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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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つぶやきさんで済ませてしまっていて、
すっかり母屋が留守宅になっていますが、
あくまでコチラが母屋です
特に言論活動はコチラでやっていきます

さてさて、
北海道大学主管の地球化学会に行ってきました
ホーム学会が古巣で実施されたため、
もう、それはそれは、大変でした

普段21時頃には布団に入る生活なのに、
初日から5夜連続で26時就寝
これだけでヘロヘロ
にも関わらず、
学生発表の審査などに駆り出され、
毎日マジメに朝一の講演から会場入りし、
昼間はポスター審査で戻らねばならぬため、
行きつけの定食屋などまで足を伸ばす余裕もなく、
もちろん会場の片隅で横になることも叶わず、
起きっぱなしでした

講演について、
学生審査のために異分野の講演会場に出入りし、
それで思ったことは、
イマイチ研究の大枠というか、
全体像、目指す先のようなものが矮小化されているのではないか、
ということでした
もちろん、12分という限られた時間では、
大目標から入ると個々の研究にたどり着くのは難しいかもしれませんが、
だとすれば、
せっかくのセッション制なのだから、
セッションコンビーナーによる趣旨説明のような時間を、
たとえば10分ぐらい確保しても良かったのではないかと思うわけです

ポスターの審査もあり、
「見やすさ、レイアウト」についてA~Dで判定するのですが、
残念ながらA評価に値するポスターはありませんでした
非常に残念
残念な原因として、配色がまずい、特に色の使いすぎがあり、
続いて詰め込み過ぎ、でしょうか
つまりは「過剰」なのですね
過ぎたるは及ばざるがごとしと言いますから、
そのあたりは来年度以降の課題でしょう

学会とはかんけいないけども、
札幌入りして行きつけの床屋に顔を出し、
行きつけのスープカリー屋で舌鼓を打ち、
古巣を探訪して話などしたところで、
携帯が充電できないという大問題が発生
急遽駅前のド○モショップに駆け込み、
アレコレ検討した結果、機種変更とあいなり、
出張初日から不慣れな新携帯となってしまいました

まぁしかし、
学部時代の旧友にも会い、
古巣の人々とも会い、
久々にアカハラ・パワハラを浴びせられ、
分野の知人らと語り合い、
大変刺激の多い一週間だったことは間違いない

毎年毎年これはしんどいけども、
5年に1度ぐらいは、
これぐらい「よく学び、よく遊べ」をやっても良いかと思いました

そうそう
ブーマナさんの奨励賞講演は、
意外と良かったですよ

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9月頭に自分の首席航海が終了し、
ここらでようやく一息と思っていたのだが、
そうは問屋がおろさず、
まだまだドタバタの日々は続きそう

まず10月に航海をいれてしまった
断っても良かったのだが、
思うところもあり参加することに

その直後に微生物生態学会での発表
こちらは初めての参戦
とはいっても、
学生時代の知人や現ラボの周辺民族もいるので、
完全なアウェーではあるまい

という10月上旬のイベントの前に、
所内のグラント申請がある
これは新ネタで勝負するつもりで、
それがゆえ、あまり練られていないので、時間を要するかも
まぁここで踏ん張っておけば、
その後の科研費申請にも応用できるという狙いもあるわけで、
もうちょっとリキいれてやらねば

ここらまでがドタバタかな
これが過ぎたら、
通常の年中行事モード

科研費の申請時期がやってきて、
11月末からは米国2週間で、
ICGGAGU
メタンネタと地震ネタ
両方とも論文は投稿しているので、
まぁ気楽と言えば気楽か

で、
肝心の論文はというと、
地震ネタ:直滑降中
メタンネタ:査読塩漬け中
培養水素:手つかず
ナリタンセイ:最後の一手でグダグダ

やらねばならない実験はヤマほど
炭化水素系の分析立ち上げ
水素系の動作確認
新ネタ系のラボスペース確保
上記ができたら、
取り貯めたサンプル達の分析祭だ
10月から3月まで航海が無いのだから、
ここで色々と長い時間のかかる実験をやってしまいたい

諸々がうまくいくと、
国内留学で受入れる学生さんに良いデータを出してもらえるのだが、
うまくいかないと何もしないで帰ってもらうことになるかも
それはマズイので、
ダメでもどうにかなるようなネタも考えておかねば
そう思うと、
やはり常時学生が出入りする大学のラボは大変だなぁと思うわけで、
今のペースで仕事ができるのは、
やはり今の環境だからなのだな、と思うわけです


疲れた

前半はイシバシ航海
鏡のような水面
潜航コンプリート

後半は自分首席航海
台風11号と12号の挟撃
潜航充足率は30%

前半は「学生」な学生さんたちに、
後半は「気の利かない」な社会人たちに、
体力と精神力を奪われてしまった

頼むから、
もうちょっとちゃんとしてくれ
時間を守る
やってることの意味を把握する
それだけのことじゃないか


航海中に、
10月の長崎航海と、
近い将来の遠洋航海の布石が・・・
なかなか自由な身にはなれないものです

前半は主に伊是名
後半は主に伊平屋

伊是名は、ちょっと自分の中で盛り上がってきているので、
ビシッと押さえておきたいところ
伊平屋は、ちょっとダレているというか、
もうなるようにしかならないので、
燃え上がるような気持ちはない

横須賀出航なので、
最初はゴロゴロするだけ
後半は首席なので、
ヤイヤイ言うだけ

最近、地震緊急調査が多かったけど、
今回はホームということで、
のんびりと、
いつものペースに持ち込んで仕事します

ぺいっ! (永田さん風に)


