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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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土曜日の被災地を思うマジメな飲み会で、
あまりゆっくりと話せなかったのだけど、
「いま、地震に関する研究をすること」について、
やはり倫理的というか、感情論的というか、
そういう部分まで見据えておかねばならないだろう、
というような話題があった

たとえば、
「東北地震のメカニズムを明らかにする」
って研究について、
国民からは一定の理解が得られるだろうが、
一方で、
「今までさんざんメカニズム研究やってきてるだろ」
「メカニズムがわかれば予知ができるのか」
「次の地震では被害は出なくなるのか」
というような意見も出るだろうし、
それについては(たぶん)納得させるだけの回答はできないだろう

さらにたとえば、
「地震生命圏仮説を検証する」
っていう(ボクが取り組んでいる)研究については、
国民から理解が得られるだろうか
まぁ得られないでしょう

ボクの意見では、
両方とも極めて理学的、もっと言うと、
「短期的には何の役に立たない」
という意味で、
大きな差は無いと思う

それはさておき、
いや、さておかないけど、
「この未曾有の大地震だからこそ、今研究すべきなのである」
というフレーズを使うことの危険性は、
どちらの種の研究にもつきまとうだろう

いつも通り、ちっともまとまらない
ちょっと視点を変えよう


どんな研究であれ、
「今研究すべき」というのは、
「研究者村」の言い分であって、
それは一般社会には到底受入れがたいものであろう
もし「研究者村」が利益団体であれば、
自らの言い分を前面に押し出して、
村の利益になるよう主張すれば良いだろう

でも、それは違うだろう

研究者というのは例外的に特異な立ち位置にある
莫大な税金が(村に)投入されていながら、
その使途に自由が与えられている業界は他に類を見ない
そのような特権的な立場が許されてきたのは、
「学者は高い知性とともに高い倫理観を有している」
という暗黙の了解が根底にあったからではないか

査定機関が存在しないのだから、
研究者は厳しい自己(相互)査定をするべきだし、
自らの(研究者村の)欲望を満たすための主張をすることに抑制的であるべきだ

あくまでそこをデフォルトの立ち位置にして、
それでもやはり「今研究すべき」なのであれば、
そう主張することには反対するものではない
しかし、
「あんたらにはわからんだろうが、これは今せねばならんのだよ」
というような態度は許されない
懇切丁寧に、なぜ「今研究すべき」なのかを伝えねばならない


やはりまとまらないけども、
放射性物質モニタリングもせず、
地震に関するいわゆる「役に立たない」調査をする、
そんな自分自身の現状に、
強い違和感を覚えているのは間違いなく、
ボクがもう一人いれば、
そいつからは間違いなく厳しく糾弾されるだろうという思いがある
でも、もはや自分ではコントロールできない次元で物事が動いている以上、
それに加担しないのは本当の意味で無駄になってしまうので、
参加せざるをえないし、動かざるをえない
そういう部分で、ちょっと精神的にヤバイ

ということで、
航海に行ってきます


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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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