自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
子供の頃に学校で第一次産業とかなんだとか習って,
その分類はテストに出てきたと思うんだけども,
分類基準みたいなものがなかなか飲み込めなくて,
なんとなく苦手意識みたいなものがあったことを覚えている。
ものすごく偏った記憶だけども。。。
なのであらためて考えてみた。
自分で考えてみたことなので,
元々の教科書的なクラークの分類とは異なるのだろうけど,
それはそれ,これはこれ。
はじめにまるっと書いてしまうと,
・一次産業:人間が食料を獲得するための産業
・二次産業:一次産業の効率を向上させるための産業
・三次産業:二次産業の効率を向上させるための産業
・以下続く
ということにしてみた。
考え方としては,
人間は食料が無いと生きていけない。
これを逆に見直して,
生きていくのに不可欠なものだけを一次産業ということにする。
だから農業とか漁業とかは一次産業。
一次産業の成否で人間がコントロールできるのは効率だけで,
食料の総量は食料となる生命の繁栄力に依存する。
人間はコントロールできないから,その部分は産業では無い。
あくまで食料を獲得することが一次産業。
つづいて二次産業は,
一次産業の効率を向上させるための産業としてみた。
たとえば農業重機があれば農地面積を拡大できるし収穫も効率化する。
だから,その重機を作る産業は二次産業。
漁業だったら船をはじめとする漁具の生産が二次産業だし,
岸壁の整備も二次産業に分類できる。
車や道路だって人や食料を運搬する効率を向上させるモノだから,
これらの作成や整備も二次産業。
さらに言えば,
天候に強く外敵から襲われない環境の整備(家の建築)も,
生存のための家事負担を軽減させ,
一次産業に従事する時間を増加させるという意味で,
二次産業に分類できる。
じゃあ他の職業が三次産業なんだろうか。
広告とか金融とか人材派遣とかは,
二次産業の円滑化という意味で三次産業っぽい気はする。
でも中間マージンであって産業じゃ無い感じもする。
飲食業や医療に関わる職業は,
どう扱っていいのかわかんないけど,
一次産業や二次産業の従事者が元気になって作業効率があがる,
って考えるなら,
三次産業と呼んでもいい気もする。
と,
簡単にまとめるとこんな感じのことを考えて,
そこを出発点にしてみると,
三つのことを考えることができる。
一つ目は,グローバル経済と国家経済。
「日本はモノ作り立国」とか何とか言ってるけど,
それはつまり二次以上の高次産業のことなわけだ。
でも二次産業は一次産業あってのことだろうから,
じゃあ一次産業はどこにいったのよ,と思い,
それはたぶん輸入なんだろう。
「産業の空洞化」って言葉を使う時は,
「部品と製品化」の分業が国内外に分離することを指すのだろうけど,
「一次産業と二次産業が国内外で分離」することは,
なんて言えば良いのだろうか。
グローバル経済の観点で見れば,国内外に垣根は無いから,
空洞化なんてことは原理的に存在し得ないんだけども,
実際には国家という枠組みで地球上の人類が生活しているわけで,
(今まさに日本と周辺諸島の領土問題が大変なわけで)
国家経済を考えると,
一次産業の空洞化は大変な問題かもしれない。
何が問題って,
食料自体を輸入に頼っていることも大問題なんだろうけども,
それに加えて,
「一次産業なき二次産業」は成立しないわけで,
つまりは,
「一次産業しかない国」と「二次産業しかない国」があって,
グローバル経済でグルグルしている間は問題ないけども,
ある時にそれぞれの国家経済に分断されるとなると,
どっちが生き残るのって,そりゃもちろん前者なわけで,
今なんとなく後者の方が先進的みたいな考えでいるかもしれないけど,
そんなこと全然なくて,
我々が人間で,国家という枠組みで生きている以上,
最低限,人口をまかなうだけは,
国内に一次産業があるべきだし,
その一次産業を支える二次産業も必要だろう。
そのパッケージが国内に整備されていて,
その前提があってはじめて,
