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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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5月11日(木)
09:35 LH1185 チューリッヒ〜フランクフルト
窓から地表がよく見えた。内陸の短距離フライトは窓側が良い。
フランクフルトでソーセージ&ビール&シャワー。

12:10 NH204 フランクフルト〜羽田
24時間前チェックインで無事にプレミアムエコノミー。空席チラホラ。
一度目の食事がなぜか自分だけ配られなかった。
食後の飲料配布の時に気付いてもらえるまでメニュー表を持って待ってた。
ほぼ寝られず。
映画『恋妻家宮本』『夜に生きる』『いまを生きる』
ビデオ『Jリーグなんたら』『プレミアリーグなんたら』


5月12日(金)
06:35 羽田着
通信用プリペイドSIMを購入して京急。
07:40追浜バスに少しだけ間に合わずタクシーで出勤。
日本に落とす荷物と,スイスに持ち帰るAmazon購入品の整理。
09時出勤の同僚と,今年度採択の科研費の打ち合わせ。

10時に同僚の車で職場を出て葉山自宅。連続排水の除湿器を階段にセット。
11時にトンカツ屋でカツ丼。昼サッカーにも参加(食後&寝不足で吐きそう)
所内で資源成因・資源環境・概算要求・同位体分析など打ち合わせ連発。

18時バスが(一般公開対応者のためか)満車で断念。
同僚の車で送ってもらう最中に飲み会の存在を知りそちらに合流。
おいしいビールの一次会,泣いて飲む二次会。
終電を逃したが夜のうちに川崎まで移動してチェックイン。京急Exイン。


5月13日(土)
08時頃起床。それほど悪くはない体調。松屋で牛丼&温玉。
部屋に戻ると一気に二日酔いが襲ってくる。身動きとれず。

12時半に池上・久松温泉で友人の海外赴任壮行会。
12時開始予定で15人ぐらい参加の予定も自分が3番目。
主賓も13時過ぎ到着というゆるい感じで。しかし苦しくて飲めず。
16時前に後ろ髪をひかれる思いで途中離脱(カラオケまで行きたかった)

17時前に東大山上会館。恩師退職祝賀パーティー。
当然関係者が多数集まるので,開始前にババッと各種打ち合わせをする。
『伝説の男』堤眞と再会。
30km先の海で風呂代わりに泳ぐ,サクラを眺めて自転車で180km走るなど。
68歳(のはず)だが言動がまったく変わっていない。頭も身体も元気いっぱい。

18時恩師祝賀パーティー。
関係者が多数すぎるので恩師とは喋れずじまい。
ひたすらブリの刺身を食べ続ける。
二次会で隣の席に座って,ずっと聞きたかったことをいくつか。
 ・恩師の恩師(初代教授)が海洋化学をはじめた経緯(自分のルーツ)
 ・別筋の恩師(2代目教授)に対する思い
 ・色々やってるがどの研究が先生にとって「会心の作」なのか
 ・やはりチョキだけは別格なのか
などなど。
大筋は思っていた通りだったが,細かいところが先生独特の感覚で,面白かった。
アマピーとお喋りしながら帰路。
ここにきて回復模様なので川崎で壱角家。
ここにきて時差ボケなので26時頃まで眠れず。


5月14日(日)
朝はリンガーハット。
新入り外国人従業員(トルコ系?)にパートおばちゃんが指導している。
グローバル化ってのはこういうことなんじゃないかと思ったり。
部屋でゆっくりして10時前にチェックアウト。

川崎中央郵便局から前日着ていたスーツなどを実家に送付。
スーツケースを持ったまま葉山自宅へ。除湿器の稼働状況確認。正常。
葉山のローゼンでスイス地元の日本時妻への土産ラーメンを大量購入。
スーツケースに詰め込んで羽田へ。13時過ぎにチェックイン。
羽田国際線ターミナルのラーメンフードコート的なところ。
これまた従業員が外国人。
ムスリムかもしれないけど,豚骨チャーシューメンを作るのは良いのか,とか考えたり。

15時にメイルが入り,横浜でExポスドク女史とお茶。
人生相談的な会話。
任期付職と妙齢女性,研究テーマの取捨選択と人間関係,人生哲学の確立,など。

19時過ぎに横浜ヨドバシ地下で高級親子丼,それほどおいしくない。
羽田に移動してラウンジ潜入。
同世代の某スーパー研究者と遭遇。ちょろっと話す。

00:50 NH203 羽田〜フランクフルト
5時間ぐらい眠る。
映画『Hidden Figures』よかった。
あとはバラエティなど流してボーッとしつつ。
フランクフルトでの入国。
スイスの滞在許可証でEU Citizenラインから入国できるのか試すの忘れてた。
ラウンジで焼きソーセージとビール。

07:40 NH6249 フランクフルト〜チューリッヒ
日本の雑誌を読んでたら隣席のオバチャンに「それどうやって読むの?」と聞かれる。
トラム〜Kloten〜S7で自宅まで。1008着。
昼食後,泥のように眠る。
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友人(研究者)を訪問するプチ旅行。子供一人連れ。

