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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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「考える」ってことが出来ない,とか言ってしまうと,
やはり抽象論になってしまって,
その「考える」ってのは何なんだよ,という問題が立ち上がるので,
議論の端緒にするのは良くないんだけど,
状況で言ってしまえば「考えることが出来ていない」って状態なわけで,
で,そういう人ってのが,学位を持っている人にも多々いるのはなんでなのかな。

そういうことをフシギに思うことが多いので,
そこのところに対して自分の中で何かこたえを見出して,
それを解決しうるメソッドまで落とし込みたいな,と思うわけですね。

最近は学術分野が細分化されすぎているから,
学位をとるための仕事をしても専門家にしかなりえない,
とかいう批判がありますが,
そんなもん寺田寅彦あたりを除けば,
学位を取得したり,その後の研究者として生きていくための対象分野なんて,
昔からかなり限定した範囲しか扱っていないように思う。
もちろん,相対的には,近年の方がより限定的になっているが,
でも分野の細分化ということ自体が,
「考えることが出来ない博士」の原因ではないというのは,
一定以上の共感をえられるのではないかと思う。
でも一方で,
大学院に入ると,より限定的な対象に集中して日々を過ごす,
ということは,それはそれで事実に近い気もする。

また混乱してきた。
言いたいことは,世界は分けてもわからない,的なこと,かな。



ーーー記録ーーー

1月12日(日)
朝ダラ,会社で作図,昼コンビニパン。
同僚に怒りをぶちまけて,散髪して,就寝。
頭皮が乾燥してつらい。
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自分に従って生きることは難しい。

この国には憲法以下法律があり,
人間社会には慣習や流行があり,
人間には欲求や欲望がある。

そんな中で,
息苦しくならずに楽しく生きていくためには,
「自分」に従って判断することと,
「周り」に従って判断することを,
適当に両立させていかねばならない。

そうなんだけど,
やっぱりできるだけ自分に従って生きていきたいわけで,
そうなると「周り」との軋轢が不可避になってくる。

でもどういう「周り」に身を置くかということは,
自分の都合でどうにかできる。
自分に従って生きるのに適した「周り」を選ぶことは,
自分に従って生きるために重要な行動だろう。
そして,そうやって「周り」を「自分で選択することができる」ことこそが,
「教育を受けることの意義」の一つなのではないだろうか。

ボクが研究者を続けているのは,
言い換えると,
研究業界という「周り」に身を置いているのは,
「周り」がある人の判断を理由無しに拒絶することが許されていないこと,
それゆえに,
自分に従って生きる自由が認められる領域が極めて大きいこと,
が大きな理由になっている。

さらにボクには研究者を続けられるだけの能力が(今のところ)あって,
それがゆえに,
ボクは「周り」からの「自分」への侵略をほとんど受けることなく,
極めて自由に,自分に従って日々を生きることが出来ている。

そして研究者であるということや研究業界というものに対して,
ここまで書いたようなスタンスの人がかなり身近ないくらかの研究者にいて,
そういう人との仕事や人間付き合いは,
自分に従って自由に生きていることとなんら矛盾しないし,
むしろ幸福や歓喜を感じることすらできる活動になっている。

もちろんそんなボクの生き方について,
(少なくとも表面的には)理解している家族がいることは,
自由に生きているうえで忘れてはならないファクターだと思っています。



ーーー記録ーーー

1月11日(土)
06時起床,朝は一蘭,九大で航海打ち合わせ,昼はひらお,1410福岡羽田,夜はケーキのみ。

0504文庫発に乗りそびれて歩いて出勤。80分ぐらい。
イラレでMg図をシコシコ。
昼サッカーの後,自転車で帰宅してすぐ羽田。
1515羽田発ANA261に間に合ったのでビールを流し込んでから搭乗。
機上で南光の火焔太鼓。福岡着。
予定より早いので祇園から東横インまで徒歩。
荷物を置いて夕飯,鳥善,JIさんとnzkくんと,12時まで。
ももクロの魅力の本質的な部分は,
彼女たち自身がももクロでいることを楽しんでいるところにあるんじゃないかな。
彼女たちが楽しんでいる姿を,こちら側は楽しんでいるわけ。

