自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
伊平屋北熱水、掘削事後調査
掘削直後のシナシナを見ていたので、
どうせ何もないだろうと思って、
終始ラックリモードだったわけですが、
行ってみたら掘削孔からビュービューでした
しかも遠いヤツからも
しかも化学組成もムッフーンな予感です
これは凄いことですぞ
「かいよう」は2003年以来で7年ぶり2度目
独特の四次元殺法的な揺れに惑わされたものの、
これまた独特のお食事を堪能し、
沖縄とはいえ2月は寒かったものの、
娯楽室はアツイマンガがいっぱいでした
下船後、那覇から羽田、伊丹と飛び、
京都で結婚式に参加
0時過ぎまで飲んで5時に起きて始発で帰宅
ふらふらですが、
明日から通常営業です
げふん
掘削直後のシナシナを見ていたので、
どうせ何もないだろうと思って、
終始ラックリモードだったわけですが、
行ってみたら掘削孔からビュービューでした
しかも遠いヤツからも
しかも化学組成もムッフーンな予感です
これは凄いことですぞ
「かいよう」は2003年以来で7年ぶり2度目
独特の四次元殺法的な揺れに惑わされたものの、
これまた独特のお食事を堪能し、
沖縄とはいえ2月は寒かったものの、
娯楽室はアツイマンガがいっぱいでした
下船後、那覇から羽田、伊丹と飛び、
京都で結婚式に参加
0時過ぎまで飲んで5時に起きて始発で帰宅
ふらふらですが、
明日から通常営業です
げふん
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個人にせよ団体にせよ、
それらしい振る舞いというのがある
あるのだけども、
それは最大公約数というか、
現状の多数派の緩やかな総意のようなものなので、
特に時間軸に対して威力を持たない
今というものが今しか存在し得ない以上、
そういった振る舞いは、つまりはフィクションなので、
そういう振る舞いにはフィクションとしての、
どこかしら嘘くささがあるし、
厚みを感じない
フィクションの人工的であるがゆえのツルっとした感じは、
非常に心地が良く、
中身の精査に至らないまま流れることが多いが、
本当の生身にはザラッとした部分があり、
そのザラッとした部分がダイバーシティーを担っている
だから、
やっぱり生身感は大事にしたいし、
フィクションと自分の同一視というのは大変に危険だ
というようなことを、
昨日の学会会議と、
今日の夜ご飯のおしゃべりで考えた
Tweet
それらしい振る舞いというのがある
あるのだけども、
それは最大公約数というか、
現状の多数派の緩やかな総意のようなものなので、
特に時間軸に対して威力を持たない
今というものが今しか存在し得ない以上、
そういった振る舞いは、つまりはフィクションなので、
そういう振る舞いにはフィクションとしての、
どこかしら嘘くささがあるし、
厚みを感じない
フィクションの人工的であるがゆえのツルっとした感じは、
非常に心地が良く、
中身の精査に至らないまま流れることが多いが、
本当の生身にはザラッとした部分があり、
そのザラッとした部分がダイバーシティーを担っている
だから、
やっぱり生身感は大事にしたいし、
フィクションと自分の同一視というのは大変に危険だ
というようなことを、
昨日の学会会議と、
今日の夜ご飯のおしゃべりで考えた
今更ながら、だからこそ、アジア杯レビュー
まずは小ネタ
ザックの地元の町チェゼナティコ(人口26000人)では、
「彼ほどのセレブが偉ぶらない。
ふらっと自転車で回ってくる気さくなおじさん」
「町長選に出ればいつでも当選確実」
であるザックが率いる日本代表が大人気らしい
サッカーで世界が広がるね
きっと、本当に良い人なんだな
オシム爺電話インタビュー
「本田がすべてを独りでやろうとしている」
「本田が常にひとりでプレーしている」
「(本田欠場で)誰もが同時にプレーに参加できたから良かった、と、本田に説明すべき」
「(本田は)あとはやるべきときに、やるべきことができるかどうか」
「(本田は)もっと動く必要はあるが状況をよく読んで周囲をコントロールしようとしている」
