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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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正確には評価会でも無いのだけど。
コチラが提案側で、アチラが評価側で。


冒頭、「基本的に対話の場です。しかし評価においては対立構図になることもあります」とのお話。
なんだか変な感じだな、と。
カラい評価を付けるとしても、それは対立じゃないよね。
一方で、対話と言いながら、その背景に「対立構図になりえる評価」があるならば、良い対話にはなりえないんじゃないかと。

無理難題を言われた時に、「それは無理難題だよ」と言って良いのかどうか。
そこのセーフティーネット確保を明示されていない限りは、コチラ側は「承知しました」になってしまう。

自分が評価者側に回ることがあれば、この辺は注意深くなりたいな。


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今週は週5日、すべて自転車通勤して昼サッカーをやった。
皆勤賞は、すくなくともコロナ禍以降では初めて。
おそらく逗子葉山エリアに引っ越してきてから初。
2016年4月からなので、7年半ぶりか。
往路30分、サッカー30分、復路30分。
土日は体育館。
中年の人生を満喫中。
10月6日(金)
寒い朝の目覚め。
鼻水が汁でダラダラと落ちる。
次第にクシャミが止まらなくなる。
涙も出る。
秋の花粉症、もしくは寒くなって出した掛け布団のホコリ、もしくは両方。
14時から科博潜入。鼻水は次第に止まる。
視察のご説明で水が飲めない時間が続きノドが痛くなる。
17時からビールなど。
22時頃帰宅。

10月7日(土)
02時、ノドが激痛、体温は37.2度。
バファリンルナが出ていたので投薬。
05時、多少マシになっていた。アレグラ。
06時に朝ごはんの後、朝寝。
モメタゾン点鼻2発。
09-17時、体育館、のど飴ナメながら。次第にボーッとしてくる。
18時、ビール、モメタゾン1発、オロパタジン1錠の後に就寝。
22時頃、ボーッとして起きたがポカリ飲んで再度寝る。

10月8日(日)
05時起床。ボーッとする。頭痛も。
モメタゾン1発。アレグラ。
09-14時、体育館。
シャワー、コーヒー、メロンパン。
ノドの奥のぼやっとした痛みと声枯れ以外は回復してきた。
年度はじめの受賞講演で言いたいことを言った。
イソベくんに褒められた。

4月からコーチ業を分厚くし、土日の09-17時と、木金の夕方をほぼ費やしている。
6-7月に長くはない航海があって、戻ってきたら海展だった。
深海調査インフラどうするワーキンググループで分厚い報告書を書いた。
ずっと暑い夏がまだ終わらない頃、昇格審査で傷ついた。
気付いたら9月30日だった。
下半期は何をやるのか整理して備忘録につけておかねば。

SIPは順調。
南島原観測で今年度のテーマ別成果はOKでしょう。
2-3月の航海があるが、調整は進んでいるので、このままいける。
むしろ6月航海の調整をそろそろはじめねばならん。
とはいえ、新たに加入した2名+1名がとても働いてくれており、もう自分は抜けても良さそうなぐらい。
音ネタの個別案件はこちらで進める。

Kは見通しが立ちつつある。
いちおう表向きは採択された。
まだ何とも言えないけども、おそらくこのままいくだろう。
実際に動き出して、ポスドク的な人が二名ほど加われば、あとはなるようになる。
下半期が山場と言えるかもしれん。

ジオエンジ系の企業案件2つ。
継続の方は、着地点が見えてきた。
労力的にも金銭的にも妥当な範囲で進められそう。
求められることが指数関数的に増加しつつあったが、踏みとどまれた。
新規の方は、まだ何とも言い難いが、大きな話になる予感がある(予感のみ)。
個人的には「ムム・・・」と思って距離を置いてきた案件だけに、勉強が必要。
事業そのものに強みと弱みがあると思う。
事業の中で、自分が強みを出せる部分(=担当できる部分)は明確なので、そこの不安はない。
とにかく勉強だ。

EVS関係は、ここまでとても順調に進んでいる。
興味を持つ人が多く、もうボクは関係ないところで普及していきそうで、嬉しい限り。
BD&特推&CRESTとあって資金面の不安はなく、人員配置もメドが立ちそうな気配がしてきた。
投稿中の論文は音沙汰がないが、そのうち連絡がくるから、論文を掲載まで持っていくのが任務。

