自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
だってさ、
そんなもん、
理論的に存在し得ないじゃない
政府側、反政府側
原発推進、反原発
理詰めで考えたとて、
どちらにも一理あるのに間違いない
だから、
第三者ってのは、
「両方の言い分に一理ありますなぁ」
としか言えない
仮に、第三者機関が、
「こっちの道に進むのが確からしかろう」
と言ったら、
逆の道を推している人達は、きっと、
「あぁ、あいつらはあっちとグルだったのか」
と言うだろうね
そもそも、
「信頼できる」ってのは、何かと考えた時、
大体の場合、
それは「看板」の力なのよね
「東大」とか「政府委員会」とか「要職を歴任」とか、
そういうやつ
つまりは、すでに「何か」の属性を強く帯びていることになる
一方で、たとえば、
「反原発だったから閑職におかれいまだ助教」
とかいう人が出てきても、
「本当に意見の相違だけで助教なの?実力がないからじゃ?」
という疑問は、たぶん証明することができず、晴れない
つまりまとめると、
実力のある第三者->純粋に第三者である場合は皆無
実力のない第三者->信頼性の部分に問題あり
であり、
実力があり真に第三者である人がいたとしても、
どちらかの判断を下した際に、
事後的に、
「やはりアイツは・・・」
と言われることは回避できず、
結局、信頼できる第三者なんてものは存在し得ないのですよ
だから、
「信頼できる第三者機関の設置を」
という発言は、
そのまま、
「私は社会のことがわからないアホです」
と読み替えることができるだろうね
また、
「信頼できる第三者機関」を作り上げて、
裏で利益誘導を謀ることこそが、
「政治手腕」というものであることも、重要な事実であろう
IAEAの日本人職員は、
外務省・経産省・東電などからの出向者がほとんどだという噂
だとすると、
「核の番人IAEA」はまったく第三者機関ではない
ってか、
「どうやったらIAEAの職員になれるかな?」って考えれば、
どう考えても、そのルートしかないよね
そんなもん、
理論的に存在し得ないじゃない
政府側、反政府側
原発推進、反原発
理詰めで考えたとて、
どちらにも一理あるのに間違いない
だから、
第三者ってのは、
「両方の言い分に一理ありますなぁ」
としか言えない
仮に、第三者機関が、
「こっちの道に進むのが確からしかろう」
と言ったら、
逆の道を推している人達は、きっと、
「あぁ、あいつらはあっちとグルだったのか」
と言うだろうね
そもそも、
「信頼できる」ってのは、何かと考えた時、
大体の場合、
それは「看板」の力なのよね
「東大」とか「政府委員会」とか「要職を歴任」とか、
そういうやつ
つまりは、すでに「何か」の属性を強く帯びていることになる
一方で、たとえば、
「反原発だったから閑職におかれいまだ助教」
とかいう人が出てきても、
「本当に意見の相違だけで助教なの?実力がないからじゃ?」
という疑問は、たぶん証明することができず、晴れない
つまりまとめると、
実力のある第三者->純粋に第三者である場合は皆無
実力のない第三者->信頼性の部分に問題あり
であり、
実力があり真に第三者である人がいたとしても、
どちらかの判断を下した際に、
事後的に、
「やはりアイツは・・・」
と言われることは回避できず、
結局、信頼できる第三者なんてものは存在し得ないのですよ
だから、
「信頼できる第三者機関の設置を」
という発言は、
そのまま、
「私は社会のことがわからないアホです」
と読み替えることができるだろうね
また、
「信頼できる第三者機関」を作り上げて、
裏で利益誘導を謀ることこそが、
「政治手腕」というものであることも、重要な事実であろう
IAEAの日本人職員は、
外務省・経産省・東電などからの出向者がほとんどだという噂
だとすると、
「核の番人IAEA」はまったく第三者機関ではない
ってか、
「どうやったらIAEAの職員になれるかな?」って考えれば、
どう考えても、そのルートしかないよね
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メインにしている学会の要旨を書かねばならない
ならないのだが、