飛行機もあるし電車でも色んなルートがありえるが,一番安い方法を選択。
スイス国内でジュネーヴGeneveまで移動し,フランスSNCFのTERでリヨンLyonまで。
Zurich-Geneveが往復89CHF(子供はKiner Ticket入手済みなので無料)。
Geneve-Lyonが片道42EUR(大人1名 6歳1名)。
いずれも当日購入。

4月27日(木)
地元駅07:23発でZurihHBへ。HB08:03発でGeneveへ。がら空き(子供遊び場車両無し)。車内でホットドッグ食べてる時にケチャップこぼした。

GeneveでSNCFに乗るのはSBBと同じ駅の7-8番ホーム。券売機で購入後,パスポートコントロールを通過して待合室。フランス側には売店皆無でWifiもない。ギリギリまで越境しなければ良かったと後悔。

TERは片側廊下で8人個室の車体。相部屋がいなかったのでノンビリ過ごす。シートのクッションが切れているなどやや汚い。同路線にTGVも走っているが,料金が割高。TERでも不快でなかったしトイレはキレイだったので問題なし。SwisscomのプリペイドSIMは,フランスでも使用可だが割高。基本は機内モード&Wifiで使用。

Lyon Part-Dieu駅に到着後,駅前で問題無く友人と合流。まずは観光市場(Les Halles Paul Bocuse)へ。その後に街のパン屋。とにかく安い。パン・オ・ショコラが1EURぐらい。エスプレッソが1~1.5EUR。チューリッヒの半額。ローヌ川の川べりで昼食。

大広場(Place Bellecour)で一旦おわかれ。広場の北側から南側へとブラブラと歩いてPerracheからトラムT1でENS de Lyonまで。ラボのお茶部屋にオジャマした後にスーパーで買い出しをして友人宅。元気な子供達と一緒に夕飯。クネルQuenelle。

11時半に子供が就寝して,そのままだらだらお喋り。親・夫婦・男女など様々な人間関係について。

4時前に就寝して7時過ぎに子供に起こされる。8時過ぎに朝食クロワッサンをいただき,子供をピンポンに送っていく間に自宅Wifiを借りてメイル確認。寝不足と飲酒でお腹の調子が悪い。

一緒に出て西側の旧市街へ。移動中にピットインして緊急用のストッパを投入。

ローマ劇場Teatres Romainまでケーブルカーで登って,ノートルダム大聖堂からLyon全体を遠望。

昼食はBouchon Le Laurencin 。リヨン料理Lyonnaise cuisineという分野がある。リヨンサラダ(ポーチドエッグとベーコンがたっぷり),牛の胃tripeのトマト煮込み(柔らかく煮えている),クリームブリュレとエスプレッソ。子供用のハンバーグにも焼き加減を聞かれる。

サンジャ教会Saint Jeanを見てからPart-Dieuに移動。出発時に間違って購入したチケットの払い戻し。英語があまり通じず,なんとなくウヤムヤになったが損はしなかった。電車待ちの間,お茶をしてお別れ。

14:36発。中央通路の4人ボックス席。子供は寝不足から寝っぱなし。10分遅れで出発して10分遅れでGeneve到着。12分の乗換時間ではタッチ差で間に合わず(他にも同じ状況の人が多数)。30分後の電車を待って帰路。車内は混雑も何とか座れた。20:38地元駅。Mega Kebabによって帰宅。
幼稚園が春休み(4月後半の2週間)だというのにスイスに寒波がやってきてチューリッヒは氷点下で強風で降雪もあるという週間予報。家の中に数日間もガキンチョどもと一緒に閉じこもるなんてもう発狂しそうなので,急遽スイス南方のイタリア語圏Ticino州に二泊三日の家族旅行(これまた発狂しそう)を組んでみた。

言葉など街の雰囲気もイタリアっぽいのだけど治安やサービスはスイス水準なので大変に好印象。風景がどことなく日本ぽい(山の植生かな?)。しかし日本からスイスに海外旅行へ行くとして『スイス感』があるかと言えば微妙なところである。


4月18日(火)
電車は大人2人往復で140CHF。時刻指定で安くなるチケットもあったが,子連れなので不測の事態に備えて通常料金で(SBBのindividual)。ゴッタルドトンネルGotthardtunnelが開通したので,時間も短縮し,揺れも少なくなって,Ticinoへのアクセスは格段に向上している。

ベリンツォーナで乗り換えてLocarnoへ。少し街を歩いてから湖畔のレストラン。Ristorante-Pizzeria La Tegola。アンチョビのピザ(ナポリ?)がおいしかった。

店を出てAsconaまでテクテク歩く。子連れで1時間ぐらいかな。

14時頃にHotel Mulino Ascona到着。5人1部屋があって,キッズプレイスペースがあるということで選択。可も無く不可も無く。隣に公園と学校があって,子供はそこで遊べた。Ticino州内の公共交通機関の無料パスをもらえた(ホテルの料金に含まれていたみたい)。