同位体ラボ301。
良くも悪くも安定期に入っている。
主力機の寿命を見据えつつ、ラボ能力の向上も目指しつつ。
新規購入クラスの金策は何も打っておらず、何もない。
運転資金クラスの金策は何も打っていないが、さしあたり問題もない。
共同研究を含む依頼分析は順調だが、自前での論文が滞っているのが問題といえば問題。
いずれにせよ今年度の下半期に大きな動きはなかろう。
(虎ノ門方面から爆弾が飛んでこない限りは)

学術会議は2017年からの6年間の任期が終了。
今年度は駆け込みで見解などの発出が相次いだ。
貢献度の濃淡はあるが、いずれも世の中で読まれてほしいものになっている。
特に若手アカデミーの見解は、みんなに読まれ、引用されることで、味が出てくるはずだ。
ってワタルさんが言ってたから間違いない。
下半期は、新体制の発足で、委員会や分科会がパラパラと開催されることでしょう。

執筆案件は、だいたい整理されてきた。
宿題は、RedSeaとANA。あとは13万字。
この2ヶ月でどこまでいけるか。

養育と介護に挟まれる40代。
いたるところに爆弾が仕込まれている。
常にエフォート20ぐらいは空けておかねば。
(コーチ業にはその意味合いもある)

日本学術会議の第25期が2023年9月末で終わる。
第25期のはじまりは2020年10月1日。
コロナ禍の発端が2020年1月、ワクチンの医療従事者への流通が2021年初頭からなので、コロナ禍の行く末が見えない時期だった。
さらにいわゆる「任命拒否問題」が発覚し、第25期は最後まで翻弄されることになった。

若手アカデミーは、日本学術会議の会員・連携会員あわせて約2000名のうち、45歳未満の者が任意に参加する集団だ。
ボクは第23期の終わり頃に、すみいさんが流布した公募に応募して特任職として参加。
第23期の代表は上田さんだった。
この時、ちょうどスイスにいたので、初参加がハイブリッド・オンラインだったこともあり、雰囲気は掴めないままだった。

第24期からは、コオプテーションによる恩師からの推薦を受け、日本学術会議の連携会員に選出され、若手アカデミーにも所属することになった。
日本学術会議の任期は、一度の選出につき2期6年間なので、第25期にも継続して活動することが、この時点で決まった。
第24期の若手アカデミー代表は岸村さん。
若手アカデミーの下に設置される複数の分科会のうち、学術の未来検討分科会で主に活動した。

そして第25期。
若手アカデミー代表には、満を持して、岩崎さんが登板。
「20年後にあたる2040年を見据えたリモデリング戦略」という明確な旗を立て活動を開始した。
50人ほどのメンバーを8つほどの分科会にわけることで、比較的少人数での活発な議論を促す方針も奏功。
学術界の内外で色んな仕掛けが出来た、と思うし、その結実たる見解は近日中に発出見込みだ。

第24期の学術の未来検討分科会の議論を継承した上で集団を発展的に分裂させ、片方を人材育成、もう片方を業界体質改善とした。
「学術界の業界体質改善分科会」という名称に、当初はシニア側から難色を示されたという話も聞こえてきた。
若手アカデミーでも分科会に所属希望したのは、最少の5名。
当初想定した実質的な議論のフォーカスは、学会活動の負担だった。
途中から、任命拒否問題からの関係改善にむけた(?)政府からの諮問に対する『回答』を用意する議論にも付き合ってもらった。

〜〜
第24期は、岸村アニキをみんなで担いで、わっしょいわっしょいと進めていた。
第25期は、ワタルさんがビシッと示した道を、みんなでワイワイと歩いて行った。
そんなイメージをもっている。
甲乙は付けがたい。両方よかった。


時間切れ
ぐるぐる考える時間が続いたのに加え、飲み会と急ぎ仕事が重なり、なにも出来なかった。
母屋を大事に、と言いながら、掃除も片付けも行き届かない始末。ふがいない。

〜〜
パッとした思いつきを記した自分メモの中に以下の断片があった。
「領分を守ることを是とする姿勢」
「堅牢な城壁、充実した城」
「実りなき縁辺、手入れのない緩衝地帯、隔絶」
「内部での価値観の固定、縮小再生産」

