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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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30日から実家に滞在。
箕面ビールをガブガブ飲んでダラダラと。
せんべい布団で2歳児とともに寝たせいで、背中に疲労が蓄積。

31日の昼に551を食べたあたりから、寒気っぽい気配を感じる。
31夜もせんべい布団で2歳児とともに寝た。
深夜あたりから寒気と身体の痛みが明確になり、これは熱が出るなと確信。

1日朝イチで兵庫から愛知に移動するのだが、愛知滞在は無理っぽい体調。
雑煮とともに解熱剤を飲んで移動し、妻子とは名古屋で分かれて自宅まで帰りつく。
解熱剤が効いているうちに大量に米を炊いてしまって昼食を食べたところで38.5度。
ここから先、お粥とポカリで延々と寝続ける。
筋肉の強張りのみならず、皮膚もピリピリしてくる。
峠を越えたと思ってもなかなか38度を下回らず。

このあたりで、身体中の皮膚が真っ赤になっていることに気づく。
乳幼児のような全身の湿疹。
痒みはそれほどではなく、むしろ痛みがある。ヘルペス?

3日夕方には習い事のため2号が一人で帰宅してきたので、チャーハンを出した。
4日朝から2号が遠征に出て行くが、弁当も作れずコンビニで買っていけと言って送り出した。
4日昼あたりから明確に回復し、38度を超えない状態に。

5日に残りの家族が戻ってた。
仕事始めの6日は在宅でゆっくりと。
7日はバスで出勤してサッカー。夜は部署の新年会。

そんなわけで、昨年の振り返りも、新年の誓いも、グズグズなままに生活が動き出した。

独り暮らしのために買い溜めた酒を年末年始で飲みきって、今年の目標は「家では酒を飲まない」にしようと思っていたのだが、しっかり残っているし、妻子が実家からもらってきて追加してしまったので、一月いっぱいは家で飲む生活になってしまいそうだ。
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この夏に本、一般書を出版したのだが、ココでは触れていなかった。
あえて触れていないわけではなく、単に触れていないだけだった。

本を書いている間は、文体や思考の統一のために、あまり他の日本語が書けない状態だった。
だからココが滞り、結果的にココには書かれていないのだろう。



執筆には二年ほどかかった。
実際には、執筆にあてる期間を一週間ほど作って、それ以外は本執筆とは別案件をやっていた。
それの繰り返しだったから、正味で本の執筆にあてたのは、10週間ぐらいだろうか。

最初の着地点は、海底資源の開発と環境影響評価だった。
でも海底資源の話は、事業自体の行く末が見えつつあるので、つまらないから変えたくなった。
それで途中から、気候工学の是非も含めることにした。

生命の起源は、いっぱい類書があるから、入れないつもりだった。
でも生物の定義だなんだと前段で書いていたら、やはり必要な気がして書いた。
ここは耳学問してきた分野で、目をつぶってでも書けるから、分量マシに役立った。

13万字と言われたから必死に書いたのだが、最終的には本が太くなり、単価も高くなった。
書いてしまうと削れないもので、まぁこれは仕方がない。
高いけど買ってください。

「日本スゴい、オレ達の研究スゴい」は書きたくなかった。
結果的に、しんかい6500すらほぼ触れない仕上がりになった。

執筆にあてた二年の中間で科博の特別展『海』の監修仕事が挟まった。
特に図録の作成は、「日本語」「執筆」「一般向け」なので、本とかなり重なった。
そのスピンオフでのネット記事を同僚から非難され、一般向けに丸めて書くのが怖くなった。

同時に、今やっている経済安全保障のプロジェクトの申請書も進行していた。
全然テイストが違うので、一緒には進められなかった。

縦書き本の流儀として、一桁の数値は全角、二桁は半角、三桁以上は全角、というのがある。
これを仕事パソコンが覚えてしまうので、他の仕事に多大な悪影響を及ぼした。
この調整は最後の最後まで着手しない方がよかった。

