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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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2025年は体調の悪化が凄まじかった。
日々、体調が悪くなっていく。
筋肉の強張り、疲労感、回復の遅さ。
腰と肩がひどい。もちろん背中も。
大きな目眩だけでなく、ふとした瞬間の吐き気も断続的に続いている。
胃はぼちぼちだが、暴飲暴食に耐えられなくなってきた。
胃が悪いときは、皮膚にも伝播してくる。

特段の病因がないのであれば、原因は加齢と生活習慣だろう。
ことさら加齢に抗うつもりはないが、一定の歯止めはかけたい。
そうなると、つまるところ生活習慣の改善しかない。

以下、2026年当初の目標設定。

在宅勤務日は泳ぎに行く。
泳ぐ時間を30分1500mぐらいにすれば、準備と往復で正味1時間。
30分ぐらいだと、体は温まりながら筋肉痛がそれほどでなく、具合が良い。
座り仕事でダメージがたまる上半身への効果が大きい。
年末に行ったら、蹴伸びで足首と膝が痛くなったから、下半身にも効くはず。

出勤日を増やす。
出勤は、自転車通勤と昼サッカーで、たのしく運動できる。
所内の徘徊も加わるから、在宅で泳ぎに行くよりも運動量が多い。
特に4月からは幼稚園に入れられるので、自宅任務比率を下げられる。

朝イチに運動する。
ラジオ体操・ヨガストレッチ・プランク・スクワット・プッシュアップ。
0520から0540の20分間ぐらい。
血流の刺激が目的で、鍛えることは副作用にすぎない。
日常的な痛みや重みを感じず運動時にケガをしにくい身体を作るイメージ。

体重を記録する。
生活習慣を表現するマクロ指標として体重を採用する。
2025年はストレス軽減で飲食自由にしていたら80kgを超えてしまった。
これまでの適正重量は73kgぐらい。
ここ数年で筋肉も落ちているので、70kgぐらいが適正重量だろうか。
成人後の最軽量が2008年2月の68kgだから、そこまでいくかもしれない。
2026年のターゲットとしては、3月末で77kg、6月末で75kg、12月末で73kg。
飲食の制約は、様子を見ながら適当に。

飲酒の頻度を下げる。
この一年、スマートウォッチを採用したことで、飲酒の影響が明瞭になった。
夕飯以降の飲酒で、睡眠時の心拍数が高止まりして、これが寝起きの疲労感に繋がっている。
幸か不幸か、それほど飲酒そのものの影響は受けない体質。
飲酒そのものよりも、睡眠障害を介した悪影響なので、飲酒頻度を下げる。
とにかく毎日飲むのは良くない。
飲むなら昼、夜は控えめで。
低頻度だからこそ飲み会を楽しむ。

一日一カ所の掃除片付けをする。
これは体調には直結しないけど、住環境と精神状態の改善のため。
2025年に『中年の危機』を感じて、勉強して、考えた。
日常が「大体こんなものだ」になり、日々の努力が現状維持のためになるのが良くないっぽい。
維持作業ではない、変化が見える行動習慣が、精神を向上させる。
一般に植物栽培に向かいがちなのは、そういう側面があるとのこと。
たぶんコーヒーやソバやスパイスカレーに凝ったりするのも同じメカニズムだろう。
つまり「繰り返し作業だけど、対象の成長・改善が実感できる」のが良いんじゃないか。
毎日の掃除や片付けは「維持」だが、年末の大掃除などは「改善」にあたる。
だから、ヒドいと感じた対象の掃除片付けに手を付ければ、「改善」になるとも捉え直せる。
そこで2026年は、あえて対象を絞らず、一日一カ所の掃除片付けをターゲットにする。

日記をつける。
以上のようなルーチンをこなしていることを、日記に付けて確認していく。
畏友藤内氏に触発されて日記をつけはじめたのは2021年9月。
2年間ぐらいはマジメに書いていて、そこから頻度が落ちて、2025年当初で止まった。
2026年1月1日からの5年日記を買って再開する。

この他は、その時の気分にまかせてチューニング。
コーヒーの量とか、SNS制限とか、投薬や通院の頻度とか。
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2025年を総括すれば、低空飛行どころか、不時着寸前といった具合だった。

ざっとカレンダーを振り返っても、今ひとつ思い浮かぶ景色がない。
上半期は、会社の次期計画(とそれを決めている体制)に絶望していた。
下半期は、もうそこは諦めて、個人として何をするかに焦点を移して、疲弊していた。

