自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
それぞれ違うよね、たぶん
「理科」って言うと、学校科目だろうし、
「科学」って言うと、最先端の科学・技術全般を指すだろうし、
「研究」って言うと、実験して考察して論文書いてって行為の総称だろうし
「理科離れ」が本当に「科学離れ」なのかは考えねばならないことで、
今の「理科離れ」対策は概ね「科学離れ」対策の様相
でももし「科学離れ」なんて起こって無くて、
単に「理科離れ」なのだとしたら、
色々と対策が変わってくると思われる
ぶっちゃけ、
子供の半分ぐらいは「理科嫌い」だと思うんだよなぁ
今も昔も、ね
たとえば、
「理科の教科書」は見るのも嫌だけど、
「科学番組」を見るのは大好きな子供なんて、
結構な人数いるんじゃないかな
一方、
「科学が好き」って一心で理系に進んで沈没する人も多いと思う
沈没するのが高校なのか、大学なのか、大学院なのか、は色々あるだろうけど、
「科学が好き」ってのは「よくわからないけどスゴイ」みたいな、
一種の憧れのような感情であって、
また「もっと知りたい」という情熱であって、
「ちゃんと理解できる」能力とは無縁なものだと思う
実際、
「科学の魅力」を理解できるぐらいまで成熟した年代(中高生)で、
すでに「研究」に取り組む素養に欠けた育ち方をした人もいると思う
それは持って産まれた能力と言うよりは育ちによるものだろうけども、
はっきり言ってしまえば「もう手遅れ」だとも言える状態にある人もいるだろう
「研究に取り組む素養」ってのが何かは具体的でないけども、
「それ」は確実にあると実感するし、
「それ」ってのは大学院に入ってから身につけようと思っても難しいものだと思う
「「好き」という気持ちさえあればあとは努力で突破できる」という言い分は、
成功者の言い分であって、
できない人には努力したってできない物事ってのはある
そりゃもちろん、
他のことをすべて放棄して血の小便が出るほどに努力をすれば、
ちょっとはどうにかなるかもしれない
でも現代社会でそんな生き方は現実的には難しいし、
そうしたとしても、どうにもならないケースが多いように思う
ミュージシャンや画家なんか、完全にそういう世界だ
研究者だって本質的にはそういうものだと思う
ただ制度上、
学校教育から地続きになっているから、
非常に間口が広くて敷居が低く、容易に業界に侵入できてしまうところがある
つまり、
「努力すれば100点が取れる」という「理科」の延長線上で「研究」をとらえ、
「努力すれば良い研究ができる」という幻想を抱いてしまいがちなだけで、
本当のところはそんなこと無いと思う
長嶋茂雄に、
「あなたはどんな努力をしたんですか?」って聞いても、
「野球が好きだから、えへへ」としか返ってこないであろうことと同じで、
今、研究者をやっている人に、
「どうやったらあなたのようなステキな科学ができる研究者になれますか?」と聞いても、
その回答にはあまり意味が無いように思う
もちろん研究を進めるには努力が必要だけど、
努力だけでは十分でない「何か」が研究には必要だろう
研究で飯を食えている研究者に、
「研究は努力次第でどうにかなる」
「科学を好きな気持ちが大事」
なんて言われても、
ぶっちゃけピンとこない
(もちろん、その言葉を励みに頑張る人は多いだろうから、否定はしない)
やっぱり、
「研究業界への挑戦者」には、
「研究をできている人」の声と同じぐらいの音量で、
「研究をあきらめた人」の声も届けたい
重要なことは、
「研究をあきらめること」と「人生をあきらめること」は全く違うということ
あと、
「人生には研究以外にも、まだ見ぬステキなことがたくさんある」ということ
「理科離れ」が叫ばれる昨今ですが、
「理科」が楽しくって「科学」の魅力に取り憑かれる人は、
1割を超えるぐらいいるんじゃないかと思う
(「科学くん」や「サイエンスゼロ」の視聴率ぐらいはいると推測)
でも、
「理科・科学」と「研究」とはまったくといっていいほどの違いがあることを、
研究業界の側の人間こそがしっかりと認識しておいた方が良いと思うし、
研究業界に入るところでそれをしっかりと伝えることも重要だと思う
まとまりきらなかったけどそんな感じ
