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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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人事評価は社内で行われるので,
「いかに仕事をしているように見せるか」
が重要になってしまうのだろうか。

これが営利企業であれば,
そういうことを続けているうちに経営が危うくなるので,
自浄作用(倒産も含めて)が働くのだろうけども,
役所みたいな場所だと,
何もしなくてもお金は降ってくるわけだから,
加点を目指すより失点を減らすことが大事で,
じっくり考えてピンポイントで働くより,
とにかく体を動かすことで上司に見られることが大事で,
と,
そういうメンタリティになっていくのだろうか。

それに加えて,
上意下達のメンタリティが(悪い意味で)染みついているからか,
自分が上司に見られていることを意識することに加えて,
部下に対して「おれが納得する仕事をしろ」という視線を投げかけがちで,
それが「会社/社会の利益」と整合するかどうかとは完全に別物で,
しかもそのことに何の違和感も抱かなくなってしまう,のだろうか。

まぁそういう分析は良いんだけども,
じゃあそういう人とどうやって一緒に仕事をしていくのか,
ってことが悩みで,
どうしたもんだろうか。

「文脈」が違う人とはコミュニケーションが成り立たないもんで,
あっちに合わせるのはありえないけど,
むこうが合わせてくる,合わさせるのも難しそう。
上司/部下の関係を入れ替えてしまえれば解決しうるんだけど,
まぁそれが一番難しいわけで。

昨日は3件もそういう事項が続いて,
「この会社オワタ,この国オワタ」
という絶望と怒りと悲しみに襲われていましたとさ。
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「お前に関係無い」



どんな局面でも,
このコミュニケーションを拒否する姿勢をとられると,
つらい。

殴るでも蹴るでもなく,
銃で撃ち殺すような。

もうその先には何もない。
死と同じ。
そんなお題が出されたものの,
まぁぶっちゃけ,いっぺん一緒に船に乗れば,
「ひととなり」みたいなものはおよそ明らかになるので,
「こいつはアレやな」みたいな判断は,
つまり汚い言い方をすれば「人材の値踏み」は,
早々に済んでしまっているようなもの。
さらに狭くて特殊な業界ゆえに,新規参入障壁もそれなりに高いし。

純粋に科学研究の能力での審査とは違って,
大規模研究計画たる調査航海を取り仕切る能力ってのは,
頭脳的な意味の能力よりも,はるかに人間性が重要な要素で,
それも一般的な「良い人/悪い人」という意味ではなく,
「硬軟織り交ぜて」「調整と独断を駆使して」仕事を進められるとか,
そういう部分が問われるものだと思う。

なので,
オジサン達が「がんばれーがんばれー」と言ったからといって,
あらたにそんな能力が開発されるってのは,
正直,あんまり期待できないだろうねぇ。

とはいえ,とはいえ,
そうやって「若手の育成」みたいなことに心血を注がんとするオジサンがいることは,
そのコミュニティの若手にとっては,
大変にありがたいことだなぁ,と感じるわけです。


???「世界の金はすべて俺様のものだ!」
???「世界の金をすべて持ってこい!」

XXX「地球にはどれほどの金があるのでしょうか?」

???「それを調べるのもお前たちの仕事だろうが!」

XXX「は,はい!」

以下,地球化学
まったく大丈夫な時と,全然ダメな時がある。

1: お酒を飲みながら水を飲まない
2: お酒とともに炭水化物を摂取しない
3: お酒を飲んだ後に入浴・水分補給・ベロ磨きをしない
4: ウコン系を摂取する
5: 寝起きに入浴しない
6: 朝ご飯に油系/乾き物を摂取する
7: 日中の水分補給が不足している

など。

逆に言えば,これらを毎回ちゃんとせねばならんということで。
ホテル連泊中(たいてい学会中)の飲酒と対策については万全にせんと,
これから先の人生,大変だ。

90日期限いっぱいまで使ってしまった。
(はじめの60日は何もしなかったんだけど)

こういってはなんだけど,
やっぱりガッチリ勉強した分野じゃないと,
自分の中にあやふやさが残ってしまって,
どういうことは自明で,
どういうことは言及すべきなのかとか,
そういう次元で勝手がわからない。

初めに投稿したものと比べると,
Discussionパートは完全に別物だけど,
それを査読者がどうとらえるかは,
もうあちらの問題なので,
次の返事がくるまでは別の論文にとりかかっておこう。


論文の状況
・メタン菌培養(通称コバヤシ論文) 再投稿中(2月14日からUnder Review)
・表層(通称ナリタンセイ論文) 改訂投稿中(4月15日投稿)
・インド洋熱水(通称ドードー論文) 初回共著者回覧まであと少し
and more