どういうものにするかが定まらない
ぶっちゃけ、
学会発表は聞いてもらってなんぼであって、
要旨が論文のアブストのようなものである必要は、
必ずしもないのではないかと、
ここ3年ぐらい思っている
で、
そう思って3年もたつと、
もはや学会発表の要旨とは思えない、
完全にふざけていると受け取られかねないものができる
ボクはそれで良いと思っているのだけど、
それではいかんと思っている人もいるかもしれず、
意味もなく人を不愉快にさせるのは、
こちらとしても本意ではない
しかししかし、
はっきりと言ってしまえば、
学会発表とはなんたるか、ってことを突き詰めたら、
しょせん仲間内の意見交換会でしかないのだから、
ふざけていようがマジメであろうが、
そんなことはどうだって良いのである
もちろん、科学的に誤っていることや、
科学のお作法に則っていない研究のことを話すのは御法度である
逆に言うと、
科学的に正しいとされる範囲内においては、
その表現手法について、
他人からとやかく言われる筋合いはないのだ
とはいえ、
サジ加減が難しい
Tweet
ならないのだが、
どういうものにするかが定まらない
ぶっちゃけ、
学会発表は聞いてもらってなんぼであって、
要旨が論文のアブストのようなものである必要は、
必ずしもないのではないかと、
ここ3年ぐらい思っている
で、
そう思って3年もたつと、
もはや学会発表の要旨とは思えない、
完全にふざけていると受け取られかねないものができる
ボクはそれで良いと思っているのだけど、
それではいかんと思っている人もいるかもしれず、
意味もなく人を不愉快にさせるのは、
こちらとしても本意ではない
しかししかし、
はっきりと言ってしまえば、
学会発表とはなんたるか、ってことを突き詰めたら、
しょせん仲間内の意見交換会でしかないのだから、
ふざけていようがマジメであろうが、
そんなことはどうだって良いのである
もちろん、科学的に誤っていることや、
科学のお作法に則っていない研究のことを話すのは御法度である
逆に言うと、
科学的に正しいとされる範囲内においては、
その表現手法について、
他人からとやかく言われる筋合いはないのだ
とはいえ、
サジ加減が難しい
「クリアーなロジックで、平明な文体で、カラフルな比喩を駆使し、身にしみる実例を挙げて」
from 内田樹の研究室「http://blog.tatsuru.com/2011/07/05_1924.php」
Tweet
from 内田樹の研究室「http://blog.tatsuru.com/2011/07/05_1924.php」
おそらく本業は、
「普通の人には測れないような微量のガスを、
簡単に測れてしまうようにすること」
なんだと思っています
いや、知らんけど
しかし分析装置をいじるのって、
航海と航海の間みたいな細切れな時間だと難しくって、
いや、メモとかちゃんととれば出来るんだけど、
ボクにはそれは難しくって、
まったく前に進んでいません
そこで、モノのわかる業者さんに手伝ってもらって、
「アレとコレとがあればコンナンできるよね!」
みたいな相談をして、
モノを買いそろえるというのをしてます
これは結構良い感じ
やはりパートさんでも分析できるような状態にしておくと、
バンバンデータが出て、良いよね
やりがいがあります
はよやってしまおう
Tweet
「普通の人には測れないような微量のガスを、
簡単に測れてしまうようにすること」
なんだと思っています
いや、知らんけど
しかし分析装置をいじるのって、
航海と航海の間みたいな細切れな時間だと難しくって、
いや、メモとかちゃんととれば出来るんだけど、
ボクにはそれは難しくって、
まったく前に進んでいません
そこで、モノのわかる業者さんに手伝ってもらって、
「アレとコレとがあればコンナンできるよね!」
みたいな相談をして、
モノを買いそろえるというのをしてます
これは結構良い感じ
やはりパートさんでも分析できるような状態にしておくと、
バンバンデータが出て、良いよね
やりがいがあります
はよやってしまおう
昼過ぎにボスがきて、
ちょっともじもじしてから、
「船、乗れや」
うちの優秀なテクニシャンズが陸上のラボを10日間も離れたら、
