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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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ある女史との私信で、
「否応なく」という言葉が出てきて、
これはキーワードだなと思った

子供が産まれた以上は「否応なく」相手をする必要があるし、
生きていくためには職場復帰も「否応なく」せねばならない
そうなると「否応なく」子供を職場に連れて行くことになろう

この「否応なく」については以前、
(理念的には)男性の育児休暇は強制されるべき
という論を書いた
自分で強制という言葉を使っておいてしっくりこなかったが、
「否応なく」のカウンターパートというか、
そういうものだと思えば良いのかもしれない


女性・仕事・社会の問題を論じると、
総論に隠れる各論が山ほどあるし、
一方で各論に触れると総論が見えてこないという問題があって、
それがこの問題の解決を遅らせている気がする
ある時、知の巨人があらわれて語ってくれれば良いのだが、
デリケートな問題なせいか、なかなかですな

おっと、
「問題」という言葉を使ってしまったけど、
problemではなくissueのようなイメージですよ
皇后陛下が高齢化社会について、
高齢化が常に「問題」としてのみ取り扱われることは少し残念に思います
と述べられているように、
女性・仕事・社会の話題は、別に悪いことだけではないはずだしね


で、「否応なく」だけども、
やはりこの「否応なく」の部分と、
個人の意向の部分というのが、
この案件を語る上での一つの切り口になるのかもしれない、と思う
個別の案件について、
「それは否応なくそうなりますなぁ」かどうか、ってのを、
案件を分類する指標として使ってはどうだろうか、ということ

それって、
社会生物としての人間の女性という部分と、
生物学的な人間の限界点というか、
そういうことにもなるのかな
どんな社会的な問題も、
生物学的な限界(空腹・排便・老いなど)は超越できないので、
最終的な線引きがココになるのは、当然っちゃ当然か

一方、
たとえば会社に勤める女性と専業主婦の女性という分類は、
この案件では必ず出てくる話題だけども、
この線引き(問いかけ)を採用していること自体が、
絶対に解決できない罠に自らを追い込んでいるような気がしてならない
現在流通しているステレオタイプな問題点(対立軸・問いの立て方)を、
今一度洗い直して見つめ直すという作業も必要なのかな

だって、
どんなに議論しても、
「ワタシは否応なく今の状況にあるのです!」と宣言されてしまうと、
どんな論理的論説も具体的対策もすべて水泡に帰すわけですからね
だから、
「否応なく」とそうじゃないものを切り分けて、
「否応なく」の中身には手を突っ込まないようにする
その上で、
「否応なく」の周辺を整理して柔らかくしていくことで、
「否応なく」な事象本体にも流動性とか柔軟性をもたらす、
そんなアプローチも考えてみると良いのかなぁ


って、
やっぱり実感がないボクでは何を言っても空論なんだよな


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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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