9月末の集中講義は、そんな中で、1つの契機になったかもしれない。
1年前に書いた本をなぞることで、あらためて「何をしたいか・何を伝えたいか」が再確認できた。
ここから持ち直して戦略的低空飛行に、あわよくば上昇軌道に乗っていくのが、今後の目標になる。

大きく構えれば「気候危機時代の海洋学者として何をするか」だ。
基礎研究という象牙の塔に籠もるのは、多くの人にとって、心地よいのかもしれない。
だけど、他の分野ならいざ知らず、海洋学者がそれをやっていて良い時代では無いだろう。
これから絶対に、良くも悪くも、地球工学(気候工学)が話題になってくる。
それをまるで汚物であるかのように距離を置いて、離れたところから「汚物だ」というのだろう。
しかしそれは専門家として、あまりに無責任な態度だ。
すくなくとも、ボクの倫理観、あるいは学者としてのインテグリティは、それをヨシとしない。
これは海底資源の関連で、一足先に「そういう流れ」に触れているからかもしれない。
とにかく、今のボクは、地球工学と真っ正面から向き合うことが、職業的責任だと思っている。
地球工学との付き合いは簡単なものではない。
硬軟織り交ぜ、清濁併せ呑み、しかし軸を持って真っ当に、コトにあたる態度が不可欠だ。
そういう意味で、2025年に非自発的に応募し落選したCREST課題の内容が、今後の軸になる。
地球工学の可否と是非。
「学者」としては、こんな感じのテーマで活動をしていこうと考えている。

「研究者」としては、調査する海洋学の担い手であることを、今まで以上に意識していく。
一昔前の「ビッグデータ」、昨今の「生成AI」の流れがある。
前者は闇雲で野放図な情報化、後者は情報による情報生成であると(ここでは)捉えている。
実存は本質に先立つかどうかは知らんが、すくなくとも、実存は情報に先立つ。
観測とは、実存の情報化である。
情報から実存を解釈するには、観測という過程の理解は不可欠だ。
観測理解を疎かにした解釈(とその実務たる情報処理)は、何に立脚しているのか。
しかし調査航海は、すべてのプロセスが加速する社会とは違って、いまだに鈍重だ。
この時代にまだ鈍重な調査する海洋学を、昔のモノとして退けることは容易だろう。
それでも世界の理解を深めるために調査航海が不可欠なことも、また事実だ。
調査航海による観測には、他の代替可能な方法がない。
加速する社会の中にあって、加速できない調査航海を奨励して、推進し、認知をあげること。
海洋調査文化圏の発展を期し、圏内の潤滑を促しながら、周縁文化圏との交流をはかること。
実務的には、航海を主導しながら、調査船の新造に主体的にかかわること。
子育ても次のフェーズに入るので、海洋学への関わり方をチューニングしていく。

ビッグプロジェクトと基礎研究の両立を実現するマネジメントも、意識する。
そもそもプロジェクトと基礎研究という対比が、空疎なものだと思っている。
内閣府SIPの海底資源プロジェクトは、まさに選択と集中の最たるものだ。
毎年何十億、さらに上乗せで百億単位の予算がつく。
一度も関わらず外から見ていると、伏魔殿あるいは守銭奴の巣窟に見えるかもしれない。
それはそれで否めない。
しかし、じゃあここから基礎研究は排斥されているかというと、そんなことはない。
基礎研究の居場所もあるし、入り込む余地もあるし、なんなら必要とされている。
すくなくとも二律背反の世界ではない。
海底資源とあわせて海中音関連の開発プロジェクトにも関わっているが、そちらも同様だ。
適切な態度で振る舞えば、表裏一体に進められる。

ビッグプロジェクトは降って湧いてくるのだが、最初は(実際は最中も)人がいない。
ウチでは職員が兼務で立ち上げはじめて、プロジェクト特任者を雇用してチームを結成する。
組織にも業界にも堅牢な文化があり、プロジェクトの色も濃いので、グループ運営は簡単ではない。
それに輪を掛けて、降って湧いた場所に着任できるのは、新卒者か風来坊しかいないから、大変だ。
とはいえ、ムラを変えるのは『ワカ者・ヨソ者・バカ者』だ。

