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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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よくよく考えたけども,
問題点というような問題はないような気がする。

気になっている点は,
財務状況がよくない
->会員増で会費収入増を目指そう
->パンフや粗品などの制作で支出増
という流れで,
収支があうのか検証がまったく行われていないこと。

他学会との関係性としてブース出展などもしているが,
取り組み自体を否定するものではないが,
これまた検証が行われていないことが気になる。

あとは年会のマンネリ化。
旧来の研究分野ごとをやめて,
研究者が勝手に企画するセッション制をはじめて,
それはそれで好評ではある。
一方で,
内容が重複するようなセッションがあること,
セッション間が断絶しており従来より交流が減った(?)ことが,
気になっている。
大規模研究費グループの集会のようなセッションがあるが,
これを学会の傘の下でやる意義と利点は議論に値するのではないか。

また,
すでにグループを形成している集団でセッションを組むと,
偶発的な拡がりが期待できないという側面もあろう。
各セッションが興味深い非学会員を招待しているが,
プログラムで名前を見ただけでは,
そのセッション以外の参加者にはなかなか引っかかってこない。
というようなことを考えると,
評議員会などが主導してコンビーナーを決めて,
非学会員の招待で地球化学の新たな方向性を探るようなセッションをたてることも,
考えて良いと思う。

個人的には,
学生賞などの懸賞よりも,
他の方策で次世代の人材を盛り上げた方が良いと思う。
じゃあどんな策があるんだと言われると,ないんだけど。

ショートコースと若手会の統合もそろそろ検討せねば。
それぞれに良さがあるんだけど,
付随する問題もあったりして,
(特に学会前後に学生がフラフラすることへの教員の理解)

連合で学会主催のセッションをする際には,
できるだけ学生会員の発表を奨励し,
「非学会員にたいして学生会員を売り込む」姿勢を示し,
学生の知名度向上->ポスト獲得を後押しするのも一計だろう。

これは何度も何度も言ってるけど,
学生会員の学会誌への投稿においては,
格別の待遇を約束すること,
それを現在のような「なぁなぁ」のアングラ方針ではなく,
明確な方針とすることは学会誌を盛り上げていく上で重要だろう。


ということで,
お金を分離して考えても,特に年会を上手に使うことで,
学会組織が会員に対してメリットをもたらす余地はあるように思う。

なんか浅いエントリーになってしまった。
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主戦場としている学会から,
「10年後の学会のあり方を考え必要な提言を」という任務が与えられたので,
あらためて学会についての考えをまとめてみようと思う。
以下,学会とは「組織としての学会」を意味し,
学術集会とは区別する。
 
学会は,大学等の研究機関とは異なり,
研究者個人が任意に集まり機能している集団であり,
あくまで特定の研究分野の同好会である。
 
学会の役割として考えられることを列挙してみる。
1.学術集会の開催(以下,集会)
2.学会誌の編集(以下,雑誌)
3.学会賞等の授与(以下,学会賞)
4.政府行政等あるいは民間との連絡機関(以下,窓口)
5.学生を含む次世代研究者の支援(以下,若手支援)
6.非研究者層への広報啓蒙(以下,広報)
他にも役割があるかもしれないが,
先の2年間の評議員任務で話題にあがったのは以上の項目。
この他に隠れた機能としては,
「学会長経験者」を産出するというのもあるかもしれない。
(社会的に偉くなるには必要?わからんけども)
 
これらの役割を担うため,
会員は年会費を払い,
一部の者が学会役員・委員業務を負担し,
(役員・委員は約30名。総会員数は約1000名)
学会を運営している。
 
ここで早速まとめてしまうと,
良い学会のあり方とは,
「会費あるいは委員業務の負担」に対して,
「学会が担う役割から得られる有形無形のもの」が,
「個別の会員が納得できる学会」という状況なのだと思う。
 
もっとも大きな「納得できない」部分は,
会費がどのように使われているか,だと思う。
現状どのように会費が使われているかは,
ここでは議論せず,
(ちょっと書いて良いのか躊躇する部分もあるので)
先にあげた学会の役割にかかる費用について考えることにする。
 
