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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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ながらく「もう若手会には出ない」と言っているのだが,
出身研究室の後輩から直接招待メイルを受け取ったので,
またまた出席した。

講演を含め,こちらから話したことは,大体いつもの話で,
・動機ー実施ー解釈の砂時計型の把握
・物理ー化学ー生物ー地学の包含構造と「地球化学」の位置付け
・「2050年の研究」を社会情勢も含めて考える必要性
・高校の監督と選手でなく,プロの監督と選手の関係である
・チャンスは向こうからしかこないので,誘いに乗ることが大事
・その研究にはどういう意味があるの?その研究じゃなければならない理由は?
・大学院の研究室は逃げ場がないけど,イヤになったら逃げなさい
・「賢い子供」は早く抜けて,バカでもいいから「大人」になりなさい
というようなこと。


今回参加して特に感じたのは,一番下の話題。
「意識の高い学生」の到達点が「賢い子供」になっていること。

たとえば幹事については,ボクは招待講演者だったのだけど,
「足代」とか「御礼の品」とか「シングルルーム」を準備するとか,
そういうところまで気が回っていて(お金は受け取れないですよ),
それはそれで関心するところではある。
とはいえ,
「幹事ってのはコレとコレとコレをして・・・」という,
どこかにありそうなマニュアルのようなものにならって働いているような,
そういう類の気配りであった。

ボクなりに解釈すると,
・相手と自分を完全なる「別物」として位置付けて,
・接点を限りなく少なくして,
・その接点の部分だけに最大限の注意を払う,
という接し方に思えて,
感覚としては,
コンビニでバイトをしていた時の接客に近い。

その他の参加者についても,
会期の24時間中,誰も雑談すら話しかけてこなかった。
もちろんボクのキャラクターの問題もあるのだろうけど,
「この機会に新しいモノに触れよう」
という能動的な感じではなくて,
「何か新しいモノを提供してくれるだろう」
みたいな受動的な感じだろうか。
スケジュールが定刻ではじまらないし,はじめようともしない,そのことに誰も憤らない。
とにかく一事が万事,そんな具合だった。

ごく一部の接点のみに注意して,仮面を用意して触れ合うだけなら,
わざわざ人が集まる会を開催する必要はないじゃないか。
「なんのために自主的に集まるのか」を考えたら,
それはウェブ上の架空の集会や,格式ばった集会ではなくて,
同じ何かを求める人達が生身が近接する距離に存在することで,
その空気感を肌感覚のようなもので吸収するためじゃないのか。


会の最後で講演賞の投票があって,
その時にもう1人の招待講演者が,
講演賞じゃないけど表彰をしたいと言い出した。
理由は「この学生だけは笑顔で挨拶をしてくれたから」。

この痛烈な皮肉が,
彼らに響いていることを願うばかりである。

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