今期と次期を跨ぐにあたって、うちの会社は「全体として現状維持」を選択した。
個人的にはそれをヨシとしていないのだが、それはそれ、これはこれ。
だからこそ、身の回りのスモールグループから、変革を起こしていく。
ムラを変革した『ワカ者・ヨソ者・バカ者』は、誇るべき村人になるのだ。
そうした事後的な評価が下るまでは、残念ながら、ハグレ者として暮らしていくしかない。
良くも悪くも、どんな働き方をしようが、給料は変わらんのだしね。

プライベート方面の話題は、また。
なにをしたわけでもないのに腰が痛い。
気付いたのは土曜の昼頃。
いまだ痛くなったことがない腰の真ん中がピキッと痛い。

金曜は座りっぱなしだった。
夜練には顔を出したが激しくは動いていない。
土曜の朝も体育館にはいたが、特に動いてはいない。

数日前から、古傷の右三角筋全部が痛んでいた。
たぶんこれはサッカー前の筋トレのせい。
いまも肩は痛い。

これらが世に言う老化に伴うものなのか。
老化もありつつ、最近とても寒い日が続いているせいなのか。
座りすぎのせいなのか。
そのすべてなのか。

いずれにせよ、解消せねば、やってられん。
運動して温める、ぐらいしか方法は思いつかないが。

平日は基本座りっぱなし。
運動は自転車通勤。
土日は体育館で立ちっぱなし。
ときどき激しく動く。

腰に良いわけがない生活ではある。
自覚して、ちょっとずつ対応していこう。

まずは今の痛みを解消するように、クスリかな。
外回りをしていると「なんの研究をしているか」を聞かれる場面が多い。
初手では「海に行って深海を調査しているんです」と回答している。
しかし中には「それで?なにを?」と踏み込んでくる人もいる。
とても面倒くさい。
別になんでもいいやん。

所内でも言われる。
専門家同士でもあるわけで、具体的な話をせねばならない。
でも、具体的に何かをやっているわけではないので、回答に困る。

自分だけの研究テーマを持って、それに取り組む生活は、もう止めている。
そもそも興味がないのが1番だが、それでもなお、研究者としてやるべきことがあるからだ。
実際、研究者として、今でもそれなりに忙しく暮らしている。

狭義には研究と言えないプロジェクトの職務に、それなりのエフォートを割いている。
そんなプロジェクトを遂行しつつ、これを研究にもすることが、ポイントだ。
プロジェクトには目的があって、そこには狭義の研究ではない要素も多い。
もちろん、プロジェクトには狭義の研究の要素もあるが、それは大きくないし、奨励もされない。
だからといって、研究自体は否定もされないし、それはそれで重要でもある。

ただし、自分自身では研究はしていないので、誰かが研究をすることになる。
研究の部分は、自分で研究をしたい人を巻き込んで、いわば「進めてもらう」。
そうして、プロジェクト推進と研究進捗の両立をマネージするのが、今の仕事だ。

身近で一緒に暮らしている人は、ボクの働きぶりを(なんとなく)理解してくれている。
みんな協力的だし、否定的な態度は(思っているかもしれないが)見せることはない。
しかし、すこし距離のある人からすれば、ボクは何もやっていないように見えるだろう。
仲介業とか代理業か、そういう仕事しかしていない(ように見える)からだ。

そんな働き方にあって、自分が大事にしていることがある。
共著論文でも、主著論文のようにしっかりと、原稿に貢献することだ。

著者としての貢献が十分に出来ない場合、著者となることを断っている。
内容が理解できないとか、原稿に目を通す時間がないとか、理由はその時々だが、基本は断る。
これが、自分は研究者だと言い張れるための、最後の一線だと思っている。
(あくまでプロジェクト職務と研究の兼ね合いの意味で)
これがあるからこそ、それなりの信頼を得て、協働できているのかもしれない。

なんか違う話になってきたな。
まぁいいや。
うっかり時間が空いてしまった。
入試期間での家族旅行があってワンオペになったり。
チームで電撃退任があったり。
なんだか心身共にドタバタして、ここを書くことすら忘れていた。
というのは言い訳なのだど。

書きたいことは貯まっている。
大きくわければ2種類ある。

1つは私生活あるいは私的な領域に属すること。
いわゆるミドルエイジクライシスのような話が大半だ。

自分の健康のような話から、社会における役割のような話まで。
この数年で大きな変化を感じている。
様々な話題で方向性が固定的になっていて、それゆえ下り坂に感じる、みたいな。
こっちこそ書いておきたいのだが、書き始めるのにMPを必要とするので、筆が進まない。