湖畔を通り抜け丘を登ってParco Parsifal, Monte Verità公園へ。登りがきつく途中で道に迷ったので疲労困憊。

夜はバスにのってLocarnoのRistorante Campagna Trattoria。Forcaという謎の肉料理を堪能。一号が疲労困憊の体調不良だったので早々に宿へ撤退。就寝。


4月19日(水)
ケーブルカーとロープウェイでカルダダCardadaに登ってから,下りハイキング。Locarno駅前に出るコースを選んだが,足場も視界も悪くあまりよくなかった。昼食もとれずじまい。Asconaに戻るバスの中で3号が嘔吐。ハイキングの間ずっと背負子に乗っていて体が冷え切っていたのが影響したかも。

Ascona湖畔でパニーニとビールとリヴェラ。高い。南端の公園で少し遊ぶ。

夜はホテル最寄りのOsteria Ticino。キッズメニューのリゾット,ボロネーゼ,カルツォーネなどすべて美味。ハウスのロゼワインも美味。全部で80CHFと安い。素晴らしかった。


4月20日(木)
Ticino州の無料パスでルガーノLuganoまで行けることが判明したので移動。駅から湖畔まで歩いて,街の肉屋(Mion Frutta e Verdura SA)でパンとハム各種を買って湖畔で食す。ハムおいしい。

湖畔を歩いて南下し,ケーブルカーに乗ってサン・サルヴァトーレ。360度展望。景色キレイ。遠くにはミラノが見える。

降りてバスで街に戻って16時頃にSBB乗車。地元まで戻っていつものMega Kebabで締め。
そのままなんだけどもグーグルアカウントの無料分(17GB)がGmailだけでパンパン(>16GB)になってきたので,破綻する前に手を打つことにした。カネで解決というのがもっとも早いのだけれども,それもちょっと違うなぁと思って,別の手を考えてみた。以下は覚え書き。

1.グーグルで2個目のアカウントを作成
2.メイル:旧アカウントへ転送しているメイルを新アカウントへの転送に書き換え
3.メイル:旧アカウントから新アカウントへ転送開始
4.メイル:旧アカウントの「連絡先」のみをインポート。
5.カレンダー:[.ics]形式でエクスポート&インポート
6.サイト:権限者に新アカウントを追加,権限を移行,旧アカウントの権限を削除
7.Scholar:旧アカウント公開のまま(各種サイトや共著者などリンク維持のため)
8.Scholar:新アカウントは非公開で同情報を入力(検索&サジェストのみで運用)

あまり大した作業はしていない。
アカウント切替も簡単にできる(Firefox for MacとAndroid)。
ラクチンかも。
しばらく様子見。

追記(4月7日)
8.メイル:フィルタを旧アカウントからインポートした。
1号が幼稚園から泣いて帰宅した。半べそとかじゃなくて,顔を真っ赤にしながらグッとこらえて家まで辿り着いて,それが決壊しかかってボロボロ涙が出て,でも大泣きするのは堪えて,という様子だった。自分の子だとかを抜きにしても,大人として,胸が痛い。

帰り道で,同じ団地の悪ガキ(同世代の男児と女児。両親とも現地人)から,脱いだ上着でバシバシ叩かれたらしい。悪ガキどもは遊び半分というか,からかっているというか,まぁイタズラのつもりだったんだろう。上着だから基本的には叩いても痛いものではない。しかし何度もバシバシやられると,数回はファスナーの金具など固いモノがあたり,猛烈に痛い。そんな経験は自分にもあるから,1号の報告を聞いていて,ただただつらかった。

一緒に通園している別の女児(A嬢。ママはアジア系)は不思議ちゃんキャラなのだが,1号のやられている様子を見ていて,ママに報告したらしい。「ワタシは何もできなかった。どうしたら良かったの?」と。それでママと一緒になって,お菓子とおもちゃの詰め合わせを作って,うちに遊びに来てくれた(我が家は1号慰安旅行に出ていたが戻ってきたところで出会えた)。

A嬢ママを通じて,A嬢の見ていた様子を聞く(1号の申告通りだった)。そのまま外でしばらく遊んで,その後はじめてウチの中まで来てくれて,晩ご飯になってママが迎えに来るまでしっかり遊んでいた。1号もすっかり気を取り戻した様子で,晩ご飯を食べて,お風呂に入ってとしていた。

突然,家の呼び鈴が鳴った。悪ガキ男児がパパに連れられてやってきた。パパ曰く「本当にすまなかった。謝らせる。」。それでシュンとしてしまっている男児も謝罪の言葉を述べて,握手して,帰っていった。どちらかと言うとパパが息子に怒っている様子だった(このパパは日頃から息子に厳しいと感じているので印象通り)。