 
集会の開催には一定規模の費用がかかる。
しかし実際のところ,
集会開催にあたっては会費とは別に参加費を徴収しており,
参加費のみで十分に集会が可能な状況にある。
当学会は会員外でも発表できるので,
会員に対する参加費の割引(2000円? 年会費は10000円)があるとはいえ,
学会本体の会計から分離しても集会の運営は可能だろう。
 
雑誌の運営には多大な経費がかかっている。
しかしここで重要なことは,
「学会が雑誌を持つことの意義」である。
少なくとも,雑誌を運営することで,
その売り上げで学会として収益を得ることは,
学会が雑誌を運営する目的には該当しないだろう。
かつては(特に和文誌は),
会員間の連絡・情報共有を担っていたかもしれないが,
現在はMLがその役割を代行している状況にあると言える。
一方,日本語での総説は卒論修論生にとっては手頃な教科書となり,
教育・育成・啓蒙の点で一定の役割を果たしていると言える。
(これが学会にとって不可欠であるかは,ここでは議論しない)
現状,学会が雑誌を運営する最も大きなメリットは,
学会として編集に影響力を持てる欧文誌を保有する点だろう。
(たとえば研究の競合による海外誌での不当な扱いを避ける)
これを逆に言うと,
雑誌の印刷・販売などは業者に一任し,
学会は編集のみに責任を持つという体制で,
学会としては十分にメリットを享受できるということであり,
会費を雑誌運営に費やす必要はない,ということでもある。
あまり議論にあがらないが,
編集権を上手に利用して雑誌の活動度を上げるなど,
「出版社に利益をもたらす魅力的な雑誌編集」の責任が,
編集権を持つ学会にあることは明記しておくべきだろう。
 
学会賞(功労賞や奨励賞を含む)には,
メダル作成などで一定の会費が使用されている。
しかし賞に重要なのは「受賞」という事実であって,
必ずしもメダルが必要なわけではない。
(賞状ならたかがしれている)
(果たして受賞実績が重要なのか,も議論がわかれるか)
 
窓口業務には会費負担は無いが,
役員・委員が相応の時間を費やさねばならないという意味で,
負担は大きい。
しかしこれについては,
窓口実績(政府系の委員活動など?)が個人の業績になることを踏まえると,
業務負担する研究者個人的にはトントンなのかもしれないし,
学会としてはノーリスクノーリターンなのかもしれない。
その昔は科研費の審査員や細目を決定するのに,
学会が一定の役割を果たしたとかしていないとか。
あるいは特定の支持母体(パトロン)がある学会の場合は,
寄付金などの受け皿としての窓口業務があり,
これは広く学会員全体の利益となっているのだろうとも想像する。
一方,今後この窓口業務が,
中小学会から大規模連合に一元されることが考えられる。
となったとき,
そもそも中小学会には,窓口業務は求められないかもしれない。
 
若手支援は具体的な策が乏しい。
海外旅費援助などがあるものの応募状況は芳しくない。
(10万円の助成に応募が皆無ということもあった)
実際のところ,学生の間は指導教員の支援などもあり,
旅費などを学会としてサポートする必要がないのかもしれない。
学位取得後の若手が望む支援として考えられるのは,
雇用(身分)の保障,就職口の斡旋であろうが,
これは学会よりも個人規模で情報が行き交うことが多く,
学会としてMLでの公募情報案内をする以上のサポートは難しい。
若手会・ショートコースの開催は,
学部生・院生に対して一定の役割を果たしているかもしれないが,
その効果を追跡し評価することは難しい。
開催の人的・経済的負担との比較となるとなおさらである。
 
一般層への広報としては,
Q&Aをウェブサイトに情報を載せたり,
中等教育への講師派遣事業などを展開しているものの,
その数は多くなく,効果も不明瞭である。
またそもそもこういった事業を学会が主体的に実施する必要性を見いだすことは難しい。
受講者の側に立った時,
派遣元の看板はあまり関係なくなるのでは無いか。
学校同士,つまりは大学を通じて活動する方が効率的かもしれない。
やれば良いことは間違いないが,
時間的経済的な制約がある中でやらねばならないかは議論が必要である。
 
ということで,
本当にゼロベースで考えた時,
・年一回の独立採算の集会開催
・学会組織を背景に持たない雑誌編集組織
・諸連絡・情報共有ML
が機能として存在するミニマムな集団で必要最低限は満たされ,
かつその場合,
年会費はまったく必要なくなる。
 
