自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
県知事の育児休暇が世間を少し騒がせておるようなので、
個別の案件については事情もあろうことでしょうから、
ここでは男性育児休暇の哲学について少し私見を記しておこう
というのも、
色々と考えているうちに、
これまでの自分の考えの浅薄さに気づいてしまったから
男性育児休暇の要諦は、
「業務に支障を”きたす”出産・育児について、
女性のみでなく相当の男性を追ってもよろしかろう(追うべきだ)」
という部分にあるのだろう
だから、
「業務に支障の無い範囲での育児休暇」
というのは、
ただの家族サービス休暇であって、
育児休暇には勘定されない
これまでの社会では、
女性のみが出産育児に関わる休暇を取っていた
これを会社視点で見た場合には、
「不定期に長期間の非戦力化する」女性は、
戦力として計上できないため非常にハイリスクな雇用であり、
これが男女雇用機会均等の理念に対する、
現場からの生の声、つまりは異論として、
長らく(今もなお)唱えられてきた
社会制度をどのように改訂しようとも、
出産は絶対的に女性にしか担えないものであり、
また出産は社会的に否定されざる絶対的な行為であるから、
(人間がいなくなったら会社はいらないから、って意味で)
女性にこのリスクを回避することを強いるのは、
社会的、道徳的な観点からも許されざることである
こうした背景を勘案すると、
女性のリスクを排除できない以上、
男性も同等にリスクを負うことが、
男女雇用機会均等の理念に叶う次善の策となる
(最善は女性がリスクを負わないことだけど、それは無理筋)
こうして男性の育児休暇をとらえると、
それは常に「会社人女性の育児休暇」とトレードオフでなければならない
感情的には「専業主婦の育児も云々」となるところだろうが、
これは男性の育児休暇を語る上で計上してはならないだろう
男性の育児休暇論の本質は「業務に支障をきたすリスク」にあり、
「育児労働の男女不均等負担」ではないからだ
(そもそもの雇用機会という視点などではこれも重要なのだろうけども)
繰り返しになるが、
男性の育児休暇(制度)については、
「会社人としての女性と同等」の、
「不定期・一定期間の非戦力化」を、
「潜在的リスクとして備えた上で就職」することで、
はじめてその理念を実現しうるのである(と思う)
というようなことを考えると、
夫婦が同じ組織で仕事をしていないと、
トレードオフ感がまったくないのだが、
それは社会全体で勘定すれば良いことにすればいい
だから、
何度も繰り返していますが、
男性の育児休暇には妻の社会復帰が伴わねばならない
理念的には、ですが
現在の問題は、
「雇用機会均等」と「家事労働負担」とが区別されていないこと、
そして、
男性の育児休暇は、理念的には、
「妻が出産した場合の休暇は"強制されるべき"もの」である、
という認識がないことでは無かろうか
要するに、
会社が「育児休暇を取る権利を男性に与える」うちは、
まったく男女平等は不十分であって、
女性社員が出産する時に生じる「必要な休暇」を、
男性社員にも「強制」することが、
会社視点での社員の扱いとしては、男女平等に叶うのでは無いだろうか
そこで、
知事など会社の長にあたる人が、
ロールモデルとして男性の育児休暇を実践するということは、
今後、育児休暇という理念を浸透させていく上では重要なのである
で、あるからして、
知事が、
「業務に支障のない範囲で育児休暇」とか、
「男性の皆さんもどんどん育児休暇とりましょう」とか、
そういうことを言うのは「違う」のである
なんだか意味がわからなくなってきましたが、
本当に男女雇用機会均等を目指すのであれば、
出産時に絶対必至な産休相当の休暇を、
男性にも育児休暇として強制しなさい、ということです
その間の非戦力化は「そういうもの」として社会全体が認識し、
そのリスクを社会全体が負い、
新たな人間が誕生したという計り知れない利益を社会全体で享受し、
それでトレードオフということにしましょう、というのが、
理念的には、辻褄があうのじゃないかな、と思うのです
しかし、
個人的には、
そもそも男女は別の機能を有しているんだからナンセンスじゃね?とか、
妻が専業主婦の場合は別に休む必要なくね?とか、
思うところも色々あるわけです
やばい
まとまらない
という風に、
だんだんと自分の中での考え方が変わってきていて、
帰国後に育児休暇をどうしようかというのが悩みになってきています
当初は、
1ヶ月(自ら)強制的にラボから隔離される、
その状況を広く公表する、
それでもちゃんと研究者として生き延びる、というのが、
自分に課したミッションのようなものだったのですが、
