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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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 土曜はブーマナとサシノミ
人生の不安などを聞いてあげる優しい後輩を演じてきました
途中から聞いてませんでしたが
新装開店の「ぷぅ」はあいかわらずナイスクオリティで素晴らしい
レバーおいしいよ
いいよいいよ


日曜は国際村で若手連合会のようなものがあるというので参加
生化とか脳科学とか天文とか、そんな感じで幅広く(?)集まっていた
学生が多く皆さん意欲的な感じで非常に結構なのですが、、、、
思ったことを率直に書きますと、
---みんなプレゼンが下手すぎる
研究発表では異分野交流という部分が考慮されておらず専門的すぎるし、
意見・活動発表はスライドはキレイなんだけど中身が伝わってこないし、
時間の使い方や話の流れが微妙
テクニックの問題ですが他人に何かを伝えようという集まりなんだからその辺りはしっかりやらんと
準備の時間が無くて使い回しなのかもしれないけど、
聞き手あっての話し手ですからね
---方向性が見えてこない
もちろん会としての方向性は後付けでもいいんだけど、
個人的な思惑を明らかにすることを躊躇しているように見えるし、
議論のための議論、集会のための集会になってしまっている印象も受けた
---若手ということの意義付けの曖昧さ
若手のうちから色々なことを考えて動いている、というニュアンスは少し的外れな気がする
それだったら「大人になった時にちゃんとすればいい」わけで、
大人のやることに背伸びして取り組んでも仕方ない
等身大の若手であることにどういう意味があるのか、という方が重要ではないか
あまり「事業仕分けの当事者としての若手」というスタンスには賛同できない
と、
辛口批評してみましたが、
最初に書いた通り、意欲的な人が集まってるのはすごく良いことだと思います(皮肉でなく)
すでに詳細を忘れ始めていますが、
イワサキさん、コデラさん、オカムラさん、婚活さん、シキュウナイマクの人、宇宙線の人、など、
多士済々な場の雰囲気は良いものです
今後もキープインタッチでいきたいものです


月曜はヨメサービスデー
注文していた家具の組み立て設置(一部届かなかったけど)や掃除片付け
昼過ぎに家を出て両国でドラゲー観戦
内容はこれまでに見た中でも最悪で、
盛り上がらないNOAHの武道館よりも盛り上がってなかった
対角線から走ってきた曙を地獄突きで仕留めるブッチャーに萌えまくりでしたが、
盛り上がったのは本当にそこぐらいで、
あとは、なんだかなぁ、でした
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同期の畏友・山口飛鳥が強烈なエッセイを公表している 

科学者と一般市民との意識の乖離を叫び、
象牙の塔からの自主的な脱却を標榜している、
現在の科学コミュニケーションの潮流に対する強烈なアンチテーゼが胸に響きます
あえて過剰なまでに難解で格調高い文章を書くことで、
東大・博士・学者というものの矜持を訴えたのでしょう


あるいは誤解を受けかねないこの行動に敬意を表するとともに、
アスカ君への尊敬の念をあらたにしたことをここに記しておきます




 ちょっと自己嫌悪モードでしたが、
自己嫌悪とは逆説的な自己陶酔なので、
早く離脱せねばならぬわけです

ちゃっちゃとapplication formを書き終えてしまって、
実験に移らねば
航海前に基礎実験出来る状態にして引き渡す!
媚びないと決めているのだから、
頼るのは良くないじゃないか

それは態度が違うだけで、
要するに同様に甘えてるじゃないか

そんな当たり前のことを昨日痛切に感じた

苦役を可能にするのは報いである

生存可能なだけの食料が与えられ苦役に従事させられる環境は耐えられない
しかし、
苦役をすれば生存可能なだけの食料が与えられる環境であればがんばれる

成功体験とは、
苦役が報いに繋がった経験
苦役の先の報いを具体的に想像する力を養うこと

この世に報いがないと感じることを絶望という
しかしこの世に絶望した人でも、
この世の苦役が来世の報いとなると信じればがんばれる
多くの宗教は来世の報いを説く

新興宗教などに多いパターン
ただ来世で起こる報いを示唆するのみ
あるいは何も無い日常がすでに報いであるとして、
努力を怠ると現在享受している報いさえも失うという論理
宗教家側は具体的な報いを提供する必要がない

旧来の学歴社会は、
学校成績や学歴レベルに応じて報いの可能性を閉じてきた
たとえば高卒では一流企業で勤めて安定と高収入を得ることはできなかった
段階的に小さな絶望をあたえることで、
かえって小さな報いへの到達を容易にしていた
「高卒にしては」立派な給料をもらって良い仕事をしている、という実感

現在は自由競争をうたう
途中の段階的な「ふるい」など無い
しかし個々の能力や評価には大きな差がある
同じ階層にいるモノ同士の報いレベルが圧倒的に異なる
苦役レベルは同じなのに
絶望感が苦役へのドライビングフォースを削ぎとる

不幸を感じた人間の持つ感情は「ジェラシー」と「エンビー」
ジェラシーは他人の幸福を自分も享受したいと思う気持ち
エンビーは自分の不幸が他人にも降りかかることを希望する気持ち
ジェラシーは目的合理的な犯罪を引き起こしうる(上司を殺せば自分が出世できる)
エンビーは目的不合理な犯罪を引き起こしうる(幸福なヤツは死んでしまえばいいんだ)

報いの無い苦役のもたらす絶望感はエンビーを誘発する

格差社会とは、単に現在の経済格差ではない
今後、自分に課せられる苦役に対して適切な報いが用意されているという、
報いへの「希望」が、
現在の経済格差の「正のフィードバック」としてもたらされること