うちの会社ではヒラ研究員に求める業績が,
「年平均1報でもB評価なー」
という水準であるという噂が流れて,
みな戦慄している状況ですが,
今のところB評価以上のペースで続けられている(ニヤリ)
若いころに、誰に教わったのか忘れたけれど、
 ケンカするときの心得として、
 「ドアを閉め切ってやっちゃいけない」と言われた。
 「たとえ、こっちがどれだけ強くても、
  相手の逃げ場をなくさせるようなやり方を
  しちゃぁいけない」ということだった。
(中略)
逃げ場を奪った戦いは、比喩的な意味でいうのだけれど、
 「相手を殺してしまう」ということがあるのではないか。
 勝つだけでよかった、あるいは、
 敗けないだけでもよかったかもしれないケンカが、
 相手のすべてを消してしまうようになったら、
 それは、もう、望んでいたものではなくなる。
(中略)
誰も生かさない戦いになってしまうように思うのだ。
(中略)
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
模擬的な戦いとしてのスポーツって、あってよかったよね。
@gaou_akさんの2014年4月13日22時頃の一連のツイート

======================
科学とは、真理を探究するための《方法》である。だが、一般の認識で言えば、科学とはそこから得られた体系化された知識や経験、あるいは技術の総称であろう。ここがSTAP騒動における科学者と一般市民との認識の大きな違いとなっているように思われる。

科学の根底は科学的方法にある。仮説を導出し、それを綿密なデータによって検証し、報告し反証を待つ。非常に回りくどく遠回りな方法だが、少なくと現時点で人類が知を得て智を創る過程で一番確実な方法ではある。科学は科学的方法に基づくから科学なのであって、そうでないものは科学ではない。

データを持って仮説が証明できないけれど、その現象は存在する、という言い回しは科学的方法に基づいていない。よって疑似科学である。これは明確に科学の否定である。現象の有無ではなく、その方法自体問題であることを我々科学者が再重要視しているのは、それが科学の礎だからである。

だから、道を誤れば、いや、正直なところ残念ながら道半ば既に誤っていると思うが、日本の科学は終わる。

科学的方法に基づいていなくても現象があるという言説を信じる一般市民。それを指示する発言をする文部科学大臣(来歴者含む)。方法の問題解決の前に検証を重視しているように見える理研。国、市民、組織、その多くが今科学という営みから逸脱しようとしている。

一人の科学者として、日本の科学が窮地に立っている状況を身震いするほどの恐怖感を持って傍観している。繰り返すが、科学的方法をとらないなら、即ち科学は死ぬ。
======================

・科学の根底は科学的方法
・科学は科学的方法に基づくから科学なのであって、そうでないものは科学ではない。
・科学的方法をとらないなら、即ち科学は死ぬ。


あらかわさんの危機感は深く理解できる。
そしてこれは,この国の科学者の少なくない人々が,
科学というものと向き合わず,また伝導してこなかったためであって,
つまり,この国の研究・教育が,延々と,組織的に,目をそらしてきたことだということも。


科学は方法であり,
科学は価値判断に大きな影響を及ぼすが,
科学それ自体は価値判断を示すものではない。

科学は,正しく利用することで多大な威力を発揮する。
科学がそこにあっても,正しい判断がないと威力は発揮されず,
また判断そのものは科学的ではない。

科学と,そうでないものと,
両者に担うべき範疇があって,
互いに影響を及ぼし合いながら,
互いに相反することなく,
しかし両者を不可分とせず,
一個の人間の中に同時に存在させることが,
大事なことなのかもしれない。
ボク自身に「使っている」という意識はなくて,
むしろ「一緒にやってる」と思っているんだけど,
まぁ一般的な視点で言えば「使っている」んだと思う。

現状は,
ラボ全体の洗い物やルーチン分析を請け負うパート2名,
ガス分析法の開発・維持・運用をするテクニシャン1名,
雇用関係はなくなったけどテーマを共有(指導?)しているポスドク1名,
10月にはさらにテクニシャンが1名増えて,
そのうちさらにテクニシャンが増えそうな気配も。

各人がやっている仕事をどこまで把握して,
そして「管理」するのかという距離感が悩ましい。

もちろん第一義にはビジネスで,
研究が順調に進むように「使う」のだけど,
でもお互いに人間だし,
それぞれに人生観があるわけで,
そういうモノを損なわないようにはしたいし,
せっかくなんだから仕事をしている中で充実感をえてもらいたい。
とはいえ,
やはり表向きはビジネスパートナーなわけで,
その一線は,緩くするにもキツくするにも,
防衛線になるわけで。

でもそれだって,
大学教員が研究室運営をしていることと比べれば,
ぜんぜん責任も(それに伴う負担も)軽微なんじゃないかな,とも。
クリティカル・シンキングと,
アカデミック(テクニカル)・ライティングと,
この二つは身につけておきたいところ。

そのために,
現状のレポートや卒論・修論・博論を通して,
いわゆるオン・ジョブ・トレーニング(OJT)的に習得する仕組みとは別に,
相当の時間を割いて,
それら専門の授業が存在すべきだと思う。

ブロイラー的な学生実験とか,
徒弟制度的な研究室生活とか,
そういう仕組みじゃ大多数の人は身につけられていないことは,
現状の理系卒の人々(研究者含む)があまり出来ていないことからも明白。

「大学改革」するなら優先順位が高い項目だと思う。


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kawagucci
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非公開
自己紹介:
海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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