎回がんばっているのだが,あんまり気付いてもらえない。
サノ殿には「全然走ってないよね」と言われる始末。

あとの30分は(なぜか)セントラルMFでプレイ。
ピッチの11人の中で足下の技術でいえば下から数えた方が早いのに。
なので攻撃時の働きはあまり深く考えず,受けたら渡す,受けたら渡すを徹底。
むしろ守備時の位置取りを注意。
とにかくセンターに穴をあけない。
相手の大学生3人がボールを持ったら前への推進力を削ぐ。
正面に立って,じっと見て,じっと見て,じっと見る。
米本というよりは高橋秀人な感じで。
面白かったのは,ずっと中央にいるので,それなりにマークがつくのだが,
後方から自分につけるパスが30分を通じて皆無だったこと。
信用がない・・・。
でも技量が上の大学生を一人張りつけていたという意味では機能していたのかも。

今回はイケダ殿に「気のきいた位置取り」をほめてもらえたので,
かなりホクホクした気持ち。


プロフィール
HN:
kawagucci
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性別:
非公開
自己紹介:
海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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