ボクは、縁辺を破壊し境界を曖昧にして、混ぜっ返すことで、散らばった小世界を繋げて、不均一だけど調和の取れた新世界を構築したいのだろう。
それはなぜかと言えば、いまの小世界と小世界の間にある「手入れのない緩衝地帯」が荒廃すれば、やがてそれぞれの小世界も損害を被ることが予想されるからだし、反対向きに言えば、縁辺や境界外に追いやられている案件に宿る何かから新しい芽がうまれると信じているからだし、なんだろう。

最近ツイッタランドで「選択と集中は、やはりけしからん」という話題が盛り上がった。
それはそうだとして、じゃあ何が根本的な「けしからん」部分なのかと。

片方には、選択して集中された側が、投下された資源に対する成長が頭打ちになるから効果薄だという意味があるだろう。
これはまぁ、たぶんそう。
リービッヒの最小律じゃないけど、どれだけお金を入れても、土地や人間や何やらが足りなければ、成長は期待できない(そうじゃない場合もある)。

でも、もう片方の方が問題だと、ボクは思っている。
つまり、最低限の資源すら投下されなくなった縁辺が荒廃して朽ち果てていくこと。
縁辺の喪失が、異世界との距離をつくり隔絶してしまい、実りあるはずの交易を遮断すること。
見方によっては、多様性の損失とも言えるのかもしれないが、ちょっとイメージが違う。イメージだけだけど。

某アカデミーの友人が先日、「現代日本人が中国人の振る舞いを見ると倫理観が低いと思うが、アレは日本的価値観ではそう見えるが、彼らには彼らの価値観があって、その範疇での振る舞いなのだ」ということを教えてくれた。
価値観が違うということは、良いことと悪いことがヒックリ返ることもありえる。
別に自分の価値観を変える必要はないし、横暴に感じる相手にやられるままでなくても良いけど、すくなくとも「あぁ、価値観が違う人なんだな」と受け止められるだけで、随分と世界が違ってくる。

そういう思考の相対化が過ぎると、「じゃあ結局、お前は何がしたいんだよ」みたいな話になる。
ボクの趣味嗜好を突き詰めると「自分が何をしたい」ってのがない。
「みんながこうなったら、自分も生きやすい世界になって幸せだな」という考え方。
マネジメントやコーチングに関心があるのも、極論、根っこはそういう心象なんだと思う。
でもこういう思考って、「科学は好奇心に突き動かされるもの」とか「研究はオノレの主義主張のぶつけ合いだ」とか、そういう思考の人とは、食い合わせが悪い。

これぐらい根っこのところで違うと、わかりあうことは難しい。
違うな。
わかりあうことは無理だけども、「大体こんなもんだろうな」というのさえ、わかれない。
先の中国人的な倫理観や価値観の例えが、そのままあてはまる。

そこのわかりあえなさを受け入れて、そういうものとして付き合うのか。
はたまた、その程度のわかりあえなさを克服しようとして付き合うのか。
ボクは後者でありたいのだけど、相手が前者である場合が多い。

ボクは、門がアチラ側から閉ざされていると感じる。
アチラ側は、ボクが門を叩いてきて迷惑だと感じる。

個人の場合と、組織の場合と。

明日はどっちだ。
案の定、炎上した。
http://kawagucci.blog.shinobi.jp/Date/20230907/

同僚で専門家の方が、ツイッターで「まちがっている」と指摘。
専門家に指摘してもらえることは、ありがたい。
まぁ、やり方について「初手からそんなことやりますか」と思う部分はあるが。
そんなこんなで、修正記事を出すことに。

その内容について実際に研究をしているレベルで精通しているからこそ、「子供向け」にまるめて話をする時に、核心部分を残して話せるのだと痛感。
あまりわかっていないと、核心部分を外してしまう。

この分野に精通しているわけではない別の同僚が、修正前記事と追記部分とを読んで評価してくれた。
「盗塁のコツを聞かれた福本豊がまずは塁に出ることと言って打撃練習をはじめたのと似たような話」とのこと。
それはそう。
他の記事でも「なぜ地球に海があるのか」に対して「水素と酸素があるから」という解説をしているわけで。

月曜の夕刻、都内へ電車移動している間に指摘を知り、こういうことは早く収拾せねばならんと思い、ビール飲みつつもスマホで対応して、広報担当者の協力もあり、即日対応した。
心身ともにつかれた。
朝食の担当をしている。
0540に土鍋を火にかけ米を炊き始める。
火を止めるまで15分、火を止めてからさらに15分で、美味しいご飯が炊き上がる。