数字だけじゃなく英字に関しても同じようなルールが適用されることになっている。
でも化学式などは、全角だとさすがに気持ち悪い。
最後の段階で、3文字までは半角で横書きにして入れることを要望したら、やってもらえた。
ペタグラムカーボン(PgC)とか、二酸化炭素(CO2)とか、メタン(CH4)とか。
言ってみるもんだな。
これでかなり読みやすくなったと思うので、執筆予定の人は編集に要望した方が良いと思う。

このブログでは、表示幅以内で一文を終えるように書いている。
ときどきハミ出すけど。
それが、文を短めに切る習慣を作っているのかもしれない。
本では、同じような語尾が続かないように指摘をもらった。
短さと語尾の組み合わせで、テンポの良い読書感を作れたのかもしれない。

ダラダラと書いているけど、実は執筆時点のことは、あまり覚えていない。
かなり苦しんだ気もするのだけど、それほどツラい思い出でもない気がする。
書いていて楽しかったわけではない。
でも、良い評判が届くので(悪い評判はわざわざ届けないから)、それは本当に嬉しい。

本の執筆は、いちおう職務外としての対応だった。
時間管理のケジメはアレだったけども、仕事をサボる口実にしないようには心がけた。
心がけただけで、実践できていたかはわからない。

ありがたいことに『次の本』についても、お誘いも受けている。
もし書くとしても、仕事の方である程度の見通しが立ってからにしたい。
ネタとしても、出涸らしになっているので、追加のインプットが必要だ。



時間切れ
自分は勝敗に執着がない。
勝つこともあれば負けることもある。
相手がすごければ、負けるのだ。

しかし世の中、結構な割合の人が、勝敗に執念を燃やすのだなとも、感じている。
職場の昼サッカーでもそうだし、ミニバスの選手や保護者でもそうだ。
あれほど執着できることは、端的に言えば、うらやましい。
それだけ情熱的になれること、夢中になれることがある。
それは人生を豊かにしているなぁと、心底感心している。

うらやましいのは大前提だとして、だけども、危なっかしいとも思っている。
勝負というのは、勝敗を決めるためにやっている。
勝つ側があれば、負ける側もある。

無邪気にも横柄だったり尊大だったりする勝者には、なりたくない。
負けることを受け入れられない敗者にも、なりたくない。
なりたくないから、なってほしくない。

勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし。
勝ちに潜む不思議を探求し、負けの原因に向き合う。
そこからの成長にこそ、勝負の場に身を置く価値があるんじゃないか。
勝つほどに悩み、負けを楽しむ。
長い低空飛行が今なお続いている。
このブログで半年もあいたのは初めてじゃないだろうか。
心の矢印が(悪い意味で)内側に向き続けている。

原因はなんとなく掴めてきたような気がしている。
大きく構えて言うならば、世界観の違い、なんだろう。
卑近に言えば、世の中のことが気に入らない、わけです。



10年以上にわたってライフワーク的に「学者の公共性」を考えている。
世に言う「納税者に対する説明責任」よりも、広範な意味での公共性だ。
天皇機関説じゃないけども、そういうようなイメージでの考察。

たとえばジェンダー界隈の議論は、左右両極に、とてもウイングが広がっている。
片方では、男たるもの・女なんだから、と違和感なく口にする。
もう片方では、女性専用車両・トイレの増数ではダメだ、と主張する。
そんな人々の議論では、真ん中にある現実問題、痴漢や不遇な職場環境などは置き去りだ。

学術界でも同じようなことが起こっているのではないか。
片方には、学者内での評価によってのみ学者の価値が決まる、と考えている。
それは査読付原著論文数や引用数、インパクトファクターなどの議論に表出している。
もう片方では、社会における学者の価値を評価すべきだ、と考えている。