でもそれは「本当のゼロベース」で考えた場合なので,
次回は現状改善にスポットをあてて考えてみる,予定。
ちょっと早いけど総括してしまう。

研究は進んだとは言いがたい。
地震によって出現した仕事を,なんとか消費したような状態。
以前から企画していたものや,新たに企画したようなものは,
結局が手つかずでほったらかし状態。
特に分析関係はまずい。
結局のところ,今は何も分析できないんじゃないか?
震災以降マスが動くことだけは確認したが,
それ以外のテストが何もできていない。
航海の試料もたまりにたまっている。

地震があったことで,
はからずも2011年のテーマであった「研究者の公共性」が問われた。
頭で整理する前に現実が襲ってきたこともあって,
感情をうまくコントロールできなかった。
具体的に書いてしまえば,
地震汁研究のような役に立たない研究を,
放射能マッピングをやるべき時期に実施することが,
自分の中でまったく消化できなかった。
汁研究を正当化する自分への言い訳は用意できたけども,
相対的に見たときに,これで本当に良いのかという点は,
今でも消化しきれてはいない。
自分の力では船舶運航計画を動かすことができない,という言い訳は,
本当に言い訳に過ぎず,
外の世界に対する申し訳なさ,研究者のエゴのエグ味を恥じることとあいまって,
このような研究世界に身を置いていること自体を悩んだりした。
すっかり社会が落ち着いてきた今になってしまい,
その部分を忘れることで研究と向き合うことはできるが,
それはそれで,まったく何の解決もできていない。
2012年以降も地震研究を続けるわけだが,
確たるものを確立しておく必要がある。

昨年末にムスメがうまれ,
物理的にも精神的にも生活が変わるかと思ったが,
地震疎開とその後の調査出張過多があってほぼ別居(単身赴任)であったので,
あまり変わらなかった。
ムスメが言葉を理解しない動物だったときはイマイチ愛情も持てなかったが,
最近になって言葉を理解し,歩き始めたことで,
なんとなくではあるけども,愛情が芽生えてきたような気がする。
2人目が生まれてくる頃にはまた新たな変化があるかもしれない。
子供に対してはこんな感じで今のところ判断がつかないけど,
ヨメに対してはこれまでとは違って,
結構明確に感謝の気持ちを抱くようになったし,
それをうまく表現できるようになってきた。
結婚を決めてから4年ほどが経過したが,
ようやく心を開けるようになった,ということなのかもしれない。
こういうのも「子は鎹」というのかな。

来年の抱負は来年。

月曜朝にイジさんホテル下にいたら,
黒塗りピカピカのリンカーンが迎えにきた。
一路ロスガトス。
新作インターフェースの共同開発の相談をして,
社長の案内で社内ツアー。
N2OのSPは濃度が濃ければもういけるとのこと。
水の17Oも。
対象波長を大幅にずらしたことでO2もいけるらしい。
タイ料理を食べに行ってサンフランシスコに戻る。
夜はイジ先輩の先輩のコイデさんとステーキディナー。
おいしかった。(もちろん高かったけども)

火曜朝,ホテルからシャトルで空港。
ボストンに30分も早く着き,
1本早めのピーターパンでファルマス。
バスでWifiができて便利。
到着も迎えが来ていないので地図に従い徒歩で向かう。
入れ違いだったみたいだが,無事シミズ邸。
翌朝からWHOIでJeffと再会。
バッテリーでランチなどとりつつ,
これまでとこれからの相談。
IRMSは直らない様子なので,サンプルはすべて引き上げ。
これでやることがまた増えた。
夜はシミズ邸でロブスター。
WHOI2日目はNOSAMSの見学。
普通にOpenSplitを通じてキャピラリがAMSに入っていってる。
すげー。
でも,なんか用途あんのかね?
昼はシミズ一家とボストン郊外のアウトレット。
そこから通勤電車で市内に入り,シルバーラインで空港。
ヒルトンに投宿。