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「理科」って言うと、学校科目だろうし、
「科学」って言うと、最先端の科学・技術全般を指すだろうし、
「研究」って言うと、実験して考察して論文書いてって行為の総称だろうし
「理科離れ」が本当に「科学離れ」なのかは考えねばならないことで、
今の「理科離れ」対策は概ね「科学離れ」対策の様相
でももし「科学離れ」なんて起こって無くて、
単に「理科離れ」なのだとしたら、
色々と対策が変わってくると思われる
ぶっちゃけ、
子供の半分ぐらいは「理科嫌い」だと思うんだよなぁ
今も昔も、ね
たとえば、
「理科の教科書」は見るのも嫌だけど、
「科学番組」を見るのは大好きな子供なんて、
結構な人数いるんじゃないかな
一方、
「科学が好き」って一心で理系に進んで沈没する人も多いと思う
沈没するのが高校なのか、大学なのか、大学院なのか、は色々あるだろうけど、
「科学が好き」ってのは「よくわからないけどスゴイ」みたいな、
一種の憧れのような感情であって、
また「もっと知りたい」という情熱であって、
「ちゃんと理解できる」能力とは無縁なものだと思う
実際、
「科学の魅力」を理解できるぐらいまで成熟した年代(中高生)で、
すでに「研究」に取り組む素養に欠けた育ち方をした人もいると思う
それは持って産まれた能力と言うよりは育ちによるものだろうけども、
はっきり言ってしまえば「もう手遅れ」だとも言える状態にある人もいるだろう
「研究に取り組む素養」ってのが何かは具体的でないけども、
「それ」は確実にあると実感するし、
「それ」ってのは大学院に入ってから身につけようと思っても難しいものだと思う
「「好き」という気持ちさえあればあとは努力で突破できる」という言い分は、
成功者の言い分であって、
できない人には努力したってできない物事ってのはある
そりゃもちろん、
他のことをすべて放棄して血の小便が出るほどに努力をすれば、
ちょっとはどうにかなるかもしれない
でも現代社会でそんな生き方は現実的には難しいし、
そうしたとしても、どうにもならないケースが多いように思う
ミュージシャンや画家なんか、完全にそういう世界だ
研究者だって本質的にはそういうものだと思う
ただ制度上、
学校教育から地続きになっているから、
非常に間口が広くて敷居が低く、容易に業界に侵入できてしまうところがある
つまり、
「努力すれば100点が取れる」という「理科」の延長線上で「研究」をとらえ、
「努力すれば良い研究ができる」という幻想を抱いてしまいがちなだけで、
本当のところはそんなこと無いと思う
長嶋茂雄に、
「あなたはどんな努力をしたんですか?」って聞いても、
「野球が好きだから、えへへ」としか返ってこないであろうことと同じで、
今、研究者をやっている人に、
「どうやったらあなたのようなステキな科学ができる研究者になれますか?」と聞いても、
その回答にはあまり意味が無いように思う
もちろん研究を進めるには努力が必要だけど、
努力だけでは十分でない「何か」が研究には必要だろう
研究で飯を食えている研究者に、
「研究は努力次第でどうにかなる」
「科学を好きな気持ちが大事」
なんて言われても、
ぶっちゃけピンとこない
(もちろん、その言葉を励みに頑張る人は多いだろうから、否定はしない)
やっぱり、
「研究業界への挑戦者」には、
「研究をできている人」の声と同じぐらいの音量で、
「研究をあきらめた人」の声も届けたい
重要なことは、
「研究をあきらめること」と「人生をあきらめること」は全く違うということ
あと、
「人生には研究以外にも、まだ見ぬステキなことがたくさんある」ということ
「理科離れ」が叫ばれる昨今ですが、
「理科」が楽しくって「科学」の魅力に取り憑かれる人は、
1割を超えるぐらいいるんじゃないかと思う
(「科学くん」や「サイエンスゼロ」の視聴率ぐらいはいると推測)
でも、
「理科・科学」と「研究」とはまったくといっていいほどの違いがあることを、
研究業界の側の人間こそがしっかりと認識しておいた方が良いと思うし、
研究業界に入るところでそれをしっかりと伝えることも重要だと思う
まとまりきらなかったけどそんな感じ
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