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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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オフト…
ラモスとかに反感買うも柱谷を中心になんとかまとまる
ドーハ後は潔く辞任。立派だった。津波の怪我が悔やまれる

ファルカン…
明らかにスクラップアンドビルト中に韓国に負けたら即解任。
ただ、選んでた選手も的外れだった感もある。協会曰く「外国人はコミニケーションが」

加茂…
とりあえず、96年まで任せて後は、オフトとファルカンと比較すると言う謎のシステムを当所採用
結局はアジアカップの敗退で加藤久がネルシーニョを押すも続投「腐ったミカン」
アジアカップでビビって3バックに変更し、プレスとサイド攻撃が機能しなくなり更迭
あれ、長沼さんは加茂が辞める時は一緒に辞めるのじゃなかった?という問いには
「売り言葉に買い言葉だった」なにそれ…

岡田…
本大会は別の人が指揮とる説も強かったし、ジーコのベンチ入りも具体的に進んでいたが
それは本人が拒否(ま、当然だろう)
なぜか2002年までオファーされるもそれは断ったのは立派
やたら、カズの話は根強いがあの頃のカズって本当に酷かったよ…

トルシエ…
強化推進部長は「自分がトルシエを選んだわけじゃないし、辞めてもらいたい」臭がプンプン
朝日のリーク記事等gdgdに巻き込まれるが、岡野の英断で契約延長。岡野は立派だった

ジーコ…
もうね、どうでもいいよ

オシム…
名前優先じゃない人選は評価に値するが、代表で機能するのか最後まで怪しかった気がする

岡田…
他に居なかったから


トルシエの舞台裏みたいなのは、
6月の」もあるし、youtubeにも転がっている
そこで明らかにされていることは、
成果云々ではなくて、
トルシエが本気で日本サッカーを良くしようとしていたこと
それだけは間違いない

オシムについては、
言うまでもなく良くしようとしていた
あのお爺ちゃんは日本だけでなく、
もっと純粋にサッカーというものの素晴らしさを追求していますからね

一方で、
ジーコにはそういう"熱さ"はあったのだろうか
岡田にはあるのだろうか
いわゆる一流監督(モリーニョとかグァルディオラとか)の試合後コメントは、
チームの発展やメンバーを守る、あるいはファンの気持ちを惹きつけるために、
時に、はぐらかしたり、本心では無いだろうことを言うこともあるが、
岡田の場合は(それを意識しているのだろうが)まったく成功していない
むしろ非常に客観的で、
”熱さ”が一切伝わってこない
それがライト層にも伝播して、代表離れが加速しているのではないだろうか


ちなみに東アジア選手権の中国戦を見ましたが、
サイド攻撃で崩している」なんてものではなくて、
「遠藤がサイドの守備に追われていて、
バックラインから真ん中を中心に組み立てることができず、
サイド攻撃以外に選択肢がなくなっている」
だけであって、
「バランスの重心がサイドに寄ってしまっているから、
たとえサイドを崩したとしても中に誰もいない」
という状況なだけです

CB2枚+ボランチ1枚か、
CB1枚+ボランチ2枚か、
いずれにせよそこの3人で落ち着いてボールを回せないと、
しっかりとした組み立てはできない
現状、
中澤は足下不安、
トリオはすぐにロングフィード、
稲本は細かいステップワークが苦手
遠藤はサイドの守備に奔走、
なのでまったく機能していない
だから仕方なしにサイドからの攻撃のみになってしまうのでしょう
困ったものだ


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アマチュアとプロの違いについては、
昔から非常に気になって色々と考えてきていましたが、
「プロフェッショナル」を「ペルソナ」と捉えると、
何となくわかりやすい気がしてきました


ペルソナについては、
ココに読みやすい文章が書かれています
これが学術的に正しいかは疑問ですが、
大体のニュアンスはこれでいいんだと思います
単純に「ペルソナ=社会的な仮面」ということでいいのかな

つまりペルソナってのは、
肉体的な存在(役割)とはまったく無関係に存在する、
社会的な存在(役割)で、
つまり本当の意味では「架空の人物」

たとえば、
眠たいけど出社しなければならないという場面では、
眠い私は生身のヒトという生物で、
出社しなければならないのはペルソナ
「会社という制度によって定義される会社員」というペルソナですね
もちろん実際の肉体は共有している