だから運営側は,時にこちら側を無視するようなイベントを打ってくる。
それは彼女たちを楽しませるため,
彼女たちがももクロでいることに飽きない,
ももクロであることを楽しみ続けられるためのものなんじゃないか。
たぶんそういうこと。

今は会場を大きくしていったり,
音楽や演出をいじったりしたりして,
運営側が楽しむ余地を作り出しているけども,
そろそろ,そういうのもインフレで限界に達してきている。
国立2daysだし。

次のフェイズは,彼女たち自身が自分たちが楽しめるものを見つけるのか,
それとも運営側が違う刺激を与えるのか。

というようなことを考えたり。


ーーー記録ーーー

1月8日(水)
二日酔い起床。航海連絡,科研費繰越,飛行機予約,蹴り初め帰宅,中野DVD再鑑賞

1月9日(木)
10時間寝て起床,CIRのMg図,技術職を甘く見んなよというお話

朝は普通に出勤。
論文図を1つ作って,
ポスドクさんと年末以来の話をして,
1100頃帰宅。

あらためて出て,
馬車道の横浜Bayらっきょで昼食。
野菜ふにゃふにゃ,ご飯べったりで,イマイチ。
1330から横浜新港かいようでKY14-02航海打ち合わせ。
ペイロードがパンパンっぽい。
センサー4つ?5つ?みたいな状況。

1430終了後,同僚とダラダラ歩いて横浜駅西口で一軒目。
くそまずい。
早々に離脱して文庫へ。
1700—2330で,ぷう。
事務の人もきて,ダラダラと。
会津娘,4合は飲んだと思われ。
正月帰省から自宅に戻ったところにメイル。
「祖母危篤。今回は最悪のケースもありうる。次の連絡をまたれよ。」とのこと。

父方の祖母は実家から車で1時間もかからないところで一人で住んでいて,
父が通いながら,叔母やヘルパーさんなどとともに面倒を見ている状況で,
入退院を繰り返すような状態が続いていた。
そんな状態なもんで,
「乳幼児を連れて行っても向こうが大変なだけ」ということで,
結婚式前にヨメを連れ行ったきり,5年間も会いに行っていなかった。
まぁぶっちゃけてしまえば,面倒臭かったということだ。

そんな祖母が,正月帰省から戻ったタイミングで危篤ということで,
あらためて考えさせられたのが,
「なんのために盆・正月に親族が集まるのか」
ということ。

今ここに生きている自分がいて,
そんな自分(と子供達)の利益を考えれば,
年老いて(田舎に住んでいる)親族みたいなもんは,
「不便だ」「大変だ」「用事が無いと」とか,
会いに行かない理由はごまんとあるし,
会いに行く理由なんて探したって見つからないわけで,
生活上の優先順位みたいなものは最下位に近い。

とはいえ,
じゃあそんな自分(や子供達)が今ここにいて,
こうやって生きているということと同じように,
彼女たち(祖母など)だって今ここで生きているわけだし,
彼女たち無くして今ここの自分だって成立しえないわけで,
そんなことを感じるのは,
効率的に生きていくためには無駄かもしれないけど,
そんなに無駄なことではないようにも思う。

むしろ,
なにが無駄かっていったら,
そんな「会いに行く理由がない人達」に「会いに行くことだけが理由」の正月帰省で,
会いに行くことすらせずに,ただ移動するような行為じゃないか,と。

そんなことをあらためて感じて,
冠婚葬祭(盆正月含む)に対する態度を,
キチンとせねばなぁ,と思った次第。


ーーーとりあえず記録ーーー

1月5日(日)
出勤。論文図作成。2つ出来た。

1月6日(月)
0537金沢文庫ー0903宝塚ー1100篠山岡本病院ー1444三河安城ー1743金沢文庫



昨年の反省として無為な日々をおくってしまったような気もするので,
今年はとりあえずブログに比較的細かい記録をしていこうと思っている。
まぁそれもどれだけ続くかはわからんけども。

食べたものか,
出費か,
体重か,
それぐらいを無機質に記録するのもやろうとは思っている。
思っていたが,正月は一年でもっともイレギュラーなわけで,
仕事はじめから記録はじめにしよう。




