自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
ながらく「もう若手会には出ない」と言っているのだが,
出身研究室の後輩から直接招待メイルを受け取ったので,
またまた出席した。
講演を含め,こちらから話したことは,大体いつもの話で,
・動機ー実施ー解釈の砂時計型の把握
・物理ー化学ー生物ー地学の包含構造と「地球化学」の位置付け
・「2050年の研究」を社会情勢も含めて考える必要性
・高校の監督と選手でなく,プロの監督と選手の関係である
・チャンスは向こうからしかこないので,誘いに乗ることが大事
・その研究にはどういう意味があるの?その研究じゃなければならない理由は?
・大学院の研究室は逃げ場がないけど,イヤになったら逃げなさい
・「賢い子供」は早く抜けて,バカでもいいから「大人」になりなさい
というようなこと。
今回参加して特に感じたのは,一番下の話題。
「意識の高い学生」の到達点が「賢い子供」になっていること。
たとえば幹事については,ボクは招待講演者だったのだけど,
「足代」とか「御礼の品」とか「シングルルーム」を準備するとか,
そういうところまで気が回っていて(お金は受け取れないですよ),
それはそれで関心するところではある。
とはいえ,
「幹事ってのはコレとコレとコレをして・・・」という,
どこかにありそうなマニュアルのようなものにならって働いているような,
そういう類の気配りであった。
ボクなりに解釈すると,
・相手と自分を完全なる「別物」として位置付けて,
・接点を限りなく少なくして,
・その接点の部分だけに最大限の注意を払う,
という接し方に思えて,
感覚としては,
コンビニでバイトをしていた時の接客に近い。
その他の参加者についても,
会期の24時間中,誰も雑談すら話しかけてこなかった。
もちろんボクのキャラクターの問題もあるのだろうけど,
「この機会に新しいモノに触れよう」
という能動的な感じではなくて,
「何か新しいモノを提供してくれるだろう」
みたいな受動的な感じだろうか。
スケジュールが定刻ではじまらないし,はじめようともしない,そのことに誰も憤らない。
とにかく一事が万事,そんな具合だった。
ごく一部の接点のみに注意して,仮面を用意して触れ合うだけなら,
わざわざ人が集まる会を開催する必要はないじゃないか。
「なんのために自主的に集まるのか」を考えたら,
それはウェブ上の架空の集会や,格式ばった集会ではなくて,
同じ何かを求める人達が生身が近接する距離に存在することで,
その空気感を肌感覚のようなもので吸収するためじゃないのか。
会の最後で講演賞の投票があって,
その時にもう1人の招待講演者が,
講演賞じゃないけど表彰をしたいと言い出した。
理由は「この学生だけは笑顔で挨拶をしてくれたから」。
この痛烈な皮肉が,
彼らに響いていることを願うばかりである。
出身研究室の後輩から直接招待メイルを受け取ったので,
またまた出席した。
講演を含め,こちらから話したことは,大体いつもの話で,
・動機ー実施ー解釈の砂時計型の把握
・物理ー化学ー生物ー地学の包含構造と「地球化学」の位置付け
・「2050年の研究」を社会情勢も含めて考える必要性
・高校の監督と選手でなく,プロの監督と選手の関係である
・チャンスは向こうからしかこないので,誘いに乗ることが大事
・その研究にはどういう意味があるの?その研究じゃなければならない理由は?