その間に、食洗機から皿を出して元の場所に戻し、おかずの準備に取り掛かる。
うちではタンパク質摂取を重視しており、卵・肉・魚・豆を使用する。
一方、偏食の子がおり、野菜は食感が残っているどころか、目に見えるサイズで存在するのもアウトだ。
なおカレーの場合はこの限りではないなど、例外規定も多いことが、さらにやっかいである。
基本的には野菜抜きメニューを一つは用意し、それと卵かけご飯を食べさせる。

このおかずのレパートリーが乏しい。
もうちょっとどうにかしたいのだが、試して作ったものが残されると朝からイラつきマックスなので、なかなか踏み出せない。

◎鶏もも肉焼き
フライパンを熱し、皮目を下に置いたら弱火で15分間焼き、ひっくり返して火を止めフタをして15分置いておく。
ご飯が炊き上がるタイミングで肉を出して切り、フライパンの肉汁に適当な味付けをしてカケダレを作る。
照り焼き、バターカレー、塩コショウハーブ、バター醤油がある。
クミンを入れると誰も食べない。

◎豚コマ焼き
豚コマを売られているところからさらに細かく切った後、フライパンで炒める。
タマネギやネギ、生姜などを加えることが多いが、キノコを入れると誰も食べなくなる。
薄口醤油での生姜焼き、濃口醤油でのすき焼き風、カレー粉炒めがある。

◎肉豆腐
中華鍋で豚ミンチをミチミチに炒め、塩ゆでにした豆腐1丁をサイコロ切りにして投入する。
麻婆豆腐、すき焼き風などがある。
酒徒さん(下)レシピによる塩だけの場合は、ラー油など味変用の調味料も一緒に出す。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000302.000030125.html

◎干物
駅前の魚佐治でサバ文化かホッケ開きを買ってきて焼く。

◎汁もの
シャウエッセンもしくは竹輪、豆腐、卵の組み合わせで作る。
片栗粉でとろみを付ける場合もある。
味噌汁、ウェイパー中華風、コンソメスープがある。


時間切れ
バスケ日本代表のトムホーバスHCに対する疑義の文章を読んだ。
https://note.com/tomabetchy/n/n9e5b62975491

要約すると、ホーバスHCの指導法が、徹底したパターン化による選手の自主性の抑圧と、「キミたちは出来ると信じている」と言い続ける洗脳とで構成されており、メディアが持ち上げるような革新的指導ではなく、むしろ日本スポーツ界の旧態である軍隊式ではないか、というもの。

これには、同意だ。
同意だが、ボクにとってそれは指導への疑義ではなく、むしろ指導への称賛である。

ホーバスに対する評価が、著者のとまべっちーさんとボクとで違うのは、視点の違いだ。
著者は、(大学生まで含む)育成世代の視点で見ているのではないか。

選手個人の伸びしろが残っていて、それを育む視点で見るならば、ホーバスのやり方に全面的に賛成することは難しい。
選手が自身の持つ個性の発揮を抑制してしまいかねない懸念からだ。
とりわけ学生スポーツでは、その学校に入ることと、そのチームに入ることとは、必ずしも一致しない。
行きたい学校に行って、そこでやりたいスポーツをやることに決めただけで、そのチームに入ることを選択したわけではない(スポーツ推薦ならば事情は違うが)。
またそこが最終目的地でもない(はなから学生大会だけで引退することを決めている人もいるだろうが)。
育成年代では、日々(の練習)を楽しく過ごすこともスポーツをする理由なのだから、一定以上の自主性は重んじられる方が望ましい。
あるいは、スポーツを通じた自主性の成熟が、学生スポーツの目的であるということも指摘できよう。

一方、トップリーグのトップチーム、あるいはその最たるものである代表チームは事情が違う。
監督は、選手個人の成長や自主性を重んじる必要がない。
なぜならば、この層のチームの目的は唯一、勝利することで、そのために選手は選んで連れてくるものだからだ。
選手も、トップのチームでトップのコンペティションに参加し、富と名誉(と最高のプレイの快感)を得ることが目的だ。
自主性が抑制されたことで選手がヘソを曲げるなら監督はチームから排除すれば良いし、選手も不満があるならチームをされば良い。
実際に、監督と選手が合わず、どちらかが退団するケースはとても多い。