ーーーとりあえず記録ーーー

1月1日(水)
05:30 金沢文庫発,のぞみ,安城着
初詣後,昼食は岡崎宴会,戻って夕飯お好み焼き。

1月2日(木)
08:10 三河安城発,こだま,宝塚着
両親+実姉夫妻と昼食,伊丹買い出し,夕食は実家。

1月3日(金)
雑煮のちダラダラ,昼は大阪,DDドイツ,洗濯機贈呈用+空気洗浄機実家用購入。
同窓会0次会モス,1次会ラッグズ,オクムラモリダイTATSUOフジタ。
タカギ結婚の報に号泣した父親代わりたちと別れ0時帰宅。

1月4日(土)
ダラダラ,昼をソリオで天丼したのち移動。
宝塚発,のぞみ,デッキに座り込み,横浜着。
ノマキ夫妻と串揚げ,揚げ物連発,帰宅時に帰省要請。
2009年末
2011年初
2011年末
2012年末

2013年
1月
中旬にデンマーク出張。

2月
QUELLE2013インド洋編。
下船したら家族が転居してた。

3月
本当は乗船中の予定だったのに急遽下船。
突発的にできた時間だったがすぐに予定が色々入る。
自費出版をマジメに検討してみたり。
自分も転居。

4月
科研費採択。
2012年頭からの食生活習慣改善ダイエットに加え,
単身になって自転車通勤をはじめてさらに痩せた。
体調不良が酷くなる。
体調不良は痩せたことと関係している気がする。
ノマキなつしま航海で沈没。
「春の一大事2013」で感動。
帰省(2)

5月
自宅にネット開通。
特に行事無く。
帰省(1)

6月
中旬からQUELLE2013ケイマン編。

7月
特に行事無く。
帰省(1)

8月
七夕祭以降,体調不良続く
下旬はフィレンツェでゴールドシュミット。

9月
地球化学会以外は行事無し。

10月
特に行事無く。
「GOUNNツアー」愛媛大会で感動。
帰省(1)

11月
ポスドク着任。行事は特に無く。
体調不良つづく。脳ドック異常なし。
帰省(2)

12月
中旬から探査うらしま航海。


その他
南奄西論文   (受理ー)出版
ポスドリ論文   投稿ー改訂ー受理
TAIGA論文    投稿ー改訂
ナリ淡青論文   投稿
コバヤシ培養論文 再執筆
ドードー熱水論文 執筆
職場で飛び交うメイルや添付資料を読んで,
なんというか,
あまりに「前時代的な」「女性の主張」だったもんで,
噴火メイルを送ってしまった。


(1)「説得」と「共感」を混同しない
今回の主張は「出産育児期の女性ならではの大変な部分があって,それが研究に支障をきたしていることをわかってほしい」ということですよね。でもいくら古い男性であっても「女性が出産育児期につらい」ことはわかっているので,この部分で定量的・具体的・客観的な情報を持ってきて「あなたが考えているよりつらいんですよ」といくら「説得」しようとしても,聞かされる側からすると「知ってるよ,わかった,もうわかったから」という感じになってしまいます。そこにボタンの掛け違えがあって,結局どれだけ頑張って説明しても,むしろそのせいでかえって「要するに大変なんでしょ」という受け取られ方をします。なので,あまり「女性ならではの大変なこと」という部分を説明するのに力点を置かない方が良いというのが,ボクの考え方です。たとえば,この部分については「ご存じかと思いますが,産前はつわり・腹部膨張,産後は授乳・ホルモンバランスなど,まぁとにかく大変なんですよー」ぐらいに留めるのが良いと思います。

で,大事なことは「共感」をえることです。本件に関してもっとも共感が得られるのは「子は宝」ということだと思います。山本さんがメイルで「子供を生んで育てるという行為は人間として最高に評価されて然るべき成果」と書いていましたが,まさにこの部分です。私たちは皆,必ず母親の子供であること,そして親による乳児期保育無しにここまで成長していないことは,共感してもらえるポイントだと思います。この部分をどれだけ主張に「盛る」かは見解がわかれますが,「子は宝」という部分でまずは全体の共感をえて,一体感を生み出した後で,「子は宝,ですよねー。でも,評価評価で締め上げられてちゃ,スクスク育てられないんですよねー。」ぐらいのところにまず着地する作戦が良いと思います。