・大学院の研究室は逃げ場がないけど,イヤになったら逃げなさい
・「賢い子供」は早く抜けて,バカでもいいから「大人」になりなさい
というようなこと。
今回参加して特に感じたのは,一番下の話題。
「意識の高い学生」の到達点が「賢い子供」になっていること。
たとえば幹事については,ボクは招待講演者だったのだけど,
「足代」とか「御礼の品」とか「シングルルーム」を準備するとか,
そういうところまで気が回っていて(お金は受け取れないですよ),
それはそれで関心するところではある。
とはいえ,
「幹事ってのはコレとコレとコレをして・・・」という,
どこかにありそうなマニュアルのようなものにならって働いているような,
そういう類の気配りであった。
ボクなりに解釈すると,
・相手と自分を完全なる「別物」として位置付けて,
・接点を限りなく少なくして,
・その接点の部分だけに最大限の注意を払う,
という接し方に思えて,
感覚としては,
コンビニでバイトをしていた時の接客に近い。
その他の参加者についても,
会期の24時間中,誰も雑談すら話しかけてこなかった。
もちろんボクのキャラクターの問題もあるのだろうけど,
「この機会に新しいモノに触れよう」
という能動的な感じではなくて,
「何か新しいモノを提供してくれるだろう」
みたいな受動的な感じだろうか。
スケジュールが定刻ではじまらないし,はじめようともしない,そのことに誰も憤らない。
とにかく一事が万事,そんな具合だった。
ごく一部の接点のみに注意して,仮面を用意して触れ合うだけなら,
わざわざ人が集まる会を開催する必要はないじゃないか。
「なんのために自主的に集まるのか」を考えたら,
それはウェブ上の架空の集会や,格式ばった集会ではなくて,
同じ何かを求める人達が生身が近接する距離に存在することで,
その空気感を肌感覚のようなもので吸収するためじゃないのか。
会の最後で講演賞の投票があって,
その時にもう1人の招待講演者が,
講演賞じゃないけど表彰をしたいと言い出した。
理由は「この学生だけは笑顔で挨拶をしてくれたから」。
この痛烈な皮肉が,
彼らに響いていることを願うばかりである。
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「東京の交通網は世界一」って言うけど,
中吊り広告は週刊誌のポルノまみれだよね。
「おもてなし」って言うけど,
コンビニにはポルノ本が陳列されているよね。
「薬物クリーン」って言うけど,
育成の現場では暴力が横行してるよね。
「スポーツで子供に未来を」って言うけど,
公園では騒ぐな,球遊びするな,だよね。
「東京はフクシマとは無関係で安全」って言うけど,
今後状況が悪化したらどうなるかわからないよね。
「五輪で復興」って言うけど,
五輪開催が復興に資する理屈がないよね。
ボク自身はスポーツも五輪も好きで,素晴らしいことだと思っているし,
そういったモノを享受している側として,
「他ならぬ日本でやるべし」という考えよりも,
むしろもっと後ろ向きで,
「他国がしんどいなら日本が経済的負担をしてでも五輪を開催すべき」という思いがある。
まぁとにかく,
考えなきゃならないことはいっぱいあるけども,
良い大会になるように,何か出来ることをやっていこうとは思う次第です。
Tweet
中吊り広告は週刊誌のポルノまみれだよね。
「おもてなし」って言うけど,
コンビニにはポルノ本が陳列されているよね。
「薬物クリーン」って言うけど,
育成の現場では暴力が横行してるよね。
「スポーツで子供に未来を」って言うけど,
公園では騒ぐな,球遊びするな,だよね。
「東京はフクシマとは無関係で安全」って言うけど,
今後状況が悪化したらどうなるかわからないよね。
「五輪で復興」って言うけど,
五輪開催が復興に資する理屈がないよね。
ボク自身はスポーツも五輪も好きで,素晴らしいことだと思っているし,
そういったモノを享受している側として,
「他ならぬ日本でやるべし」という考えよりも,
むしろもっと後ろ向きで,