たとえばサッカー界では、おそらくペップやクロップも、ホーバスと同じ指導法をしている。
監督が理想のチームを思い描き、その実現に必要な要素となりうる選手を連れてきて、戦術的あるいは精神的な一貫性を注入する指導により、理想を実現する。

バスケやサッカーのようなボールゲームでは、競技特性として、相手の穴を突くことで勝利が近づく。
最近ではスポーツ界でも解析によって戦術の効果が明瞭になっている。
それゆえ、各選手が、それぞれの思いつきではなく、戦術的に規定された動きをする方が、勝利する確率が向上する。
勝利を第一義の目的とする集団であるプロチームあるいは代表チームであれば、自主性を抑制されることは、かならずしも悪いことではない。

だからといって、選手の自主性、個性が不要かと言えば、まったくそんなことはない。
そもそもマクロに規定されるチーム戦術があっても、個々のミクロな局面でのプレイ選択には必然的に個性があらわれる。
また監督としても、その個性を(良い意味でも悪い意味でも)織り込んで戦術を立てる。

さらに言えば、究極の個性の発露こそが、戦術の核心である場合も多い。
ペップもそれを認めている。
メッシ(あるいはロッベンやハーランド)がフィニッシュワークを出来る局面をいかにして作り上げるかが、チームの仕事だ。
フィニッシュワーク、最後の局面で相手を上回ることは、メッシの個の力に委ねれば良い。
ガチガチの戦術は、極論すれば、究極的な個性頼りのためなのだ。
富永に3Pを打たせるのはチーム戦術だが、富永の3Pが決まるかどうかは個性なのだ。

じゃあそんなメッシやハーランドはどのようにして育ってきたのか。
その育ってきた環境では、自主性が重んじられていたことだろう。
なぜならば、自主性が重んじられなければ、個性がうまれないからだ。

〜〜

とか、そんなことを思いながら、いかにして小学生に戦術的な動きの効能を体感してもらうかに、悩んでいる。
チームのエースからすれば「パスしてもキャッチミスするから、パスしない方がチームのためじゃん」「自分がドリブルで抜いてシュートを打つのが一番いいじゃん」というものだろう。

でもそれを続けていると、個の力で自分を上回る選手がいるチームには、チームとして勝てない。
個と個の局面で封じられると、他に持ち手がないからだ。

この辺りは、言葉で説明しても、納得がえられるものではない。
敗北から学べば良いが、個の敗北の体験を消化した上で、個には限界があるからチーム戦術を磨こうと自主的に考えることを、小学生に期待するのも難しい。

相手は現代っ子なので、動画を編集して場面を見せるのが良いとは思っている。
良い素材を見つけて、うまく編集して、


時間切れ
取材を受けた記事がウェブで公開されはじめた。
https://www.jamstec.go.jp/j/pr/topics/shin-chishiki-20230907/
https://gendai.media/articles/-/115194?imp=0

サイトの見た目から、ボクが書いたような体裁になっている。
最後に『取材・文 岡田仁志』ってチラリと書いてあるだけ。
これは本当に勘弁してほしい。

取材を受けるにあたって「ライターが書く。そのための取材」ということを確認した。
自分に文責がないならば、と、取材に応対した。
原稿の確認が回ってきた時も、微妙な表現が散見されたが、ライターに文責があるわけで、しかも「中学生程度のレベルにする文体」ということで、大きな部分以外のコメントはつけなかった。

それで公開されたら、なんだかボク自身が書いたような体裁になっている。
JAMSTEC BASEの方はまだしも、ブルーバックスウェブの方はボクが書いたようにしか見えない。
なんせ、以前に(コチラは本当に)自分で書いたスケーリーフットの記事と同列に括られている。
アレとコレとじゃ全然ちがうよ。そりゃないよ。

ちなみに著者写真も、勝手に変えることにされた。
コチラは事前に知らされて不満だったけど、上述の通りの状況なのでスルーした。
なんというか、「それっぽい写真」に差し替えられている。
そういうことをしてしまう思想が、本当に受け入れがたい。

なんだかなぁ。
プロフィール
HN:
kawagucci
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非公開
自己紹介:
海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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