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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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JAMSTEC内ユートピアとも呼ばれる部署のキックオフセミナー。

・太古の地球でも他天体でもやはり「メタン菌最強不敗列伝」
・ごちゃごちゃ言わんでも窒素固定は最初からあったんや
・「アーキアなんだよ!」 (; ・`д・´) ナ、ナンダッテー!! (`・д´・ ;)
・無機炭素と無機窒素と無機リンを電気でビリビリしてムハー(゚∀゚)=3
・火星人です,ストロマ。

というざっくばらんな話で大盛り上がり。
おっちゃんも大はしゃぎ。
聴衆少なめも奏効したかな。

もちろん色々な議論があろうけども,
とりあえず「LUCAメタン菌」という仮定を置くことで,
何でもアリ的だった地球生命共進化の物語に,
「メタン菌ハイパースライム確立以前/以後」という線が引けて,
今から自分はどっちに取り組んでいくか,と考えるようになったのは,
非常に大きいように感じた。

地球が生命に「溢れる」惑星になった理由を考えるなら,
「メタン菌ハイパースライム以降,Great Oxidation Eventまで」という部分が,
「地球誕生以降,生命誕生まで」と同じぐらい大事だろう。
というか,
「生態系としての定着がキモ」という視点で言えば,
「生命誕生」自体は「何度起こっても良いんだよ」という立場なわけで,
「生命誕生」にはいくつ可能性を想定しても良いことになる。

「メタン菌ハイパースライム以降,Great Oxidation Eventまで」は,
そういうオープンエンドな「えたいの知れないモノ」ではなくて,
(ハイパースライムを支持する立場に立つなら)
「点と点を結ぶストーリー」で描写されなければならない。
それは「メタン菌」から「シアノバクテリア」だし,
「メタン生成代謝」から「酸素発生型光合成」だろう。

その部分を生化学的な,つまりは代謝経路の進化で追うのは,
おそらく「生命科学」「生物学」的には王道なアプローチなんだろう。
それで解明できそうなら,そのアプローチをとるのが自然だと思う。

一方で,「メタン菌ハイパースライム」という設定を持ち込んだわけで,
「生物」ではなく「生態系」としての進化という視点でも見ていきたい。

現在の地球海洋の生態系で見ると,
地理分布やブルーミングなんかがあって,
四次元的に生態系の様相が大きく異なっている。
海洋ではスペースはほぼ無限大なので,
生物同士で遮光することはあんまりなくて,
太陽光の莫大なエネルギーは生態系の有り様を律速していない(たぶん)。
だから四次元的な生態系の有り様を支配しているのは,
すべての場面で,栄養塩動態なんだろう。
窒素枯渇,リン枯渇,鉄枯渇,シリカ枯渇,ぐらいかな。

そうやって考えると,
「生物の代謝経路の進化」というのは,
「栄養塩制限の突破」と結びつけて考えるのが妥当っぽい。
言い換えると,
「新たな栄養塩取り込み代謝」を樹立した生物は,
地球生態系での地位的な意味でブルーミングが可能になる。

という風に考えていたのだけれど,
「放電万歳」「大陸万歳」だったら,
そしてGOEぐらいのバイオマスだったら,
それだけで栄養塩十分なので,
やっぱり生態系としての進化に先んじて,
生物としての進化があったと考えても良い気もしてくる。

つまり,
生物としては全部の機能(光利用/窒素取り込み等)を有している状態が先に出来て,
非生物地球環境変動で栄養塩動態が変わることで,
(環境変動は生物の進化をトリガーしないでも)
地球生態系の様相が一変する,
というストーリー。
こっちのバージョンだと,
すべての代謝進化を「とりあえず深海環境で考えよう」というのも可能かもしれん。
光利用をどうやって持ち込むかという問題は残るかもしれんが,
それはそれで,光利用の部分だけにフォーカスして,
非生物的に「部品」が集まる環境を想定してやれば良いのかも。
わからんけども。