と、本田にはインテリジェンスと動きの量を求める
本田自身は、
「(誰のまねでもない)自分のサッカーを作らんとあかん」
と考え、そこに到達できずもがいている様子
「お前の資質に問題はない。
ここから先の成長には、まずは走ってみせろ。それからだ」
と言う爺さんの愛が届けば良いのだが・・・
オシム爺続き
爺さんは一方で、
「遠藤は、まだこれからだ。
彼がもっと走り、アグレッシブなプレーをすれば、今からでももの凄い選手になる。」
それをぜひ本人に伝えてくれ」
という評価
この発言の真意は、
講釈士武藤の名講釈とミーハーOLの美文を読めばわかる
ちなみに、
「サラゴサ対エスパニョールがある。アジア杯ばかりを見るわけではない」
と言ってながら、
「インド対バーレーンがはじまったところ」
と、そんなカードまでチェックするオシム爺
たまらん
最後に、
木﨑と戸塚の文章は読むに値せず
「おれは選手とこれだけ近い関係なんだよ」
という悪臭で満ちている
Tweet
まずは小ネタ
ザックの地元の町チェゼナティコ(人口26000人)では、
「彼ほどのセレブが偉ぶらない。
ふらっと自転車で回ってくる気さくなおじさん」
「町長選に出ればいつでも当選確実」
であるザックが率いる日本代表が大人気らしい
サッカーで世界が広がるね
きっと、本当に良い人なんだな
オシム爺電話インタビュー
「本田がすべてを独りでやろうとしている」
「本田が常にひとりでプレーしている」
「(本田欠場で)誰もが同時にプレーに参加できたから良かった、と、本田に説明すべき」
「(本田は)あとはやるべきときに、やるべきことができるかどうか」
「(本田は)もっと動く必要はあるが状況をよく読んで周囲をコントロールしようとしている」
と、本田にはインテリジェンスと動きの量を求める
本田自身は、
「(誰のまねでもない)自分のサッカーを作らんとあかん」
と考え、そこに到達できずもがいている様子
「お前の資質に問題はない。
ここから先の成長には、まずは走ってみせろ。それからだ」
と言う爺さんの愛が届けば良いのだが・・・
オシム爺続き
爺さんは一方で、
「遠藤は、まだこれからだ。
彼がもっと走り、アグレッシブなプレーをすれば、今からでももの凄い選手になる。」
それをぜひ本人に伝えてくれ」
という評価
この発言の真意は、
講釈士武藤の名講釈とミーハーOLの美文を読めばわかる
ちなみに、
「サラゴサ対エスパニョールがある。アジア杯ばかりを見るわけではない」
と言ってながら、
「インド対バーレーンがはじまったところ」
と、そんなカードまでチェックするオシム爺
たまらん
最後に、
木﨑と戸塚の文章は読むに値せず
「おれは選手とこれだけ近い関係なんだよ」
という悪臭で満ちている
今の科学界はピアレビューシステムで動いていて、
そこから抜け出すことは、まぁ現実的ではない
論文業績が増えねば職は得られないわけで、
だから自分の論文を早く世に出したい
一方で査読の仕事がやってくると、
自分の論文を書く時間が削がれる
査読はボランティアだから引き受けなくても良いし、
査読をしないからって、
自分の論文を査読してもらえないわけじゃない
でも、
もし自分が査読を受けなくて、
どこかの誰かが査読を担当することになり、
それが自分の論文の査読者でもあったら、
回り回って自分の論文の査読が遅くなるということでしょう
それってのは、
愛と欲望のはざま、なんじゃないかと思った
世界が欲望におかされると、
ピアレビューシステムはついに止まるだろう
世界が愛に溢れれば、
ピアレビューシステムはまわり続けるだろう
愛の背景に打算があるのかないのかはわからないが、
少なくとも表面的には他者のために働くからこそ、
世の中は回るんだよね
みんなが自分のことだけを考える欲望に負けると、
いずれ世界は止まり自分も止まるんだよね
プレゼンだってそう
「自分の研究を知らしめたい」という欲望では世界は動かない
「自分の研究が世界に羽ばたいてほしい」「相手に知ってもらいたい」
という愛が世界を動かす
ボクを、ボクの研究を聞くために時間を割いてくれた皆さんに、