つづいて悪ガキ女児がママに連れられてやってきた。こちらのママは,先週ボクが誤って怒らせてしまったママさん。ママ曰く「たくさん叩いたみたいでごめんなさいね。そちらも叩いたみたいだからお互い様よね。これでノーサイドね。」。ボクは立ち会っていないのだけど(3号のウンチ処理をしていた),ヨメ氏が言うには顔を引きつらせてイヤイヤ謝っている様子だったらしい。悪ガキ女児の方も,ママと同じような感じで,いちおう謝って握手して帰っていったらしい。

どうやらA嬢ママから悪ガキ両親に連絡がいったらしい。そしてその後,またA嬢ママから話を聞いていると,どうやらA嬢が団地キッズの中で不思議ちゃん的な振る舞いをするのも,悪ガキ達となじめない(同じような目にあっていた,の隠語か?)から,1人で遊ぶようになったことが原因みたい。

ということで約一週間にわたって団地キッズファミリーとの軋轢があったが,最終的に起こった明らかな事実としては「第三者が見ているところで悪ガキが身体的暴力をはたらき」「両親がそれを把握し親子ともども謝罪した」ということ。言葉の壁などがあって疑ったり疑われたりとかいうグレーゾーンが続いていたが,それを突破したところで決着(?)がついた。1号は,親のピリピリ感とか,わざわざ謝罪にきた事の重大さを感じているようで,団地キッズと距離をおいて(でも通園など必要な時は無視したりせず)付き合っている。


1号は,叩かれて堪えていたのも含めて,親のワガママで異国に連れてこられた中で,本当によくやっていると思う。日本にいれば明日から小学生になる歳だが,卒園式や入学式,小学1年生1学期が無いことを補ってあまりある経験と成長をしてくれているのではないだろうか。本を読んだり数字を理解したり,そういう目に見える能力では18ヶ月後にうまれた2号の方が現時点で格段に優れているが,1号には他人と共生していける希有な才覚があるように(曇った父の目からは)見える。外ではガマンしてしまう性格なので,父という存在を,精神を解放させられるような相手として認識して育っていってくれれば良いなと思っているところである(現状はうまくいっているが数年たてば,ねぇ)。
我が家のガキンチョの所業の積み重ねにより,団地において完全なるトラブルメーカーとして認定されておる様子である。

うちのガキンチョは地元の団地キッズの中では年齢が低い。言葉も(ガキンチョどもは通じていると言うが)それほど通じていない。しかし地元キッズにベッタリ甘えているので,おそらく団地キッズとしては迷惑な存在なのであろう。

当初は優しく接してくれていたが,一緒に遊ぶことが増えた頃から,あるいは簡単な意思疎通が出来るようになってきた頃からか,わりと明確に面倒臭そうな態度であしらわれている。それはウチのガキンチョどもが遠慮しなくなってエスカレートしている部分と,団地キッズがうちのガキンチョに飽きてきた部分と,両方があるのだろうけども。とはいえ,複数の家庭で一緒になって遊んだりはしている,というのが今の状況。

数日前,団地の小川で遊んでいた際に,団地キッズが「水に入れよー」とガキンチョをけしかけて,ガキンチョが水に入ってずぶ濡れになった,ということがあったらしい。ボクが見に行ったのはすべてが終わった後だったけど,たしかに団地キッズは濡れていなくて,ガキンチョはずぶ濡れだった。それだけのことなんだけども,ガキンチョに言わせると「入りたくなかったけど言われたから水に入った」ということだった。その時にはヨメ氏と「いじめというか,からかわれているのかねぇ」という話をして,その時はそれで終わった。

それで昨日。また小川で遊んでいたらしい。その流れで,なぜか知らんが,ガキンチョが団地内の茂みにウンチをしたと,団地ママ1から言われ,あわてて対処をするべく家から出て現場に行った。とりあえずウンチは片付けて,その場でガキンチョと話をした。その間に,団地キッズのほとんどは家に帰っていった。うちのガキンチョが言うところには「今日も水に入れと言われた」「本当はイヤだったけど入った」「そこでウンチをしたのは,家に帰ると言ったが帰らせてもらえなかったから」とのこと。

ボクとしては,これはまぁ半分本当で,半分言い訳なんだろうな,ぐらいのつもりで受け止めていた。そこに団地ママ2があらわれて,残っていた自分の子供を連れて帰る様子だった。だからちょっと話を聞こうと思って話しかけた。

「ガキンチョが,本当は水に入りたくなかった,と言ってるんだけど,何か知ってる?」と聞いた。いま思えば,これは聞き方が大変まずかった。団地ママは「strange」と言った。ボクは「ボクもstrangeだと思っている。でもガキンチョはそう言ってる。事実を知りたいんだ。何か知ってる?」と言った。すると団地ママは強い口調で「ガキンチョは先日も喜んで自分たちから水に入って遊んでいた。入らせたくないなら自分で監視するべき。我々のresponsibilityじゃない。」と言い放ち,帰っていった。

