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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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事業仕分けの大激震も一段落という状況ですが、
あらためて科学(科学技術)の存在意義について考えてみました

これは以前からの主張なのですが、
科学研究者なんてものは、
パトロンの金で絵を描いて暮らしている画家と同じだと思ってるんです
要は、
国が予算の一部を、
あるいは捨て金になることを覚悟して出して、
そのお金で「誰かの役に立てば良いかな」程度の研究をしている、
そんなイメージです

こんなことを言うと、
「科学を冒涜するな」
とか怒られてしまいそうですが、
そう思っている事実は曲げられませんので、
すいません(?)


たとえば、
今から先、科学研究への投資が無くなったとします
もう科学研究ができない、という状況です
(事業仕分けではそういうことを考えさせられましたね)
で、
まず研究者以外の人達で、
誰か困りますか?
それで科学が衰退した結果として、
究極的に、
たとえば18世紀ぐらいの生活に戻っても、
それはそれで仕方なくありませんか?
もちろん不便に思えるだろうけど、
むしろ環境問題も経済格差もなくなりそうだし、
医療的な技術に不便があるかもしれないけど、
これまで蓄積した知見は無くなるわけじゃないし、
寿命が多少短くなる程度でしょうからね
少なくとも、
生命の起源や、
海水中の元素分布なんてものは、
やってもやらなくても、
どっちでもいいことでしょう

で、
科学研究への投資がなくなると、
研究者は職を失います
でも、
それも仕方ないでしょう
そんなの入社した会社が倒産するようなもので、
誰の身にも起こりうることでしょうからね



だから、
突然に、
「今年からわが国は科学研究をやめます」
と通告された時に、
研究者のとる態度としては、
「何を!?科学技術なくしてわが国の未来は無いだろう!!」
と、
青筋立てて吼える、
のではなく、
「あら、そうですか。それは残念。」
とつぶやいて、
背中を丸めてスゴスゴと田舎に帰っていき、
そんな中で、
研究者以外の方から、
「いやいや、科学技術が無いと困っちゃうよ」
「誰かに研究をやってもらいたいよ」
という声が上がったら、
その時になってようやく、
「それでは不肖の身ではありますが・・・」
と少し大きめの声でつぶやいて、
背筋を正しながら遠慮がちに、
研究室に戻ればいいんだと思うんです


そんなことを考えました



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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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