翌朝,ボストン空港で,
KAWAHARA氏と間違い発券されるトラブル。
おかげさまで成田で荷物受け取れず。


今回の三週間渡米は,
最初の2件の発表と,
最後の開発・WHOIでの相談は実り多かったが,
ICGG-AGUについては,ちょっと時間をもてあました。
学会というもの自体に興味を失ってしまっているな,と実感。
来年は学会参加自重気味でいこう。
現在渡米2週間目が終わろうとしている
なぜこんなことになったのか,と思いだそうとしても,
なぜだかイマイチ思い出せない
なんとなく今年のAGUには出ようかと思ったこと,
地震ネタを特別セッションで話した方が良いと言われたこと(?),
まぁ色々と思い浮かぶのだが,
決め手は思い出せない
とりあえず自分の中で渡米を決めてしまった記憶がある
その後,米国での予定を考えるうちに肥大化し,
結局3週間にわたる米国遠征となってしまった
出発前にあれやこれやが重なり,
事前の準備があまりできなかったことが悔やまれる

まずは日曜深夜羽田発の飛行機でLAへ
オーバーブッキングでプレミアムエコノミーに回された
深夜発なのに昼間にチェックインしたからかな
いずれにせよラッキー

日曜夕方に到着し,イマチさんが空港まで迎えにきてくれ,
WholeFoodsで簡単な夕食を食べてPasadenaInnで就寝
部屋は適度な広さかつFreeWifiで問題なし
朝ご飯はその場で焼いてくれるワッフルがあったのでまぁOK
ただ朝食会場が外で,寒かったのだけが難点と言えば難点

月曜朝にイマチさんに迎えに来てもらって,
ぽちぽち歩いてカルテク到着
学内を散歩しながら色々話す
ランチタイムセミナーで地震生命圏ネタ
途中ハゲ入道のJohnEiler(47CO2の人)につっこまれペースが乱れ,
練習不足も加わりグダグダになってしまった
質疑の英語が聞き取れなかったのも大変残念
OrphanとSessionsも来てくれていたのに・・・
セミナー後にSessionsを部屋でつかまえて話を聞いてもらったが,
大変いやそうにされた
英語グダグダなのに押しかけてしまっては,そうなるわな
大反省
夜はイマチさんちにおよばれしてターキーなどなどのもてなし
ホテルに戻って就寝

朝4時のスーパーシャトルにて空港へ
SanDiegoまで飛行機
LAX空港はなぜかWifiにうまくつなげなかった
SanDiego空港からはまたスーパーシャトルでScripsへ
InternationalConferenceGasGeochemistry(ICGG)の会場到着
LaJollaShoresHotelにチェックイン
リゾートホテルでネットも快調
値段が高い以外は大きな問題はなし
ICGGはガスといってもほとんど火山ガスで,
しかもやや時代遅れ感があり,
悪い意味で仲間の集会といった印象
(まれにステキな発表もあったが)
発表は直前に,難解な南奄西ネタから平易な伊平屋北ネタに変更したせいで,
イントロと議論がかみ合ってないスライドになり,グダグダ
悲しい
ちゃんと準備しなきゃダメよね
あとはホリグチと語ったり,
サッカー部のホンダさんとサノさんを交え会食したり

土曜朝にヨピコに迎えに来てもらってLAに戻る
Pasadenaの街をブラブラ
米国での生活や現在の状況など色々と話してさっさと就寝
日曜朝も車でLAXまで送ってもらう
次はSFO空港へ

SFOのBART乗り場は大行列
なんとか乗ってAGU会場入り
M2以来で6年ぶりのAGUはさらに規模が大きくなっていた
会期中講演やポスターを見て回るが,
驚くほど凄いのはごく一部で,卒論修論レベルの発表が大多数
とはいえ,凄いのは本当に凄かったので,
そこは勉強になりました
おおざっぱな感想としては,
・大気はエアロゾルと衛星観測
・窒素循環は人気
・温室効果気体のプロセス研究も数は多い
・熱水は弱い
・CCS関係の研究が人気
・東北地震はone of themでしかない
・AstroBiologyは少数
といった具合かしら
研究以外の部分では,
日本で顔を見たことがある程度の人と食事することが多く,
それが良いことなのか悪いことなのかは判断が難しい
コバヤシさんのポスターは盛況で,
良い研究だと言ってもらえた
金曜午後の地震セッションポスターにあてがわれたボクの発表は,
お客さんゼロという結末
何しに行ったんだか・・・