もう1つは研究者生活の領域での話題。
特にポスドク達と接している中で各人に話したことを、一般論としてまとめておきたいのだ。

〜〜〜

いまの所属には(広義の)ポスドクが4人いる。
学生指導をしている教員からすれば、大した人数ではないだろう。
人数はさておき、ウチでは、各人の研究テーマが大きく異なっている。
それもボク自身がやってきたのとは違うテーマに、それぞれが取り組んでいる。

この体制になって一年半が過ぎ、それぞれが論文を書くフェーズになった。
ポスドクだから一通りは自分で書けるのだけど、書き方を見ていると、なんだか危うい。

直感的に危ういと思うので、つど指摘するのだけど、ビシッと表現できない。
抽象的にダラダラと喋ってしまうので、彼らにもストレスをかけている気がする。
なにより私的な能力への指摘でもあるので、その点でも負担は大きいと思う。

だから、この危うさ、あるいはそれへの指摘を、一般化しておきたい。
そうすれば、研究指導の方法論を確立することに繋がるんじゃないか。
そんなことを考えている。

我々のような自然観察を基点とする研究では、観察の記述がなにより重要だ。
記述とは、情報化である。
現実世界にある複雑で豊かな様子を、一面で切り取って情報化する。
情報化とは、単純化だ。
豊かな現実を、情報として表現できる程度のものに落とし込む行為だ。
一方、情報から現実は復元できない。
観察による情報化は常に不可逆だ。
だから、観察結果の記述という行為には、「おそれ」のようなものが伴ってほしい。

「生データをよく吟味しろ」というのは、よく指摘されることだろう。
これには2つの意味がある。
生データを作るプロセス、すなわち「情報化」は適切に行われているか。
すなわち、現実の何を削ぎ落として、何を記述しているのか。
生データを読むプロセス、すなわち「情報」として適切に扱っているか。
すなわち、原理的に不可能な現実の復元に取り組んでいることに自覚的であるべきだ。
両者はまったく異なる。

生データを見た時の、これは真であるかの評価と、真であると仮定しての解釈と。
2つを同じ「生データを吟味」という表現にしてしまうことは、指導として良くない。

ここまでで、すでに話が混線してしまっている。
書き方の話題。
書き方の指導の話題。
ちゃんと切り分けねば。

〜〜〜

友人Kが「書けないことが多い」と言っていた背景が、すこしわかるようになってきた。
たしかに自分がポスドクだった頃に比べれば、書けないことが多い。
しかし、だから何も書けないといって書かなくなるのでは、芸がない。
それでもなお書けることを書こうとすることで、なにかが整理されていくだろう。
そう。
これは大いなる独り言なのだ。
自ラボで「週一程度で一纏まりの文章を書く習慣をつけましょう」と言った。
そんな手前、ここもそれなりに復活させねばと思っている。
週一を下回る頻度になっているが、それでも継続は大事。

何度も書いている気がしているが、毎日のルーチンを紹介する。
少しずつ変質しているものの、およそ10年間、ほぼ同じようなルーチンだ。
他人に強要するつもりは微塵もないが、参考にはなるだろう。

〜〜

普段は21時までに寝る。
自分の最適睡眠時間は7時間半だ。
毎日同じ睡眠時間で具合が良いのがこれ。
飲み会などがあると睡眠時間は減る。
しかし、飲み会翌日の起床時刻はずらさない。
1日は寝不足のまま無理して過ごし、就寝時刻を早めることで回復をはかる。

起床は3時台。
目標であり、自然と起きる時刻でもある。
21時までに寝ていれば、7時間半睡眠でこれぐらいに目覚める。
仕事が立て込んでいる時は、確実に起きるべく3時台に目覚ましをかける。

朝の家事を5時半過ぎからはじめるため、それまでに仕事をする。
この「朝の仕事時間」が、もっとも創造的な仕事に向いている。
朝やるべき仕事のファイルを前夜に開いておく。論文原稿とか。
朝起きたら、水も飲まず、トイレにも行かず、まずこのファイルに取り掛かる。
スマホ通知を見ず、メールもSNSも確認しない。