ラボの仕事がどれだけ停滞してしまうか
そう考えたら、
つまり「陸上にいてもいなくてもかまわない」ランキングで言えば、
ボクが栄えある一位という論理により、
今回の乗船が決まったようです
こうしてまた、
またしても、
航海に連れ出されるのです
今回は放射性物質モニタリングと、
地震関係の海底調査の両方のようです
まぁボチボチ働きつつ、
デスクワークをこなそうかな、と
2011年だけで、
会社の運営している5つの「ひらがな」船舶をコンプリート
ちょっとおかしい
Tweet
ちょっともじもじしてから、
「船、乗れや」
うちの優秀なテクニシャンズが陸上のラボを10日間も離れたら、
ラボの仕事がどれだけ停滞してしまうか
そう考えたら、
つまり「陸上にいてもいなくてもかまわない」ランキングで言えば、
ボクが栄えある一位という論理により、
今回の乗船が決まったようです
こうしてまた、
またしても、
航海に連れ出されるのです
今回は放射性物質モニタリングと、
地震関係の海底調査の両方のようです
まぁボチボチ働きつつ、
デスクワークをこなそうかな、と
2011年だけで、
会社の運営している5つの「ひらがな」船舶をコンプリート
ちょっとおかしい
やはりさ、
自分が社会的にいかなる存在であるかというのは、
しっかりと考えておくべきことだと思うのです
たとえば自分が被差別弱者の代表をしていたなら、
その言動は弱者のそれであってもかまわないし、
だからこそ通る要求ってのもあったと思う
でも一度立場が変わって、為政者になったのであれば、
もはや弱者ではない
だからこれまでのような振る舞いをすることはできない
翻って研究業界だが、
研究者には、なんとなく、
「文科省に金(科研費)を握られている」
というような部分などで、
「自分たちは弱者」的な言説が蔓延している
しかしそれは違うと思う
研究者というのは例外的な立場にある
社会の要請の無いような科学に対しても、
税金から支払われる給料と、
税金から支払われる研究費で取り組み、
その成果については、
基本的に研究者の内輪での審査に一任されている
もちろんアウトリーチがどうこうとか、
文科省の審査がどうこうとか、
そういうこともあろうとは思うが、
それでもやはり、
特異な立場にあることは間違いない
だから、
研究者の国民に対する基本的な態度というのは、
「科学の発展は皆さんの利益につながります」
ではなく、
「皆さんの寛容のおかげで科学させてもらってます」
だと思う
その上で、
「いつも支援をありがとう。ほんの気持ちですが、この成果を役立ててください」
ってな具合に、成果を社会に還元するものではないか
科学研究の国際競争力に触れて、
「他の国に負けられん」「国力が」
という言い分で、
科学研究の進展に力を入れているが、
本当にそれは必要なことなのか
たとえば画期的な癌の治療法が見つかって、
癌による死亡が劇的に減るとする
でも、そのために資源をバンバン使っていては、
「長生きできるけど、資源無いから原始的な生活」
みたいになって、
ひいては「食糧難で餓死が癌死を上回る」なんてことにもなりかねない
これも全然荒唐無稽な話ではなく、
たぶん石油はむこう150年ぐらいで枯渇するから、
300年後ぐらいには十分起こりうる話
そういうことを考えた結果、
日本の研究者人口を、
たとえば1/3ぐらいにした方が、
色んな意味でみんな幸せになれるんじゃないかなぁ
ということで、
ボクはお先に業界から抜け出して、
業界批判の急先鋒としてペンで戦うかもしれないし、
あるいは行政の方から指摘するかもしれない
自分の将来が、
そういう意味で、
わからなくなってきた最近です
Tweet
自分が社会的にいかなる存在であるかというのは、
しっかりと考えておくべきことだと思うのです
たとえば自分が被差別弱者の代表をしていたなら、
その言動は弱者のそれであってもかまわないし、
だからこそ通る要求ってのもあったと思う
でも一度立場が変わって、為政者になったのであれば、
もはや弱者ではない
だからこれまでのような振る舞いをすることはできない
翻って研究業界だが、
研究者には、なんとなく、
「文科省に金(科研費)を握られている」
というような部分などで、
「自分たちは弱者」的な言説が蔓延している
