忍者ブログ
自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
[19] [20] [21] [22] [23] [24] [25] [26] [27] [28] [29]
チーム力は,
「個人の能力の総和」と「チームとしての練度」の積。

【チーム力】=【(11×個)×(チーム練度)】

メンタルはさらにそれを試合で出せるかどうかってことで,
「チーム力」と「メンタル」の積が試合でのパフォーマンス。

【パフォーマンス】=【チーム力】×【メンタル】

だから,まずは個人能力とチーム練度がある。
チーム力が低ければパフォーマンスは高くなりっこない。
メンタルが100%だったとしても。

チーム力が絶対的に高いと胸を張って言える自負があってはじめて,
「敗因はメンタル」って言えるわけですよ。


単純に個人のパフォーマンスにしても,
【パフォーマンス】=【個人の能力】×【メンタル】
ですよ。

ノムさんが何度も言ってますよ。
「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」

負けた時にこそ,
その原因をしっかりと考えて,
じゃあそれを挽回するために何をどうやったら良いのか考えて,
次の機会までのトレーニングを積み重ねていかないと。

個人の能力とかチームの練度の部分を顧みずに,
「今回はメンタルがあかんかった」
「ふわっと入ったのが敗因」
とか言ってるようでは,
いつまで経っても強くなれませんよ。


すべての選手に言えるけど,あえて香川を例に出せば,
5人のキッカーに入っていない時点で,メンタル云々じゃない。
能力の問題。

足下の技術が持ち味の選手が全力で走り込んで打つようなPKで良いのか。
自覚があるなら,遠藤のような狙って決めるPKを身につけないと。
PKでGKと一対一の場面でも「駆け引き」と「キック精度」で上回れないから,
90分の中でも決めきれないんだよ。


悔しい!
PR
今は総説を書いていて,
これまでの研究をまとめた後で,
これからの研究を列挙するような構成のつもりだったんだけど,
これからの研究ってのに対する自分の情熱が無さ過ぎて,つらい。

というか,
自分の中ではほとんど結論が出ているようなことで,
「研究して,どうすんのよ?」ってことなので,
あまり明るい感じの仕上がりにならない。

もし今後も研究をやりたい人がいるなら,
こういう研究をやったら良いんじゃないの,的な,
どこか投げやりな冷たい感じになってしまう。

そんなもんで,
書いては消し,書いては消し,して,
まったく前に進まない。
オボカタさんの「STAP細胞はあります」と,
アベ首相の「この道しかない」には,
同じような腹立たしさを覚える。

「そうではないかもしれない」という逡巡が感じられない。
だからこそ,
「そうでなかった場合には,こうする」という責任感がない。

まったく大人の態度とは言えない。

最近,所内でゴタゴタした話が色々とあって,
色んな立場の人と意見を交わすことがあったが,
少なくない人が,
こういう「決め打ち」的な態度や発言をしていた。

悲しい。

「自分の考えは正しくないかもしれない」という視点を自分の中に持っていないと,
他人を,そして自分を,取り返しのつかないところまで深く傷つけてしまうだろう。

「自分では正しいと考えているけども,正しくない可能性も否定しない」というのは,
まさに科学的な態度と呼ばれるものなのではないだろうか。



原発を動かさないとエネルギーコストが膨大になる。
エネルギーコストが高すぎては経済が破綻してしまう。
経済が破綻しては生きていけない。
だから原発再稼働は不可欠だ。

ってのは,
「健康のためなら死んでかまわない」と言っているような気がして,
やっぱり気持ち悪い。

彼らがそこまでして守りたい「経済」ってのは,何なのだろうか。

自分の周りにいるエライ地球化学者の中にも,
少なくない比率で「原発が動かなきゃ困るでしょ」って人がいて,
そういう人の中では,
廃棄物とか,天災でのリスクとか,
どういう算段になっているのだろうか。