現在の「経済格差」はそのまま「希望格差」である現代社会
「希望格差社会」


格差社会の発信地である「希望格差社会 山田昌弘」を読みました
色々と納得できた


15-16と本郷で研究費の全体会議
あいかわらず何かグダグダ
怒りまくりでした

まとめるも何も、
まとめる方向性についてのコンセンサスがないじゃないか
班単位なのか
大河単位なのか
フィールド/航海単位なのか

それもあやふやなまま、
各々が好きなことを適当に言って、
それに対する批評も無しに、
「ふむふむ」「それも大事ですな」
とか言っててもしょうがないでしょ
どういう風にまとめるかが決まらないと、
今この場での議論の方向性も定まらないでしょうが

個別の案件についても、
健全な批評精神というか、
仲間なんだからこそ、同一研究対象だからこそ指摘しなきゃいけないことがあるでしょ
ただ単に、
「私たちはコレコレをしました」「アレソレをやるつもりです」「一緒にやりませんか」
って文化祭じゃないんだから、
と思って大変にイライラしたわけです


「たとえばお店でおいしくないコーヒーを出されたとする。誰かがおいしいと言うと、次の日もお店の人はそのコーヒーを出す。本当のことを言うことが大切です」 イヴィツァ・オシム


なんていうようなことで、
耐えきれなくなってイライラにまかせてガンガン発言したんですが、
イライラにまかせてしまったせいか、
ただ単にボクが文句を言ったというような雰囲気になってしまって、
まぁ文句を言った訳なんですけど、
とにかく真意みたいなものはまったく伝えきれずサッパリだったわけです
自分に反省
そして一部の大人には大変に失望です

帰りに同身分者同士で反省会
やはり声を出せないだけで色々と思うところがあることを確認

やはりココでも問題なのは、
仮面の使い分けなのですよ

一研究者なのか、それとも計画の参画者なのか、
一つの研究(論文)としての方向性か、研究計画の方向性か、
もちろんそれぞれがそれぞれに両方の側面を持っているんだけど、
場面場面で使い分けなきゃいけない
そういう意識を持っていないのか、
わかっててやらないのか、
やっているつもりなのかは知らないけど、
全然うまくいっていない


ダメだ
まだ怒りが冷めてないから文章がトゲトゲしい
これ以上書くのは危険だ

ちなみに初稿はこの下のリンクの中にありますが、
本当に単なる罵詈雑言でした



前節からは、エスクデロが抜けて達也が入った浦和
フォーメーションが4-2-3-1から4-4-2になったことよりも、
やはりエスクデロがいなくなった効果が大きい
パスが回る回る
停滞する部分が無いから攻撃もシンプルに前に進めるし、
守備でも前で取ってすばやく仕掛けることができる
特に阿部と細貝のダブルボランチがするどく飛び出してボール奪取するから、
獲った後の攻撃にすごく厚みがある
エジもパスサッカーが楽しいようでポストして軽く散らすのが良い
かえって柏木が前節よりも目立たないぐらい
なんでエスクデロを先発から外したのかフィンケの意図はわからないが、
このサッカーができるなら期待は大きい

FC東京は徳永のボランチがある程度メドがたってきた感じはするが、
やはり本職と比べると見劣りが・・・
北斗の縦の仕掛けは魅力があるんだけど、
平山との噛み合わせがいまいち
石川梶山米本の全快が待たれる
しかし今野のディフェンスはすごい
バランスも見れるしアタックもかけられる上に足元にも不安がない

今期は審判が手の使い方を厳しくしているため、
競り合いでプレーが止まるのが本当に残念
森重が退場になってしまっては勝ち目がない
平山もカードもらってた
カードはケガに直結するプレーか、
あるいは得点に直結するプレーだけにしてほしい

10人になっても攻め抜いた城福さんには敬意を表するが、
これで勝てなかったとなると今期の優勝は厳しくなってくる

科学技術に「関心」最高の63%…内閣府調査 読売

 
「理科離れ」って言葉が、
学界(学会じゃなくてね)で問題として取り上げられて、
アウトリーチだサイエンスコミュニケーションだなんだと騒いでいますが、
それがどうしたって話ですよ
別に世間の関心としては「科学技術離れ」なんてことは起こってないのです

実際に起こっているのは、
高校進学時の「理系選択離れ」なんです
これが大学進学時の学部選択につながり、
ひいては研究室への流入ポテンシャルの低下につながるのですが、
それは「科学技術離れ」という部分とは別の問題によるものなのですよ

トリビアの泉が高視聴率だったことからもわかるように、
「役に立たない知識」としての「科学技術」には今も昔も関心があるんです
ただ、
自分が飯を食うタネという意味で、
「理科なんて役に立たない」
とジャッジされているわけです
それだけのことなんです
それはたとえば、
因数分解を知らなくても「金儲けはできるでしょ」ってことで、
アボガドロ数を知らなくても「就活で困らないでしょ」ってことなんだと思う

要するに、
「そんなこと知ってても科学者にならない限り自分の得にならないじゃない」
という意識が、「理科学習」から心を遠ざけてるんです

理科離れの解決法は、
「世の中で大事な事ってお金だけじゃないよね」
ってことの浸透だと思うんです

とにかく、
「理科って面白いでしょ!」
っていくら主張しても、
「面白いことはわかってる」んですよ
でも「だからなんなの?」なんです
だからそういう方向のアウトリーチってのは、
まぁやることはそれなりに重要だとは思うんだけど、
でもそれで研究をする時間が潰れていくのはどうかと思う

良い研究をして新聞報道されるのが手っ取り早いアウトリーチですよね

まとまらなかった・・・

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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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