団地ママの言うことは大変にごもっともで,ボクもそう思う。直接見てもいないのに,自分の子供の言い分だけを聞いて,よその子供を疑うような言い方をするのは,大変よくない。ボクのクセで,まず事実関係とか聞き取りとかをして十分情報を集めてから何があったのか考えたいので,つい聞いてしまったのだ。でもこの場合,「聞く」ということそのものが「疑いを投げかける」という意味にとられることに対して,あまりに無頓着だった。


それでまぁその場はもうオシマイなんだけども,家に帰ってから悶々と悩んだ。あと4ヶ月暮らさねばならぬ団地で,団地キッズ達と完全に決裂してしまうのは,ガキンチョにとっても親にとっても,絶対に避けたい事態である。言葉の通じない相手と遊ぶというのはガキンチョにとってまたとない成長機会だ。

茂みでウンチをするというのが,コチラの人にとってどれほどの悪行なのか,ちょっとわからない。立ちションレベルすらしない国柄なのか,はたまたノグソも余裕なのか(もちろん団地内では御法度であろうが,たとえばハイキングの時にとかそういう意味合いで)。また「子供がやったこと」について,「子供がやることは仕方が無い」となるのか,それが「親の教育/監督が行き届いていない証拠だ」となるのか,その辺りも不明だ。これが日本であれば,大体の線引きというか,この辺まではオッケーかな,みたいなのがわかるのだが。

また「子供同士の人間関係」について,親がどのように関与していくのが「ノーマル」なのかがわからない。4-10歳ぐらいの子供達が団地で遊んでいるところで,親がそこにいて見ていることが,どういう意味を持つのだろうか。すでに団地ママと一悶着あった上で,これからボクが子供の遊びを見ているとしたら,それは団地キッズにとって「監視されている」というイヤな目線になりはしないか。はたまた,これでもなお見ていないとしたら,団地ママに「トラブルを放置する迷惑家族/教育放棄」と受け取られるのか。

そもそも「人前で自分の子供を叱ること」とか「子供に対しての叱り方」とか,どういう振る舞いがコッチの人々にとって虐待と受け止められるのか・しっかり教育していないと受け止められるのか,そういうのもサッパリわからない。さてさて,どうしたものか。

目の調子が悪い。日本から戻って特に気になりだしたが,もしかしたら日本に行く前から悪かったかもしれん。

症状は,比較的近いところを見た時(たとえばラップトップの画面を通常の距離感で見る時)に,左眼の視野の中心がぼやける。遠くを見る視力は問題無い。遠くを見ると,相対的に視野の中心というのが気にならないからかもしれん。

元々,左眼がよく見えて(2.0),右眼があまり見えない(0.1)。ラップトップの画面は,右眼の視力でキレイに見えるギリギリの距離。調子の良い時は右眼と左眼でうまく橋渡しができて,近いところから遠いところまで問題無く見える。しかし疲れてくると焦点が合わなくなることはこれまでにもママあって,近くも遠くも二重に見えていた。今回はそれのすごいヒドイバージョンみたいで,ラップトップの文字が全然見えない。

あ,でも今いろいろと見てみたら,単純に左眼で近いところが全体に見えにくいだけかもしれん。だとすると,元々の遠視に加えて老眼がはじまっているということだろうか。それは困った。

日本眼科学会>一般のみなさまへ>目の病気,を素人ながらに調べると,症状は「中心性漿液性脈絡網膜症」に近いかもしれん。30-50代の働き盛りでおこる,ストレスが原因,ステロイド剤の副作用と,すべて当てはまる。

しかし目の充血,ゴロゴロ感もあるので,アレルギー性結膜疾患かもしれん。日本に帰ったせいで雑草(ぶたくさ?)や花粉のアレルギーが出ているという可能性は大いにある。

いずれにせよ,目が見えにくいというのは,文筆業のようなモノである研究職にとっては大変つらい。とはいえ,極端に近づいたり離れたりすれば十分に読み書き可能なので,あまり視力を言い訳にせず,仕事をせねばならぬ。

なおこちらの病院にかかると日本の保険で云々という面倒が生じるので,今のところ通院はしていない。いよいよヤバければ,5月の一時帰国時に眼科に行こう。最悪7月末の本格帰国まで放置しても,将来的なダメージという意味ではさほど差はないだろうから。
年度末の定期点検停電の対応と,定年退職する恩師からの遺言拝受・遺産相続のために出張帰国。
出張日程が決まってから様々な予定がモリモリと入った(入れた)。



3月1日(水)
朝出発準備。
もうスイスで使わないモノと日本の親族への土産を詰めて,大型スーツケース2つ分。

13時頃 自宅出発。チューリッヒ空港のスイスラウンジでだらだら。17時から夕食でタイカレーが出てきた。うまし。
18:35発19:35着 NH6100 チューリッヒ - フランクフルト
15分しかなかったけどもシャワーで保湿体制を整える。

