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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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気象学会声明を端緒に、
「情報統制」と「研究者の自由」のような議論が行われている
ボクは「非常時の情報統制は必要」と考えている
というのも「情報公開」には「意味がない」と考えているから
それについて述べる
 
 
最近、2人以上の医者にかかり、
もっとも納得したものを選択する「セカンドオピニオン運動」が盛んですが、
これが意味するところは、
「患者は医者と同等に医学を理解している」か、
「患者は医学的根拠以外の部分で医師を選択している」かの、
いずれかである、ということになります
前者であれば患者は医師にかかる必要がない
(だって自分で医師レベルのことが判断できるんだから)
ということで、
実は後者の判断、
つまり、
「専門家」の意見を、その意見の質でなく、
「専門家の非専門分野」で判断していることになる
 
たとえば「ソーカル事件」のように、
医師がまったく医学的に根拠のないデタラメを言っていたとしても、
患者がその医師を信用すると決めた以上、
意味のない施術が採用されることになる
 
これを今回の情報統制論に置き換えると、
「情報統制するな、公開しろ」ということの意味は、
「複数の情報の意味を精査して取捨選択できる」か、
「複数の選択肢から(なんとなく)納得するモノを選択する」
ということになる
 
この場合の情報は科学的なデータなので、
科学者なら前者の振るまいも可能かもしれないが、
多くの国民は科学者ではなく、後者の判断基準を用いる
 
この視点に立った時、
本当に複数の情報は必要なのだろうか
どれだけ選択肢が存在しても、
その中から「正しいモノを一つを選択する」のは、
まったくの主観に基づくものであって、
そこには「その人の論理」はあっても「皆に共通の論理」は存在しえない
 
であれば、
情報が1個でも、100個でも、世の中にあるすべての情報が公開されても、
その中から適当に1つを選択するという事実に変わりはないし、
その情報ソースが東大教授か東電か政府かその辺の主婦か小学生かも、
主観によって選ぶ以上は、実質的には、何の意味も持たない
 
だから、世の中に流れる情報は、
専門家によって精査された(必ずしも全会一致である必要は無い)、
単一の広報機関からによるものに限定した方が、
「ランダムに情報を選択する一般人」が、
「より確からしい情報を選択する」蓋然性が高くなる、
という結論に至る
 
災害後の混乱時において政府が危惧することは、
一般人が予測不能な行動で制御がきかなくなること
それを避け、できるだけ予測可能な行動をとってもらうには、
情報を限定し、似たような判断を下してもらうことが有効
 
そういう論理により、
ボクは今回の「情報統制」を支持するわけです
 
 
「お前がすべての情報を包み隠さず出せば、私は正しい判断ができる」
という主張は、同時に
「お前はまだ何か隠しているから私は正確な判断ができないのだ」
と言い続けることができる
その「卑怯な」立ち位置で何かを批判することに、
ボクは同意できない
 
「情報統制されている」というのは自己判断の感覚なので、
仮に「情報統制されていない環境」でも「情報統制されている」と感じ、
それを永久に叫び続けることができる
それは「国民の専門家に対する信頼の欠如」による
 
一方、
「国民は理解できまい」として情報を出さない専門家も、
「国民を信頼していない」とみることもできる
しかし、実際には、上で述べたとおり、
国民は科学的データを非科学的な基準で選択するわけだから、
科学リテラシーの点で「国民を信頼しない」のは妥当な判断であると言える
 
 
ある特定の少人数の専門家集団が、
すべての専門家を代表する「正しい回答」を示せるわけではない
一方で多様な意見が存在しても、その中に「正しい回答」は存在しない
なぜなら未来予測において「正しい回答」などというものは存在しないから
 
「予測の正否」を気にすると「予測の多様性」が重要になる
しかし今、原発の放射性物質の飛散において、
本当に「飛散予測」が大事なことなのだろうか
ボクはそうは思わない
大事なことは「網羅的で密な実測」である
現状、どんな風向きになろうとも、
短期的な被害は起こりえない量しか放出されていないわけで、
であれば、今必要なことは、
不確実性の高い短期的な予測よりも、
まさに事実である観測値の報告だろう
その観点からも、
「予測の公開は混乱のもとなので控えよ」という見解は、
非常に妥当なものだと考える
 
 
これはココまでの議論とは違うけども、
たとえば学会の上層部のごく数名で、
国民にとって唯一の情報となる「公式見解」を作成する
それは現行の民主主義的な手段によって、
国民が科学研究を委託した科学者集団の中から多数決で選ばれた人々であって、
まさに国民の信託を受けた人達による見解なのだから、
それを「上が勝手に決めたこと」と非難するのは、
民主主義自体を否定している
「私は民主主義者ではない」と言っても、
今、この国が民主主義で運営・進行しており、
その正規の過程で選ばれた人は、
国民が信託したことと等しい意味を持つ(あくまで原理的には)
 

 
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