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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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申請書にとりかかるのにウンウンうなるのは,
やることが決まってないか,
ストーリーが決まってないか,
どっちかなんだけど,
それを自己診断するのがなかなかに難しい。

アカデミックライティングの「砂時計」型で言うと,
一番大きなところのGeneralがぼやけているのか,
一番狭いところのSpecificがぼやけているのか。

今はどっちなんだろうか。
どうしたもんか。

もうそんなに時間はないのだけど,
書きだしたら一瞬で勝負を決められる気もするので,
もうちょっと悩もう。
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4月24日(木)
同僚から相談。
共同研究関係での言い分の不一致から,
噂話が拡散して云々というような面倒くさい案件。
25時まで。へろへろ。

4月25日(金)
普通に起きて朝から出勤。分析計の設定変更など。
昼過ぎに帰宅して準備して出発。
池袋東横インにチェックインして西武池袋1530集合。
IJRさんとKNKさんとその友人と連れだって西武ドーム。
AEイベント初日,1900開演,2100終演。
2230池袋で居酒屋,2500頃就寝。

4月26日(土)
6時起床で幕張メッセ。ニコ超一日目。
隣のブースでエビ中。
1300離脱,1500西武ドーム。
AEイベント二日目。良席。
1600開演,1830終演。
東横インを捨てて帰宅。
2300就寝。

4月27日(日)
6時起床で幕張メッセ。
有楽町からの京葉線東京駅。たしかに近くて早い。
ニコ超二日目。開場前にうろついて,しゃち発見。
開場後すぐ,DDTブースの男色ディーノのトークイベント乱入。
1300離脱。西武池袋1410集合。
AEイベント三日目。良席。
1600開演,1830終演。
池袋で飲んで,KNK氏と東横線で帰宅。00時就寝。

4月28日(月)
6時起床で出勤。マスの様子確認など。
岩石破砕実験本番。昼サッカー。疲労困憊。
1930資源飲み。00時就寝。

4月29日(火)
午前中いっぱい就寝。
午後はJ1観戦。回復を目指す。


*5月の予定
5月1日JpGU。
5月6日までに海外特別研究員書類。
5月7日面接。
5月10日一般公開。
(この辺で帰省)
5月15-17日JTRACK-WG。
5月中旬テニュア審査書類。
5月中旬ドードー論文投稿。
そろそろメタン菌論文が査読バック。
人事評価は社内で行われるので,
「いかに仕事をしているように見せるか」
が重要になってしまうのだろうか。

これが営利企業であれば,
そういうことを続けているうちに経営が危うくなるので,
自浄作用(倒産も含めて)が働くのだろうけども,
役所みたいな場所だと,
何もしなくてもお金は降ってくるわけだから,
加点を目指すより失点を減らすことが大事で,
じっくり考えてピンポイントで働くより,
とにかく体を動かすことで上司に見られることが大事で,
と,
そういうメンタリティになっていくのだろうか。

それに加えて,
上意下達のメンタリティが(悪い意味で)染みついているからか,
自分が上司に見られていることを意識することに加えて,
部下に対して「おれが納得する仕事をしろ」という視線を投げかけがちで,
それが「会社/社会の利益」と整合するかどうかとは完全に別物で,
しかもそのことに何の違和感も抱かなくなってしまう,のだろうか。

まぁそういう分析は良いんだけども,
じゃあそういう人とどうやって一緒に仕事をしていくのか,
ってことが悩みで,
どうしたもんだろうか。

「文脈」が違う人とはコミュニケーションが成り立たないもんで,
あっちに合わせるのはありえないけど,
むこうが合わせてくる,合わさせるのも難しそう。
上司/部下の関係を入れ替えてしまえれば解決しうるんだけど,
まぁそれが一番難しいわけで。

昨日は3件もそういう事項が続いて,
「この会社オワタ,この国オワタ」
という絶望と怒りと悲しみに襲われていましたとさ。
「お前に関係無い」



どんな局面でも,
このコミュニケーションを拒否する姿勢をとられると,
つらい。

殴るでも蹴るでもなく,
銃で撃ち殺すような。

もうその先には何もない。
死と同じ。
そんなお題が出されたものの,
まぁぶっちゃけ,いっぺん一緒に船に乗れば,
「ひととなり」みたいなものはおよそ明らかになるので,
「こいつはアレやな」みたいな判断は,
つまり汚い言い方をすれば「人材の値踏み」は,
早々に済んでしまっているようなもの。
さらに狭くて特殊な業界ゆえに,新規参入障壁もそれなりに高いし。

純粋に科学研究の能力での審査とは違って,
大規模研究計画たる調査航海を取り仕切る能力ってのは,
頭脳的な意味の能力よりも,はるかに人間性が重要な要素で,
それも一般的な「良い人/悪い人」という意味ではなく,
「硬軟織り交ぜて」「調整と独断を駆使して」仕事を進められるとか,
そういう部分が問われるものだと思う。

なので,
オジサン達が「がんばれーがんばれー」と言ったからといって,
あらたにそんな能力が開発されるってのは,
正直,あんまり期待できないだろうねぇ。

とはいえ,とはいえ,
そうやって「若手の育成」みたいなことに心血を注がんとするオジサンがいることは,
そのコミュニティの若手にとっては,
大変にありがたいことだなぁ,と感じるわけです。


