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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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タイトル通り
最近、内田樹に影響を受けすぎなのだが、
まぁそう思って読んでくれればかまいません
後世の自分がこの時点での文章を読んでどう感じるかも楽しみです




「殺す相手は誰でもよかった」
よく目にする加害者のコメントです
今回の容疑者もこのように話しているとか
でも一方で、
犯行前に親しい友人に、
友人が喜びそうな物をあげてから現場に向かっているらしいんですね
矛盾してます
だって、
少なくともこの友人は、
「誰でもよかった」の中にはカウントされていない
つまり、
心の底から「誰でもいい」破壊衝動ではないんです
あくまで、
自分にとって「顔の見える相手」は「誰でもいい」には入らない
一方、
世の中の大多数の人、その辺の道を歩いている人は、
彼にとっては「顔の見えない相手」であり、
「誰とはわからぬ異世界の住人」だったのでしょう

我々普通の人も(このくくりが何をさし、誰を含めるかはさておき)、
彼と同じように大多数の他人を「誰とはわからぬ人」と認識しています
それは「誰とはわからぬ」という側面ではゴキブリや蚊と同じで、
殺すことにも抵抗がないかもしれません
しかし、
「誰とはわからぬ」相手であっても、
それを「人間」と認識すると、
それは究極的に「他人」ではなくなり、
むしろ「自分たち」と認識するのです
(無意識的に)自分と同一視するので、
「誰でもいい」にはならず、
殺意を抱くことがないのではないでしょうか

こう考えると、
「誰でもいい」から殺したいことが問題なのではなく、
「自分の世界の住人」と「それ以外の世界の人・物」の線引きの位置の違いに帰着します
つまり、
今回の加害者にとっては、
自分の友人で知り合いである「自分世界の人」以外の人は、
もはや我々が通常考えるような「人」ではなく「異世界のモノ」なんです

そう考えると、
通り魔殺人は、
その辺で動物を虐待している人とかわらないし、
もっといえば、
たとえドラクエぐらいのファンタジーな世界であっても、
ゲームで敵をやっつけて爽快感を感じている普通の現代人とかわらないんです

なんとなく納得できてきた



もう一つ
容疑者は自分の仕事について、
「自分でなくてもできる」
「非人間的な労働」
だと考え、
そのような労働を生み出し、要求する社会に対して怒っているそうです

労働って、
金銭を得るための対価だと考えると、
そもそも非人間的なものじゃないですか
物々交換の一方を労働に置き換えれば簡単にわかります
そんな当たり前のことに怒ってどうするんだろう
きっと彼は、
「物々交換としての労働」以外の「仕事」を知ってしまったんだろう
ここでいう「仕事」は金銭価値判断におけるものです
たとえば、
ホリエモンであったりセレブと呼ばれる人たちであったり、
そういう人を見て、
「替えのきかない人間」
「非人間的でない人間」だと感じたんでしょうね

はたしてそうなんでしょうかね
たとえばここにカレーがあって、
それを食べるときに、
「生きるために食べる」か、
「食べることを楽しむ」かで、
そのカレーの価値って違いますよね
前者のカレーは「非人間的」で、
いや、
カレーだからもちろん非人間なんだけど、
たとえば「車にはガソリン」的なものなんですよ
でも後者のカレーは、
まさに人間的ですよね

こんがらがってきた

つまり、
自分が非人間的な扱いを受けているというのは、
周囲が非人間的に扱っているのではなく、
自分が自分の境遇を非人間的な扱いと認識しているだけで、
労働に金銭価値のみを求めると、
労働自体は非人間的になりますが、
労働自体に価値を見出すと、
労働する自分は人間になります

そんな感じで
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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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