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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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2017年10月より日本学術会議の連携会員に選出され,「若手アカデミー委員会」「地球惑星科学委員会」「科学者委員会(学協会連携分科会のみ)」の委員となっている。

2018年4月2日は,地惑委の人材育成分科会に出席。その中で「大学教育WG(仮)」の議論に参加。

印象的だったのは3点。

1,某委員から。
『まず第5期科学技術基本計画とか,そういうものをちゃんと読んで対応方針を策定すべき』
『国が公開している計画も読まずにアレコレと議論しても無意味』
『計画を把握した上で,われわれがすべきことは,
国の方針に乗っかって「地惑人材は産業界等に必要だ」というロジックを組み立てるのか,
国の方針に逆らってでも「地球科学研究をふくむリベラルアーツこそが必要なんだ」と言うか』
『現実には両面から攻めることになるだろうけども,そういう視点で議論をしないと』
至極真っ当な現状認識と会議運営方針。我が意を得たり。

2,別の委員から。
『高校教育の物理・化学・生物・地学の中での地学の位置づけが曖昧』
その通り。
地球科学はホリスティックなので,物理化学生物の基礎的な理解の上に成立するもの。
一方で,防災・環境・資源など,物理化学生物の範疇に無い地球科学としての理解も重要。
「民主主義国家の国民に必須の知識・思考法を習得するための地学教育」という位置づけ。
意見はごもっともである。
一方で大学受験が強調されるこの国の風潮がある。
そこの整合性というか,落としどころというか。どこに最適解があるのか。
個人的には,高校地学の教科書の冒頭に物理化学生物と地学の相対的な位置づけのポンチ絵を載せるべき,またそのポンチ絵こそを学術会議・地惑委から発出して引用可能としておくべき,という意見。

3,自分から。
まずスイスでの仏人のコメントを引用。
『フランスの大学は入学が厳しく卒業が容易。だから卒業生のレベルが低く,大学院のレベルが低い』
そこから,
『これはまさに日本で起きていることと同じでしょう』
『日本の大学教育の人材育成・人材輩出というなら,進級卒業のハードルで「卒業生の質」を保証すべきでは?』と意見。
これに対し某委員が『つまり「教育の質」の問題ですね』と応答。
しかしボクは『「教育の質」ではなく「卒業生の質」です』と反論。
しかし某委員より『それを我々は「教育の質」と言うのである』とのコメント。
うーん。
ボクは「教育の質」という言葉に,「教育」とは何かという大問題と,それはさておいても「教育」を授け方と受け方の双方の意味合いが込められていて,論点がボケてしまうと考えている。
ボクは「教育」というのは結果で判断されるものだと考えているので,だからこそ「卒業生の質」という結果で議論すべきだという立場。
つまり教員が『我々はこのような教育を授けました』と自己申告したとて,結果として「卒業生の質」にそれが反映されていなければ意味が無い。
『我々教員による「教育の質」は高いものであった』と言い張ることは無理筋だ。

3点いずれもコメントが指摘している問題意識は『論点を隠してしまう使い古された言い回し』と『論点が明示されている(あるいは明確にしうる)のに自前の経験で論を構築しようとすること』との,2点に対するアンチテーゼというか,反論だと言える。

しかし委員の半数ぐらいは,自説に拘泥するというか,ここ数年の「文脈」に絡め取られているようで,話が噛み合わない印象。
何より「地惑委」の中の「人材育成分科会」なのに,地惑の範疇を超えたところへの言及に時間の大きな部分が割かれていて,何とも言えないなぁと。

むずかしい。
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