今現地日曜夕方

月曜にロスガトスでレクチャを受け,
火曜に移動
水木はWHOIで,
金曜の飛行機に乗り土曜に帰国予定

土曜に成田からセントレアに行くか横浜に帰るか悩み中


(・∀・)ガリレオ!
( ゚Д゚)ガリレヨー!
(・∀・)ガリレオ!
( ゚Д゚)ガリレヨー!
( ゚Д゚)ガリレオフィガロー!
(・∀・)マグニフィコー
オ━━(・∀・)━オ━( ・∀)━オ━( ・)━オ━(  )━━(Д゚ )━━( ゚Д゚)━━!!
(;´Д`)アイムジャスタプーアボーイノーバディラブズミー
(;´Д`)ヒージャスタプーアボーイフロムポーファムリースペーリンヒズライフロムヒズウォッツコシティ
( ゚Д゚)イジカムイジゴーウィルユレットミゴ
(・A・)ビスミッラッ!
(;´Д`)ノー!
( ゚Д゚)ウィウィルナッレチュゴ
(・∀・)レヒゴー!
(・A・)ビスミッラッ!
( ゚Д゚)ウィウィルナッレチュゴ
(・∀・)レヒゴー!
(・A・)ビスミッラッ!
( ゚Д゚)ウィウィルナッレチュゴ
(・∀・)レヒゴー!
( ゚Д゚)ウィウィルナッレチュゴ
(・∀・)レミゴー!
(;´Д`)ネバネバネバネバレミゴー!
オ━━(・∀・)━オ━( ・∀)━オ━( ・)━オ━(  )━━(Д゚ )━━( ゚Д゚)━━!!
(・A・)ノー!(`Д´)ノー!( ゚Д゚)ノー!(´ゝ`)ノー!(#゚Д゚)ノー!(;゚A゚)ノー!(・A・)ノー!
(・∀・)ママミヤママミヤ
( ゚Д゚)ママミヤレミゴー
(・∀・)ビーヤーズブハズアデボプッタサイドフォーミー
(;´Д`)フォーミー!
(;´Д`)フォーミー!
 
この一ヶ月,
プロジェクトの国内留学で学生を指導したが,
やはり学生の指導は難しい

今回は学生の方からボクを指名してきたこともあって,
・院生は研究者とみなす
・研究者としてやっていけるだけのクオリティを求める
・研究者哲学のようなモノも伝える
という,
自分が「かくあるべき」と思う方法,
つまりはもっとも厳しいやり方で指導をしてみた

ちなみに,
去年からちょいちょい指導している学生の方には,
・(修士卒後就職なので)研究者としてのクオリティは求めない
・修論が書ける程度に実験が進行すれば良い
・哲学的な話は無しでビジネスパートナーとして接する
ぐらいのスタンスでやっている

で,厳しく指導した方だが,
やはり厳しすぎたようだ

最後の方は完全に萎縮してしまっていて,
物事の判断基準が「怒られるかどうか」になっているように見えた
短期的にはこれも成長の糧になるかもしれないが,
たとえば修士の二年間,このストレスに耐え続けることはできないだろう
と考えると,
今回の指導法は失敗だったと結論するべきかもしれない

今回ボクが徹底したことは,
・ボクの方から結論を示さないこと,
・学生の考え方に「なぜそう思うの?」と問い続けること,
・学生が主体的に決断したことは否定しないこと,
だった
ところが学生の方は,
「意見を聞く」と「指示を仰ぐ」の区別が難しいようで,
ほとんどが「指示を仰ぐ」状態になってしまっていた
つまりボクは結論を示さないし,
学生は自分で結論を出して行動しないという,
宙ぶらりんな状況が続いてしまった

「何かをしていたい」タイプの学生にとっては,
「何かをする前に,それは本当にすべき事か考えなさい」という指導は,
手足を縛られたようなもので,
相当にストレスフルだったと想像される

「何かをしていたいタイプ」の学生指導にあたっての考え方としては,
「とにかく色んなことをやらせて,その中でおいおい考えさせる」
という方向性もあるだろう
簡単に言ってしまえば,
本人が得意な方法を採用する「褒めて伸ばす」タイプの指導