少しでも幸せになって帰ってもらいたい
だから研究的に面白い話をしたいし、
単に10分間の物語として楽しい話をしたいし、
耳が痛い話も広義では幸せになってもらっているのだ、と思っている
世の中、愛ですな
最近、本当にそう思います
愛だろ、愛
今年のテーマの公共性は、
つまるところ愛なんだな
Tweet
そこから抜け出すことは、まぁ現実的ではない
論文業績が増えねば職は得られないわけで、
だから自分の論文を早く世に出したい
一方で査読の仕事がやってくると、
自分の論文を書く時間が削がれる
査読はボランティアだから引き受けなくても良いし、
査読をしないからって、
自分の論文を査読してもらえないわけじゃない
でも、
もし自分が査読を受けなくて、
どこかの誰かが査読を担当することになり、
それが自分の論文の査読者でもあったら、
回り回って自分の論文の査読が遅くなるということでしょう
それってのは、
愛と欲望のはざま、なんじゃないかと思った
世界が欲望におかされると、
ピアレビューシステムはついに止まるだろう
世界が愛に溢れれば、
ピアレビューシステムはまわり続けるだろう
愛の背景に打算があるのかないのかはわからないが、
少なくとも表面的には他者のために働くからこそ、
世の中は回るんだよね
みんなが自分のことだけを考える欲望に負けると、
いずれ世界は止まり自分も止まるんだよね
プレゼンだってそう
「自分の研究を知らしめたい」という欲望では世界は動かない
「自分の研究が世界に羽ばたいてほしい」「相手に知ってもらいたい」
という愛が世界を動かす
ボクを、ボクの研究を聞くために時間を割いてくれた皆さんに、
少しでも幸せになって帰ってもらいたい
だから研究的に面白い話をしたいし、
単に10分間の物語として楽しい話をしたいし、
耳が痛い話も広義では幸せになってもらっているのだ、と思っている
世の中、愛ですな
最近、本当にそう思います
愛だろ、愛
今年のテーマの公共性は、
つまるところ愛なんだな
卒論(修論・博論)の季節で、
ツイッターやブログで多くの話題・言及を目にした
その中でも、
今年一番目にした(というか心に引っかかった)のは、
「卒論は単著だから・・・」的な言及
その後に続く言葉や、
その中身のうちで、
もっとも極論なのが、
「卒論の指導なんてしない」
というもの
ここから主義主張の方向や強さは異なるものの、
「卒業研究指導はするが卒論本体には赤を入れない」
「卒論には赤を入れるが卒論発表の指導はしない」
などがあるようだった
またその後ろには、
「出来次第、私の判断でダメなら学位はあげない」
「出来次第、周りの教員がダメというなら学位はあげない」
「どんな出来でも卒業はさせる」
というような事後対応への温度差もある
もちろんその背景には、
就活における新卒・学歴至上主義などがあり、
「企業への内定なんて知ったこっちゃない」
「内定のある子には学位あげないで恨まれたら面倒」
「こんな出来で大学院は無理」
「大学院に入って鍛えればいい」
といった部分もあるわけです
という話題について、
近い将来、自分が大学教員になると思うと、
やはり自分の哲学は洗い出しておきたいと思ったわけです
「卒論は単著だから本人が責任を持つ」というのは、
もちろんその通りだと思う
だからといって、
「赤ペンやコメントで本人の意向を変えるのは単著にはそぐわない」
というのは違うと思う
むしろ、
いろんな人から赤ペンやコメントをもらうことは、
文献調査をするのと同じような作業だと思う
そして、
その中から求められていることを満たすものを取捨選択し、
その上で著者本人の主張を展開する能力こそが、
「単著としての卒論」には求められている
「単著だから」その内容の責任は本人にあるわけだが、
「だから手を加えない」というのは理屈が通らない
そう言うのであれば、
「甘んじて手を加えられる」ことも含めて本人の責任であって、
「手を加えられても拒否すること」も本人の責任である
そういう判断をできる人間であることが、
卒業研究をできているということであるし、
学位にふさわしいのではないか