20:45発16:15着(翌日) NH224 フランクフルト - 東京(羽田)
「鹿島Jリーグ制覇への道」みたいな30分動画に続いて,
「CWC決勝 鹿島vsレアルマドリー」の日テレ版をフル観戦。
2時間ほど眠る。
「この世界の片隅に」視聴。すずの怒りポイントはすんなり入ってきた。
自分にはコントロールできないことでも,周囲がそれで良いと思ってやっているからと受け入れてきたのに,実はそうでもなくて,「なんや!そんな程度に考えとったんか!そんなやのにガマンさせられとったんか!」という感じで。知らんけど。



3月2日(木)
羽田から京急川崎へ。東横イン京急川崎に投宿。
驚くほど寒い部屋。廊下よりも寒い。部屋にキッチンがあって換気扇があるせいかも。
暖房をかけてもドンドン冷えていくので,もうこれはたまらんっといったぐあいでフロントへ。
「仕様です」ということでガッカリ。
今後の予定とキャンセル料を考え,最後の1泊だけ変更することに。

近所にあるヨドバシアウトレットでプリペイドSIMを購入。
設定するも,なぜか全然つながらない。何度確認しても問題無い。
よくよくパッケージを見ると,有効期限が切れていた。
店員に言って別メーカーの新しいモノに代えてもらって,無事つながった。
7days-1GB-2500JPYが相場のよう。
「メイルとツイッタの確認」「暇つぶしの2ch」「使わない時は切る」で1GBは問題無くクリア。

到着後のホテル・SIMに加え,川崎の小汚さにもやられる。
本屋で立ち読みの後,ラーメンを食べて就寝。
部屋が寒すぎてしっかり眠れない。とはいえ飛行機の分も取り戻す程度には寝た。



3月3日(金)
朝ご飯は川崎の吉野屋。
新逗子経由で葉山自宅。
空気の入れ換えをして,荷物をドロップして,スーツ一式を回収。
同僚に迎えを依頼していたが,別の同僚への連絡と行き違いになり待ちぼうけ。
ブッキーのワゴンに荷物を詰め込んで職場まで。

10時から航海打ち合わせ。5月の航海で自分は乗らないけど,影の首席なので。
メイルやスカイプでは声を上げない人々の考えていることなどを聞く。
大筋でこちらが考えていたように進めて行けば良さそう。一安心。
今回の出張費の出本である部署の事務部と,自分の身分がある部署の事務部に土産と土産話。
いろいろとお世話になっておりますので。

昼はサッカーをしたかったが,シャワー室改装中かつシンポジウムで不在者多数のため,無し。
居室に戻って同僚とお喋り。こちらもシンポジウムで不在者多数。
ラボに移って機器の対応をしつつお喋りを続ける。
機器運用の方針について。新手法開発が先か,既存手法での試料処理が先か。など。

さらに同僚と打ち合わせ。自分と同じ制度で来年度出発するらしい。
海外渡航の是非というか,実際どうなのとか。日本での仕事との兼ね合いなど。
その他,個人的な事柄も含めて,外で海を見ながら話す。
職場内の植え込みが腰ぐらいの高さですべて刈り取られていて不思議に思う。
後から聞くと,今年度の業者は契約満了らしく意趣返しなのでは,と。ホンマかいな。

さらにさらに同僚(兼務部署の上司)と打ち合わせ。
ここまでの執筆状況と,これからの執筆方針について。
アレとコレは切り分けて,コレとアレはマージして,など。
研究内容に加えて人間関係も考慮せねばならぬのが大変だが,これもどうにかなりそう。

打ち合わせが長引いたので,遅刻して「囲む会」へ。追浜うれたの。いわゆる「川口軍」。
二次会は文庫の「ぷう」。少しメンバーに入れ替わりあり。
川崎への終電で店を出たが「もう少し話したかった」と言われては仕方ない。
追浜の同僚宅で3人飲み。気付いたら5時半。
這々の体で川崎に戻り寒い部屋で7時頃に就寝。
10時頃,フロントからの「掃除入って良いですか?」電話で起こされる。断って再就寝。

12時頃,再起床。池上の久松温泉で12時開始の宴会にちょっと遅刻しそう。
というところで,パソコンが無いことに気付く。職場に忘れたらしい。
松屋で昼食の後,追浜へ移動,無事回収,池上へ。15時過ぎ到着。
2階の宴会場でダラダラ宴会。
社会人になってから(なったことあるか?)職場以外で知り合った人々。
友人という属性以外がまったくない友人なので,ものすごく気楽。
途中で温泉に入って温まり(熱すぎて入れないけどね!),19時に温泉はおひらき。
蒲田に移動してカラオケ。いつも通り好き勝手に歌い踊りまくる。
ドルオタ女性もいたので,ももクロは4曲やったかな?
もちろん2時間では終わらず延長して23時頃におひらき。



3月5日(日)
7時起床。体温があがらない。冷え,飲み過ぎ,食事不足,時差(日本の朝8時はスイス0時)。
胃も固まって動かない。少しゴロゴロしてから着替え。
一張羅の方のスーツは尻がまったくおさまらない。太りすぎた。
予備に持って来たストレッチ黒パンツに一張羅ジャケットのみで出動。