「他国がしんどいなら日本が経済的負担をしてでも五輪を開催すべき」という思いがある。
まぁとにかく,
考えなきゃならないことはいっぱいあるけども,
良い大会になるように,何か出来ることをやっていこうとは思う次第です。
■あのな、プロレスを「八百長だ!」と言う奴はプロレス見なきゃいいんだよ。
「八百長でも面白ければいい。」そういう割り切り方をできる奴じゃなきゃプロレスは楽しめない。
セメント見たけりゃ総合へどうぞ、ってさ。馬鹿な客は、頭の中で楽しむべき部分を変に明確に
しようとするんだ。「勝ち負け決まってんだろ?」とかな。決まってたらどうなの?って逆に聞きた
いな(笑)それをはっきりさせてどうしたいの?って逆に聞きたい、俺は。プロレスにむいてない
レスラーってたくさんいるけど、プロレスにむいてない客もたくさんいるんだよ。そういう奴らは
映画とか小説を見てればいいと思うんだけどな。
■だって張り手とかチョップの打ち合いするんだから、プロレスは(笑)セメントならよけるだろ(笑)
その時点である意味、アホでも分かるのになぁ。それなのに「プロレスって八百長なんですか?」
なんて言う奴は馬鹿だよな。自分で判断しなさいって(笑)あのな、プロレスの楽しみは想像と予測だよ。
想像力が無いやつがプロレス見たって何も面白くないんだ。客が頭に浮かべてる想像とか予測を、
遥かに越えた展開や試合なんかを提供するのが俺達の仕事。
from http://diovsjojo.exblog.jp/4082262/
Tweet
「八百長でも面白ければいい。」そういう割り切り方をできる奴じゃなきゃプロレスは楽しめない。
セメント見たけりゃ総合へどうぞ、ってさ。馬鹿な客は、頭の中で楽しむべき部分を変に明確に
しようとするんだ。「勝ち負け決まってんだろ?」とかな。決まってたらどうなの?って逆に聞きた
いな(笑)それをはっきりさせてどうしたいの?って逆に聞きたい、俺は。プロレスにむいてない
レスラーってたくさんいるけど、プロレスにむいてない客もたくさんいるんだよ。そういう奴らは
映画とか小説を見てればいいと思うんだけどな。
■だって張り手とかチョップの打ち合いするんだから、プロレスは(笑)セメントならよけるだろ(笑)
その時点である意味、アホでも分かるのになぁ。それなのに「プロレスって八百長なんですか?」
なんて言う奴は馬鹿だよな。自分で判断しなさいって(笑)あのな、プロレスの楽しみは想像と予測だよ。
想像力が無いやつがプロレス見たって何も面白くないんだ。客が頭に浮かべてる想像とか予測を、
遥かに越えた展開や試合なんかを提供するのが俺達の仕事。
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なんだか体調不良が続いている気がしたので,
カレンダーなど見ながら振り返ってみた。
まず2012年初頭からダイエットをして体重が激減した。(90->70)
12月AGUか1月デンマークかは忘れたけど,
はじめて飛行機で貧血になった。
12月ぐらいから首痛で通院をはじめた。
(今となっては,おそらくこの時期に枕をかえたせいだと思われる)
2月のインド洋航海は健康に過ごした。
3月は別居−>単身だったがなんともなかった(?)。
4月のはじめに首痛がひどくなり別の病院へ。牽引など。
4月下旬の航海は激しい頭痛(と熱と咳?)でふらふら。
下船したらまったく問題無くなった。
5月は問題無くすごした(たぶん)。
6月はNYが寒くて,プエルトリコ行きで飛行機貧血。
航海中は特に問題無く。
7月にもどってすぐ疲労をおして休日サッカーをやって,
しっかり熱が出て一日寝込む。
7月末から実家に帰省して子供と遊びダンゴを売り,
寝付きが悪く,戻る頃には熱と咳が出始め。
現地最終日ぐらいから手先足先に湿疹が出て,手足口病が疑われ,
微熱と激しい咳が2週間続く。
内科と皮膚科で薬をもらって,およそ治ってきたものの,
肺とノドがゴロゴロする状況は続いている(8/18現在)
Tweet
カレンダーなど見ながら振り返ってみた。
