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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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人間が社会生活を営む生物である以上、
政治家や芸能人でなくても、
公人としての自分は否定できないものです

たとえば、
親戚の集まりに顔を出せば、
「親戚の兄ちゃん」という公人としての性質が、
職場に顔を出せば、
「ポスドク研究員」という公人としての性質が、
それぞれついてくるわけです
「公的である」ことを拡大していくと、
上に挙げたような私的とも思えることも、
公的な事柄になる気がします


だから、
たとえフリーターでもニートでも、
私個人という存在は、
社会に存在している以上、
「私個人が私自身だと思っている以上の何か」
なのです
「全体は部分の総和以上の何か」
であるのと同じなんです

「あなたが見てる私は本当の私ではない」
のではなくって、
「私には(私自身は気付かないけど)あなたの目にうつるような私という側面もあるのね」
ということなのでしょう

よくわからないけど、
最近考えていたことは、
家族の中での自分は、
私的な自分を全面に出せるか、
家族が機能集団であるならば自分は公的だろう、
とかそんなことです
難しいね


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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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