しかしそれは違うと思う
研究者というのは例外的な立場にある
社会の要請の無いような科学に対しても、
税金から支払われる給料と、
税金から支払われる研究費で取り組み、
その成果については、
基本的に研究者の内輪での審査に一任されている
もちろんアウトリーチがどうこうとか、
文科省の審査がどうこうとか、
そういうこともあろうとは思うが、
それでもやはり、
特異な立場にあることは間違いない
だから、
研究者の国民に対する基本的な態度というのは、
「科学の発展は皆さんの利益につながります」
ではなく、
「皆さんの寛容のおかげで科学させてもらってます」
だと思う
その上で、
「いつも支援をありがとう。ほんの気持ちですが、この成果を役立ててください」
ってな具合に、成果を社会に還元するものではないか
科学研究の国際競争力に触れて、
「他の国に負けられん」「国力が」
という言い分で、
科学研究の進展に力を入れているが、
本当にそれは必要なことなのか
たとえば画期的な癌の治療法が見つかって、
癌による死亡が劇的に減るとする
でも、そのために資源をバンバン使っていては、
「長生きできるけど、資源無いから原始的な生活」
みたいになって、
ひいては「食糧難で餓死が癌死を上回る」なんてことにもなりかねない
これも全然荒唐無稽な話ではなく、
たぶん石油はむこう150年ぐらいで枯渇するから、
300年後ぐらいには十分起こりうる話
そういうことを考えた結果、
日本の研究者人口を、
たとえば1/3ぐらいにした方が、
色んな意味でみんな幸せになれるんじゃないかなぁ
ということで、
ボクはお先に業界から抜け出して、
業界批判の急先鋒としてペンで戦うかもしれないし、
あるいは行政の方から指摘するかもしれない
自分の将来が、
そういう意味で、
わからなくなってきた最近です
地震以降のドタバタ劇も一段落で、
7月は基本的に出張がない
4月頭から、
EGU-みらい-大槌-JpGU-第二白嶺-よこすか-福島モニタリング
と、怒濤のお出かけラッシュでした
もうヘロヘロ
気付いたらデスクワークやラボワークがエライコッチャです
目の前の「やらねばならぬリスト」は、
もはや風景となっていますね
とりあえず直近では、
地震がらみの論文書きが急ぎの仕事
それから水素同位体論文と沖縄速報論文があって、
ラボの分析ライン立ち上げが3種
航海の試料は、もう一昨年ぐらいから溜まり続けていて、
そのうちに再訪計画が決まったりして、
じゃあまた後日、みたいなノリでドンドン先送り
と、
いうようなことも、
「研究なんてやってる場合じゃないよな」
って気分に覆われて、
考えることすらバカらしくなる
精神的な意味で、
研究者を続けるのは難しいかも
ボクがボクに対して、
「お前の人生でやるべきことはコレだ」って言うなら、
それは研究で無いことは確かだ
とはいえ、とはいえなのです
人生は難しい
だから面白いのですが
Tweet
7月は基本的に出張がない
4月頭から、
EGU-みらい-大槌-JpGU-第二白嶺-よこすか-福島モニタリング
と、怒濤のお出かけラッシュでした
もうヘロヘロ
気付いたらデスクワークやラボワークがエライコッチャです
目の前の「やらねばならぬリスト」は、
もはや風景となっていますね
とりあえず直近では、
地震がらみの論文書きが急ぎの仕事
それから水素同位体論文と沖縄速報論文があって、
ラボの分析ライン立ち上げが3種
航海の試料は、もう一昨年ぐらいから溜まり続けていて、
そのうちに再訪計画が決まったりして、
じゃあまた後日、みたいなノリでドンドン先送り
と、
いうようなことも、
「研究なんてやってる場合じゃないよな」
って気分に覆われて、
考えることすらバカらしくなる
精神的な意味で、
研究者を続けるのは難しいかも
ボクがボクに対して、
「お前の人生でやるべきことはコレだ」って言うなら、
それは研究で無いことは確かだ
とはいえ、とはいえなのです
人生は難しい
だから面白いのですが
モンカショウのプロジェクト(?)で、福島の空間線量、土壌採取を実施するため、福島入りしてます。
ニキロメッシュで2000点ぐらいの観測計画らしく、ジンカイ戦術です。
朝ごはん食べたら出発です。
と、スマホアプリから初めての投稿。
うまくいったかな?