「メタン菌」
ー「硫黄化学合成」
ー「硫黄光合成」
ー「酸素発生光合成」
なのかなぁ。
だとしたらやはり硫黄光合成がキーな気もするわけで。
またどこかで耳学問したい。



と,
グダグダ書きたくなるほど,
セミナーが楽しかった,ということです。

「次は年末に温泉合宿」という話になってたけども,
ホンマにやるんかね。
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所内締切の4月21になってから応募を検討して,
実際にマジメに考え出したのが4月末。
最終的にはGW4日間を費やして一気書き。

さらに4月末は周囲の友人でアレコレあって夜中までつきあったりして,
睡眠不足と飲酒でだいぶ体調が悪化してきていた。
5月14日(水)にクスリを大量にもらってきたので,ここで一気に叩く。

5月1日(木)に連合大会の後に大事な友人と語って,
やっぱり「自己肯定感」ってのはキーワードだなぁと。
さらに5月10日(土)には一般公開があって,その後に某女史と語り合って,
その時にまた,「自分に従って生きる」ことを「自己肯定する」こととか,
そういう生き方を自分が(ほぼ)貫ける環境にいることととか,
考えたわけです。
そんでその話をももクロと結びつけて書きたいのだけど,
もう書ける準備は自分の中にはあるのだけれど,
ゆっくり書ける気分にはなりにくい。

それは2年以上にわたって格闘している論文が,
もう少しで突破できそうだから,
この「30日以内で原稿返送」の期間はみっちりと使いたい。

その「30日後」に三重での一般向け講演があったり,
そのついでの帰省があったり,
そのうち「7月頭の航海が突然決まる」という予告もあったり,
表層論文もドードー論文も受賞論文もあったり,
航海公募もあったり,
8月末には首席航海があったり,
そうこうしていると今年はマジメに書かねばならぬ科研費の季節で,
もう秋までビッチリ。

ホゲッ
2年前に卒業した愛弟子(?)がやってきて,
2年ぶりに再会できた。
うれしかった。
学校の先生になったら,
こんなうれしいことがたくさん起こるのかと思って,
またちょっと学校の先生になりたくなったり。

あとは,
これまであまり距離を詰めたくないと思っていた人と,
話の流れなんかもあって,ゆっくり喋る機会をもったら,
思いの外,考え方が噛み合ってしまって,
ついつい延々と話してしまったり。

良いことが起こった1日でした。


展示していた実験はうまくいかなかったし,
全体の企画にいらだったり,
不遜な来客などに怒髪天だったりしましたが。

もし自分に英文社会記事をちゃんと読める能力があるなら,
海外の主要メディアサイトのトップ記事を翻訳して,

・各メディアでどんな記事がトップになるのか
・どんな論調で述べられているか
・日本に関することは(量・内容両面で)どれぐらい触れられているか

がわかるようなサイトを運営したいな,と。
原文との対応もつけて英語の勉強になるようにして。
スマホアプリも作って。

普段はだいたい何でも,
締切1週間前には「最悪,これを提出すれば」というものを仕上げるようにしていて,
それは不足の事態(体調不良とか家庭の事情とか)に備えてって意味と,
ギリギリに作ったもののクオリティは信用できないって意味と,
両方からそうしているわけです。

しかし今回は,着手が遅かったので,
およその構想が固まったのが3日前。
文とポンチとで申請書が埋まったのが締切前日の昼すぎ。

そんな本体の方のドタバタに加え,
夕方になって第三者から埋めてもらうべき事項が発覚するなど,
テンヤワンヤでの作成でした。

それで感じたのは,
「意外とどうにかなる」ってのと,
「すごい集中してできた」ってので,
つまり,
「あぁだからみんな締切前に一気にやるのね」ってことでした。

でも,
そこに至るまでの精神的な負担とか,
いつか大きなポカをやらかすだろうなという不安とか,
そういうことと天秤にかけると,
やっぱり1週間前までに何か形を作っておくこれまでのやり方が,
自分にはあっているだろうな,と思いましたとさ。