でもボクは,
それはあまり教育的でないと考えた
理由はいくつかあるのだけども,
「主体的に判断し,責任を持って行動する」ということを,
明確に意識・自覚させることを重視した

その意図としては,
小学校から続いてきた学生生活と,
社会人になっている年齢である大学院生活を,
「明確な断絶」としてとらえ認識させることを重視したわけである

今回の学生さんは「優秀な子供」ではあったが,
まだ「大人」と呼べないように感じた
(それはほとんどの学生さんに同様に感じるのだけれども)
それはやはり,
「主体的に判断し,責任を持って行動する」という習慣がないからだろう
どこか「指示待ち」だったり,
「こうすれば良いんですよね?」という顔色伺い感だったり,
そういう言動が多かった

もちろん勝手な言動で周囲に迷惑をかける「ダメな子供」は論外だけど,
大学院を出る頃には,
「優秀な子供」から脱却して「大人」になっていてほしいと思うし,
それこそが高等教育機関たる大学が担う教育なのだと考えている

彼自身が教育効果(って言葉は嫌いなんだけど)を実感するのは,
むしろ彼が本籍校に戻った時だろう
本籍校でこれまで一緒に過ごしてきた友人とあった時に,
彼が何を思い,何を感じるか
その時に,
今回の教育効果が明確に現れるだろう
(それが良い方向か悪い方向かはわからないけど)


今回のことは,
もう少しゆっくりと反省して,
あらためて考えたいと思う

他人の研究の目標を聞いて、
「え、それでおしまい?」って思うことが、
最近増えてきた

翻って自分が最近何を考えてるか思い出すと、
もはや自分一人の手では到底負えないような、
時空間的・分野的に広いことばかり考えているな、と
「地震生命圏」も「ナマステ計画」も、そんなスケールの話

要するにヴィジョン先行型で、
具体的な個々の部分をどうやっていくかってのは、
もちろん筋道的なものは持っているんだけど、
それを実際に実施するのが自分であるとは思っていない
そんな状態にある

もちろん、自分では自分の研究をしているのだけど、
たとえば自分とその研究室ぐらいのスケールでやっていたのでは、
到底ヴィジョンを具現化できない
だから良い意味で徒党を組んで取り組むのだし、
ボク自身そっちの方向性の方が性格的に合っている気がしている

ただ、
ボクみたいなポスドク3年目、29歳のぺーぺーが、
壮大なスケールの研究計画を語ることについて、
ちょっとヤベーんじゃないか、と思わないこともない
そう感じる部分があるせいで、
外で話す時にブレーキがかかっていたのかもしれない

でも、昨日話していてスッキリした
やれば良いんだ、と

自分の中で完全なるロジックが組み上がっていなくても、
あるいはキチ○イ呼ばわりされようとも、
「ここがゴールだよ」という話でなくて、
「この方向性の先にゴールがあるだろうよ」というような、
そういう話もしていかねばならないだろう

ボクの脳内にある科学のヴィジョンを、
何もボクが生きている間に成し遂げられるサイズに矮小化する必要はない
むしろ科学のためを思えば、
より多くの人を巻き込んで、
特にまだまっさらな若者にヴィジョンを見せることが、
より良い科学の発展につながるのではないか
(別に発展させたいわけじゃないんだけどもね)
もっと言うと、
「それは短期的には良いかもしれないけどさ・・・・」と思う研究に対して、
オープンな場で、
そう伝えることも、あるいは軋轢を生むかもしれぬが、
必要なことなのかもしれない

そしてそれは、
「あの人はあの時代に、すでにこんなことを考えていたんだね」
という形で評価されるのではないか
(別に死んでから評価されたいわけでもないです。できれば生きている間に・・・)

業績至上主義の昨今の風潮から、
研究をスタートするにあたって、
「プロジェクトの明確なゴール」を見せて研究に取り組むことがもてはやされ、
むしろそれが「良い科学」と考える向きが支配的になってきているが、
その「ゴールの向こう側」に何も無いのであれば、
そんな研究は長い目で科学を見た時にはチッポケな話に過ぎない

むしろ、
「明確なゴール」は無いけども、
「深遠で抽象的なゴール」と「それに向かう明確なディレクション」のような、
そういう研究プロジェクト(研究費的な意味でなく)を発信していかねば