そこで、
会社員というペルソナを考えると、
それは会社(社会)の定義に基づく会社員であり、
たとえば就業中にネットをすることなどはもちろん無く、
あるいはトイレに立つことさえもしないかもしれない
すべての行動は会社の定義に基づいて行われ、
そこに個人の生物学的欲求や、
個人としての社会的欲求は存在しない
完全なる「滅私」の状態
個人的にどれだけ嫌いな人でも会社の付き合いなら好意的に交流するし、
会社のためなら自分の体が壊れることも厭わない
倒産するとわかっていても逃げ出すことなく、
最後まで会社のために働き続ける

しかし現実的には、
会社を軸にしたペルソナを考えると、
完全なる会社員というペルソナはありえない
おしっこのガマンには限界があるように、
自分が人間という生物として生存していくという部分で、
会社員というペルソナと絶対的に矛盾が生じてしまう
また、
会社は一会社員の行動では如何ともしがたく倒産することもありえる
そうすると会社員というペルソナは存在し続けることができなくなる

だから一般的には、
会社にいる時は会社員のペルソナ、
家に帰れば家庭人で、
時には会社でも会社員ペルソナを解放してみたり、
そうやって複数のペルソナを状況に応じて巧みに使い分けながら、
人間という生物の生涯を全うしていく
しかしこの場合、
「ペルソナを着脱する自分」という存在が必要になってしまう
これでは完全なるペルソナではない

そこで、
もう一つ位相を上げた、
より根源的なペルソナを設定すると様子が変わる
つまり、
会社員であり家庭人であり一生物であることを認める一つのペルソナを設定する
それぞれにペルソナがあるのではなくて、
メタペルソナというか、
全部で一つだということにしてしまう
そうすると、
あたかも生身の人間が社会的生活を送っているようになり、
「自分というペルソナの自分」、
という存在が現出する

そうこうしていくと、
もはや自分とペルソナの境界がなくなる
すべて自分でかつすべてペルソナ
この状態は、
完全なるペルソナであると同時に、
完全にペルソナから解放された自分でもある
そこにペルソナの自覚はないのかもしれない

翻ってプロフェッショナル
たとえば研究者を想定すると、
研究をしている時は研究者ペルソナ、
家に帰れば家庭人ペルソナ
よく、
仕事と家庭の両立は難しい、とか、
好きなことでも仕事になるとねぇ、とか、
そういう話があるけども、
それは研究者ペルソナと家庭人ペルソナの着脱(変更)をする自分が存在するから、
研究に対しての姿勢が場合によって変化するということ
たとえば家にいる時に天の声が、
「あなたは研究者ですか」と問うてきたら、
「私はこの家族の一員です」と応えることになる
でも家庭人のペルソナである自分が研究好きでもかまわないという点で、
少しあやふやな状況を生み出してしまう
(家庭人である自分が会社という構造が好き、ってのは珍しいかもね)

一方で位相を上げて、
より根源的に、
家庭人であり研究者でもある一つのペルソナに纏われてしまえば、
研究に対する姿勢は一貫性を持つ
自分は本当に好きで研究をしていて、
研究で飯のタネを得ていて、
それで家族を養って、
もちろん家族と楽しむ時間も持って、
その時間の中でも研究は好きで、
そういうのをすべて一つのペルソナの中で実施する
そうなると、
いつどこでも自分は研究者であり続ける
それは真にプロの研究者であるということにならないか
寝ても覚めても研究のことを考えている、という意味ではなくって、
その比率は変わろうともいつもどこかに研究者としての自分が存在していて、
そんな研究者である自分を家庭に持ち込むことを認めてしまう
あるいは、
どんな状況下であろうとも自分が研究者であることをまったく否定しない
それが真にプロの研究者じゃないかしら



あら、
だいぶ言いたいことと変わってきた
ダメだこりゃ



つまり、
長嶋茂雄は長嶋茂雄という完全なるペルソナに覆われていて、
生身の長嶋茂雄とペルソナの間にはもはや境界が存在しない
明石家さんまやタモリにも同じような感覚を抱く