まず2012年初頭からダイエットをして体重が激減した。(90->70)
12月AGUか1月デンマークかは忘れたけど,
はじめて飛行機で貧血になった。
12月ぐらいから首痛で通院をはじめた。
(今となっては,おそらくこの時期に枕をかえたせいだと思われる)
2月のインド洋航海は健康に過ごした。
3月は別居−>単身だったがなんともなかった(?)。
4月のはじめに首痛がひどくなり別の病院へ。牽引など。
4月下旬の航海は激しい頭痛(と熱と咳?)でふらふら。
下船したらまったく問題無くなった。
5月は問題無くすごした(たぶん)。
6月はNYが寒くて,プエルトリコ行きで飛行機貧血。
航海中は特に問題無く。
7月にもどってすぐ疲労をおして休日サッカーをやって,
しっかり熱が出て一日寝込む。
7月末から実家に帰省して子供と遊びダンゴを売り,
寝付きが悪く,戻る頃には熱と咳が出始め。
現地最終日ぐらいから手先足先に湿疹が出て,手足口病が疑われ,
微熱と激しい咳が2週間続く。
内科と皮膚科で薬をもらって,およそ治ってきたものの,
肺とノドがゴロゴロする状況は続いている(8/18現在)
他人の気持ちなんて,わかりっこない。
自分が知らないところで他人が何をしているかも,わかりっこない。
だから,他人のことなんて,理解しようがない。
ある人が自分にとって味方なのか敵なのかは,
まったくもってわからない。
自分が疑う気持ちを抱いていれば,
どんな他人も敵に見えるし,
その逆も真である。
また相手から見た自分は他人であって,
だから相手が自分を味方とみなすか敵とみなすかは,
完全に相手の心持ちによることで,
自分が何をした,何をされた,ということでわかることではない。
つまり味方や敵やというのは気の持ちようなので,
猜疑心が敵を作り,博愛が味方を作る。
「信じる」「隣人を愛する」ということは,
人間関係における「天下無敵」の秘訣なのだ。
上岡龍太郎の横山ノックへの弔辞の中で,
「そして,いつでも,どんな時でも,必ず,僕の味方をしてくれたノックさん」
という一節がある。
こういう人と出会い,関係を持てることは,
これ以上のない幸せだと思う。
ボク自身が本当にほしいものは,
上岡にとってのノックさんだけど,
だからこそ,そのためにボクが出来ることは,
誰かにとってのノックさんになることだと思う。
これはボクの行動基準の大きな位置を占めている。
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自分が知らないところで他人が何をしているかも,わかりっこない。
だから,他人のことなんて,理解しようがない。
ある人が自分にとって味方なのか敵なのかは,
まったくもってわからない。
自分が疑う気持ちを抱いていれば,
どんな他人も敵に見えるし,
その逆も真である。
また相手から見た自分は他人であって,
だから相手が自分を味方とみなすか敵とみなすかは,
完全に相手の心持ちによることで,
自分が何をした,何をされた,ということでわかることではない。
つまり味方や敵やというのは気の持ちようなので,
猜疑心が敵を作り,博愛が味方を作る。
「信じる」「隣人を愛する」ということは,
人間関係における「天下無敵」の秘訣なのだ。
上岡龍太郎の横山ノックへの弔辞の中で,
「そして,いつでも,どんな時でも,必ず,僕の味方をしてくれたノックさん」
という一節がある。
こういう人と出会い,関係を持てることは,
これ以上のない幸せだと思う。
ボク自身が本当にほしいものは,
上岡にとってのノックさんだけど,
だからこそ,そのためにボクが出来ることは,
誰かにとってのノックさんになることだと思う。
これはボクの行動基準の大きな位置を占めている。
ずっとずっと悩んでいるわけですが,
「よりよい社会のためには科学技術の開発が」
ってのは違うと思う。
やっぱり科学研究のモチベーションの根底は,
単に「好奇心」の発露であって,
いわば人間の持つ「欲望」そのものなんじゃないか,と。
それは「食欲」や「性欲」なんかと同じで,