教育熱心な大学教員である発声練習さんの、
もっとも注目を集めるエントリーでは、
「自分の主張の正しさを自分の言葉で言えない学生」に言及していて、
それこそが卒論研究で身につけるべきものであるようなことを記述している
ボクはこの主張に同意する
もし教員が「自分の施した修正を無視した学生は落第」とするのであれば、
コンテンツの科学的議論の意味ではきっと正しいのだろうし、
感情論での発言であれば、職を辞して東京湾にでも沈めばいい
ボクは(将来の)自分の学生に対して、
無機質な単位論・大学論・卒論論を展開する気はない
そこは人間同士なのだから、
体温の通ったメッセージを送りたいし、
届いてほしいと願う
だからきっと、
猛烈に赤ペン先生するだろうし、
発表練習でもコメントすると思う
それと同時に学生には、
「修論の代わりに退学願」氏まではいかずとも、
そういう視点で大学というものを見てほしいし、
そういうことを伝えられる人間でありたいと思う
Tweet
ツイッターやブログで多くの話題・言及を目にした
その中でも、
今年一番目にした(というか心に引っかかった)のは、
「卒論は単著だから・・・」的な言及
その後に続く言葉や、
その中身のうちで、
もっとも極論なのが、
「卒論の指導なんてしない」
というもの
ここから主義主張の方向や強さは異なるものの、
「卒業研究指導はするが卒論本体には赤を入れない」
「卒論には赤を入れるが卒論発表の指導はしない」
などがあるようだった
またその後ろには、
「出来次第、私の判断でダメなら学位はあげない」
「出来次第、周りの教員がダメというなら学位はあげない」
「どんな出来でも卒業はさせる」
というような事後対応への温度差もある
もちろんその背景には、
就活における新卒・学歴至上主義などがあり、
「企業への内定なんて知ったこっちゃない」
「内定のある子には学位あげないで恨まれたら面倒」
「こんな出来で大学院は無理」
「大学院に入って鍛えればいい」
といった部分もあるわけです
という話題について、
近い将来、自分が大学教員になると思うと、
やはり自分の哲学は洗い出しておきたいと思ったわけです
「卒論は単著だから本人が責任を持つ」というのは、
もちろんその通りだと思う
だからといって、
「赤ペンやコメントで本人の意向を変えるのは単著にはそぐわない」
というのは違うと思う
むしろ、
いろんな人から赤ペンやコメントをもらうことは、
文献調査をするのと同じような作業だと思う
そして、
その中から求められていることを満たすものを取捨選択し、
その上で著者本人の主張を展開する能力こそが、
「単著としての卒論」には求められている
「単著だから」その内容の責任は本人にあるわけだが、
「だから手を加えない」というのは理屈が通らない
そう言うのであれば、
「甘んじて手を加えられる」ことも含めて本人の責任であって、
「手を加えられても拒否すること」も本人の責任である
そういう判断をできる人間であることが、
卒業研究をできているということであるし、
学位にふさわしいのではないか
教育熱心な大学教員である発声練習さんの、
もっとも注目を集めるエントリーでは、
「自分の主張の正しさを自分の言葉で言えない学生」に言及していて、
それこそが卒論研究で身につけるべきものであるようなことを記述している
ボクはこの主張に同意する
もし教員が「自分の施した修正を無視した学生は落第」とするのであれば、
コンテンツの科学的議論の意味ではきっと正しいのだろうし、
感情論での発言であれば、職を辞して東京湾にでも沈めばいい
ボクは(将来の)自分の学生に対して、
無機質な単位論・大学論・卒論論を展開する気はない
そこは人間同士なのだから、
体温の通ったメッセージを送りたいし、
届いてほしいと願う
だからきっと、
猛烈に赤ペン先生するだろうし、
発表練習でもコメントすると思う
それと同時に学生には、
「修論の代わりに退学願」氏まではいかずとも、
そういう視点で大学というものを見てほしいし、
そういうことを伝えられる人間でありたいと思う
最高級シート「楽天市場プレミアム・ソシオ・クラブ」販売開始!