(2)「女性」と「家庭」を混同しない
「妊娠・出産・授乳」は女性に特有の事項です。一方で「保育所・待機児童・子供が風邪」は家庭における事項です。少なくともボクが把握している範囲でも複数の男性研究職員が,保育所への送迎などは分担されています。こうした男性職員がいる中で「女性研究員」としての主張に「保育所など」を盛り込むことは,彼らに対してフェアではありません。上記の「女性特有の肉体的案件」と「家庭運営案件」を慎重かつ明確に分類することは必須です。そうしないと「共感」をえられませんし「自分勝手」と思われかねません。家庭運営案件については,多かれ少なかれ,誰もが直面している問題で,子供の問題というよりは,家庭内の成人(配偶者・親兄弟)の問題です。なのでこれを主張すると「家庭運営もうまくやりくりできない人」という印象すら与えかねません。具体的に言えば「オレは出来てるし,お前が出来ないだけだろ」「じゃあ親と一緒にすめば?」「なんでそんな男と結婚したの?」という話になってしまいます。



(3)「ゼロ点」の設定を間違えない。
今回の主張では「女性はこれだけのマイナスを背負っているんだ」という主張になっています。でもこれだと「介護」「病気」「障害」など様々な「マイナスを抱える人」がいる中で「女性」だけが考慮されることになってしまいます。この不均一が生じるのは「ゼロ点(基準)」を間違えているからです。現状で(暗黙のうちに)ゼロ点として採用されているのは「独身,専業主婦を持つ男性,子育てが一段落した人」ぐらいだと思います。でもそんな「恵まれた研究環境の人」をゼロ点にしていることこそが,こういう問題の根源ではないでしょうか。人間は,病気をしたり,ケガをしたり,子供が産まれたり,家族に介護が必要になったり,そういう状態の方がむしろ「普通」でしょう。だから,まずはそこを「ゼロ点」にしませんか,という提案にするのがまずはじめにあるべきだと思います。そうすれば,先に挙げた「恵まれた人」は「自身も家族も健康で問題が無い」というむしろ例外的に恵まれている状況にあるわけで「ああいう人は研究に専念できるプラスの環境だよね」ということにできます。人事評価において,そういう人を「これぐらい出来て普通」ではなく「格段にすごいね」ということにしてもらえば,相対的にこれまで「ちょっとこれじゃぁねぇ」だった人が「まぁこんなものでしょうか」になるのではないでしょうか。また恵まれた環境の人が出世していくことは,ある意味では当然で,それは「宝くじが当たって金持ちになる」ような「偶然,恵まれていたんですね」ということですから「なんで私に宝くじが当たらないんだ」みたいな主張をすることは「共感」されないので,避けるべきだと思います。



ちなみに,今すぐに元データを示せないのですが,「専業主婦」というモデルが成立していたのは日本史を通しても戦後昭和期のみであることがすでに明らかになっており,つまり「女性は出産育児をしながらその中で働く方がむしろ一般的なモデルなのだ」という社会科学研究結果があります。(とりあえず知恵袋)。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q111123901
今年はずっと体調不良が続いているのだが,
またしても体調不良に陥っている。

というか,
子供達に会いに行ったら必ず体調を崩している。

要因は二つ考えられて,
一つは子供らと入浴したりシモの世話をすることで感染すること,
もう一つは慣れない布団かつホコリっぽい家に寝ること。

たぶん両方ともが影響しているんだろうけども,
とにかく子供達に会いに行くと体調を崩すことだけは間違いない。
科学者の末席を汚すモノとしては対照実験として,
子供達に会いながらホテルに泊まるなどもやってみたいところではあるが,
それはそれで,家庭の他の部分が不良になるので,試すことができない。

つまり原因がわかったとて,回避することは難しいわけで,
そうである以上は,その後の早期ケアが重要ということになる。
なるんだけど,
どうしても体を動かしたくて,
サッカーなどをしてしまい,
たぶんそれが悪化させる原因になってしまっている。

「泳いで食べて治す」生活をしていた20歳の頃と比べると,
体力も快復力も格段に落ちているのは当然のこと。
もう若くないのだから,
おとなしくするのが何よりの対策なのだろう。

次は年始。
スタートダッシュのためにも,
対策をばっちりしていきたいものだ。


体調メモとして。
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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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