ヒトが生きていく上で抱かずにはいられないものであって,
その「好奇心」が「未知のもの」に向いた時に,
それが「研究」になって,
それが積み重なって「科学研究」になってきた,
と考えるのが自然なんじゃないかな。
そう考えていくと,
「先端科学研究をやっている」ということは,
何も外に向かって胸を張って言うようなことではなくて,
むしろ食事や性行為のように,
イエの内側で,当事者のみによって行われる,
ある種の「秘め事」であるべきなのではないか。
科学者が「科学は社会に不可欠だ」と社会に向けて言うのは,
あるヒトが「性行為は社会に不可欠だ」と言うのと同じで,
その事実自体は真理として正しいのだけれども,
それと同時に,
「そんなことを公に言うなよ」
というものである気がする。
吉本隆明が原発について下のように語っている。
「原発をやめる、という選択は考えられない。原子力の問題は、原理的には人間の皮膚や硬い物質を透過する放射線を産業利用するまでに科学が発達を遂げてしまった、という点にある。燃料としては桁違いにコストが安いが、そのかわり、使い方を間違えると大変な危険を伴う。しかし、発達してしまった科学を、後戻りさせるという選択はあり得ない。それは、人類をやめろ、というのと同じです。
だから危険な場所まで科学を発達させたことを人類の知恵が生み出した原罪と考えて、科学者と現場スタッフの知恵を集め、お金をかけて完襞な防御装置をつくる以外に方法はない。今回のように危険性を知らせない、とか安全面で不注意があるというのは論外です」
この話は科学と人類社会の交点を明確に論じていると思う。
「科学が発達を遂げてしまった」ことが問題なのである。
人類が原始的に持つ好奇心にまかせておいたら,
(自動的に)科学が発達を「遂げてしまった」と考える。
しかし「もう到達した場所」から後戻りは出来ない。
それは人類の積み重ねてきた歴史を否定することだからだ。
その歴史は,われわれ今を生きる人間が「人類の原罪」として引き受けるしかない。
だからこそ,
知恵を集め,防御装置をつくるのもまた,人類のすべきことである。
しかし一方で,
(科学が)さらに発達すること,少なくともその速度にブレーキをかけることは,
人類を否定することにはならない。
人類の好奇心にまかせておいたら,
科学技術がもたらす厄災が人類に降りかかるのだ。
それを原子力のみならず多くの環境問題から学び取って,
「さらなる科学の発達で解決する」のではなく,
「(今ある)知恵を集め」て対応していけばいい。
科学の発展と経済成長は同じ方向を向いているので,
現代社会は「科学の暴走」に歯止めがかからない。
科学研究などは人類の持つ欲望でしかない。
その副産物は,
人類社会に革命を起こすが,
同時に厄災ももたらす。
「好奇心」を「社会的な罪」とはしない。
むしろ人類を代表して,
「好奇心」という「人類の原罪」を背負う科学者は一定数必要だろう。
しかし社会はそれにブレーキをかけねばならない。
Tweet
「よりよい社会のためには科学技術の開発が」
ってのは違うと思う。
やっぱり科学研究のモチベーションの根底は,
単に「好奇心」の発露であって,
いわば人間の持つ「欲望」そのものなんじゃないか,と。
それは「食欲」や「性欲」なんかと同じで,
ヒトが生きていく上で抱かずにはいられないものであって,
その「好奇心」が「未知のもの」に向いた時に,
それが「研究」になって,
それが積み重なって「科学研究」になってきた,
と考えるのが自然なんじゃないかな。
そう考えていくと,
「先端科学研究をやっている」ということは,
何も外に向かって胸を張って言うようなことではなくて,
むしろ食事や性行為のように,
イエの内側で,当事者のみによって行われる,
ある種の「秘め事」であるべきなのではないか。
科学者が「科学は社会に不可欠だ」と社会に向けて言うのは,
あるヒトが「性行為は社会に不可欠だ」と言うのと同じで,
その事実自体は真理として正しいのだけれども,
それと同時に,
「そんなことを公に言うなよ」
