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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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議論のフェーズにあって結論を求めたり、結論を出すフェーズにあって議論を続けたり。そういう状況に陥ることが、よくあります。陥っているのは私個人ではなく、属している集団が、ですね。

以前、同僚とああでもないこうでもないと話をしている時に「ちょっと待って。話についていけないよ」と言われました。そして続けて「みんながキミみたいに、視点を動かしながら考えられるわけじゃないんだから」と言われたのです。なるほど。

視点を固定してグーッと深く考えていくことと、視点を動かしてバーッと立体的に考えていくこととは、違うことですよね。ボクは圧倒的に『バーッと系』の考え方をするので、『グーッと系』の人からすると、話が飛びすぎてまとまりがないように感じるのでしょう。逆にボクは『グーッと系』の考え方に対して、こまけぇなぁと感じるわけです。

心理学者の友人が『特性』という言葉を教えてくれました。いまググると「特性とは、個人の中で一貫して出現する行動や態度の傾向」だそうです。なるほど。

議論ができない人、議論ばかりする人。結論が出せない人、結論を急ぐ人。そういうのは、学習して身につけるような能力とは別の、人としての特性の影響もあるのでしょう。いずれにせよ、自分の特性については、把握していたいものです。

好/嫌。巧/拙。善/悪。この3つの軸で自分の特性を評価して、身を置く場や従事する行為を選択できることが、人生のコツなんじゃないでしょうか。短期的に自分のことを考えると、好きなことをやっているのが気分が良い。でももしそれが不得手なことで、不得手なことで困ってしまうなら、中長期的には気分が良くない状況に陥ってしまいます。この辺りはサジ加減が必要なのでしょう。

たとえば趣味では、好きが大事で、拙くたって構わない。ボクの場合だとサッカーです。やっている間の気分が良い。上手ではないので、レベルの高すぎるところでプレイすると楽しめない状況にもなってしまう。もちろん巧くなりたいけど、巧くなる必要はないので、ほどほどに出来れば十分です。

たとえば仕事では、好きでなくても、巧くできれば高評価が獲得できる方が望ましい。ボクの場合は、研究とか航海計画とかです。『バーッと系』の考え方をする研究者というのは意外と少なくて、『バーッと系』の業務を請け負うことで周囲からの評価が得られています(いちおう査読や各種審査に通って会社で出世もしています)。しかし好きなわけではなくて、感情労働は本当に滅入るし、同位体比なんて何でも良いやんけと日々思っています。

しかし趣味でも仕事でも『悪』であると感じていることに従事するのは、気分が良くないですよね。そこは避けたい。Don't Be Evilです。

議論をすることそのものを『悪』と感じることはない。でも結論に至ることを目的としない議論には『悪』を感じることがあるし、議論を尽くさずに結論を出すことにはより強めの『悪』を感じる。ただそれとて常に『悪』なわけではなくて、議論する間でもなく結論が出せることもある。

いずれにせよ、自分の特性を把握できていない状態で議論を展開されると、付き合うのにほとほと疲れてしまう。自分の好きを拙い論理でデコレーションして主張するヤツとか、得意の論理展開を駆使して嫌いなことを否定するヤツとか、ですね。さすがに「それ、単にアンタが気持ちよくなりたいだけやん」と直球を投げ込むのは控えていますが、なんというか、疲れます。

つい悪感情の方向に話を進めるのは、ボクのもっとも良くない特性であります。
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