Tweet
ニキロメッシュで2000点ぐらいの観測計画らしく、ジンカイ戦術です。
朝ごはん食べたら出発です。
と、スマホアプリから初めての投稿。
うまくいったかな?
土曜日の被災地を思うマジメな飲み会で、
あまりゆっくりと話せなかったのだけど、
「いま、地震に関する研究をすること」について、
やはり倫理的というか、感情論的というか、
そういう部分まで見据えておかねばならないだろう、
というような話題があった
たとえば、
「東北地震のメカニズムを明らかにする」
って研究について、
国民からは一定の理解が得られるだろうが、
一方で、
「今までさんざんメカニズム研究やってきてるだろ」
「メカニズムがわかれば予知ができるのか」
「次の地震では被害は出なくなるのか」
というような意見も出るだろうし、
それについては(たぶん)納得させるだけの回答はできないだろう
さらにたとえば、
「地震生命圏仮説を検証する」
っていう(ボクが取り組んでいる)研究については、
国民から理解が得られるだろうか
まぁ得られないでしょう
ボクの意見では、
両方とも極めて理学的、もっと言うと、
「短期的には何の役に立たない」
という意味で、
大きな差は無いと思う
それはさておき、
いや、さておかないけど、
「この未曾有の大地震だからこそ、今研究すべきなのである」
というフレーズを使うことの危険性は、
どちらの種の研究にもつきまとうだろう
いつも通り、ちっともまとまらない
ちょっと視点を変えよう
どんな研究であれ、
「今研究すべき」というのは、
「研究者村」の言い分であって、
それは一般社会には到底受入れがたいものであろう
もし「研究者村」が利益団体であれば、
自らの言い分を前面に押し出して、
村の利益になるよう主張すれば良いだろう
でも、それは違うだろう
研究者というのは例外的に特異な立ち位置にある
莫大な税金が(村に)投入されていながら、
その使途に自由が与えられている業界は他に類を見ない
そのような特権的な立場が許されてきたのは、
「学者は高い知性とともに高い倫理観を有している」
という暗黙の了解が根底にあったからではないか
査定機関が存在しないのだから、
研究者は厳しい自己(相互)査定をするべきだし、
自らの(研究者村の)欲望を満たすための主張をすることに抑制的であるべきだ
あくまでそこをデフォルトの立ち位置にして、
それでもやはり「今研究すべき」なのであれば、
そう主張することには反対するものではない
しかし、
「あんたらにはわからんだろうが、これは今せねばならんのだよ」
というような態度は許されない
懇切丁寧に、なぜ「今研究すべき」なのかを伝えねばならない
やはりまとまらないけども、
放射性物質モニタリングもせず、
地震に関するいわゆる「役に立たない」調査をする、
そんな自分自身の現状に、
強い違和感を覚えているのは間違いなく、
ボクがもう一人いれば、
そいつからは間違いなく厳しく糾弾されるだろうという思いがある
でも、もはや自分ではコントロールできない次元で物事が動いている以上、
それに加担しないのは本当の意味で無駄になってしまうので、
参加せざるをえないし、動かざるをえない
そういう部分で、ちょっと精神的にヤバイ
ということで、
航海に行ってきます
Tweet
あまりゆっくりと話せなかったのだけど、
「いま、地震に関する研究をすること」について、
やはり倫理的というか、感情論的というか、