というものである気がする。
吉本隆明が原発について下のように語っている。
「原発をやめる、という選択は考えられない。原子力の問題は、原理的には人間の皮膚や硬い物質を透過する放射線を産業利用するまでに科学が発達を遂げてしまった、という点にある。燃料としては桁違いにコストが安いが、そのかわり、使い方を間違えると大変な危険を伴う。しかし、発達してしまった科学を、後戻りさせるという選択はあり得ない。それは、人類をやめろ、というのと同じです。
だから危険な場所まで科学を発達させたことを人類の知恵が生み出した原罪と考えて、科学者と現場スタッフの知恵を集め、お金をかけて完襞な防御装置をつくる以外に方法はない。今回のように危険性を知らせない、とか安全面で不注意があるというのは論外です」
この話は科学と人類社会の交点を明確に論じていると思う。
「科学が発達を遂げてしまった」ことが問題なのである。
人類が原始的に持つ好奇心にまかせておいたら,
(自動的に)科学が発達を「遂げてしまった」と考える。
しかし「もう到達した場所」から後戻りは出来ない。
それは人類の積み重ねてきた歴史を否定することだからだ。
その歴史は,われわれ今を生きる人間が「人類の原罪」として引き受けるしかない。
だからこそ,
知恵を集め,防御装置をつくるのもまた,人類のすべきことである。
しかし一方で,
(科学が)さらに発達すること,少なくともその速度にブレーキをかけることは,
人類を否定することにはならない。
人類の好奇心にまかせておいたら,
科学技術がもたらす厄災が人類に降りかかるのだ。
それを原子力のみならず多くの環境問題から学び取って,
「さらなる科学の発達で解決する」のではなく,
「(今ある)知恵を集め」て対応していけばいい。
科学の発展と経済成長は同じ方向を向いているので,
現代社会は「科学の暴走」に歯止めがかからない。
科学研究などは人類の持つ欲望でしかない。
その副産物は,
人類社会に革命を起こすが,
同時に厄災ももたらす。
「好奇心」を「社会的な罪」とはしない。
むしろ人類を代表して,
「好奇心」という「人類の原罪」を背負う科学者は一定数必要だろう。
しかし社会はそれにブレーキをかけねばならない。
憲法9条改正だとかなんだとか言ってるが,
双方の言い分を極論してしまうと。
「軍を持っているから殺してしまうんだ。持たなければいい。」
「軍を持っていないで無抵抗のまま殺されてもいいのか。」
ということで,
こうして考えると,
「たとえ殺されても殺さない」のか,
「殺されるぐらいなら殺す」のか,
という話に帰着できる気がする。
でもね,
戦争の引き金って,後者だと思うんですよ。
「得体の知れない相手がいて,
何をしだすかわからなくって,
でもまだそんなに力は持ってなくて,
だから今のうちに屈服させておこう」
ってのが,
強い方が弱い方に攻め込む口実じゃないですか。
(湾岸もアフガンも,そんな感じじゃなかったっけ?)
あとネトウヨ系の人々は,
「中韓は日本を嫌っているから何をするかわからん」
「日本の領土侵攻を企んでいる」
「戦争ならやってやるよ!」
って感じだけども,
彼らとて,領土領海を増やしたいのかもしれないけども,
本気でドンパチ戦争を仕掛けてくるってことはないんじゃないか。
というのも,
今のご時世,アメリカが圧倒的に強くて,
彼らは経済的な事情からか,示威行為なのかわからんけども,
とにかく兵力をどこかに投下して,
「世界の警察・米軍は必要だよね」
というポーズを決めたいわけでしょう。
そうやって考えると,
日本のとる立場として,
変にカッコだけ立派な兵力を整えてしまうと,
周辺国からは「大日本帝国の暴走再び」と誤解されるし,
米軍からは「世界の警察の一員ならもっと頑張れや」と言われるし,
で,
良いことがないように思われる。
むしろ,
軍備を完全に放棄してしまったらどうか。
それを世界中にアナウンスすればどうか。
「得体のしれない恐怖」を周辺国にあたえることはないし,
領土問題の解決策として戦争を選択する恐れもないし,