特に抱負などはなく。
今年は間違いなく人生の転換点。
でも出来ることはこれまでと一緒。
そこは変わらず。

昨年頭も書いていたけど,
今年こそ,まとまったものを書き続ける。
と書いておく。



朝から顔が荒れてる。かぶれた感じ。
生原酒の飲み過ぎ?
崎陽軒の弁当ってアレ系の調味料はいってる??
2013年末

1月
重度の寝違え。以降,一年を通じてずっと不調。

2月
KY14-02,雇われ首席。飲んだくれ航海。
降りたら大雪。さらに那覇往復で修論審査。BE。
下旬からノド風邪。

3月
STAP騒動で色々と考えて憂鬱。
国立で感動。
アトピー最悪化期。
オクムラさん去る(制度的な意味で)。

4月
表層論文改訂。
幕張ー西武往復,で体調不良。

5月
GWに海外学振書類。
一般公開に弟子が来てうれしかった。

6月
コバヤシ論文改訂。
中旬,辞職意思の報告。
ワールドカップ観戦で寝不足。

7月
ちきゅう乗船。
日産。
突然の辞職。
ちきゅう第二弾の急遽取り消し。
定年制面接。

8月
前月の案件でアル中。
那覇で修論審査。
海外学振は面接へ。

9月
よこすか乗船。研究者三人で楽しく。
海外学振の面接,失敗。

10月
マツイさん着任。
定年制審査落選の内示。他の同世代同僚も人事案件で不満鬱積。
海外学振,補欠。

11月
ウツウツとして過ごす。

12月
咳風邪のまま,フランスとスイス。
ももクリ。
忘年会の後に大風邪。


総括
年の前半は体調不良が激しく,
年の後半は精神的な不調が激しい年だった。
「高齢化問題」「少子化問題」「不景気という難問」と言いますが,
それはかつての生活状況あるいはそれに応じた政策の「結果」であって,
今まさに突然生じた「問題」ではないのです。

ある時点で「問題」あるいは「課題」とされたものがあって,
それに対して社会が積極的or消極的にどう対応したのかという「履歴」があって,
その結末としての「結果」なのでしょう。

今まさに「問題」として捉えている事柄について,
過去から見た「結果」であると捉え直す視点を持っていれば,
次への対策も変わってくるのではないでしょうか。

古環境研究的な考え方ですかね。

木曜に飲んで(ビール2杯+焼酎3杯),
金曜にも飲んで(ビール1杯+日本酒3合),
土曜は寝不足だったのでゴロゴロして,
日曜に風邪っぽくて寝てすごす。

こりゃイカン。
同僚の一人が人事案件で振り回されているようで,
本人や周辺人物とおしゃべりして一日が終わった。


自分の考えを持つこと,
自分の考えを表明すること,
自分の考えを相手に理解してもらうこと,
と,
自分の考えの正しさを主張すること,
自分の考えを相手に強要すること,
は,
似て非なるものなんだけど,
その違いがわかっていない言動をする人が,わりと多いね。


という話を兄さんとできて,
まぁそういう部分でちゃんとしている人が,
自分の周囲にいてくれるというだけで,
だいぶ気持ちが楽になれますよね。

自分の考えを表明するけどその正邪は主張しないで,
自分の考えを理解してもらうようにするけど強要はしないで,
っていう辺りのニュアンスが,
話し手としてうまく実現できなかったり,
あるいは受け手によって混同されてしまったり,
理屈はわかっていても難しい。

わかりあうって大変。
だからこそ不断の努力が必要。
思うところあって,自分が主著の論文について,
過去に受けた査読コメントを振り返ってみた。

すべての論文に対して「英語がダメ」「プレゼンテーションが悪い」とコメント。
これは本当に改善すべきだと痛感している。
一方で,
「じゃあどうやったらうまくなるの?」
「そもそも書き方なんて習ったことあるっけ?」
という疑問も。

プレゼン以外の部分では,
はじめのころ(2010年頃まで)は「議論が少ない」と言われていたのに対し,
それ以降は「議論しすぎ」と言われている。
多少書けるようになって,多少考えられるようになって,
調子に乗って書きすぎてしまっている,ということなのかもしれん。
あるいは,
論文を投稿することに対して自分の中でのハードルが下がっていって,
いい加減なデータセットでも原稿を書き上げて投稿しているからかも。
いずれにせよ,身に覚えがあるわけで,気をつけねばならない。
(粗製量産の遠因は人事での論文業績至上主義にあるわけですが・・・)