ボクが妥協するということは、
無限の可能性を秘めた無数の若者の芽を摘むことかもしれず、
そう思うと、
もう少しがんばれる気がしてくる

ということで、
気を入れ直してがんばります

ボクは研究では無いところに強い関心があって、
それを達成するためにプロ研究者をやっているから、
「(やりたい研究をしたいがための)手段としてのプロ研究者」ではないが、
「(やりたいコトをしたいがための)手段としてのプロ研究者」ではある
手段としてのプロ

研究者が論文を書くのは、
表現なのか自己表現なのか
表現と自己表現は違う

「せっかくドクターを取ったんだから」って、
一見すごくもっともらしいけど、何の理由にもなってないよね
残虐な回答

研究者は職業的専門家であるから不断の自己批判が必要ということになる
また、
研究内容のみならず、
いや、
むしろ研究者個人についてこそ、
専門的知見・職業的規範に対する厳しい直接的な相互批判が必要ということだろう
社会的共通資本としての研究(者)

アメリカ滞在中に、いわゆるテクニシャンと触れたが、
彼らは完全に月-金の9-17しか働かないで余暇を満喫しているし、
自分の得意な作業をすることで周囲から尊敬を集めているし、
先端の研究に携わっているというプライドみたいなものを帯びていた
そういう生き方も、
学位取得者の生き方として、
ありっちゃありだな、と
ターニングポイント

「研究をあきらめること」と「人生をあきらめること」は全く違うということ
あと、
「人生には研究以外にも、まだ見ぬステキなことがたくさんある」ということ
理科・科学・研究

今の科学はあまりにも細分化し過ぎていて,
今の科学の先端を行こうとすると,
あまりに多くのことから目をそらさなければならない。
そんな行為が,本当の意味で,
人類の役に立つとは,到底思えないのです。
知識人としての科学者を目指す

研究者の場合は、
誰も引導を渡してくれないので、
引き際は自分で決めなければならない
研究者の引き際

研究者ってのは、
プロスポーツ選手とある意味では一緒で、
腕を買われて給料をもらい、
その実力を発揮することで雇用継続を獲得し、
さらなる活躍で栄転・昇級を勝ち取る

しかし違う点もある
研究者は一定の評価を得ると、
あとは衰えようが、実力が足らなかろうが、
定年までの雇用が保障される
(そういう人には保障という言葉がぴったり)
もちろん最後の最後まで実力をのばし、
研究の最前線に立ち続けることも出来る

でも他のプロ稼業は違う
例え一時期、短期的に爆発的な評価を得ても、
実力が伴わなければ淘汰され、減給され解雇に至る

というようなものが見えてきた時、
若手研究者に芽生えるのは、
「なんとか「保障」までがんばろう」
「たぶん「保障」を得るところまでなら何とかなるだろう」
ということ

しかし、
それって本当に意味のあることなのかな、
そこまでしてシガミツクほど、プロの研究者って価値があるのかな、
と思う

ここでもう一度プロスポーツの世界を見てみると、
たとえばモリーニョは選手としては大成していないが、
監督としては世界一と言っていい地位にある
(この例は枚挙にいとまがない)

それ以外にも、
20代前半でプロ選手としては解雇されながら、
その後ブルペン捕手や打撃投手に転向し、
多くの一流選手を送り出した人達もいる
さらにブルペン捕手から再度プロ選手になった人もいる

もう一つ、研究者とプロスポーツとの違いは、
研究者には支配下選手の枠がないこと
このせいで(このおかげで?)、研究者の場合、
「薄給でもいいので雇ってください」
という泣き落としのような芸当が可能で、
比較的容易に(?)雇用を継続してもらうことができる
そうこうしているうちに40代に突入しも、
「それでも好きな研究をしていられるから、ボクはそれで良いんだ」
なんて言うことすらも、ある種、美徳のように受け取る人もいるぐらいで、
何とも牧歌的というか、他人に関心が無いというか・・・

話がだいぶ逸れたけども、
要するに、
研究者の場合は、
誰も引導を渡してくれないので、
引き際は自分で決めなければならない

そう自分に言い聞かせ、
ボク自身、
「もうダメだ」
と思ったら、
業界を去る覚悟です


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HN:
kawagucci
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性別:
非公開
自己紹介:
海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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