たとえ政権が変わって好戦的な内閣になっても急に軍備することは出来ないし。
周辺国も米軍も,
完全武装放棄を宣言した国に対して戦争を仕掛けることは,
世界の警察・米軍の睨みがきいているという意味でも,
世界の警察・米軍の立場としても,
出来ることではないように思われる。
仮に完全武装放棄をした国に攻め込もうものなら,
国際的な批難は必至だから。
ということで,
世界に先駆けて,
日本は「完全武装放棄」を宣言すれば良いと思うの。
わりとマジで。
で,その旗の下になら,
大同小異で,
現野党も結集できると思うんだけどなぁ。
Tweet
双方の言い分を極論してしまうと。
「軍を持っているから殺してしまうんだ。持たなければいい。」
「軍を持っていないで無抵抗のまま殺されてもいいのか。」
ということで,
こうして考えると,
「たとえ殺されても殺さない」のか,
「殺されるぐらいなら殺す」のか,
という話に帰着できる気がする。
でもね,
戦争の引き金って,後者だと思うんですよ。
「得体の知れない相手がいて,
何をしだすかわからなくって,
でもまだそんなに力は持ってなくて,
だから今のうちに屈服させておこう」
ってのが,
強い方が弱い方に攻め込む口実じゃないですか。
(湾岸もアフガンも,そんな感じじゃなかったっけ?)
あとネトウヨ系の人々は,
「中韓は日本を嫌っているから何をするかわからん」
「日本の領土侵攻を企んでいる」
「戦争ならやってやるよ!」
って感じだけども,
彼らとて,領土領海を増やしたいのかもしれないけども,
本気でドンパチ戦争を仕掛けてくるってことはないんじゃないか。
というのも,
今のご時世,アメリカが圧倒的に強くて,
彼らは経済的な事情からか,示威行為なのかわからんけども,
とにかく兵力をどこかに投下して,
「世界の警察・米軍は必要だよね」
というポーズを決めたいわけでしょう。
そうやって考えると,
日本のとる立場として,
変にカッコだけ立派な兵力を整えてしまうと,
周辺国からは「大日本帝国の暴走再び」と誤解されるし,
米軍からは「世界の警察の一員ならもっと頑張れや」と言われるし,
で,
良いことがないように思われる。
むしろ,
軍備を完全に放棄してしまったらどうか。
それを世界中にアナウンスすればどうか。
「得体のしれない恐怖」を周辺国にあたえることはないし,
領土問題の解決策として戦争を選択する恐れもないし,
たとえ政権が変わって好戦的な内閣になっても急に軍備することは出来ないし。
周辺国も米軍も,
完全武装放棄を宣言した国に対して戦争を仕掛けることは,
世界の警察・米軍の睨みがきいているという意味でも,
世界の警察・米軍の立場としても,
出来ることではないように思われる。
仮に完全武装放棄をした国に攻め込もうものなら,
国際的な批難は必至だから。
ということで,
世界に先駆けて,
日本は「完全武装放棄」を宣言すれば良いと思うの。
わりとマジで。
で,その旗の下になら,
大同小異で,
現野党も結集できると思うんだけどなぁ。
一人目の子供が生まれたのが2010年12月,地震が2011年3月。両方が近接しているので,どちらが効いているのかわからんけども,この頃から,かなり明確に,「次の世代の社会」を意識するようになって,自分の「現役生活」は,これに向けたなんらかの取り組みに費やしたい,あるいは費やすべきだ,と考えているわけです。
もうはっきりとこのままではアカン,という感じで,それは「経済成長神話」と「外交神話」と「軍備抑止力神話」と,その辺りに特に感じているわけで,だって,人口が減るのに経済成長するなんてことはありえないし,日本はアカンけど外交で途上国から金を巻き上げて先進国と対等に渡り合うなんて歴史的に一度も出来たことがないし,他国が日本に戦争を仕掛けるモチベーションとして「日本は軍備が疎か」ってのは本当に不確かな話だし,でも,そこを盲信して前提条件に据えて,国民の努力を傾注して社会を運営しているのが今の日本なわけだ。