ボクはどちらにも一定の意義があるとは思っている。
だけど、片側に寄りすぎているんじゃないか、という思いが強い。
そして、その「寄りすぎていること」への無頓着さが、腹立たしい。

自分が寄って立つ世界が、何に立脚しているのか。
そういうことに無頓着な人間のことを、学者とは言えないんじゃないか。
両極にある価値をいずれも認めた上で、その間に自分を位置づける。
もちろんどちらかに寄るのは当然で、そこが自分にとって最適なのだろう。
だけどそれは、世界にとって至上の位置ではない。



ウエになればなるほど、価値観に対する態度が難しくなる。
自身の価値観を明快に表明することと、どんな価値観の人も許容することとは、相反しない。
自身の明快さと他者への許容力を同時に最大にして、対立させずに包摂することこそが、重要だ。
これは簡単ではないし、かなり自覚的に振る舞わなければ実現しえない。

組織と個人の関係でも同じことが言える。
組織として目指すところは、明快に示されるべきだ。
一方で、組織に属する個人の立ち位置まですべて一つに集中させてはならない。
いや、ならないことはないが、狭い範囲に限定しては、集まれる人が限られてしまう。
そうすると組織としての柔軟性や伸びしろが確保できず、社会の変化に対応できなくなる。
組織を長く活動せしめるには、緩衝力や冗長性が不可欠だ。

難しいのは、自身の価値観から見て反対側のウイングに位置する物事への評価だ。
左右の位置とは別に、その位置におけるクオリティがある。
自身に近い位置ならば、高い解像度で評価できる。
しかし遠い位置の価値観の物事については、どうしても解像度が下がってしまう。
それでもなお評価はせねばならないし、価値観が異なるからこそ、公正に評価できるようにしたい。



ここまで書いてきて最後に出てきたが、この辺が最近の引っかかりなのかもしれない。
清濁併せ呑んで色々なことを進めなければならないからこそ、核心の部分は公正でありたい。
そういう思いが年々強くなっている。
一方で、世の中の多くは、核心の部分が私利私欲だから、表面は公正であろうとしているんじゃないか。
なんとなくだけど。
そこの部分の逆転した構造が、自分の感じる苛立ちの正体なのかもしれない。

やっぱりこうしてダラダラと心情を書くのには、意味があるな。
サボらずに続けていこう。
低空飛行が続いている。

その理由のようなものを掘り起こして記述できれば良いのだろうが、低空飛行の一番大きな要因が、自分自身の言語化能力(の低さ)への嫌悪感のようなものがあるので、手がつけられない。

上のような一文を書くのでさえ、表現や論理などを練る(あるいは練らずとも意味の通るものをサラリと書いてしまう)ことが出来なくなっている。

視力(老眼)をはじめとする身体的な衰えゆえか、酒浸りでの脳細胞の破損ゆえか、幼児対応での幼稚化ゆえか、はたまた色んな局面での他者との意思疎通不全への絶望ゆえか。

扶養家族がいなければ、収入を放棄しても構わないほど十分な資産があれば、自分はどんな選択肢をとるだろう。

賃金を得ることが目的の仕事とはいえ、それだけではない使命感や責任感を覚えていることも事実で、そこのところの落としどころにも悩まされる。

さてさて。
松本人志がかねて報道されてきた女性問題で炎上してメディアから御隠れになられた。
マンガ家の芦原妃名子さんがドラマ化での脚本改変のアレコレでなくなられた。
森保第二次政権のアジアカップで選手ファースト戦略のままイランに敗れた。

そう遠くない過去の一時期につるんでいた仲間たちが散り散りになっているそうだ。
それぞれの個と個の関係が発端のようだが、個と個と個の三者になると、ややこしい。

第三者の言い分はどうでもよくて。
人それぞれに思想信条のようなものがある。
その内容は他の人とは決して同一ではないし、同じ人の中でも時間とともに変質していく。
また内容がそれぞれであるのと同じように、思想信条の強度も人によって様々だ。

