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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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専業主婦という存在はどうとらえたら良いんだろうか

1つは働いている主婦と比べて
少なくとも家事にさける時間は圧倒的に多い
そこからして、
専業主婦の家事は質的にも量的にも、
仕事をしている主婦に比べれば高いものになることが期待される
もちろん個人差が大きいので一概には比較できない

1つは働いている夫と比べて
夫が外で稼ぎ妻が家を整えるという分業体制であるが、
夫の稼ぎに見合うだけの家事という考え方もあろう

難しいのは、
家事というものに対しては度量衡がないことと、
安心感などの精神的なものが関わってくること

とはいえ、
社会の成員として、
働けるのであれば何らかの貢献をすることも求められよう

未来の成員であるがまだ自立できない子供の守護者として、
社会の仕事をまっとうしているという見方もあるだろう
そうすると働く主婦との整合がとれない
 
家電の発展は、
家電制作者や購入資金獲得者を勘案した「家事の分担」とも言え、
それによれば、
家事に要する負担は軽減されたことになる

一方で拡大家族の解消、核家族化によって、
従来よりも家事負担は増加したと見る向きもある

子供がいるか否か、
また子供の年齢がどれぐらいかも重要なファクターだろう

しかし、
そういうすべての事象を個別の事情としてすっ飛ばしたとして、
専業主婦というものの、
社会的・家庭的・経済的な立ち位置というのを、
どう考えたら良いんだろうか

誤解を恐れずに言うならば、
ニート論とほぼ同根だと思う

つい近い過去まで一般的であった「農家のヨメ」という位置は、
大体が農業にも従事していたと思う

もう少し時代をさかのぼると、
「誰かがサボると誰かが死ぬ」というリンクが目に見えて切実だった
そういう時代においては、
専業主婦(やニート)という生き方は、ありえなかったのではないか
(そんなことしていたら家族が死ぬか家族に殺されただろう)


うーん
難しい
もっと勉強しないと語れないなぁ

別にだからどうしろということじゃなくて、
自分の中でどうにか納得する理屈を設定しないと、
自分がこの時代の男に生まれた偶然に平然とアグラをかいている気がして、
大変に心地が悪い

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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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