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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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誕生パーティーをするのが,よくわからない。何がメデタイのか。何を祝っているのか。その日が「誕生日」であることだけを理由に祝っているのだとしたら,それは単なる「記念日厨」の発想だ。「1つ歳を重ねる」というならば,数え年文化を念頭におけば,正月を祝っていることがそれにあたるんじゃないか。

いわく「だって子供が喜ぶじゃない」。それは物事の前後が逆でしょう。子供を喜ばせるために企画しているのが誕生パーティーなわけで,子供が先天的に誕生パーティーを好きなわけがない。子供にとっては理由なんて何でも良いことで,単に好きなものが食べられて幸せな感じの雰囲気に包まれれば,それは喜ぶに決まっている。

じゃあ毎日そんな生活を心がければ良いじゃないか。毎朝毎晩「この世にうまれておめでとう/ありがとう」と言って暮らせば良い。毎日三食おいしいケーキを食べ続ければ良い。24時間部屋の中を飾り付けておけば良い。そうしない理由はない。

「毎日じゃ意味が無い。感動が薄れる。稀にある特別な日であることが重要」ということであれば,別に誕生日である必要はない。正月でも良いし,毎月1日でも良い。ことさら「誕生日」に紐付けする理由はない。

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まぁそういうことを考えてきた中で,実際に自分の子供がいて,その誕生日を祝う様子などを見ていると,本当に悪影響しか見えてこない。一ヶ月前から自分の誕生日に向けてカウントダウンをして,「ああしたい,こうしたい,ああしてほしい,こうしてほしい」と延々言い続けている。自分が祝われる立場であること,皆が自分を祝福することを,当然のものとして考えている。

これが「愛されて育つ」ということなのかもしれない。誰もが自分に対して善意を持っていると信じて疑わない心の醸成。仮にそれを究極の目的として子育てをしているのであれば,その一貫として誕生パーティーを企図しているのであれば,皮肉ではなく「本当にうまくできた仕組みだなぁ」と思う。でも,たぶんそうじゃない。

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昨夜は言葉の通じない団地の子供達を招待したこともあって,負の側面がすごく顕著に出現した。それを目の当たりにして,やるせない気分になった。

まずパーティーをやるので来て欲しい,と伝えるにあたって,相手の意向を把握することができない。「バースデイパーティー,カモン」と言い捨てるだけ。言われた側からすれば,理由もなく断るわけにもいかないだろうから,当然来てくれる。でも実際のところ,どう思っているかはわからない。言葉が通じないから。

実際,昨日きた子達は相当にとまどっていた。言葉の通じない家庭に呼ばれたが,頼りになる他の大人はいない。たとえば4歳児の悪ガキはケーキを食べなかったが,どうやらケーキが好きじゃなかったらしい。それは英語を喋れる最年長に通訳をしてもらってわかったこと。なんだか気まずい雰囲気になって(でもうちの子供達だけは多幸感でハイになっていて),結果的にケーキを食べて日本のお菓子を渡して30分も経たずに解散した。

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もう誕生パーティーはやりたくない。一日一日を元気に楽しく過ごして,素晴らしいことをしたら最高に祝われて,ダメなことをしたら叱られて,それだけで十分じゃないか。それが「誕生したことを祝う」ことじゃないか。

「無条件に祝福される場面がある」という感覚を持ってほしくない。何も成し遂げていないのに祝福される感覚を抱くのだとしたら,それは麻薬と同じだ。誕生パーティーは大人が子供に与える麻薬だ。すべての責任は大人にある。

もし誕生パーティーをするのであれば,単に「おめでとう,おめでとう」と言うのではなくて,お祝いに来てくれる皆に対して感謝することも,同じぐらい強く伝えるべきだ。
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