思想信条は不可侵で、社会通念はもとより、ときに法にも勝る生き様の基準だ。
その発露たる行動が、ときに法を犯すこともあるだろう。
違法の代償を受け容れてでも、妥協したくない一線というのが存在する。

日本での報道に触れて、とても奇異に感じるのが、この部分への感度の低さだ。
ときに社会通念こそが最大の正義であるように語られることもある。
社会通念こそが正義、ということを強く内面化している人も少なくない、というか過半数かもしれない。

「みんながやってるから」という人に、法を掲げて説得しても、鼻で笑われる。
「みんながやってるから」という人に、しかし私はこう思うと言っても、鼻で笑われる。
「法で決められている」という人に、しかし私はこう思うと言うと、白い目で見られる。

むずかしいね。
いずれやらねばならぬのだが、別に今やる必要はない。
そういう仕事や作業が積み重なっている。
すべてが「今じゃなくて良い」から、最優先事項が決められない。
いっそのこと、締切仕事が押し寄せてきた方が、諦めがつくのに。

キッズの吸収力とか成長速度を見ていると、成長途上での刺激のインプットは、次々に用意せねば間に合わない。
結果的に、優先順位を高くするつもりはなくても、まず着手する作業になっている。
放っておいても育っていくのでが、せっかくなら適切なインプットをフィードバックしてやりたい。

締切があってないような仕事でも、自分で締切を設定して踏ん張ることが出来る。
自分締切で踏ん張っている期間は、頑なになってしまい、かえって他のことが出来なくなってしまう。
この辺りの、えも言われぬバランスの悪さは、いかんともしがたい。

在宅日が多くなってきて、バランスを取るのがさらに難しくなっている。
通勤に往復一時間を要するわけだが、結果的には通勤した方が十分に時間を使っている気もする。
来年度になれば職場に若者が増えるので、ここのバランスはなかば強制的に改善するかもしれない。
朝食前は仕事。
朝食後すぐに新聞、ブログ、仕事。
夕食後に紙日記、余裕があればバスケノート。
95年阪神地震への対応で災害支援ボランティアに注目が集まり、以降の大災害では一般化していったように思う。
11年東北地震の時には、素晴らしいボランティア活動が称えられた一方で、適切でないボランティアはかえってジャマになるというデメリットも報道されるところとなった。
ボクは阪神地震の時に、宝塚市役所に高く積まれた救援物資としての古着を見て唖然とした原体験がある。
(ポカリスエットとカロリーメイトは大量に持ち帰った)

災害の性質によって、求められる支援は違う。
阪神では、人口密集地帯、地震の備えがなかった、倒壊と火災。
東北では、地震と津波、交通網の乏しい沿岸に点在する集落。

能登は、地理的な条件は東北よりも厳しい。
半島ゆえに陸路の全体が寸断されている様子。
東北では内陸からのルートが点在し、沿岸を南北に貫くルートがあったが、これがない。

一方、過疎地であることもあって、被害人口は阪神や東北に比べ、少ないだろう。
奥能登(能登北部)の人口は6万弱だという。
https://www.pref.ishikawa.lg.jp/okunoto/kannai.html
(現在も被災地に残された人数はわからない)
比較として適当ではないが東北地震では2012年時点で応急仮設住宅に16万人が暮らしたという。
https://www.reconstruction.go.jp/jireishuu/2022data/02/
ここから、必要物資の総量は、先の災害と比べ、一桁ほど少ないかもしれない。

