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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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アマチュアとプロの違いについては、
昔から非常に気になって色々と考えてきていましたが、
「プロフェッショナル」を「ペルソナ」と捉えると、
何となくわかりやすい気がしてきました


ペルソナについては、
ココに読みやすい文章が書かれています
これが学術的に正しいかは疑問ですが、
大体のニュアンスはこれでいいんだと思います
単純に「ペルソナ=社会的な仮面」ということでいいのかな

つまりペルソナってのは、
肉体的な存在(役割)とはまったく無関係に存在する、
社会的な存在(役割)で、
つまり本当の意味では「架空の人物」

たとえば、
眠たいけど出社しなければならないという場面では、
眠い私は生身のヒトという生物で、
出社しなければならないのはペルソナ
「会社という制度によって定義される会社員」というペルソナですね
もちろん実際の肉体は共有している

そこで、
会社員というペルソナを考えると、
それは会社(社会)の定義に基づく会社員であり、
たとえば就業中にネットをすることなどはもちろん無く、
あるいはトイレに立つことさえもしないかもしれない
すべての行動は会社の定義に基づいて行われ、
そこに個人の生物学的欲求や、
個人としての社会的欲求は存在しない
完全なる「滅私」の状態
個人的にどれだけ嫌いな人でも会社の付き合いなら好意的に交流するし、
会社のためなら自分の体が壊れることも厭わない
倒産するとわかっていても逃げ出すことなく、
最後まで会社のために働き続ける

しかし現実的には、
会社を軸にしたペルソナを考えると、
完全なる会社員というペルソナはありえない
おしっこのガマンには限界があるように、
自分が人間という生物として生存していくという部分で、
会社員というペルソナと絶対的に矛盾が生じてしまう
また、
会社は一会社員の行動では如何ともしがたく倒産することもありえる
そうすると会社員というペルソナは存在し続けることができなくなる

だから一般的には、
会社にいる時は会社員のペルソナ、
家に帰れば家庭人で、
時には会社でも会社員ペルソナを解放してみたり、
そうやって複数のペルソナを状況に応じて巧みに使い分けながら、
人間という生物の生涯を全うしていく
しかしこの場合、
「ペルソナを着脱する自分」という存在が必要になってしまう
これでは完全なるペルソナではない

そこで、
もう一つ位相を上げた、
より根源的なペルソナを設定すると様子が変わる
つまり、
会社員であり家庭人であり一生物であることを認める一つのペルソナを設定する
それぞれにペルソナがあるのではなくて、
メタペルソナというか、
全部で一つだということにしてしまう
そうすると、
あたかも生身の人間が社会的生活を送っているようになり、
「自分というペルソナの自分」、
という存在が現出する

そうこうしていくと、
もはや自分とペルソナの境界がなくなる
すべて自分でかつすべてペルソナ
この状態は、
完全なるペルソナであると同時に、
完全にペルソナから解放された自分でもある
そこにペルソナの自覚はないのかもしれない

翻ってプロフェッショナル
たとえば研究者を想定すると、
研究をしている時は研究者ペルソナ、
家に帰れば家庭人ペルソナ
よく、
仕事と家庭の両立は難しい、とか、
好きなことでも仕事になるとねぇ、とか、
そういう話があるけども、
それは研究者ペルソナと家庭人ペルソナの着脱(変更)をする自分が存在するから、
研究に対しての姿勢が場合によって変化するということ
たとえば家にいる時に天の声が、
「あなたは研究者ですか」と問うてきたら、
「私はこの家族の一員です」と応えることになる
でも家庭人のペルソナである自分が研究好きでもかまわないという点で、
少しあやふやな状況を生み出してしまう
(家庭人である自分が会社という構造が好き、ってのは珍しいかもね)

一方で位相を上げて、
より根源的に、
家庭人であり研究者でもある一つのペルソナに纏われてしまえば、
研究に対する姿勢は一貫性を持つ
自分は本当に好きで研究をしていて、
研究で飯のタネを得ていて、
それで家族を養って、
もちろん家族と楽しむ時間も持って、
その時間の中でも研究は好きで、
そういうのをすべて一つのペルソナの中で実施する
そうなると、
いつどこでも自分は研究者であり続ける
それは真にプロの研究者であるということにならないか
寝ても覚めても研究のことを考えている、という意味ではなくって、
その比率は変わろうともいつもどこかに研究者としての自分が存在していて、
そんな研究者である自分を家庭に持ち込むことを認めてしまう
あるいは、
どんな状況下であろうとも自分が研究者であることをまったく否定しない
それが真にプロの研究者じゃないかしら



あら、
だいぶ言いたいことと変わってきた
ダメだこりゃ



つまり、
長嶋茂雄は長嶋茂雄という完全なるペルソナに覆われていて、
生身の長嶋茂雄とペルソナの間にはもはや境界が存在しない
明石家さんまやタモリにも同じような感覚を抱く

ペルソナ(=仮面)という意味をはっきりと現出させているのはタイガーマスクで、
マスクマンという存在を許容するプロレスの奥深さは、
人間が社会的営みをする上での根源的な何かを表現しうるものだと思う

お笑い怪獣=タイガーマスク論につながるなぁ

ぐあー
また考えます
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kawagucci
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自己紹介:
海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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