しばらく取り組むと、脳内が仕事で満たされる。
このあたりでコーヒーやトイレにかかる。
また仕事に戻って、家事をはじめるアラームが鳴るまで続ける。

朝の家事をして、自転車通勤でいったんリフレッシュ。
8時前に職場に到着する。
ここでメイルの打ち返しなどをする。
この時間帯に即レスが返ってくることはマレなので、メイル借金が一気に返済できる。
9時過ぎから同僚がぽつぽつ出てくるから、適当に喋りつつ、適当に仕事をする。
自分の脳内に朝の残り香がある時は、創造的な仕事もできる。

12時過ぎからの昼休みは、サッカーで頭を空っぽにする。
昼食を取ったら14時前で、自意識としては仕事終了。
この後は受動的な仕事、メイル打ち返し、ミーティング、同僚とのお喋り。

17時頃に帰宅して夕方の家事、送迎など家庭任務。
合間にメイル打ち返し程度の仕事。
(精神力があった頃は、ここで5行日記を執筆して1日の振り返りをしていた)
翌朝の仕事を決めて20時には消灯。

〜〜

コーチ業と子育てとをやってきて、上手くいっていないことを書く。
まだちゃんと言語化したことがない領域なので、うまく表現できるかわからない。
間違えるとオオゴトになるので、書くことを避けてきた領域でもある。

練習を真面目にやらない子が多い。
メニューのはじめは間違ってないか不安だからかもしれないが、
同じメニューが続くと飽きてきている様子が伝わってくる。
並んでいる間に近くの連中と喋りはじめるのはほぼ全員。
自分の出番に全力で取り組まないのもほぼ全員。
ちょっと上手い子に多いのは、変なアレンジをして練習の意図から外れるパターン。

手を抜くのは本人に跳ね返るが、その雰囲気が全体に伝播するから困る。
ジャマをするようになると最悪。
お喋りも楽しいうちはまだ良くても、イジりや煽りになってくると、問題だ。
子供達は加減がわからない。

あまりに酷いときは、練習を止めて、注意することもある。
「それじゃ上手くなれないぞ」
「周りのジャマをするならココにいてほしくない」
その時は気まずそうにはする。
気まずそうにすらせず、「また言ってきた」と、ふてくされるのもいる。

こういう場面で、割を食っているのは、真面目にやっている連中だ。
練習時間を潰されて、自分には響かないことを言われる。
ふざけたゆるい雰囲気から、怒られたというイヤな雰囲気に変わる。

そんなことを繰り返して、根本的に間違えている気がしてきた。
なにを間違えているか。

大人の立場から「それは良い/それはダメ」と言うのは、ジャッジだ。
子供の立場からすれば、決めつけ押しつけにも思えるだろう。
そういう考えから、「キミはどう思うの?」という問いかけが推奨されてはいる。
しかし、子供達はそれにも慣れていて、大人の文脈を汲み取って考える。
実質的には、大人がジャッジしていたのと、変わらないじゃないか。
そもそも、「良い/悪い」という考えに、根本的な問題があるんじゃないか。

そんな考えから、最近試し始めているのが、美意識に問いかける方法だ。
「自分でダサいと思うことはするな」
「他の子がやっているのを見たらダサいと思うことを、自分もやっていないか」
そんな表現を使っている。

練習で手を抜くことは「悪い」のではない。
「ダサい」のだ。
他の子のジャマをするのは「悪い」のではない。
「ダサい」のだ。

「アイツ、だっせー」とイジっていた当の自分に「ダサい」が降りかかってくる。
そこには「自意識の中の他人の目」がある。
これで「自分の心に矢印を向ける」ということになるんじゃないか。

大人側から「今のお前はダサいぞ」と言うのは、違う意味を持ってくる。
一歩間違えばただの感情論になるからだ。
集団として「ダサい」という価値観の軸が出来たら、成立するだろうけども。

反対に、褒める時も「良い」と言うだけでは足りない。
メニューの指定にある内容を上手に出来ている場合は「良い」にあたる。
その場合は「良いね」と褒める。
そうではない場合。
こちらが直接に伝えていないが良いプレーをした場合は、「驚き」を伝える。
「良い」よりも「スゴい」の方が、子供には響いているように見える。
驚きは感情であって、思考ではないからジャッジでもないから、受け止めやすいのかもしれない。

そんなわけで。
「ダサい」と「驚き」の2つを持って、最近は指導にあたっている。
自分自身、まだ徹底できていない部分があって、つい良い悪いを言ってしまうこともある。
反省してしまう。