そういう部分まで見据えておかねばならないだろう、
というような話題があった
たとえば、
「東北地震のメカニズムを明らかにする」
って研究について、
国民からは一定の理解が得られるだろうが、
一方で、
「今までさんざんメカニズム研究やってきてるだろ」
「メカニズムがわかれば予知ができるのか」
「次の地震では被害は出なくなるのか」
というような意見も出るだろうし、
それについては(たぶん)納得させるだけの回答はできないだろう
さらにたとえば、
「地震生命圏仮説を検証する」
っていう(ボクが取り組んでいる)研究については、
国民から理解が得られるだろうか
まぁ得られないでしょう
ボクの意見では、
両方とも極めて理学的、もっと言うと、
「短期的には何の役に立たない」
という意味で、
大きな差は無いと思う
それはさておき、
いや、さておかないけど、
「この未曾有の大地震だからこそ、今研究すべきなのである」
というフレーズを使うことの危険性は、
どちらの種の研究にもつきまとうだろう
いつも通り、ちっともまとまらない
ちょっと視点を変えよう
どんな研究であれ、
「今研究すべき」というのは、
「研究者村」の言い分であって、
それは一般社会には到底受入れがたいものであろう
もし「研究者村」が利益団体であれば、
自らの言い分を前面に押し出して、
村の利益になるよう主張すれば良いだろう
でも、それは違うだろう
研究者というのは例外的に特異な立ち位置にある
莫大な税金が(村に)投入されていながら、
その使途に自由が与えられている業界は他に類を見ない
そのような特権的な立場が許されてきたのは、
「学者は高い知性とともに高い倫理観を有している」
という暗黙の了解が根底にあったからではないか
査定機関が存在しないのだから、
研究者は厳しい自己(相互)査定をするべきだし、
自らの(研究者村の)欲望を満たすための主張をすることに抑制的であるべきだ
あくまでそこをデフォルトの立ち位置にして、
それでもやはり「今研究すべき」なのであれば、
そう主張することには反対するものではない
しかし、
「あんたらにはわからんだろうが、これは今せねばならんのだよ」
というような態度は許されない
懇切丁寧に、なぜ「今研究すべき」なのかを伝えねばならない
やはりまとまらないけども、
放射性物質モニタリングもせず、
地震に関するいわゆる「役に立たない」調査をする、
そんな自分自身の現状に、
強い違和感を覚えているのは間違いなく、
ボクがもう一人いれば、
そいつからは間違いなく厳しく糾弾されるだろうという思いがある
でも、もはや自分ではコントロールできない次元で物事が動いている以上、
それに加担しないのは本当の意味で無駄になってしまうので、
参加せざるをえないし、動かざるをえない
そういう部分で、ちょっと精神的にヤバイ
ということで、
航海に行ってきます
最近つぶやきさんばかりでコチラが留守がち
アチラで小さな話を出していると、
コチラは必然的に大きな話になってしまって、
今までのように仕事前のオーミングアップでは無理なのです
困った
これは仕事の息抜きで書いてます
今日は昼サッカーできないし
Tweet
アチラで小さな話を出していると、
コチラは必然的に大きな話になってしまって、
今までのように仕事前のオーミングアップでは無理なのです
困った
これは仕事の息抜きで書いてます
今日は昼サッカーできないし