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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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ぐるぐる考える時間が続いたのに加え、飲み会と急ぎ仕事が重なり、なにも出来なかった。
母屋を大事に、と言いながら、掃除も片付けも行き届かない始末。ふがいない。

〜〜
パッとした思いつきを記した自分メモの中に以下の断片があった。
「領分を守ることを是とする姿勢」
「堅牢な城壁、充実した城」
「実りなき縁辺、手入れのない緩衝地帯、隔絶」
「内部での価値観の固定、縮小再生産」

ボクは、縁辺を破壊し境界を曖昧にして、混ぜっ返すことで、散らばった小世界を繋げて、不均一だけど調和の取れた新世界を構築したいのだろう。
それはなぜかと言えば、いまの小世界と小世界の間にある「手入れのない緩衝地帯」が荒廃すれば、やがてそれぞれの小世界も損害を被ることが予想されるからだし、反対向きに言えば、縁辺や境界外に追いやられている案件に宿る何かから新しい芽がうまれると信じているからだし、なんだろう。

最近ツイッタランドで「選択と集中は、やはりけしからん」という話題が盛り上がった。
それはそうだとして、じゃあ何が根本的な「けしからん」部分なのかと。

片方には、選択して集中された側が、投下された資源に対する成長が頭打ちになるから効果薄だという意味があるだろう。
これはまぁ、たぶんそう。
リービッヒの最小律じゃないけど、どれだけお金を入れても、土地や人間や何やらが足りなければ、成長は期待できない(そうじゃない場合もある)。

でも、もう片方の方が問題だと、ボクは思っている。
つまり、最低限の資源すら投下されなくなった縁辺が荒廃して朽ち果てていくこと。
縁辺の喪失が、異世界との距離をつくり隔絶してしまい、実りあるはずの交易を遮断すること。
見方によっては、多様性の損失とも言えるのかもしれないが、ちょっとイメージが違う。イメージだけだけど。

某アカデミーの友人が先日、「現代日本人が中国人の振る舞いを見ると倫理観が低いと思うが、アレは日本的価値観ではそう見えるが、彼らには彼らの価値観があって、その範疇での振る舞いなのだ」ということを教えてくれた。
価値観が違うということは、良いことと悪いことがヒックリ返ることもありえる。
別に自分の価値観を変える必要はないし、横暴に感じる相手にやられるままでなくても良いけど、すくなくとも「あぁ、価値観が違う人なんだな」と受け止められるだけで、随分と世界が違ってくる。

そういう思考の相対化が過ぎると、「じゃあ結局、お前は何がしたいんだよ」みたいな話になる。
ボクの趣味嗜好を突き詰めると「自分が何をしたい」ってのがない。
「みんながこうなったら、自分も生きやすい世界になって幸せだな」という考え方。
マネジメントやコーチングに関心があるのも、極論、根っこはそういう心象なんだと思う。
でもこういう思考って、「科学は好奇心に突き動かされるもの」とか「研究はオノレの主義主張のぶつけ合いだ」とか、そういう思考の人とは、食い合わせが悪い。

これぐらい根っこのところで違うと、わかりあうことは難しい。
違うな。
わかりあうことは無理だけども、「大体こんなもんだろうな」というのさえ、わかれない。
先の中国人的な倫理観や価値観の例えが、そのままあてはまる。

そこのわかりあえなさを受け入れて、そういうものとして付き合うのか。
はたまた、その程度のわかりあえなさを克服しようとして付き合うのか。
ボクは後者でありたいのだけど、相手が前者である場合が多い。

ボクは、門がアチラ側から閉ざされていると感じる。
アチラ側は、ボクが門を叩いてきて迷惑だと感じる。

個人の場合と、組織の場合と。

明日はどっちだ。
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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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