ペルソナ(=仮面)という意味をはっきりと現出させているのはタイガーマスクで、
マスクマンという存在を許容するプロレスの奥深さは、
人間が社会的営みをする上での根源的な何かを表現しうるものだと思う

お笑い怪獣=タイガーマスク論につながるなぁ

ぐあー
また考えます
 googleのwebsiteサービスで作った個人サイトのリンクを、
このweblogのタイトル下に赤字で載せました

すげー簡単です
CVをWordで作って、後は貼り付けるだけ
picasaのはめ込みもワンクリック
自分の動画を作ればyoutubeを入れ込むことも容易

転送速度とサーバー容量が大きくなった今、
個人や小さな集団レベルでのwebsiteの運用法は色々と考えられるね
学会のwebも単にテキストと画像だけでなく、
たとえばレクチャーの動画や、
あるいはパワポに音声を合わせたようなものでもいいんだけど、
そういったものをバンバン載せていければいいね
 この1月から某学会の評議員を拝命しております

ボクのような若者が慣例よりも極めて早い段階で選挙に推薦されたこと、
またそんな若輩にもかかわらず当選させていただいたということの意味を考えると、
ボクに求められているのは、
「オジサンが何をしているのかを若者に伝える」という部分と、
「若者が何を考えているかをオジサンに伝える」という部分があるんじゃないかと思うわけです
それは、
「若者とオジサンの垣根を下げていく」あるいは、
「若者にも学会という組織との付き合いを意識してもらう」(会員獲得!?)、
と換言できるのかもしれません
と、
勝手に思っています

なので、
このweblogでは、
評議員としての活動があった場合には、
その様子や感想などを、
可能な範囲で積極的に記していこうと思っています
(もちろん記載が許されない内容は巧みに隠します)



前置きが長くなりましたが、
(でも前提の確認は極めて大事ですよね)、
土曜日に【幹事会】(*1 末尾に解説アリ)が開催されたので出席してきました
ボクは幹事ではないのに希望して参加したオブザーバーです
もちろんわざわざ会議に出たがる希有な人間はボクだけでした(他は皆さん幹事(?))


幹事会では、
学会の現状と今後の活動方針の確認、
そしてそれを踏まえて、
次週に行われる「評議員会に諮る議題の確認と論点の洗い出しと整理」を、
やっていたように思います


ちなみに現在の問題点は、
会員数が減少している(減少しそう)とか、
財政状況が悪化している(業界が不景気だし)とか、
学会が編集する雑誌のIF値が減少している(そもそも低い)とか、
他学会や連合などと比べプレゼンスが低い(と感じる)とか、
そういったことのようです


内容の詳細は下に書きますが、
雰囲気は"航海打ち合わせ"や"研究費の内部シンポジウム"などと同じようなノリでした
まぁ同じようなオジサン達が集まっているわけですから雰囲気はそうなりますよね
ということで、
特段張り詰めているとか緊張感とか、そういうのは無かったです



この学会というのは、
そもそもが任意に集った研究者集団であって、
学会という体裁はそれなりの集団規模を適当にコントロールするため、
あるいはより互助的な活動を活発にするためにはじめた、
寄り合い所帯のようなもののようです(ボクの認識)
(これはどこの学会も出発点は同じなのではないかな?)

それが何十年と続いてきた中で、
もちろん基本的には円滑に活動してきたからこそ現在も存続しているのですが、
ある側面では"歪み"のようなものが生じてしまっているようです
具体的な事例は記載できませんが、
上で触れた設立の経緯のようなものにある通り、
要するに、”なあなあ”な部分が残っている、ということです(*2)

すこし話が変わりますが、
上で述べた現在の学会が抱える問題に対処していこう、という中で、
一つの方法論として、
学会を現在の任意団体という位置づけから、
法人格を持った団体にするということが議論されています
いわゆる、法人化の検討、ということです
これは、
既に行われている大学や研究所の独法化とは別件だと思った方が認識は正しかろう、と思います