ルート困難と必要資源総量の観点から、人員や物資については、総量よりも、輸送にかかるロジの適切な配分の方が、重要なのではないか。
ボトムアップボランティアは総量総数が稼げるが個別的になりがちなので、現時点ではむしろ大規模母体による整然とした支援こそが必要なのかもしれない。
GHCヘビー級選手権試合、拳王vs征矢学を差し置いて、メインイベントに丸藤vs飯伏となった大会。
大会前から、GHCをメインにしないことへの異議が多く、これに対して丸藤が他人事のような言い分を放ち、社長が「ワシが決めた、誰からも試合順の要望はなかった」と断言していた。
一応の含みとしては、前年にムタvs中邑の奇跡的な一戦があったことと、DDTとNOAHがサイバーエージェント傘下なこと、があったのかな。
いずれにせよ、おそらく営業的な観点から、丸藤飯伏がメインになったのだろう。
ここまでが戦前の含み。

〜〜
当日。大会は順調に進んでいく。

マサ北宮vs石井智宏
マサからの呼びかけに石井が応じてセットされた一戦。
内容は、誰もが予想する内容で、しかし説得力は十分のプロレス。
もちろん盛り上がったのだが、10年以上ずっとこのスタイルを続ける石井ちゃんをどう評価するかは、難しいところ。

潮崎豪と小島聡は、これまた誰もが予想する内容で、塩気が多めの内容。
潮崎はそもそも口がヘタな上に、断線で物理的に会場マイクが途切れがちなのと、たぶん「小島さとる」と言ったのと、ミステリアスに呼び込んだのがNOAH古株連中というので、「なんだかなぁ、でもこれが潮崎だよなぁ」という印象。
(呼び込んだのが急な闘魂ギミックで謎を振りまく中嶋勝彦かと期待したが違った)

愚零闘咲夜降臨試合。
ギミック自体が痛々しいものの、動きにミスがあるわけではなく、与えられた御題の範疇では上手に仕上げたなというキャラクター。
北宮石井戦の直後だったらヤバかったが、良くも悪くも潮崎マイクの塩気に救われた格好で、武藤敬司の掲げたパッケージプロレスとしては成立していたとも言える。

佐々木憂流迦プロレスデビュー戦。
天狗衣装での登場で客席を掴んだ。
これまた直前の愚零闘咲夜がやや安っぽく線が細かったこととの対比でより映えた格好。
MMAからきた触れ込みを活かしてガチっぽい臭いを漂わせつつ、ちゃんとプロレス的な動きにも対応。
杉浦のハードな当たりをしっかり受けることで試合の熱もあがっていく。
他競技からの転校者のデビュー戦としては過去にない水準なのでは。
あえて言えば、新日本でざわめきを呼んだ辻陽太の凱旋帰国試合以上だったかもしれん。
この試合だけで合格点以上でもあり、未来への期待感も合わせ、会場がしっかりと暖まった。

小川ザックvs棚橋HAYATA
ひたすら華がある棚橋に、社長就任初試合という色も乗って、正月らしいお祭りカード。
HAYATAもエアギターに乗っかるなど、明るい一戦として進行する。
しかし単に華だけで緩むこともなく、テクニック系の小川ザックの師弟共演という一面が空気を引き締める。

GHCジュニア ダガvsEita
(子の寝かし付け離脱で見られなかった)
(でも評判は良かった様子)

6vs6イリミネーションマッチ
NOAH&NJPW vs HOUSE OF TORTURE
序盤に若手が脱落したことにはじまり、グダグダ感は否めなかった。
海野と成田の遺恨を見せようとしたのも、NOAHマットなので、客は乗りにくかっただろう。
しかし、この試合形式かつHoTなのだから、グダグダは想定内。
グダグダに反則を乗せてフラストレーションを貯めに貯めた最後の最後、NOAH清宮がロープ踏み台のシャイニングウィザードで、大カタルシス。
海野退場後なので、清宮(大岩)稲葉近藤宮脇のNOAH勢でリングを締めたのも良かった。
さぁいよいよ「NOAHのメイン」という客席の一体感が醸成できた。