逆に考えれば目指す社会像というのも浮かび上がってきて,経済成長がなくても回る「ローリスクローリターン」経済サイクルを確立して,国の基礎となる食糧/エネルギー資源については「健康で文化的な最低限度の生活」レベルは国内自給できるように(消費エネルギーも抑制)して,世界に先駆けて軍備を完全廃止して,そんな国になれば良いのにな,と夢想するわけです。
そんでもって,ただ夢想するのが「大人」のやることなのか,ここまで考えられているなら後はやるだけなんじゃないか,という思いもあって,やはりなんらかのアクションを起こして,未来への責任じゃないけども,なにか礎になるようなものを築いておければな,と考えるわけですね。もちろん選挙に行くってのも,小さいけども確実な一歩ではあるのだけど,じゃあこのまま現行制度に乗って「選挙の力」を信じているだけでどうにかなるのか,というと,それもまたそれで,ということで。一家庭人としての責任を果たしつつ,同時に地域とか国とかのスケールで,大人として何かを残していかねばと思う次第で。
そうこう考えた時に,先端研究って,いわゆるグローバルな活動で,あんまりこう,ローカルとかドメスティックとか,そういう貢献の部分でどうなのよ,という感じで,もちろん大学教育を通じて云々とか考えないわけではないけども,それとてアレなので,悩ましいところなわけですね。
まぁとにかく,平和を願うばかりです。
Tweet
もうはっきりとこのままではアカン,という感じで,それは「経済成長神話」と「外交神話」と「軍備抑止力神話」と,その辺りに特に感じているわけで,だって,人口が減るのに経済成長するなんてことはありえないし,日本はアカンけど外交で途上国から金を巻き上げて先進国と対等に渡り合うなんて歴史的に一度も出来たことがないし,他国が日本に戦争を仕掛けるモチベーションとして「日本は軍備が疎か」ってのは本当に不確かな話だし,でも,そこを盲信して前提条件に据えて,国民の努力を傾注して社会を運営しているのが今の日本なわけだ。
逆に考えれば目指す社会像というのも浮かび上がってきて,経済成長がなくても回る「ローリスクローリターン」経済サイクルを確立して,国の基礎となる食糧/エネルギー資源については「健康で文化的な最低限度の生活」レベルは国内自給できるように(消費エネルギーも抑制)して,世界に先駆けて軍備を完全廃止して,そんな国になれば良いのにな,と夢想するわけです。
そんでもって,ただ夢想するのが「大人」のやることなのか,ここまで考えられているなら後はやるだけなんじゃないか,という思いもあって,やはりなんらかのアクションを起こして,未来への責任じゃないけども,なにか礎になるようなものを築いておければな,と考えるわけですね。もちろん選挙に行くってのも,小さいけども確実な一歩ではあるのだけど,じゃあこのまま現行制度に乗って「選挙の力」を信じているだけでどうにかなるのか,というと,それもまたそれで,ということで。一家庭人としての責任を果たしつつ,同時に地域とか国とかのスケールで,大人として何かを残していかねばと思う次第で。
そうこう考えた時に,先端研究って,いわゆるグローバルな活動で,あんまりこう,ローカルとかドメスティックとか,そういう貢献の部分でどうなのよ,という感じで,もちろん大学教育を通じて云々とか考えないわけではないけども,それとてアレなので,悩ましいところなわけですね。
まぁとにかく,平和を願うばかりです。
もともと言いたかったことは,
「文脈に沿った価値を提供する必要がある」
という第一段階を超えて,
「文脈を超越した普遍的価値を創造」したり,
「創造したモノ自体が文脈を形成」したり,
そういうところまでいって,
はじめて本当のクリエイティブだよね,ということでした。
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「文脈に沿った価値を提供する必要がある」
という第一段階を超えて,
「文脈を超越した普遍的価値を創造」したり,
「創造したモノ自体が文脈を形成」したり,
そういうところまでいって,
はじめて本当のクリエイティブだよね,ということでした。