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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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朝一でJeffをつかまえて、
「オレの南奄西の話を聞けコラ!タココラ!」
とかましてやった
11時までご勘弁を・・・、ということだったので、
11時から話して、
「グーッドゥウィドゥム!」
と言わしめた
これはGCAコースだな、と思う
南奄西ネタでGCAいっちゃうと、
計画的にはかなり上方修正だと思う

来週のプレゼンは45分だけど、
45分やると皆あきるよ、とのこと
何の話をしようかしらね
話したいのは水素同位体の話だけども、
誰もわかってくれないと悲しいし、
「沖縄の話ヨロピコ」ってJeffに言われたので、
MMRの話でもしようか

新ルームメイトのMark君は夜ドラムの練習をパコパコしてた
別にうるさくないから良いけどね
彼女がフィリピーナでライスが好きなんだって
ここにいる間の食事はレトルトで過ごすらしい
金持ちの子かな?

明日は二回目のサンプリング
どうなることやら
 
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Jeff的には、もう勝手にしてね、ということなのだろう
なんせ重要な作業は週に一回しかない
しかし、
作業はどうでもいいんだけど、
今手元にあるデータのディスカッションがしたい
そういう時間も無さそう
困ったもんだ

今日はSeanからGC分析を習う
日本のボクの仕事を知っている人にすれば、
「え!?あんたがGC習ってどうするの」
と思うかもしれないが、
郷に入っては郷に従いたいので、
あちらのやり方を習得中なのです
でも、Seanは、
「H3Factorの話がわかったお前が、
GC-IRMS使いだということはわかっているぜ」
と言ってくれました
ありがとう
しかし、参考になる小技が多くて面白い
微量分析畑で育ったせいで変に感度にこだわる習慣があるが、
こちらの熱水畑で培われた、
「高濃度試料ですからこれで簡単に分析できますわー法」は、なかなか面白い

今日から新しいルームメイト
マーク君
アメリカ人で、
学部生らしい
車で来たっぽい
微妙に「ありがと」って言ってる気がする
これは米国生活、新章突入の予感・・・かな?

南奄西論文
C2+の分解を熱力計算したら、
微妙に微妙
ここがキーなのになぁ
地図はヌノさまにお願い
何から何までお世話に
すんません


 
オフィスで論文書いていました
ほぼ、日本語総説の内容を、
そのまま議論に転写したものです
おかげさんで2日間で8割は書けました
まぁ8割というのは分量比でしかなく、
質的なものを加味すると、
まだ5割程度でしょうか

今回はイントロが非常に重要になりそうなのですが、
そこの落としどころがいまいち定まりません

新たな解釈も加わりましたが、
それは総説を書くときにフォローし忘れていた論文で、
これのおかげで、
南奄西のアレを議論することができるようになりました

しかし、
ここでフォローしている論文達って、
ほとんど2003年以前のもので、
2003年はボクが研究をはじめた年なのですが、
これまでの所属ラボでは誰も議論に引用してないんだよなぁ
いろんな「矛盾」が問題無く解決するのに、
もったいない
すべていただきだ 
板井君(井上雄彦)の不覚の話と、
内田樹(福沢諭吉)の公共性の話は、
根っこの部分でつながっている感じがして、
非常に面白い

覚悟を決めるというのは、
誰に言われるでもなく自ら足を踏み出し、
勝手に何かを背負い込むことなのだろう

そしてそれは、何も大それたことではない
「せっかくだから頑張ろう」というのは、
まさにこれなのではないか

剣の道でも、
国家の行く末でも、
家事でも、
研究でも、
対象の大小や時間の長短があるだけで、
覚悟を決めるということ自体に優劣は無いと思う


次の論文はH2培養にしようかと思ったけども、
今やってることとの整合もあって、
南エンセイ論文にした
日本語総説をライトにした議論をして、
メタンの起源から海底下プロセスを議論する
ほぼ英訳作業
新たに文献読む必要が無いので楽
これの初稿前の草稿を今月中に仕上げてしまおう
ステキな図を思いついたから作りたいが、
ノートPCでの作図はシンドイなぁ

Jeffに「クロマトの処理はしてないのか!?」って言われた
やって良いならやるけど、
細かい部分とか絶対こだわりがあるだろうから、
ヘタに手が出せないんだよー
ということで、月曜朝になった