*覚え書き
・特別研究員の電子申請IDは科研費e-radとは別に作成が必要(機関担当者)。
・申し込み書(修正可)を出さないと受け入れ許可書/評価書の発注ができない(?)
・申請書本体は一番最後でかまわないが,上記はJSPS経由になるので早めに。

スマホの月額使用量を減らそうと,
無線ネット接続環境の整備をしているところ。
とりあえず「ホテル用ルータ」なるものを導入。
3000円ぐらいだった。
(まずIODATAのこれを買ったがPPPoE接続できなかった)


家(これ)と職場(常備)と大部分の出先(ドコモwifi)がカバー出来れば,
スマホで3GやらLTEやらに接続できなくても,
ほとんど不便なく暮らしていけそう。
子供達の家にはネット環境がないけど,
ドコモwifi加入でカバー出来そう。(コメダとか)

通常の家族との連絡はパソコンメイル。
出先の緊急時はショートメイル。

これで月5000円の節約。


思えば5年前に「グーグル携帯」とか呼ばれていた時代に飛びついたせいで,
ドコモのメイルアカウントが使えなくなって,
(spモードがなくてMopera一択だった)
Gmailに一本化して不便かと思ったら意外とそうでもなくて,
それが今になって,
Gmailならパソコンでも変わらず使えるからってことで,
imode契約すらしない契約を躊躇なく選択する要因になっているのだから,
何がどうなるか,わからないねぇ。
地球科学の祭典JpGU連合大会が終わりました。
今年は本当に一度も発表会場に足を踏み入れませんでした。
(会議参加と学会ブース番のためパシフィコ自体には行きましたが)
それはさておき。

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学会発表をする理由は,2つあるように思う。
1つは,自分という研究者をアピールするため。
1つは,自分の研究をアピールするため。

まず研究者としてアピールすることを考える。
言うまでもなく発表のクオリティは非常に重要だ。
発表の内容はもちろんのこと,
プレゼンスキルだったり,言動や服装まで含めた,
自分という「全人」をあらゆる角度から見られるわけだから,
相当な覚悟をもって,入念に準備をして,
発表の場にいかねばならぬだろう。
他人からの評価は,ゆっくりしか上がらないが,下がる時は一瞬だ。

次に研究をアピールすることを考える。
この場合,「研究内容をより確実に伝えるため」という意味で,
最低限のプレゼンスキルは必要になるが,
「全人」的な評価は気にする必要なくて,
研究の内容を聴衆に知らしめれば成功といえるだろう。
ただ,研究の内容を知らせるだけならば,論文発表で足りるわけで,
それでも学会発表をするというのは,
誌上発表ではえられない「何か」がそこにあるから,
あるいは,その「何か」が起こると期待できるからではないか。
その「何か」というのは一概には言えないが,
第三者的な聴衆との関係で言えば「議論が盛り上がる」ということだろうし,
特定の相手が想定されているならば「自分の主張を聞かせる」ということだろう。


うちの研究グループ(たぶんよそのグループも)では,
先生が学生に課すような「予聴会」のようなことはやっていない。
もちろん個々の研究者が独立して自立した研究者なのだから,
先生のように発表内容や発表スキルを「校閲」する必要がないわけで,
予聴会をしなければならない理由はない。

しかし,上に述べたように,学会発表には目的がある。

学会発表で念頭におく目的を達成するためには,
内容の精査,発表スキルの向上,想定される特定の聴衆の把握など,
発表を前に備えておくべきことが多々ある。
そしてその多くは,予聴会「的」なことを通じてえられる。

同僚は相応のレベルで自身の研究内容を理解している存在であって,
会場に集まる聴衆の大部分以上に深い内容の議論が期待できる相手である。
また日頃から一緒に行動している親しい同僚だからこそ,
言動や服装,発表スキルについても遠慮なくコメントできるだろう。
さらに突っ込んで言えば,
研究所において「ヒラ社員」の身分であれば,
学会会場で受ける外部の研究者からの評価と同等か,あるいはそれ以上に,
内部での(評価者たる上司からの)評価こそが,今後の人生において重要なわけだ。