残りの余剰人口的な部分で,
三次産業なりグローバル経済なりを回せば良い。
二つ目は,燃料エネルギーや鉱物などの非食料資源について。
こうした資源は,直接人間が食べるわけじゃ無いので,
資源の獲得は一次産業には分類されない。
一方で,
こうした資源は二次産業に不可欠な基礎となっている。
それはつまり,
二次産業より一段低次ということであって,
そうすると一次産業なのか,ということになる。
ボクはこの部分,つまり,
「資源獲得は一次産業なのか」
という問いは,結構重要な意味を持っていると思っている。
今,一般に世間に流通している観念的には,
資源獲得は自然からモノを取り出すという意味で,
感覚的には一次産業ということになっている気がする。
でも,決定的に,
資源は食料では無いし,
二次産業が無ければ無用の長物である。
だから資源獲得は,
二次産業の一部と見なす方が良いと思う。
まぁこの部分の考え方が,
先のグローバル経済と国家経済の部分の要諦でもあって,
難しいところなのだろうけども。
で,
最後の一つは,科学研究は何次産業なの,ってこと。
科学に対する「なんの役に立つんですか」は,
科学研究活動を高次産業として捉えているものだと思う。
たしかに先端的な科学からうまれる技術は,
高次産業にあたるし,
その技術を生み出すための科学は,
その技術より一次分だけ高次な産業と捉えられるだろう。
でも,
技術開発のためじゃない科学は,
どう扱ったら良いんだろうか。
つまり,
超高次産業なのか,否か。
否,というのは,
そもそも産業構造にカウントできないものってことで,
何次産業でもありませんよ,という立場。
芸術関係も,同じようなことを考えてしまう。
ということをボンヤリ考えていたら,
水泳の雑誌で,
鈴木大地と佐藤克さんが対談していて,
そこでの佐藤さんの,
「科学は考え方の幅を広げるもの」
という考えに膝を打った次第。
なるほどね。
(しかしバイオロギング装置でバサロを解析ってのは面白い)
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その分類はテストに出てきたと思うんだけども,
分類基準みたいなものがなかなか飲み込めなくて,
なんとなく苦手意識みたいなものがあったことを覚えている。
ものすごく偏った記憶だけども。。。
なのであらためて考えてみた。
自分で考えてみたことなので,
元々の教科書的なクラークの分類とは異なるのだろうけど,
それはそれ,これはこれ。
はじめにまるっと書いてしまうと,
・一次産業:人間が食料を獲得するための産業
・二次産業:一次産業の効率を向上させるための産業
・三次産業:二次産業の効率を向上させるための産業
・以下続く
ということにしてみた。
考え方としては,
人間は食料が無いと生きていけない。
これを逆に見直して,
生きていくのに不可欠なものだけを一次産業ということにする。
だから農業とか漁業とかは一次産業。
一次産業の成否で人間がコントロールできるのは効率だけで,
食料の総量は食料となる生命の繁栄力に依存する。
人間はコントロールできないから,その部分は産業では無い。
あくまで食料を獲得することが一次産業。
つづいて二次産業は,
一次産業の効率を向上させるための産業としてみた。
たとえば農業重機があれば農地面積を拡大できるし収穫も効率化する。
だから,その重機を作る産業は二次産業。
漁業だったら船をはじめとする漁具の生産が二次産業だし,
岸壁の整備も二次産業に分類できる。
車や道路だって人や食料を運搬する効率を向上させるモノだから,
これらの作成や整備も二次産業。
さらに言えば,
天候に強く外敵から襲われない環境の整備(家の建築)も,
生存のための家事負担を軽減させ,
一次産業に従事する時間を増加させるという意味で,
二次産業に分類できる。
じゃあ他の職業が三次産業なんだろうか。
広告とか金融とか人材派遣とかは,
二次産業の円滑化という意味で三次産業っぽい気はする。
でも中間マージンであって産業じゃ無い感じもする。
飲食業や医療に関わる職業は,