ルンタオがいなくなってすっきりした一週間だったが、
今週末から次のルームメートが来るらしい
欧米系の名前だった
問題ない人だといいなぁ

夜は買い出ししてSteve'sでピザ
焼き上がりが遅くて外がとっぷり暗くなってしまった
そして寒い
外出は18:15がリミットだ



 
今日も出勤して、
一人でランチして、
帰りました

セミナーがVillageのRedfieldであって、
行こうと思っていたのだけれども、
あいにくの雨で断念

ナリタンセイはまぁまぁのところまで来たので、
まず初めにハジメさん、
というかコボケがしたかったからではなく、
もっとも内容を理解してくれているオバタさんに提出
ごり押しな感じが趣味じゃないとは思うけど、
もうこの路線で行くと決めてしまったのでしょうがない
そこはガマンしてもらいたい

次はH2培養論文
まだ何も文章がないけども、
議論は固まっているようなものなので、
どんどん書いていこう
今回は議論の方向がすでに決まっているので、
全体を書き上げることができそう
まずは日本語でパラグラフ目次を作って、
それから中身に進入、かな
日本語仕事だなぁ

日本のボスにメールして数点確認
問題なさそう
自分(たち)で分離した菌にこだわるのは、
微生物への愛ゆえなのだろう
まぁ、知らんけど

満月だ
中国で月を見て日本を思う詩があったよねなんだったっけ
清水寺だっけ?
忘れた
教養ゼロだわ


早くも一週間が過ぎたわけですが、
ついに煮込み汁のサンプリングをしました
「一日仕事だぜ」と聞いていたが、
そのほとんどがGCのキャリブレーションだった
やたら何度もやる
STDの濃度が999ppmか1000ppmかにこだわるのに、
圧力は「大気圧なんだから1atmに決まってんだろ」
とかおっしゃるわけです
あげく、
サンプルには山ほどジャンクピークが出てきて、
「ま、埋もれたものはしょうがない」
とか言っている始末
その辺の感覚がいまいち良くわからん

それはさておき、出たよ!
H2もCH4もCO2もC2H6も、出たよ!
しかも、思っていた通りの比率!
すばらしい!
これでコバヤシネタと合わせて、
Whiticar1999は過去のものになり、
Kawagucci201Xが時代を担うのである
むはははー

ということで、
一日実験だったので論文進みませんでした
明日は、
「ちょっと家でやらねばならぬことが・・・」
とのことなので、
一日論文を書くことになりそうです
ナリタンセイ、人に渡せる状態にしよう

 
Island Lifeさんの「手段としてのプロ
非常に面白い論説


研究者が職業研究者として働かねばならない以上、
こういう意識があると、
また趣が違うのでは無いかと思う
とはいえ、
この論説で対象となっている役者などの場合、
飯の種はヨソでも舞台に上がることは可能なのだが、
研究者は職業研究者になっていないと研究が(ほぼ)できない
この違いは考慮しなければならないけどもね


ボクみたいな研究に情熱的で無い人間というのは、
たぶんこの論説で言うところの「プロ」であって、
「手段としてのプロ」では無いと思う
「最高の作品を作りたいという内なる衝動」という
「アマチュアリズムに基づく研究への関心」が、
びっくりするぐらい無いですからね

一方で、
ボクは研究では無いところに強い関心があって、
それを達成するためにプロ研究者をやっているから、
「(やりたい研究をしたいがための)手段としてのプロ研究者」ではないが、
「(やりたいコトをしたいがための)手段としてのプロ研究者」ではある

一般的には、
「自分で手を動かしてデータを取って論文を書きたい」
「でも雑用や指導があるから中々それが叶わない」
という研究者が多いと思う
前者はもちろん「研究」であり、
後者であげた「雑用や指導」も広義には研究であるが、
彼らは後者を「自分の研究」にカウントしない
学生にテーマを与え指導しているなら、
たとえば論文上ではコレスポだったりするわけで、
つまり外見的には「自分の研究」であるだろうに、
それをカウントしないのはなぜか
それは、
彼らにとっては内から沸き上がる自らの感情と、
それを実現する行動を為すことが「研究」であり、
彼らにとっての「研究」は極めてアマチュア的であるということになる