11時,小町通りのカレー屋。自宅の管理をお願いしている同僚と会食。
職場の現状などなど。まぁ良いことはそれほど無いですわな。
12時過ぎに別の喫茶店へ移動。ベトナムコーヒーなど。
14時に同僚2名が合流。危ない政治ネタや社会ネタを大声で。やばいやばい。
披露宴の余興について最初で最後の打ち合わせ。まぁどうにかなりますよ。

15時半,鶴岡八幡宮。舞殿での挙式を見学。久々に会う同僚など。
噂通りに新婦側友人は日本語がわからないメンバーのようで,身が引き締まる。
17時,鶴ヶ岡会館。式に来なかった兄さんと合流。初っ端から研究の話をハイスパートで。
研究が出来る人との会話は細かい部分を飛ばしても理解しあえるのでラクチンだ。
係の人に軽く苛つかれるまで受付前で喋り続ける。

17時半,開宴。あきらかに新郎の趣味が満載の宴。
出てくる食事がどれもうまい。これはポイントが高い。
余興は「3つの袋」。
ボクはパントマイム,他2名の同僚が英語スライド表示と,それをGoogle翻訳した日本語読み上げ。
お袋・金玉袋・思い出袋。金玉については,親族も外国人もウケていたので,良かった。
披露宴の途中から兄さんが席を移ってきて,また研究の話など。20時終了。

公式2次会がなかったので15人ぐらいでうろつく。しかし店がない。
ひとまず分離して,4名だけになって二次会。職場で接点の少ない変なメンツ。
しかし結婚式の感想など,ゲスの勘ぐりも含めて,おおいに盛り上がる。
22時頃,再合流して三次会。もう一方の部隊にゲス勘ぐりを披露したり。
川崎行きの終電に合わせて解散。タクシーで帰る人と川崎でだらだら飲む。


3月6日(月)
少しウトウトしたぐらいで移動開始。品川でラーメン。
東大柏キャンパス。恩師が部屋にいた。そして訪問することを忘れられていた。
共同研究の都合で名札だけは残るが,本当の本当にキレイサッパリと引退する模様。
ずっとそう言っていたが,本当にそうするんだなぁと。
途中で准教授殿も合流してお話。

来客があったので部屋を出て,別分野で准教授をしている友人の部屋へ。
最近うまれた子供のことで頭がいっぱいの様子。
そして彼の学生で今春に学位を取り,我が社でポスドクをするという人とも。
再度,出身分野のお茶時間に合流して,12時過ぎに帰路。

14時にホテルをかえる。京急Exイン川崎。15時チェックイン。
小説家をしている友人からのオススメ本を本屋で購入した後,就寝。17時に起床。

18時に大田区体育館へ。
新日本プロレス45周年旗揚げ記念日。
「子供の頃親とテレビで見ていた」ぐらいのプロレス知識の同僚と。
よろこんでもらえたようで何より。
すぐに選手名コールをはじめるオッサンのせいで,ジットリした展開が台無しに。
とはいえリング上は充実していましたよ。
本間の頸椎負傷で代打出場した天コジが本間ムーブからの戴冠。
田口とヒロムは(コール親父がいなければ)コミカル〜シリアス〜大技への展開で良かった。
オカダとタイガーWは,オカダがしょっぱいなぁと。

22時終了で部屋に戻って爆睡。朝まで。


3月7日(火)
6時過ぎに起床。7時過ぎに部屋を出て空港へ。
ANAラウンジに入り込み,カレーとからあげ。
これを書いて,そろそろ搭乗。

朝まで飲み,昼から飲み,部屋寒いなどで,フラフラだったが,
京急Exインが素晴らしかったので,今が一番体調が良いかもしれん。
前夜の観戦途中から喘息咳が出始めたが。

予定を詰め込みすぎるのは,もう体力的に限界だ。
次回は5月中旬予定。もっと気楽なスケジュールにしよう。
奥方が実子の教育で「失敗」したと感じている(ネット上での噂では実子との関係が良くない)ことが引き金になって,幼稚園や小学校での管理教育に執着するようになり,夫はそれに従うしかなくなった,という状況なのだとしたら,これまで見えなかった動機としては有力なんだけども。

奥方が滅入っているところに,園の教育運営方針について示唆を与える(宗教団体などの)存在があらわれたら,それに依存してしまうことは大いに考えられる。むしろ夫にせよ妻にせよ,本人が独創的にああいう教育をしようという風には組み上げられないと思う。

幼児教育だけではなく成人するまでドップリと面倒を見て理想の大人に育て上げたいと。実子での「失敗」で負った心の傷をそれでもって癒やすと。そのためには学校を設立する必要があると。という動機がまずあった上で,でもお金がないので・・・ということであれば,動機と行動が繋がる気がする。

政治家はカネをほしがっているように考えられがちだが,それは二次的な要素で,一次的にほしいのは「票」で,それを「買う」ためにカネが必要だということ。だから直接「票」を献上できる団体は影響力あるよね,きっと。

