自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
この震災にあっても、
スーパーや配給に列をなし、
暴動が起こらないことについて、
世界から「さすが日本」と賞賛がよせられているという
冷静な判断としてほめられているようだ
しかしボクは、
必ずしも「冷静な判断」で列をなしているわけではないと思う
むしろ「判断」ができないから並んでいるのではないか
その顕著な例は、
首都圏およびその以西でおいても見られたトイレットペーパーの買い占めであり、
また、ボク自身が震災のその日に駅で目撃したタクシー待ちである
計画停電に対しての備えが、
なぜトイレットペーパーなのだろうか
もちろん、
トイレットペーパーは腐らないし、
ティッシュの代わりになるわけだから、
たくさんあっても困らない
一方、
最悪、家のトイレットペーパーが無くなったとて、
水があれば手で拭けば良いわけで、
命に関わるような生活困難には至らない
そう考えれば、
今の状況で買いだめをする理由はない
ではなぜ買いだめをするかと言えば、
要するにこれはオイルショック以来のお家芸で、
「危機=トイレットペーパー」の図式がこびりついているだけで、
その緊急性や必要性などは二の次なのだ
そういう、理屈の通らない買い物であっても、
日本人は列に並ぶことを辞さない
思考停止・判断放棄の一例である
震災の日のタクシー待ちについては以前書いた
停電による電車停止を受けて、彼らは列をなしていた
その待ち時間は6時間超という人もいた
日も落ちて小雨が降り出し寒くなり始めた20時頃の時点、
停電の復旧見込みはなく、
道路は信号停止による渋滞でピクリとも動かない状態だった
それでも彼らは並び続けた
胸を悪くしてうずくまる女性がいても、
「大丈夫?」と声はかけても、列からは離れなかった
遅々として進まぬ列、ほとんど戻ってこないタクシーに対して、
「どうなってるんだ!」とやる人も多かったが、列は離れなかった
列の前後で会話をすることも少なく、
行き先ごとに分乗することも無く1人ずつ乗っていた
凍え震える人々に、
「今日はあきらめて温かい所に移って、明朝帰りましょう」
と呼びかけても、応じる人は少なかった
「今日中に帰りたい」
「歩きたくない」
「ここまで並んだんだから」
理由はそんなだった
決して世の中で言われているような、
「並んだ方が結果的に全体がスムースに動くことを知っている」
などという様子はなかった
要するに彼らは、
停電という危機にあっても、
その現実を受入れることなく、
思考停止・判断放棄状態に陥っていたに過ぎない
平常時の思考ロジックなのだから、
平常時のように振る舞うわけで、
列に並ぶし、暴動も起こさないのは当然である
むしろ、
前後の人で相談しての乗り合いや、
暇つぶしに喋ったり励ましあったり、
そういうことをせず、
決して列から離れないという様子は、
親しくない人間と接することに対しての過度の不安と、
未知の相手に対する猜疑心が透けて見える
緊急時においては、
「遠くの親戚より近くの他人」
「やらぬ善よりやる偽善」
であって、
今その場にいる人間だけで問題を解決するしかない
そういう思考へのシフトをする柔軟性がまったく欠如している
今回明らかになったのはそういうことであって、
非常時においても日本人の行儀が良いことは、
決して誉められたモノではないと思う
緊急時に自分の保身だけを考えているという意味では、
暴動という激しい行動も、
猜疑心から身を固める静かな行動も、
どちらも同じレベルでクソッタレなのである
そう思った
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スーパーや配給に列をなし、
暴動が起こらないことについて、
世界から「さすが日本」と賞賛がよせられているという
冷静な判断としてほめられているようだ
しかしボクは、
必ずしも「冷静な判断」で列をなしているわけではないと思う
むしろ「判断」ができないから並んでいるのではないか
その顕著な例は、
首都圏およびその以西でおいても見られたトイレットペーパーの買い占めであり、
また、ボク自身が震災のその日に駅で目撃したタクシー待ちである
計画停電に対しての備えが、
なぜトイレットペーパーなのだろうか
もちろん、
トイレットペーパーは腐らないし、
ティッシュの代わりになるわけだから、
たくさんあっても困らない
一方、
最悪、家のトイレットペーパーが無くなったとて、
水があれば手で拭けば良いわけで、
命に関わるような生活困難には至らない
そう考えれば、
今の状況で買いだめをする理由はない
ではなぜ買いだめをするかと言えば、
要するにこれはオイルショック以来のお家芸で、
「危機=トイレットペーパー」の図式がこびりついているだけで、
その緊急性や必要性などは二の次なのだ
そういう、理屈の通らない買い物であっても、
日本人は列に並ぶことを辞さない
思考停止・判断放棄の一例である
震災の日のタクシー待ちについては以前書いた
停電による電車停止を受けて、彼らは列をなしていた
その待ち時間は6時間超という人もいた
日も落ちて小雨が降り出し寒くなり始めた20時頃の時点、
停電の復旧見込みはなく、
道路は信号停止による渋滞でピクリとも動かない状態だった
それでも彼らは並び続けた
胸を悪くしてうずくまる女性がいても、
「大丈夫?」と声はかけても、列からは離れなかった
遅々として進まぬ列、ほとんど戻ってこないタクシーに対して、
「どうなってるんだ!」とやる人も多かったが、列は離れなかった
列の前後で会話をすることも少なく、
行き先ごとに分乗することも無く1人ずつ乗っていた
凍え震える人々に、
「今日はあきらめて温かい所に移って、明朝帰りましょう」
と呼びかけても、応じる人は少なかった
「今日中に帰りたい」
「歩きたくない」
「ここまで並んだんだから」
理由はそんなだった
決して世の中で言われているような、
「並んだ方が結果的に全体がスムースに動くことを知っている」
などという様子はなかった
要するに彼らは、
停電という危機にあっても、
その現実を受入れることなく、
思考停止・判断放棄状態に陥っていたに過ぎない
平常時の思考ロジックなのだから、
平常時のように振る舞うわけで、
列に並ぶし、暴動も起こさないのは当然である
むしろ、
前後の人で相談しての乗り合いや、
暇つぶしに喋ったり励ましあったり、
そういうことをせず、
決して列から離れないという様子は、
親しくない人間と接することに対しての過度の不安と、
未知の相手に対する猜疑心が透けて見える
緊急時においては、
「遠くの親戚より近くの他人」
「やらぬ善よりやる偽善」
であって、
今その場にいる人間だけで問題を解決するしかない
そういう思考へのシフトをする柔軟性がまったく欠如している
今回明らかになったのはそういうことであって、
非常時においても日本人の行儀が良いことは、
決して誉められたモノではないと思う
緊急時に自分の保身だけを考えているという意味では、
暴動という激しい行動も、
猜疑心から身を固める静かな行動も、
どちらも同じレベルでクソッタレなのである
そう思った
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