要するに、
彼らはまさにこの論説が指摘しているように、
精神的にはアマチュア研究者であるが、
自らの研究意欲を昇華せんがために、
「手段としてのプロ」を選択しているのである

で、まぁそれはそれで良いのだが、
中堅以上、つまりはテニュアに乗った研究者の中には、
「自らの研究意欲を昇華せん」として、
「手段としてのプロ」を選択したにもかかわらず、
「自らの研究意欲」を失ってしまう人もいる
おそらく多くの場合は、
「第一線で研究できていないことに気づいた」
からなのだろうけども、
そういう人は、
「目的を失い手段だけが責務として残った人」
になったわけだ
そう(実力不足に)なるのはある意味仕方がないし、
そう(目的を失ったから)といって収入を放棄しろとは、
口が裂けるまでは言わないが、
であれば、せめて
「その道のプロ」としての仕事はまっとうしてほしいと思う

「プロ(職業)研究者」としての責務というのは、
教育も、組織運営も、研究も、
すべてを最低限の水準で実施することだろうが、
それは必要条件であって十分条件ではないだろう
なぜなら求められる最低限の水準というのは、
えてして「現状維持」のラインでしかないからだ
学生も組織も研究も「常に変化する」宿命を背負っている
であるから、
皆が現状維持しか目指していないと、
気づかれない綻びがいつしか取り返しのつかない状態に陥ってしまうだろう
だから、
最低限の水準をこなすと同時に、
少なくともどれか一つには、
「最高の作品を作りたい」というアマチュアリズムを持っているべきで、
それが「プロ(職業)研究者として"存在しても良い"」最低限のラインだと思う


===========(以下引用)==============
プロとアマを分かつのは単独の作品の質ではない。 長期的に見た場合に「出来が悪い時でも一定の水準を越えていること」がプロの条件だ。(中略)顧客は払ったものに対するアウトプットが出てくることを あてに出来るから払うのである

プロとアマの違いは何だろうかと時々考えるのだけれど、ひとつ確実に言えるのは、 プロはどんな場合でも仕事の質がある下限以上であることが期待されているということだ。 (中略)プロかどうかを分けるのは山の頂きではなく谷底の標高が一定の高さをクリアしている ことではないかと思う。

通常のプロの水準を大きく飛び抜ける作品をアマチュアが生み出すこともある。(中略)そのことと、その人が継続して役者や小説家を仕事としてゆけるかどうかということは 別の話なのだ。

一発屋ではなく継続してその分野でより良い作品を 産み出してゆきたいと思うなら、理想的な状態は作品を創ることだけを 24時間365日続けられる環境にいることだろう。(中略)プロになるという選択は、「最高の作品をつくりたい」という目的の ための手段であり得る、

「いつでも確実に要求水準をクリアする」というプロ意識と、 「持てる力の全てを注ぎ込んで最高のものをつくる」という一種のアマ意識は 同居し得るもの

業界そのものを成り立たせている「しくみ」の部分は 「頼まれた水準をきちんとクリアする」という 割り切ったプロ意識で支えられているわけで。それが崩れると 新しい地平にジャンプしようとしても土台が無くなっちゃう
「頼んだ仕事は必ずきちんと仕上げてくる」というのがhigh reliability。
「いつどんな時に仕事を頼んでも引き受けてくれる」というのがhigh availability。

会社勤めだとreliabilityは気にしてもavailabilityを 気にすることは少ない。自分の手がふさがってれば他の誰かを手当てするのが会社の役目 だから。でもフリーランスだとavailableでないということは仕事が取れないということだ。

素晴らしいものを創り出す才能に何とか報いたいという想いがあるのなら、(中略) 具体的には、才能とそれを求めている人とをうまくつなげる役割を買って出ることだろう。

 
今日もひとりぼっちでした
おかげでナリタンセイは進みましたが、
よくよく読んでみると穴ぼこがある気がする
行ったり来たりしながら詰めていく作業苦手
しかも紙じゃないからつらい

同じく留学中のコタロ兄さんに励ましいただく
励まされる
ドイツ、いいなぁ

火曜の部門セミナーの発表者はもう埋まっているらしい
別個に枠を作ってもらっても、
それを聞きに来る人はいるかどうか・・・

今日心に残った文章は、
Don't take it personally
と、
バッターボックスに立つ時間によって報酬が決まるとは誰も考えない
です


 
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kawagucci
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非公開
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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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