それも何だか違う気がしています
もう少し考えます
Tweet
個別の案件については事情もあろうことでしょうから、
ここでは男性育児休暇の哲学について少し私見を記しておこう
というのも、
色々と考えているうちに、
これまでの自分の考えの浅薄さに気づいてしまったから
男性育児休暇の要諦は、
「業務に支障を”きたす”出産・育児について、
女性のみでなく相当の男性を追ってもよろしかろう(追うべきだ)」
という部分にあるのだろう
だから、
「業務に支障の無い範囲での育児休暇」
というのは、
ただの家族サービス休暇であって、
育児休暇には勘定されない
これまでの社会では、
女性のみが出産育児に関わる休暇を取っていた
これを会社視点で見た場合には、
「不定期に長期間の非戦力化する」女性は、
戦力として計上できないため非常にハイリスクな雇用であり、
これが男女雇用機会均等の理念に対する、
現場からの生の声、つまりは異論として、
長らく(今もなお)唱えられてきた
社会制度をどのように改訂しようとも、
出産は絶対的に女性にしか担えないものであり、
また出産は社会的に否定されざる絶対的な行為であるから、
(人間がいなくなったら会社はいらないから、って意味で)
女性にこのリスクを回避することを強いるのは、
社会的、道徳的な観点からも許されざることである
こうした背景を勘案すると、
女性のリスクを排除できない以上、
男性も同等にリスクを負うことが、
男女雇用機会均等の理念に叶う次善の策となる
(最善は女性がリスクを負わないことだけど、それは無理筋)
こうして男性の育児休暇をとらえると、
それは常に「会社人女性の育児休暇」とトレードオフでなければならない
感情的には「専業主婦の育児も云々」となるところだろうが、
これは男性の育児休暇を語る上で計上してはならないだろう
男性の育児休暇論の本質は「業務に支障をきたすリスク」にあり、
「育児労働の男女不均等負担」ではないからだ
(そもそもの雇用機会という視点などではこれも重要なのだろうけども)
繰り返しになるが、
男性の育児休暇(制度)については、
「会社人としての女性と同等」の、
「不定期・一定期間の非戦力化」を、
「潜在的リスクとして備えた上で就職」することで、
はじめてその理念を実現しうるのである(と思う)
というようなことを考えると、
夫婦が同じ組織で仕事をしていないと、
トレードオフ感がまったくないのだが、
それは社会全体で勘定すれば良いことにすればいい
だから、
何度も繰り返していますが、
男性の育児休暇には妻の社会復帰が伴わねばならない
理念的には、ですが
現在の問題は、
「雇用機会均等」と「家事労働負担」とが区別されていないこと、
そして、
男性の育児休暇は、理念的には、
「妻が出産した場合の休暇は"強制されるべき"もの」である、
という認識がないことでは無かろうか
要するに、
会社が「育児休暇を取る権利を男性に与える」うちは、
まったく男女平等は不十分であって、
女性社員が出産する時に生じる「必要な休暇」を、
男性社員にも「強制」することが、
会社視点での社員の扱いとしては、男女平等に叶うのでは無いだろうか
そこで、
知事など会社の長にあたる人が、
ロールモデルとして男性の育児休暇を実践するということは、
今後、育児休暇という理念を浸透させていく上では重要なのである
で、あるからして、
知事が、
「業務に支障のない範囲で育児休暇」とか、
「男性の皆さんもどんどん育児休暇とりましょう」とか、
そういうことを言うのは「違う」のである
なんだか意味がわからなくなってきましたが、
本当に男女雇用機会均等を目指すのであれば、
出産時に絶対必至な産休相当の休暇を、
男性にも育児休暇として強制しなさい、ということです
その間の非戦力化は「そういうもの」として社会全体が認識し、
そのリスクを社会全体が負い、
新たな人間が誕生したという計り知れない利益を社会全体で享受し、
それでトレードオフということにしましょう、というのが、
理念的には、辻褄があうのじゃないかな、と思うのです
しかし、
個人的には、
そもそも男女は別の機能を有しているんだからナンセンスじゃね?とか、
妻が専業主婦の場合は別に休む必要なくね?とか、
思うところも色々あるわけです
やばい
まとまらない
という風に、
だんだんと自分の中での考え方が変わってきていて、
帰国後に育児休暇をどうしようかというのが悩みになってきています
当初は、
1ヶ月(自ら)強制的にラボから隔離される、
その状況を広く公表する、
それでもちゃんと研究者として生き延びる、というのが、
自分に課したミッションのようなものだったのですが、
それも何だか違う気がしています
もう少し考えます
PR