こうやって反省する機会を毎週持てていることが、コーチ業を続けるメリットでもある。
もちろん子供達の成長を見るのが楽しいというのが動機である。
楽しみにメリットが上乗せされているのだから、悪くない趣味なのだ。
金曜夜は若手アカデミーの朋友を金沢文庫に招いてのサシ飲み。
一軒目は焼鳥屋、二軒目はビール屋。
ありし日の思い出話や下世話話や下世話話をしながらガブガブ。
21時頃には切り上げて帰宅。

それほど二日酔いもなく起床。
土曜の朝ご飯準備の後、08時までに1号文化祭、2号部活新人戦、ヨメ氏試合の送り出し。
というところで、強烈なめまい。
世界がぐるぐる。
座っているだけでもキツく、とりあえず吐く。

ここまで強烈なのは久しぶり。
記録を見ると2018年4月以来。
https://kawagucci.blog.shinobi.jp/Date/20180412/

這々の体で4号を療育の迎えに引き渡して、駅の近くにある脳神経科へ。
野外の方が視界が開ける分だけ幾分かマシだったが、待合室では身動き取れず。
いちおうCT撮ってもらって異常なしを確認。
前回と同じく「良性発作性頭位めまい症」の診断。
めまい止めと吐き気止めを処方してもらう。

すこしだけチームミーティングに顔を出してから帰宅。
自室で寝込む。
薬の効きがイマイチなので(いちおう調べてから)2倍量を摂取。
副作用で頭がモヤるものの、めまい自体はおさまる。

一晩寝て起きたら、かなり軽症になっていた。
日曜は、いちおう薬は飲んで10-16時で体育館へ。
振り返る動作などでクラッとくることがあるが、普段もあるので特段の問題は無し。
夜は薬を飲まずに就寝。

今朝起きて薬が抜けた状態では、まだちょっと残っている感じ。
外勤予定だったが2時間ほどの中距離移動はトラブル時の対応が不安でキャンセル。
これに伴い、久々のメンバーとの面会も飛んでしまい残念。

〜〜〜

原因を調べると、
・ウイルス感染の後遺症の場合がある
・自律神経の乱れによる影響の場合がある
・不同視(ガチャ目)の影響の場合がある
ということで、どれも該当する。
先週は寒くて体調不良気味だったし、過度な飲酒の翌日だったので。
老化が進むと、これの頻度があがるのかな。

〜〜〜

なお日曜には2号が試合でグラウンドに後頭部を打ち付けて救急車で運ばれた。
軽症だったので線量を考慮してCTは回避された。
もし撮っていたら、自分のと比べられたのに。
無念。
2025年9月末に集中講義をやってきた。
過去に大学院ではやったが、今回は学部生。
しかも文理融合的な理念の学部で、かなり幅が広い。
実際の受講者は、さらに学部や学年を超えていた。
ありがたいことだが、レベル設定が難しい。

一般的な大学教員は、だいたい「いつもの講義セット」があると思う。
それは年々繰り返して使うから、じょじょに練られてくる。
そのうちの一部が、教科書としてまとめられて世に流通している。
学生時代は「自分の教科書を買わせようとしている」などと思ったものだが、実状は違うだろう。
講義セットの練り上がったものが教科書であって、講義を受けるよりも教科書を読み込む方が(推敲を重ねていて、迂闊な発言もない分だけ)正確な学びに繋がるから、薦められるのだ。
ぶっちゃけ教科書1冊の売上で入る印税など、たかがしれている。
ボクの場合は逆で、講義の経験がないままに、一般書を出している。

今回は、基本的に著書の流れに従って、講義をしてみた。
自分の中で整理が出来ている分、話はしやすかった。
しかし講義として練られていないので、重要なところに触れ忘れた箇所がいくつかあった。
この辺りは、資料の作りとともに、話芸というか、教壇仕草の練度不足を痛感した。
それはそれでコッチの反省として、今回の学生には申し訳ないが、今後の糧としたい。
そもそも自分が学生時代にほぼ講義には出ていないから、教壇仕草のキモがわからないのだが。

そう。
一番の驚きは、受講生が真面目に出席していたことだ。
9月末、集中講義、日月火の3日間。
先生は「レポートを出せば良い」と言ってくれている。
こんな条件でずっと出席するなんて、信じられない。
信じられないが、毎日30人超が出席していた。
キミ達、他にやることないんかね、と思わなくもない。
もちろん、肉体だけ出席して、精神はネットを泳いでいたかもしれないが。

