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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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Island Lifeさんの「手段としてのプロ
非常に面白い論説


研究者が職業研究者として働かねばならない以上、
こういう意識があると、
また趣が違うのでは無いかと思う
とはいえ、
この論説で対象となっている役者などの場合、
飯の種はヨソでも舞台に上がることは可能なのだが、
研究者は職業研究者になっていないと研究が(ほぼ)できない
この違いは考慮しなければならないけどもね


ボクみたいな研究に情熱的で無い人間というのは、
たぶんこの論説で言うところの「プロ」であって、
「手段としてのプロ」では無いと思う
「最高の作品を作りたいという内なる衝動」という
「アマチュアリズムに基づく研究への関心」が、
びっくりするぐらい無いですからね

一方で、
ボクは研究では無いところに強い関心があって、
それを達成するためにプロ研究者をやっているから、
「(やりたい研究をしたいがための)手段としてのプロ研究者」ではないが、
「(やりたいコトをしたいがための)手段としてのプロ研究者」ではある

一般的には、
「自分で手を動かしてデータを取って論文を書きたい」
「でも雑用や指導があるから中々それが叶わない」
という研究者が多いと思う
前者はもちろん「研究」であり、
後者であげた「雑用や指導」も広義には研究であるが、
彼らは後者を「自分の研究」にカウントしない
学生にテーマを与え指導しているなら、
たとえば論文上ではコレスポだったりするわけで、
つまり外見的には「自分の研究」であるだろうに、
それをカウントしないのはなぜか
それは、
彼らにとっては内から沸き上がる自らの感情と、
それを実現する行動を為すことが「研究」であり、
彼らにとっての「研究」は極めてアマチュア的であるということになる

要するに、
彼らはまさにこの論説が指摘しているように、
精神的にはアマチュア研究者であるが、
自らの研究意欲を昇華せんがために、
「手段としてのプロ」を選択しているのである

で、まぁそれはそれで良いのだが、
中堅以上、つまりはテニュアに乗った研究者の中には、
「自らの研究意欲を昇華せん」として、
「手段としてのプロ」を選択したにもかかわらず、
「自らの研究意欲」を失ってしまう人もいる
おそらく多くの場合は、
「第一線で研究できていないことに気づいた」
からなのだろうけども、
そういう人は、
「目的を失い手段だけが責務として残った人」
になったわけだ
そう(実力不足に)なるのはある意味仕方がないし、
そう(目的を失ったから)といって収入を放棄しろとは、
口が裂けるまでは言わないが、
であれば、せめて
「その道のプロ」としての仕事はまっとうしてほしいと思う

「プロ(職業)研究者」としての責務というのは、
教育も、組織運営も、研究も、
すべてを最低限の水準で実施することだろうが、
それは必要条件であって十分条件ではないだろう
なぜなら求められる最低限の水準というのは、
えてして「現状維持」のラインでしかないからだ
学生も組織も研究も「常に変化する」宿命を背負っている
であるから、
皆が現状維持しか目指していないと、
気づかれない綻びがいつしか取り返しのつかない状態に陥ってしまうだろう
だから、
最低限の水準をこなすと同時に、
少なくともどれか一つには、
「最高の作品を作りたい」というアマチュアリズムを持っているべきで、
それが「プロ(職業)研究者として"存在しても良い"」最低限のラインだと思う


===========(以下引用)==============
プロとアマを分かつのは単独の作品の質ではない。 長期的に見た場合に「出来が悪い時でも一定の水準を越えていること」がプロの条件だ。(中略)顧客は払ったものに対するアウトプットが出てくることを あてに出来るから払うのである

プロとアマの違いは何だろうかと時々考えるのだけれど、ひとつ確実に言えるのは、 プロはどんな場合でも仕事の質がある下限以上であることが期待されているということだ。 (中略)プロかどうかを分けるのは山の頂きではなく谷底の標高が一定の高さをクリアしている ことではないかと思う。

通常のプロの水準を大きく飛び抜ける作品をアマチュアが生み出すこともある。(中略)そのことと、その人が継続して役者や小説家を仕事としてゆけるかどうかということは 別の話なのだ。

一発屋ではなく継続してその分野でより良い作品を 産み出してゆきたいと思うなら、理想的な状態は作品を創ることだけを 24時間365日続けられる環境にいることだろう。(中略)プロになるという選択は、「最高の作品をつくりたい」という目的の ための手段であり得る、

「いつでも確実に要求水準をクリアする」というプロ意識と、 「持てる力の全てを注ぎ込んで最高のものをつくる」という一種のアマ意識は 同居し得るもの

業界そのものを成り立たせている「しくみ」の部分は 「頼まれた水準をきちんとクリアする」という 割り切ったプロ意識で支えられているわけで。それが崩れると 新しい地平にジャンプしようとしても土台が無くなっちゃう
「頼んだ仕事は必ずきちんと仕上げてくる」というのがhigh reliability。
「いつどんな時に仕事を頼んでも引き受けてくれる」というのがhigh availability。

会社勤めだとreliabilityは気にしてもavailabilityを 気にすることは少ない。自分の手がふさがってれば他の誰かを手当てするのが会社の役目 だから。でもフリーランスだとavailableでないということは仕事が取れないということだ。

素晴らしいものを創り出す才能に何とか報いたいという想いがあるのなら、(中略) 具体的には、才能とそれを求めている人とをうまくつなげる役割を買って出ることだろう。

 
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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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