???「世界の金はすべて俺様のものだ!」
???「世界の金をすべて持ってこい!」

XXX「地球にはどれほどの金があるのでしょうか?」

???「それを調べるのもお前たちの仕事だろうが!」

XXX「は,はい!」

以下,地球化学
まったく大丈夫な時と,全然ダメな時がある。

1: お酒を飲みながら水を飲まない
2: お酒とともに炭水化物を摂取しない
3: お酒を飲んだ後に入浴・水分補給・ベロ磨きをしない
4: ウコン系を摂取する
5: 寝起きに入浴しない
6: 朝ご飯に油系/乾き物を摂取する
7: 日中の水分補給が不足している

など。

逆に言えば,これらを毎回ちゃんとせねばならんということで。
ホテル連泊中(たいてい学会中)の飲酒と対策については万全にせんと,
これから先の人生,大変だ。

90日期限いっぱいまで使ってしまった。
(はじめの60日は何もしなかったんだけど)

こういってはなんだけど,
やっぱりガッチリ勉強した分野じゃないと,
自分の中にあやふやさが残ってしまって,
どういうことは自明で,
どういうことは言及すべきなのかとか,
そういう次元で勝手がわからない。

初めに投稿したものと比べると,
Discussionパートは完全に別物だけど,
それを査読者がどうとらえるかは,
もうあちらの問題なので,
次の返事がくるまでは別の論文にとりかかっておこう。


論文の状況
・メタン菌培養(通称コバヤシ論文) 再投稿中(2月14日からUnder Review)
・表層(通称ナリタンセイ論文) 改訂投稿中(4月15日投稿)
・インド洋熱水(通称ドードー論文) 初回共著者回覧まであと少し
and more


うちの会社ではヒラ研究員に求める業績が,
「年平均1報でもB評価なー」
という水準であるという噂が流れて,
みな戦慄している状況ですが,
今のところB評価以上のペースで続けられている(ニヤリ)
若いころに、誰に教わったのか忘れたけれど、
 ケンカするときの心得として、
 「ドアを閉め切ってやっちゃいけない」と言われた。
 「たとえ、こっちがどれだけ強くても、
  相手の逃げ場をなくさせるようなやり方を
  しちゃぁいけない」ということだった。
(中略)
逃げ場を奪った戦いは、比喩的な意味でいうのだけれど、
 「相手を殺してしまう」ということがあるのではないか。
 勝つだけでよかった、あるいは、
 敗けないだけでもよかったかもしれないケンカが、
 相手のすべてを消してしまうようになったら、
 それは、もう、望んでいたものではなくなる。
(中略)
誰も生かさない戦いになってしまうように思うのだ。
(中略)
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
模擬的な戦いとしてのスポーツって、あってよかったよね。
@gaou_akさんの2014年4月13日22時頃の一連のツイート

======================
科学とは、真理を探究するための《方法》である。だが、一般の認識で言えば、科学とはそこから得られた体系化された知識や経験、あるいは技術の総称であろう。ここがSTAP騒動における科学者と一般市民との認識の大きな違いとなっているように思われる。

科学の根底は科学的方法にある。仮説を導出し、それを綿密なデータによって検証し、報告し反証を待つ。非常に回りくどく遠回りな方法だが、少なくと現時点で人類が知を得て智を創る過程で一番確実な方法ではある。科学は科学的方法に基づくから科学なのであって、そうでないものは科学ではない。

データを持って仮説が証明できないけれど、その現象は存在する、という言い回しは科学的方法に基づいていない。よって疑似科学である。これは明確に科学の否定である。現象の有無ではなく、その方法自体問題であることを我々科学者が再重要視しているのは、それが科学の礎だからである。

だから、道を誤れば、いや、正直なところ残念ながら道半ば既に誤っていると思うが、日本の科学は終わる。

科学的方法に基づいていなくても現象があるという言説を信じる一般市民。それを指示する発言をする文部科学大臣(来歴者含む)。方法の問題解決の前に検証を重視しているように見える理研。国、市民、組織、その多くが今科学という営みから逸脱しようとしている。

一人の科学者として、日本の科学が窮地に立っている状況を身震いするほどの恐怖感を持って傍観している。繰り返すが、科学的方法をとらないなら、即ち科学は死ぬ。
======================

・科学の根底は科学的方法
・科学は科学的方法に基づくから科学なのであって、そうでないものは科学ではない。
・科学的方法をとらないなら、即ち科学は死ぬ。


あらかわさんの危機感は深く理解できる。
そしてこれは,この国の科学者の少なくない人々が,
科学というものと向き合わず,また伝導してこなかったためであって,
つまり,この国の研究・教育が,延々と,組織的に,目をそらしてきたことだということも。


科学は方法であり,
科学は価値判断に大きな影響を及ぼすが,
科学それ自体は価値判断を示すものではない。

科学は,正しく利用することで多大な威力を発揮する。
科学がそこにあっても,正しい判断がないと威力は発揮されず,
また判断そのものは科学的ではない。

科学と,そうでないものと,
両者に担うべき範疇があって,
互いに影響を及ぼし合いながら,
互いに相反することなく,
しかし両者を不可分とせず,
一個の人間の中に同時に存在させることが,
大事なことなのかもしれない。
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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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