で、
ここでまた論点の整理
ややこしいようですが、
"法人であること"のメリットデメリットとは別に、
"法人化"における問題点というのが存在するということです

法人として認可されるためにはそれなりの条件をクリアしなければならなくって、
たとえば重大な案件としては、
法人の組織体系や所在、会計などについて、
たとえばNPO法人を目指すならそれに認可されうるだけのフォームが必要になります
現在の当学会のフォームでは横滑り的に法人の認可を得ることが難しいので、
いくつか大きな調整や決断をする必要があるわけですが、
その際に先に述べた"なあなあ"な部分が残っているというのは大きな壁となるわけです
ちなみに壁と書きましたが、
乗り越える事ができない、という意味ではなく、
乗り越えるには労力が必要である、という意味です

まぁそんなこんなで法人化の作業について話があったわけですが、
ボクとしては、
そもそも法人になることを目指すか否か、という部分の議論を聞けると思っていたので、
やや拍子抜けという感じでした

ちなみにボク個人としては、
学会というのが任意の研究者集団からはじまったことを踏まえ、
たとえ何のメリットも無くなったとしても学会の存在は存続させるべきだし、
実際、名前だけとにかく存続させると言うことはできるわけで、
そういう観点から、
必要経費が発生する法人化によって経済的にダメージを受け、
人間関係に重大な傷を残す可能性というのが最も恐ろしく、
最も避けるべき事態である、という立場から、
法人化に対しては絶対に反対、という意思を持っていることをココに表明しておきます
(表明せんでもいいんやけどね)

ちなみに必要経費のたとえばですが、
法人になるとメールによる決済が認められないらしい
緊急の議題を議決するにも紙文書(あるいは肉体的会合)が必要になり、
経費がかさむ(色々と自由度も低くなる)ことが想定される


あら、
気付いたら法人化の話に終始してしまった
実際の幹事会では法人化に関する話は1/10も話されていませんでしたよ
まぁいいや
そういう話があるよ、ということをここに載せることが重要ですよね

というかですね、
幹事会で話し合った事項の多くは、
"なあなあでも良し"と判断するのであれば、
特段、議論にあげる必要のない話題とも判断できた、という部分で、
法人化を目指すか否か、というところが不明確なままに議論に時間が費やされていることに、
若干の違和感を感じていたのでした




(*1 幹事会とは?)
【評議員】は【正会員(学生会員含む)】の直接選挙で【正会員】の中から選ばれる(選出細則)、
【評議員会】は【会長】【副会長】【評議員】をもって組織(会則11条)
【会長】と【副会長】は【評議員ではない】が【評議員会の構成員】(会則第11条)
【幹事】は【評議員会】の承認を経て【評議員の中】から【会長】から委嘱される(会則第13条)、
ただ、
【幹事会】については【幹事は会長副会長とともに幹事会を構成する】(第13条)とあるだけで、
【評議員会】の枠組みがピッタリと決まっていることと比べると、
たとえば【幹事会】に上記以外の人物が参加することを制限していないように解釈できる
そもそも【幹事は若干名をおく】(第13条)とあるだけ

ということで、とりあえず今期は、
第13条にある【幹事会を構成する】メンバーに加え、
会長が参加を認める【幹事外のオブザーバー】を、
【幹事会参加者】ということにしていこう、という方針
(これはボクの認識、誤解があると思う)

簡単に書くと、
【"幹事"∈"評議員"】は会則で決められた絶対条件
【幹事会参加者="幹事"+"オブザーバー" 】は現状(法的拘束はない)、
です
ボクは【評議員】だけども【幹事】ではありませんので、
オブザーバーとしての幹事会への参加だった、ということです


(*2)
ちなみにボク個人は“なあなあ“というのは、
集団運営においては必要なバッファーだと思っています
"なあなあ"を良きバッファーとして利用するには、
性善説が前提です

性善説というのは、
他人は悪いことをしないと想定する、という意味ですから、
"実際に悪事を働いている人"というのは性善説の世界には存在しなくて、
”悪事を告発する人“が現れた時に、
それが追認的に”悪事か否かの審議事項”になるのです
それは、
告発する人が"最初に性善説を否定している"からです