個別の論文では,
「図表から面白そうなのだが何を言ってるか意味不明」という理由で,
「再投稿ありリジェクト」を受けたのが多い。

投稿した雑誌(再投稿含む)と最終掲載は,
1 Anal. Chem.
2 GRL -- Atom.Chem.Phys.
3 G3
4 EPSL -- GRL -- GRL -- JGR
5 GJ
6 GJ
7 Sci. -- Nat. -- Nat. Comm. -- Nat. Geo. -- Sci. Rep.
8 Chem.Geol. -- Chem.Geol.
9 G3
10 Mar.Chem.
11 GCA -- GCA
でした。
強い自己主張をした4, 8, 11がリジェクトされているのが印象的。
7は地震ネタなので別枠で。

G3は2回投稿しているが,2回とも片方の査読者が日本人だった。
(エディターは日本人じゃなかった)
そういう意味では「狙い目」ジャーナルかもしれん。


で,論文の書き方って,習ったことがないよね,って話。

ボクの場合,修論研究の内容を投稿した原稿の修正稿に対し,
修論指導教員でもある共著者から,
「これを投稿しても読む方に迷惑なだけでしょう」
「もうちょっと何とかなりませんか?」
「第三者になって再検討して下さい。」
というメイルがきた。
もちろん原稿の不出来はボク自身の力量の問題なのだけど,
投稿前回覧の時点でまったく返信がなかったし,
学生時代に論文の書き方を一切指導されていないわけで,
なんというか「それってどうなの?」って感じ。
でも論文執筆とか指導教員とのやりとりって,
自分の例しかわからないから「そんなものかなぁ」という気もしていた。

その後,同僚なんかと話をしてきて,
大学院時代の「論文執筆指導」は大きく2つにわかれていることがわかった。
1つは原稿に対して「教員が自分の文章を記述」する方式。
ボクはこっちの指導を受けた。
教員側からすれば,
「自分の赤ペンを読んでその意図を汲み取って書き方を習得せよ」
ということなのだと思われる。
(でもこれって実質的には個々の才覚をフィルタにかけてるだけだよねー・・・)

もう1つは原稿に対して「学生と教員で一緒に一文一文チェック」する方式。
数時間とか,たっぷり時間をとって,原稿を2人の間において,
「この文はどういう意図で書いたんだ?」
「ネイティブがこの言い回しを使っている論文を示せ」
といった具合に「みっちり指導」するらしい。
これを聞いて,
世の中にそんな指導が存在するということにまず驚いたけども,
そうやって指導を受けた人の原稿を見ると,やっぱり良く書けている。


「論文の書き方」と一口に言っても単なる英語の問題だけじゃなく,
全体構成,パラグラフ構成,議論の持って行き方,主張の強弱などなど,
色んな側面があるわけで「書き方を教える」ってのは簡単な作業じゃない。
でも,簡単な作業じゃないけども,
論文の大部分は「第三者的な視点」で書くもので,
本当に「自己主張」をするのは最初と最後の数パラグラフ程度なわけだ。
なので,
「論文の書き方」に限ってしまえば,
それは「一子相伝の秘技」ではなくて「およそ正解」のようなモノが存在する,
極めて一般性の高い技術なんだと思う。

で,その技術は一般性ゆえに「方法論」として落とし込めるだろう。
ここで言う「方法論」は,
「論文を書く方法論」自体だけではなくて,それよりもう一段メタな,
「論文を書く方法を教える方法論」も含んでいる,というか,
そっちの方こそが確立されるべきものだと思う。

今日はこのへんで。


プロフィール
HN:
kawagucci
HP:
性別:
非公開
自己紹介:
海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
ブログ内検索
カレンダー
03 2025/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
アクセス解析
カウンター
Powered by ニンジャブログ  Designed by ゆきぱんだ
Copyright (c) kawagucci's Weblog All Rights Reserved
忍者ブログ / [PR]