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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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さて、
修士修了までをさっさと書いてしまおう
時系列はグチャグチャです



卒論研究で開発した分析手法について、
投稿用に論文を書き始めたのは、
M1の夏ぐらいからだったような気がする
まぁとにかく、
右も左もわからぬままただ駄文を書いて、
無責任に先生に渡して、
返ってきた赤ペンをなぞってまた渡して、
って作業を繰り返して、
自分で書いた記憶もないままに投稿したわけです
投稿がバレンタイン、返事がホワイトデー、
「English is very poor」というコメントをちょうだいして、
その後reviseは先生とケンカしながらで、
M2の5月頭にrevise投稿して、
3日後にアクセプト
無事、学振の申請に間に合ったわけです


M1の12月には、
はじめての海外&国際学会として、
サンフランシスコのAGUに参加
ThiemensやらClaytonやらなんやらかんやらで、
論文の中の人たちに出会うことにとにかくスゲー大興奮
この勢いで博士に進むことを決意したような、しなかったような
今思うと、
なんて浅はかな決断だったんだろうという感じではある


実はマスター修了に合わせて、
就職活動も少しだけしました
河合塾とウッドワンの二社
河合塾の方は、福岡会場で一次試験を受けたのですが、
前夜に中州で散財するほど楽しんでしまい、
二日酔いで会場入りしてあえなく撃沈
ウッドワンは最終の手前まで、
計4回東京に行ったけども、
「イノウエワカをCMに使うのはイメージダウンじゃないですか?」
と言ったらアウト(そのせいかどうかは知らんが・・・)
交通費10万円以上が水の泡
当時は決まったら就職するつもりだったんだけど、
この中途半端な態度を振り返ると、
もう博士に進む気だったという風にも思えますね


学振申請の前に、
ツノ先生およびガモ先生に博士から移籍する旨の打診をしました
移籍しようと考えたのは、
研究室には直近の5世代までに5人の先輩がドクターにいて、
そのまま同じ研究室でドクターを取ったら、
世間的にも自分的にも、
「ツノ先生のところの六男坊」になってしまい、
劣化コピー甚だしい自分になってしまう危惧を覚えたからです
(先輩方が先生のコピーだという意味ではないです、表現が難しい・・・)
で、
M2の5月の学振申請は、
とりあえずツノ先生にしておいて、
その後、進路変更については熟慮しようという結論を出しました
結論を先送りするという結論です
これは両先生と相談し、そうなった気がします


学振の申請書はほとんど自分で書いて、
先生には一度も見せなかったような気がする
「自分の得る給料のことだからこれはプライベート」
「先生に申請書を添削してもらうのは筋違い」
と考えていた記憶があります
(あ、ナカガワさんには見せたかな?)
コバさんと雑談している時に出てきたネタを書いて提出
自分でも面白いと思っていたし、
通る気マンマンでした
で、
「地獄の淡青」から戻った次の日、
まずカメさんに青い封筒が、
続いてイマヤマさんに葉書が届き、
ボクには何も届かないという時間帯があった
申請書の不備などで申請自体が受理されていないのかと思い、
かなり落ち込んでいたのですが、
その日、五回目ぐらいに事務室に行くと、
青い封筒が来てました
事務室で「ヨシッ」って言ってしまったのは若気の至りです


そうそう、
地獄の淡青は、
地獄でした
石垣四日前入りもビーチに行くことなくひたすら準備
出港後は大荒れの中ひたすらサンプリング&処理
しかも分析の見通しのたってない試料のろ過、
そして熱水探しで外れた試料の塩検
荒れる精神
沈黙の作業
滅びる肉体
これ以上の詳細は思い出したくないので書きません
人生のワースト5には入るであろう出来事だった
下船後の学振採択が無ければ、
業界を去っていたと思う
これはマジで
これ以降、航海が楽しいとは思うまいと決意した
(沖ノ鳥島航海ですぐに翻意したけど)
あ、この航海はイマイさんも一緒だった
詳しく知りたい人は聞いてみるといいかもね


地獄の淡青なども引き金になり、
「研究はもういい」
「東京で学振もらいながら院生をして裏で就活をする」
という思いが大きくなって、
ついに本格的に移籍を決意
もちろん、
「研究が面白くなったらそのまま続ける」
という気持ちもあった
で、
両先生に報告
紆余曲折
皆さんには「ケンカ別れ」だと言われるが決してそんなことはない
ボクは後ろ髪をひかれる思いながら前向きに出ていったし、
先生も残るも出るも君次第という態度だった(と思っている)
まあまあとにかく、
出て行くのを決めたわけです


M2の秋には若手会の主催もしましたね
あれもほとんど記憶ないです
楽しかった
本当に
ただそれだけ
そうだ、
この時にはMLに案内を配布しただけで、
研究室の人には特に参加要請をしなかったんだけど、
そうしたら上の人々がジャマするまいと遠慮してしまったらしく、
これについては失敗だった
皆に出てほしかったのに


で、
肝心の研究だけども、
修士の間はロクにしてなかった
成層圏アーカイブを測定しただけ
修論もそれだけ
あとは、
分析法論文書きとか、
COや硝酸の17Oとか、
チュン教育航海とか、
地獄淡青とか、
なんだか色々と雑多にやって、
何もまとまらないまま
勉強も全然しなかった
これは非常にもったいなかった
後悔





読み直すと凹みますね
ちゃんと書けないのは、
当時の自分を直視したくないからでしょう
あぁ・・・



次はORI編を、できれば一回でまとめたい
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kawagucci
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自己紹介:
海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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