この場合告発者は、
性善説を採用し続けることでムラに及ぶ危機を唱えたという意味でムラの守護者なのですが、
あるいは、
ムラの掟(性善説)を破った破戒者という側面も与えられてしまいます
(告発者が黙っていればムラが滅びるまで性善説によってムラ人同士の平和は保たれたはずだから)

そういう意味で、
告発する際には十分な明確で客観的な根拠を告発に添える必要がありますし、
告発を審議する側にも非常に慎重な根拠の精査が求められます
これは大変な労力です

ちなみにボクは、
"ムラ人同士の揉め事"は"ムラの存続にはプラスにならない"という立場から、
ムラの存続自体が目的なムラである学会組織(法人化の部分参照)という側面を踏まえ、
"告発することについては慎重になるべき"という姿勢です
ようするに最後まで性善説を貫くという意味ですね


すいませんが、
まだまだ朝青龍ネタです


まず今回の"問題"についてですが、
色々と的外れな気がするんですよね
夜遅くまで友達と深酒して、
酔っぱらった勢いで揉めてケンカするなんてことは、
ぶっちゃけどこでも起こっていることでしょう
ボクだって先輩に突然殴られたりしましたよ
また、
そんな深酒する間柄の友人でありながら、
「暴行された」って騒ぐのは、
どうも納得がいかない
深酒する間柄ならドルジが酔っぱらったら”そうなる”ことはわかっているはずで、
だったら飲ませないなり避難するなりできたはず
さらに、
被害者とされる人は普通の一般人ではなく、
K-1石井館長とも酒を飲む間柄で、
若い頃から修羅場を潜ってきた人物らしい
つまり”そっち系”の人なわけでしょう
ますます解せない

また横審・相撲協会の対応も度し難い
朝青龍の横綱昇進に当たっては、
内館牧子委員が「品格に問題あり」と異議を唱えたが、
「これから横審・協会・親方が教育していく」ということで昇進を認めた経緯があったはず
にもかかわらず、
その横審・協会が横綱の品格を問題視するというのは、
自らの管理能力の欠如を喧伝しているだけで、
お門違いなのではないか
そういう意味では、
確たる「横綱論」を唱え態度を一貫した内館牧子氏には敬意を表したい
(彼女は朝青龍という一個人のファンであったわけだから)
(ちなみにプロレス、特に小橋建太の大ファンでもある)
デーモン木暮閣下も同様に立場を一貫している
要するに、
朝青龍本人にしても横審や協会にしても、
上の親方衆からの受け売りでなく、
自分の頭で「相撲のあり方」「横綱のあり方」を考えてこなかったつけが、
こうした結果を招いたと言えるだろう

朝青龍は、
単に感情をストレートに表現する人間であっただけ
大草原で育った少年がそのまま大人になっただけ
人間的成長が期待される青年期に、
言葉の壁(高校留学)と文化の壁(大相撲入門)に衝突したせいで、
内面的な成熟が遅れてしまったのだろう

早々に親方の番付を超えてしまったことと、
親方に勇気と信念が無かったことが、
師弟関係を崩壊させ、
このような事態を招いたとも考えられ、
親方の指導という部分もこれから問われていくことだろう
この辺りは貴乃花の改革とやらに期待してみましょう




角聖 双葉山(35代): 警官を投げ飛ばして逮捕
若乃花(45代): 韓国人女性に子供を産ませる
大鵬&柏戸(48、47代): 拳銃を所持・密輸して書類送検
北の富士(52代): 不眠症の診断書で本場所を休場して、ハワイでサーフィン
北の湖(55代): ホステスを殴る
千代の富士(58代): 歴史的53連勝のうち34番が八百長だったと暴露される
双羽黒(60代): おかみさんに暴力を振るって失踪、廃業


朝青龍引退 

なぜ引退しなければならないのか
まったく不明な事件を不明なままにするならば、
引退する必要はないはず

ヒールではあったが間違いなくスターであった
白鳳はベビーだがスターではない

若貴が去った土俵を守り続けた最後のスター力士が、
このような形で土俵を降りるのは、無念だ
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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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