大相撲の八百長なんかよりもよっぽど気持ち悪い
こういう思考するような人に、
スポーツに関わってほしくない
マジでヘドが出ます
どこにも「サッカーの楽しさ」がないじゃない
球団幹部が「そういう方向」を向いていると、
単にチームを応援しようとするサポーターさんの意識との乖離は甚だしく、
ひいては選手のモチベーションにも影響するよね
Tweet
大相撲の八百長なんかよりもよっぽど気持ち悪い
こういう思考するような人に、
スポーツに関わってほしくない
マジでヘドが出ます
どこにも「サッカーの楽しさ」がないじゃない
球団幹部が「そういう方向」を向いていると、
単にチームを応援しようとするサポーターさんの意識との乖離は甚だしく、
ひいては選手のモチベーションにも影響するよね
webで見た文章
==============
いや、まったくその通りなのだ
幼保一体改革関連で議論が盛上がっていますが、
絶対にあってはならないのは、
経済の論理で物事を考えること
歪みは「生身」に集中し、
それは大人であれば巧みに回避できるわけだから、
結局はすべて生身の子供に集中してしまう
「あってはならない事故が起こってから」では遅いのですよ
「床面積あたりの園児数の規制緩和」が一つの話題ですが、
「待機児童ゼロ」の名の下に、
「とにかく詰めればもっと入るでしょ」という筋がまかり通りそうで、
しかも、その腹の内は、
「その方が儲かるから」
なのだからね
たとえ子供がいない大人でも、
選挙権を持つものとして、よく考えましょうね
ちなみに「待機児童」とは、
「保育園入園申し込みをしたが定員オーバーで待っている児童」
であって、
「待機児童」=「親が働きに出て家でひとりぼっち」ではないらしい
むしろ、
「待機児童」=「保育園に入れないから親は働きに出られない」
というケースも多いようなので、
その場合は単なる専業主婦家庭と(見た目上は)変わらないよね
そして、冒頭の文章
「女性が社会に出て働く権利」みたいな主張が非常に強い力を持ってますが、
だからって「保育」を「金銭」で「外注」するのって、どうなの?
もちろん事情は人それぞれで、
十把一絡げに言う危険性は重々承知ですが、
それでも言いたいことは、
「社会で働きたいんだったら親やご近所と良好な関係ぐらい築けよ」
ということなんだよね
「自分の持つ権利」を声高に主張するのを控えることなんて、
社会でやっていくために不可欠な能力だよね
こういう論を打つと、
「お前は男性だから本質的にわかってない」とお叱りを受けますし、
それはその通りです、としか言いようがないし、
もっと言えば「そんなこと言われましても」なのだが、
それでも考えること、語ることを止めてはならないと思うので、
こうして考え続けるわけです
この問題を考える上で重要な案件は、
「専業主婦」というものをどう位置づけるのか、なのですよ
古今東西、専業主婦というのが存在できたのは、
ごくごく最近に限られると思うのです
それは経済が上向きで一人が働けば二人分の稼ぎ(配偶者控除も含めて)が得られたから
今の議論は、
専業主婦という部分にあくまで軸足があって、
そこからもう一個の足で労働環境に踏み出すかどうか、
みたいな状態だと思う
でもこれから、
人口減、非労働人口増が進んで、
日本経済規模がシュリンクしていくと(すでにしているし)、
一人が働いても一人分しか稼げなくなるわけで、
そうなると専業主婦という生き方自体が難しくなり(政府が税金を取りにかかるしね)、
保育世代の女性が働くことは権利ではなく必要な事項になってくる
そうなってしまう前の段階で、
女性の働く環境を整えておかないと、
そこでもやはりしわ寄せは子供にいくよね
ボク自身は、
地域の公民館か何かに日中、老人と子供を単に放牧(失礼!)しておくのが、
ヒマな老人の頭と体の使いドコロになるし、
子供の面倒は見てもらえるし成長も期待できるし、
コストもかからないし、
なんだかんだでオサマリの良い解決法なのではと思うのですが、
まぁ嫌がる人は多いんだろうなぁ