そんなわけで(?)、「学部生相手の集中講義」について、経験値がえられた。
ボクは(たぶん)ずっと国研暮らしになるので、集中講義は引き受けていこうと思っている。
今回の経験で、次にオファーが合った時にも、ある程度、エフォートが読めるようになった。

〜〜〜

もっと早くこの文章に着手しておけば、もっと詳細を記録できたかもしれない。
こまめな記録の重要性をいつも感じながら、いつも適当に流してしまっている。
鉄は熱いうちに打て。
反省。
ここ数年、女子プロレスを(いまだ無課金ながら)見ることが増えた。
長らくプロレスを見てきたが、女子プロレスに触りだしたのは本当に最近のこと。

キッカケは2020年の逗子プロレス
家を買った会社がスポンサーをしていて、招待券ももらえたので見に行った。
目当ては越中詩郎だったが、女子プロレスも何試合か組まれていた。
そのうちの一つに、井上京子Sareee組があった。
当時のSareeeは、WWE行きが決まったもののコロナ禍で宙に浮いている状態。
その後、WWEでのキャラづけに不満を感じ、帰国後はなぜか闘魂ムーブにご執心なことを考えると、国内で評価を得ていたナチュラルな時代の完成形を見られたのだとも振り返られる。
パートナーである井上京子のベテラン感も相まって、溌剌さが目を引いた。
とにかく声が出ていたことを覚えている。

いま振り返ると、木村花の悲しい出来事は、2020年5月だった。
逗子プロレスより少し前だ。
いずれにせよ、その頃から女子プロレスにも興味を持ったものの、しかしコロナ禍と4号誕生もあって、現場に出向くことはなかった。 

(このあたりでスターダムのブシロード傘下入りがある)
(2024年にNetflixで『極悪女王』が公開されている)

最近になって、上谷沙弥が注目を集め出し、スターダムを追いかけはじめた。
中野たむの不可解な引退ロードがはじまり、それになぜか抜擢された上谷。
そういう風に見ていた。
突然の退団マッチから引退マッチに至る流れは、筋書きが雑で、なんだか乗れなかった。
(中野たむのリアルに筋書きが間に合わなかったのだろうと邪推している)
しかし、そんな経緯をすべて吹き飛ばす見事な引退試合。
決着後のリング上でのマイクと花道からの退場で、上谷沙耶のヒール像にハマった。
地上波レギュラー出演を経て、地上波での女子プロレス生中継を実現したことは、本当に素晴らしい。

上谷沙耶、あるいは所属ユニットであるHATEのヒール像には、既視感を覚える
ももクロなのだ。

可愛らしさは見せても、性的な視線に媚びない。
むしろ可愛らしさと対局にある泥臭さを厭わず、「努力・友情・勝利」を至上の価値観にする。
ヒールとは言っても、悪行は嫌悪感を抱かせない茶番的な「いたずら」の範囲。

上谷は、アクロバットなムーブに注目があるまるが、個人的には「受け身」が素晴らしい。
長い手足を大きく動かして、ベタっとか、ヘロヘロとか、ダメージを表現するのがうまい。
身体全体が長いから、相手の投げ技を大きく見せられる。
(長さのわりに軽いから投げやすいのもありそう)

上谷のおかげで認知度が格段にあがったスターダム、あるいは女子プロレス。
この熱が冷める前に、次のステージに進出したい。
そこで求められるのは、対角に立つ存在。
圧倒的な力強さで、茶番をねじ伏せるか。
ひたむきさや明るさの放つヒーロー感で、ヒールとのコントラストを描くか。

そう考えると、渡米前のSareeeが最も手が合う相手なのだが、現状だと噛み合わなすぎる。
たらればで言えば、今の上谷沙耶の対角に立つ木村花も面白かったろうと思う。
今のスターダムの中だと、ちょっと見当たらない。
女子プロレス界全体を見渡して、横綱・里村がいなくなった今、だれが強さを見せられるのか。
橋本だと試合がカタくなりすぎるかもしれない。

上谷バブルをいかにうまく利用するか。
今後の女子プロレス界の浮沈がかかるこの一年。
たのしみだ。
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kawagucci
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性別:
非公開
自己紹介:
海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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