GHCヘビー 拳王vs征矢学
煽りVは謎の甲冑衣装での微妙な太刀さばきで不安がよぎる。
しかし金剛解散後は青かった拳王が、赤に戻ったコスチュームで入場し、元金剛同門対決というテーマを鮮明にし、ゴング前から期待が高まる。
試合の内容は、征矢の塩気が気になるものの、突然の征矢トペなど、ところどころで盛り上がる。
征矢に比べて盤石過ぎる(ハイキックの空振りで会場が冷めた後にすかさずハイキックをバンバン当てて熱を回復させた)拳王が勝利。
挑戦表明に出てきた潮崎のヘタなアピールをうまく転がし盛り上がりに転換した頭脳がスゴい。
もうほんと、ここでジェイクと清宮も出てきて興行シメだったら、「2024年はNOAHがくるんじゃないか」「全日離脱組も吸収したら新日に対抗しうる一大勢力だぞ」となっていただろう。

丸藤vs飯伏
戦前、年末の段階で「足の骨折、歩くのもやっと」と言っていた飯伏の入場。
明らかに足をかばった歩き方(走ったり跳んだりもなく、歩いて入場)。
ゴングが鳴っても、まともに動けないまま、足の不調が目立たないような流れで試合を動かしていく。
(もちろん丸藤も負傷箇所は知っていたはずで、一緒にゴマかそうと組み立てに苦心している様子。でもそれが伝わっている時点でアカン)
跳び技の失敗、ロープワークのドタバタ、踏ん張りの効かない投げ技で、化けの皮がはがれる。
こういう時は、突如として決め技を出して強引に試合を締めると相場が決まっていると思うのだが、なぜか試合は続けられた。
そんな内容で、それもNOAHマットで、最終的に飯伏がカミゴェで3カウントを取ったもんだから、お通夜状態。

先に退場する丸藤と入れ替わるように、ジェイクと清宮が一緒になって登場。
リングインしても無言のまま、飯伏の退場を促すジェイク。
飯伏の完全な退場を見届けた上で、「ウルトラヘビーみたいなリズムの試合」と酷評し(しかしそれはファンの代弁でもあり)、2024年の舵取りを宣言。
締めを譲られた清宮は(2023年はオカダ襲撃から対新日が長かったが)「NOAHの中に入っていく」宣言(あいかわらず真っ直ぐなだけのコメントで上手くはないが受け容れられている様子)。

事前に不調が判明していた飯伏とメインであてられ貧乏クジを引いた格好の丸藤はバックステージで不満爆発。
三沢光晴のリング禍と向き合ってきた丸藤が、あの状態の飯伏と試合をするのは、過酷な作業だったと思う。

一方、今回のそういう部分は割り引いても、マイクも誌上コメントもヘタで、10年以上にわたるNOAHの低迷を招いた元凶は丸藤というのも、また一面で事実。
生え抜きである潮崎や清宮のショッパさも、丸藤の継承でもあるわけだ。
(この点で三沢時代からNOAHにいる小川や杉浦やヨネが責められることは少ないが、同罪だろう)
(三沢のマイクがうまかったとは言えないし、存命中の終盤は経営も危うかったから、その系譜とも言えるかもしれん)
(口下手だから喋らない、という手を打てない境遇にあることが丸藤の不幸かもしれない)
(とはいえ丸藤自身が喋りたがりっぽいようにも見える)

(外様ゆえに)マイクができる拳王とジェイクがいて、喋れないけど内容で見せられる潮崎、征矢、清宮が続くトップ層は、悪くない。
もう一人、マイクができてGHC戦線にも絡めて、ファンがNOAH色を感じるレスラーがいれば、言うこと無し。

KENTA帰還しかいない。
のだが、今のキャラのままで帰還するのは微妙だし、飯伏ばりに満身創痍だし、ガチめで丸藤と不仲っぽいし。

むずかしいね。
プロフィール
HN:
kawagucci
HP:
性別:
非公開
自己紹介:
海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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