Tweet
==============
(祖父母が住んでいるような)地方に仕事がないこと。 子育てというプライベートな事柄を祖父母や親族と協力し合えないほど希薄になった親族関係。 行政に対して保育を安価で外注することを当然と考える意識。 そのような意識を醸成してしまったほどに多額の公費を投入してしまった行政システム。 つまり、女性が働くためには保育所が必要という論理の背景には、日本の産業の歪み(ひずみ)と、日本人の生き方の歪みと、日本の行政システムの歪みの三者が潜んでいるということになる。==============
いや、まったくその通りなのだ
幼保一体改革関連で議論が盛上がっていますが、
絶対にあってはならないのは、
経済の論理で物事を考えること
歪みは「生身」に集中し、
それは大人であれば巧みに回避できるわけだから、
結局はすべて生身の子供に集中してしまう
「あってはならない事故が起こってから」では遅いのですよ
「床面積あたりの園児数の規制緩和」が一つの話題ですが、
「待機児童ゼロ」の名の下に、
「とにかく詰めればもっと入るでしょ」という筋がまかり通りそうで、
しかも、その腹の内は、
「その方が儲かるから」
なのだからね
たとえ子供がいない大人でも、
選挙権を持つものとして、よく考えましょうね
ちなみに「待機児童」とは、
「保育園入園申し込みをしたが定員オーバーで待っている児童」
であって、
「待機児童」=「親が働きに出て家でひとりぼっち」ではないらしい
むしろ、
「待機児童」=「保育園に入れないから親は働きに出られない」
というケースも多いようなので、
その場合は単なる専業主婦家庭と(見た目上は)変わらないよね
そして、冒頭の文章
「女性が社会に出て働く権利」みたいな主張が非常に強い力を持ってますが、
だからって「保育」を「金銭」で「外注」するのって、どうなの?
もちろん事情は人それぞれで、
十把一絡げに言う危険性は重々承知ですが、
それでも言いたいことは、
「社会で働きたいんだったら親やご近所と良好な関係ぐらい築けよ」
ということなんだよね
「自分の持つ権利」を声高に主張するのを控えることなんて、
社会でやっていくために不可欠な能力だよね
こういう論を打つと、
「お前は男性だから本質的にわかってない」とお叱りを受けますし、
それはその通りです、としか言いようがないし、
もっと言えば「そんなこと言われましても」なのだが、
それでも考えること、語ることを止めてはならないと思うので、
こうして考え続けるわけです
この問題を考える上で重要な案件は、
「専業主婦」というものをどう位置づけるのか、なのですよ
古今東西、専業主婦というのが存在できたのは、
ごくごく最近に限られると思うのです
それは経済が上向きで一人が働けば二人分の稼ぎ(配偶者控除も含めて)が得られたから
今の議論は、
専業主婦という部分にあくまで軸足があって、
そこからもう一個の足で労働環境に踏み出すかどうか、
みたいな状態だと思う
でもこれから、
人口減、非労働人口増が進んで、
日本経済規模がシュリンクしていくと(すでにしているし)、
一人が働いても一人分しか稼げなくなるわけで、
そうなると専業主婦という生き方自体が難しくなり(政府が税金を取りにかかるしね)、
保育世代の女性が働くことは権利ではなく必要な事項になってくる
そうなってしまう前の段階で、
女性の働く環境を整えておかないと、
そこでもやはりしわ寄せは子供にいくよね
ボク自身は、
地域の公民館か何かに日中、老人と子供を単に放牧(失礼!)しておくのが、
ヒマな老人の頭と体の使いドコロになるし、
子供の面倒は見てもらえるし成長も期待できるし、
コストもかからないし、
なんだかんだでオサマリの良い解決法なのではと思うのですが、
まぁ嫌がる人は多いんだろうなぁ
土曜に牡蠣を食べすぎ、
日曜にも残りの牡蠣を食べたせいか、
大変ムラムラする
いや、性的な意味ではなく、
肉体的に
グワー!って走り出したい気分
一方で変な夢をみたせいか、
頭はぼーっとしていて、