となると第三極がないとおかしいんだよね。「票がほしい政治家」「学校がほしい人々」に加えて「学校が出来ることで政治家に票(カネ)を与えて何らかの利益がえられる人々」が。もちろん不可分に混じり合っているのだろうけども,一体として捉えられるモノではないと思うので。

学校の新設となると,建設に加えて噂のゴミ撤去もあるわけで,建設関係の企業が利益をえるわなぁ。そこに融資する金融機関も助かるわなぁ。これはいわゆる建設業界や金融業界に便宜をはかるという,政治家の一般的なやり方で,見返りは政治家への献金だわな。そうなると3者が輪になって繋がる気がする。

建設関係は「建てたら利益回収でオシマイ」だから学校の運営が怪しかろうが関係無い。金融機関は回収しそこねる可能性もあるわけだが,そこは政治的なゴニョゴニョで補償されるという目算なのだろうか。

学校で育てようとしている人物像は,裏で支援している宗教(的)団体の思想を反映したものだろうけども,初等教育みたいな時間スケールの長いものだけで全員が一致団結するとは思えない。もっと短期的なこと(つまり票やカネ)が関わっていないと,機能しないでしょうよ。

ということで。

学校:個人的なアレ+所属宗教団体としての活動
政治家:宗教団体が票田+建設金融からの献金
建設金融:学校新設で利益
宗教団体:理想の実現のための教育+政治への介入

という4者が絡み合っているのかな,と。
これからますます地球温暖化やエネルギー資源枯渇が問題となってくるので,そういう文脈から地球工学の必要性が強調されてくると思う。「必要性が強調される」ってのはわりと穏当な表現で,要するに「莫大な予算が突如ふってわいてそのバブルに多くの関係研究者が踊らされる」ということです。

たとえば化石燃料の使用で大気中に増えた二酸化炭素を地層中に埋めて温室効果を軽減しようという「CCS」だとか,それの発展系でただ埋めるだけじゃなくて利活用(利用じゃダメなの?)してやろうという「CCS/U」だとか。あるいは成層圏エアロゾルを増やして日射量を減らすだとか,貧栄養海域に栄養塩を撒く(組み上げる)ことで海洋光合成総量を増やして生物ポンプを働かせようとか。



まず地球工学的な取り組みに対しての期待感/嫌悪感がある。かなり大規模に人間が自然に手を加えるということで,科学の勝利的にとらえる向きと,人間の横暴極まれりととらえる向きと,まぁ両方あるでしょう。科学の進歩が生み出した問題をさらなる科学の進歩で封じ込めるのか,はたまた科学は進歩したけども科学を利用することについては持続的撤退を決意するのか。

で「科学の進歩に期待しよう」ということになると,次は地球工学的な取り組みの成否に関する見通しがわかれる。もちろん進めようとする陣営は「いける」というだろうし,情動的あるいは客観的に見る陣営からは「むりでしょ」という声もあがるだろう。地球工学的な大規模な操作で,その成否を的確に予測するのは難しい。この話題で重要なのは「予測の困難」ということを,単に予測精度が低いと考えるのか,それとも予測困難であるということ自体が計画の不十分さを露呈しているのだと考えるのか,ということで。つまり,操作に対する応答を適切に予想できないのに操作するというのは,観察を目的とした科学研究であればいざ知らず,地球環境に対して実施する計画において適切なのだろうか,ということだ。

それでも「やるしかない。やろう。」ということになるとして,じゃあ誰がやるんだ,という問題が起こる。最後に責任をもって「ゴーサイン」を出すのは誰なのかと。これほどの計画であれば国家事業となり国際的な関係も生じるいわゆる政治マターであり,名目上の計画推進者は政治家となろう。しかし計画の実質的中心が科学者であることは間違いない。(これまで生きてきて感じるのは)できるだけ多くの旨味を,できるだけ小さな責任で得たいというスケベ心というのが,大きな計画になると無視できない存在になってくる。あるいは一定以上の権威に任せるという考え方と,そんな計画の成否を見届けぬままいなくなる人に任せて良いのかという考え方と,それもある。これだけの計画を自分の名前でしっかりと引き受けることができる科学者がいるのだろうか。

そういうアレコレを乗り越えて,計画が実施され,さらに成功したとする。となると,計画に参加していない人々は「なんだイケルじゃないか」と考える。「二酸化炭素を出しても地中に埋めればオッケーだね」とか「温暖化が進んでも成層圏エアロゾルで冷やせばオッケーだね」とか。そうして,根源的な部分にある問題(二酸化炭素の放出とか)に対する無責任感みたいなものがより強まってしまう。


など色々とあって,これから地球工学の時代がくる(すでに来ている)のは間違いないけども,じゃあそこで「中の人」として,賛成するにしても反対するにしても,どのような活動・発信ができるのだろうか,と考える。それはたぶん「アウトリーチ」ではないだろうな。
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