そうやって考えた時に,
手前のグループで予聴会的なこともせずに学会発表にのぞむのは,
「もったいない」というか,
「意味ない」というか,
「なにやってんの?」というか,
「目の前に転がっている機会をみすみす見逃すの?」というか,
「アホ?」というか,
そういう悲しくて哀れな気分になる。



*スマホ機種のまま通信契約を切ることが可能
・現機種のまま
・モペラ契約を切る(パケホーダイも切る)
・月額使用1000円ほど(無料通話少々)
・電話とショートメールが使用可。imode不可。Wifi接続可。
・ドコモ公衆wifiは月300円(?)
・モペラ(spモード)の再契約も可(およそ月契約)

*ガラケーの機種変は1万から3万かかる。


ということで,
現機種のまま通信契約を切るのが一番おいしそう。
月5000円以上の節約に。
大学ってのは賢い子供じゃなくてバカでもいいから大人になるところだ,
というのはずっと主張しているところなのだけど,
まさに子供の論理を振りかざす大人を目の当たりにすると,
なんというか,悲しくて怒りに震える。
それがさらに学位持ちだったりすると,もう。


「出来ないと思ったら,できるだけ早く「出来ない」と言ってくれ。
 あなたがそれを出来ないことよりも,
 それを隠蔽してプロジェクトが滞る方が損害が大きい。」
という言い方もよくする。

この言い方ってのは,
個人の資質云々よりもプロジェクトの方が大事だ,という話で,
登場人物は基本的にビジネスパートナーで,
だから当然それは大人だと思って接しているからこその発言だ。

プロジェクトの達成のために,
個人の「ギブアップ」発言を許容しているわけだが,
だからといって,プロジェクトが成功したとして,
ギブアップした個人に対する評価が下がらないかというと,そんなことはない。
むしろ,
以前に与えられた職務を「ギブアップ」した実績のある人は,
次のプロジェクトを立ち上げる時は最初から関与させない。


「プロジェクトに損害を与えないため」という言葉を,
自分が出来ないことの免罪符にすることは,
「能力のない自分には次の機会が与えられないでも仕方がない」
ということも同時に受け入れることだ。
それを自覚せずに「ギブアップ」というのは,
単に職務を放棄しているだけだ。

さらに言えば,
「プロジェクトに損害を与えないため」に「ギブアップ」と言ったことを,
自分の能力不足はさておき,
「早めにギブアップと言った判断は適切だった」という具合に,
自分に一定の評価を与えるのだとしたら,
それは自己欺瞞だ。もう最悪。


大人になるということは,
与えられた責務を,どんな手段を用いてでも果たすこと。
自分には出来そうにない任は引き受けないこと。
引き受けた責務を果たせそうにない時はギブアップを明言すること。
その時には「責務を果たせない人」という(自己)評価と,
それに付随する措置を受け入れること。
その覚悟を持って任に当たること。
つまり,すべてを一人称で引き受けるということ。

そういう大人になるのが大学というところ。
研究に関する部分で大人であれることが学位を授与されるということ。

それが出来ないのに,
自由だとか給料だとか,
そういうものだけいっぱしの大人ばりに要求するのは,
不潔だ。

そんな不潔な人間の存在をボクは許せない。

研究業界で,
でも研究上の関係はなくて,
同期で,
じっとりとした話のできる,
そんな数少ない友人が学会で上京してきていたので,
二人で晩ご飯。

のっけから「愛の言葉」としか言いようのない言葉を交わして,
そのまま最後まで愛の語らいだった。

たとえば何度も言われた言葉では,
「キミはキラキラしている」
「キミみたいに潔癖な人はいない」
「どうやったらそんな風に生きていけるのか」
とか,
まぁそういうことを言われるわけです。

大学とは,
教育とは,
研究とは,
科学とは,
みたいな話を,
茶化すことなく大まじめに,
理想を本気で実現するために,
でも深刻にならずに,
という会話ができるってのは,
本当にありがたいことです。

すばらしい夜だった。


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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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