そのムラムラ感を仕事へのエネルギーに転換できない
今日は比色分析用の試薬の秤量をしようと思っていたが、
こんな状態であんな小手先の作業はできない
昼サッカーでガス抜きが必要だ
某N誌に落とされた
気落ちせずN-G誌に再投稿だ
最後はGJ誌が待っているからね
大胆に行こうね
ナリタンセイ論文
大筋はできたしほぼ完成に近づいている
単位計算をミスって3桁ぐらい結果が変わるが、
定性的には議論に変更はないので問題なし
しかしphotobiologicalなH2 productionってのを、
どれだけ加味するかが問題なんだよな
イントロの時点で可能性を排除してしまうか、
議論の最初で排除するか、
定量的に扱おうと試みるか(これは難しいが)
ふむ
Tweet
日曜にも残りの牡蠣を食べたせいか、
大変ムラムラする
いや、性的な意味ではなく、
肉体的に
グワー!って走り出したい気分
一方で変な夢をみたせいか、
頭はぼーっとしていて、
そのムラムラ感を仕事へのエネルギーに転換できない
今日は比色分析用の試薬の秤量をしようと思っていたが、
こんな状態であんな小手先の作業はできない
昼サッカーでガス抜きが必要だ
某N誌に落とされた
気落ちせずN-G誌に再投稿だ
最後はGJ誌が待っているからね
大胆に行こうね
ナリタンセイ論文
大筋はできたしほぼ完成に近づいている
単位計算をミスって3桁ぐらい結果が変わるが、
定性的には議論に変更はないので問題なし
しかしphotobiologicalなH2 productionってのを、
どれだけ加味するかが問題なんだよな
イントロの時点で可能性を排除してしまうか、
議論の最初で排除するか、
定量的に扱おうと試みるか(これは難しいが)
ふむ
東工大吉田研卒のアベッチから牡蠣が送られてきたのでパーチー
山盛りの牡蠣を、
酒蒸し、バター醤油焼き、オイスターソース焼きなどに処し、
温野菜などとともにいただく
お酒は琥珀エビスに加え、
悦凱陣・純米吟醸・無濾過生
鍋島・純米吟醸・あらばしり
小左衞門うすらひ・純米大吟醸・うすにごり
12時からはじめて、
うまし!うまし!で、
うちで終了した後にぷーまで繰り出して二次会
さすがにマジ二日酔い
ぐったり
Tweet
山盛りの牡蠣を、
酒蒸し、バター醤油焼き、オイスターソース焼きなどに処し、
温野菜などとともにいただく
お酒は琥珀エビスに加え、
悦凱陣・純米吟醸・無濾過生
鍋島・純米吟醸・あらばしり
小左衞門うすらひ・純米大吟醸・うすにごり
12時からはじめて、
うまし!うまし!で、
うちで終了した後にぷーまで繰り出して二次会
さすがにマジ二日酔い
ぐったり
足下の技術だけがサッカーじゃないんだよ
むしろ長友の足下なんてひどい
それでもインテルに請われて(!) 行くのは、
不断の上下動が買われてのこと
サボらず90分間上下動するのには、
もちろんスタミナも必要だけど、
そのスタミナを身につけたことも含めて、
不断の努力を支えるメンタリティがあるのですよ
そこにこそ、注目すべきなのですよ
リフティング至上主義
フリーキック至上主義
サーカスドリブル至上主義
長友のインテル移籍は、
日本に蔓延る誤ったサッカー観を打破する絶好の機会なのだが、
しかしまぁ、
マスコミさんにかかると、
「1vs1の突破」「正確なクロス」が売りになるらしいので、
本当に困ったものですよ
Tweet
むしろ長友の足下なんてひどい
それでもインテルに請われて(!) 行くのは、
不断の上下動が買われてのこと
サボらず90分間上下動するのには、
もちろんスタミナも必要だけど、
そのスタミナを身につけたことも含めて、
不断の努力を支えるメンタリティがあるのですよ
そこにこそ、注目すべきなのですよ
リフティング至上主義
フリーキック至上主義
サーカスドリブル至上主義
長友のインテル移籍は、
日本に蔓延る誤ったサッカー観を打破する絶好の機会なのだが、
しかしまぁ、
マスコミさんにかかると、
「1vs1の突破」「正確なクロス」が売りになるらしいので、
本当に困ったものですよ