どう扱っていいのかわかんないけど,
一次産業や二次産業の従事者が元気になって作業効率があがる,
って考えるなら,
三次産業と呼んでもいい気もする。
と,
簡単にまとめるとこんな感じのことを考えて,
そこを出発点にしてみると,
三つのことを考えることができる。
一つ目は,グローバル経済と国家経済。
「日本はモノ作り立国」とか何とか言ってるけど,
それはつまり二次以上の高次産業のことなわけだ。
でも二次産業は一次産業あってのことだろうから,
じゃあ一次産業はどこにいったのよ,と思い,
それはたぶん輸入なんだろう。
「産業の空洞化」って言葉を使う時は,
「部品と製品化」の分業が国内外に分離することを指すのだろうけど,
「一次産業と二次産業が国内外で分離」することは,
なんて言えば良いのだろうか。
グローバル経済の観点で見れば,国内外に垣根は無いから,
空洞化なんてことは原理的に存在し得ないんだけども,
実際には国家という枠組みで地球上の人類が生活しているわけで,
(今まさに日本と周辺諸島の領土問題が大変なわけで)
国家経済を考えると,
一次産業の空洞化は大変な問題かもしれない。
何が問題って,
食料自体を輸入に頼っていることも大問題なんだろうけども,
それに加えて,
「一次産業なき二次産業」は成立しないわけで,
つまりは,
「一次産業しかない国」と「二次産業しかない国」があって,
グローバル経済でグルグルしている間は問題ないけども,
ある時にそれぞれの国家経済に分断されるとなると,
どっちが生き残るのって,そりゃもちろん前者なわけで,
今なんとなく後者の方が先進的みたいな考えでいるかもしれないけど,
そんなこと全然なくて,
我々が人間で,国家という枠組みで生きている以上,
最低限,人口をまかなうだけは,
国内に一次産業があるべきだし,
その一次産業を支える二次産業も必要だろう。
そのパッケージが国内に整備されていて,
その前提があってはじめて,
残りの余剰人口的な部分で,
三次産業なりグローバル経済なりを回せば良い。
二つ目は,燃料エネルギーや鉱物などの非食料資源について。
こうした資源は,直接人間が食べるわけじゃ無いので,
資源の獲得は一次産業には分類されない。
一方で,
こうした資源は二次産業に不可欠な基礎となっている。
それはつまり,
二次産業より一段低次ということであって,
そうすると一次産業なのか,ということになる。
ボクはこの部分,つまり,
「資源獲得は一次産業なのか」
という問いは,結構重要な意味を持っていると思っている。
今,一般に世間に流通している観念的には,
資源獲得は自然からモノを取り出すという意味で,
感覚的には一次産業ということになっている気がする。
でも,決定的に,
資源は食料では無いし,
二次産業が無ければ無用の長物である。
だから資源獲得は,
二次産業の一部と見なす方が良いと思う。
まぁこの部分の考え方が,
先のグローバル経済と国家経済の部分の要諦でもあって,
難しいところなのだろうけども。
で,
最後の一つは,科学研究は何次産業なの,ってこと。
科学に対する「なんの役に立つんですか」は,
科学研究活動を高次産業として捉えているものだと思う。
たしかに先端的な科学からうまれる技術は,
高次産業にあたるし,
その技術を生み出すための科学は,
その技術より一次分だけ高次な産業と捉えられるだろう。
でも,
技術開発のためじゃない科学は,
どう扱ったら良いんだろうか。
つまり,
超高次産業なのか,否か。
否,というのは,
そもそも産業構造にカウントできないものってことで,
何次産業でもありませんよ,という立場。
芸術関係も,同じようなことを考えてしまう。
ということをボンヤリ考えていたら,
水泳の雑誌で,
鈴木大地と佐藤克さんが対談していて,
そこでの佐藤さんの,
「科学は考え方の幅を広げるもの」
という考えに膝を打った次第。
なるほどね。
(しかしバイオロギング装置でバサロを解析ってのは面白い)
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