ボクがこの世に,この類いの才能を持って生まれた意味を考えると,ボクのやるべきことは,今やっているようなことではないと,ほぼ確信している。それでも動かないのは,ボクの怠慢だ。そう感じることが、最近多くなってきている。

それはどういうことかと言うと「科学者が科学の殻から飛び出して知識人となる」ということを,多くの科学者が自発的に実践せねばならない,ということ。今の科学者(研究者)に「知識人」と呼べるような人はほとんどいない。ものすごく我欲の強い,自己中心的な人ばかり。そうじゃないと研究者を続けられないという側面もあるが,はっきり言って,滅びるべき悪。

ボクの周りにいる「優秀な研究者」の中に「知識人」「賢者」と言えるような人はほとんどいない。「優秀な研究者」の多くは「科学的議論」には強くても「人間」「社会」というものに対する洞察や考察があまりにも浅はか。高学歴エリートコースを歩んできたという自覚が無いから,社会の一般人へのリーチが欠けているのも一因だと思う。政治や社会について語る時,それは筋は通ってはいるものの,本当の意味で「社会を良くしよう」というよりは,「自分が,自分の研究分野が発展するために」という出発点からの思考である場合が圧倒的に多い。

研究者は,研究者である前に社会人であることを認識すべきである。その上で,社会人でありながら一般人にはならないで、あくまで知識層である自覚も持ち続けなければならない。その匙加減は難しいが,漱石や諭吉を読むとそのアンバイが絶妙で,これが知識層のあるべき姿だ,というのを感じさせる。ボク自身が到達すべき地点を,今はそこに見据えている。

これは最近よく主張していることだけど,研究者というのは知識層で,そのことが認められているが故に,多額の税金と科学業界の自治が委ねられているのである。そこを無しにして,科学業界の発展のため,自分たちの利益のために振る舞うようなことは,あってはならない。「科学は広く世界人類に貢献するものである。国際競争は科学の進歩を促す。だから金をよこせ」は,一見すると筋が通っているように思えるが,科学の重要性を主張するのが科学者自身のみであるなら,そんな主張は通らない。たとえば相撲協会が「相撲は伝統文化で庶民娯楽だから協会へ投入する税金をもっと増やせ」なんて言ったら,消し飛ばされてしまうだろう。


蟻とキリギリスの話は,なにも「キリギリスは短絡的なアホだ」という意味だけではないと思う。物事のは常に両面があり,どちらを選択するか,選択させられるかは,無数の因子によって決まる。が,そういう時に,まず経済・カネの理論で考えるのは危険。それは経済は本質的に常に相対的なものだから。

絶対的な事象というものがある。イリイチが「ヴァナキュラー」と呼んだそれらは,「何かと交換することができない」もの。たとえば出産。たとえば健康。地震など天災,地球環境もこれに含まれるのかもしれない。これら代替不可能性を帯びたものと,代替によって定義される経済とを,同じ天秤に乗せて議論すべきではないし,することはできない。

経済に侵される前の世界では,それは当然のことだった。売春や同性愛,不貞行為がほとんどの宗教で強く禁じられているのは,これらの行為に差し出されるものが,代替不可能な,生身であるから。それは二度と戻ってこないものを差し出す,本質的な意味での消費行為であるから。

そして今,問題とされている人間活動による地球環境の変化や化石・地質資源の発掘・利用は,科学理論的には代替・再生可能であるかもしれないが,金銭的価値とは代替不可能なものである。それは過去の生命や地球活動の遺産であり,過去から今に至る時間を我々は再現することができないから。

原子力の利用はむしろこれの対極に位置し「本来的には存在し得ないもの」を作り出し,利用している。人間社会がヴァナキュラーを出発点にし,そこから軸足を動かすことができない以上,原子力は「勘定に入れることができないもの」であり,それを勘定に入れると,その歪みはヴァナキュラーに跳ね返る。 

この
「本来存在し得ないもの」を「存在させる」という意味においては,原子力は金融と同じである。ほとんどの宗教で「利息」は禁じられている。それは「存在し得ないもの存在させる」ことの暴走によって,ヴァナキュラーから始まり交換・代替によって保たれている世界の調和が崩壊させられるから。


と,いうようなことを考えてみたり。今の科学はあまりにも細分化し過ぎていて,今の科学の先端を行こうとすると,あまりに多くのことから目をそらさなければならない。そんな行為が,本当の意味で,人類の役に立つとは,到底思えないのです。

だから,ボクがすべきだと感じることは,高度に細分化された現在の科学業界で認められる研究をして,業界内で一定の発言力を身につけつつ,科学業界の内側から,上に述べたような,本質的な意味での「科学と社会のあり方」を提言していくこと。これは精神的にも能力的にも,大変な困難な道だと感じていますが,それでもボクは,そうあるべきことを目指すのを諦めてはならないとも思っています。


補足1 ヴァナキュラー的な考え方の実践のためのスポーツ

科学やってると「自分(の意見)の正しさを,論理的かつ科学的に正しい方法で主張する」ことに侵されていて,生身の人間という生物としての尊厳を感じ合ってないよね。それができる一つが,スポーツなんだよ。

サッカーでもバスケでも同じこと。「ここまでしか飛べない」「このスピードでしか走れない」っていう,生身の体の(しかも個々人によって差がある)絶対的な限界がある。それを互いに理解し合って,考慮すること。考慮した上で,自分の振る舞いを決めること。技術や個人戦術の拙いチームメイトであることを織り込み済みにして,上級者がチームをコントロールし,チームとしての最大値を目指すところが,生身世界に上手に理屈を導入した社会的な営みであるし,人間らしい部分。


補足2
ボクは決して先端科学を否定するモノではないし,今すぐ,そして永久にやめろと言っているわけじゃない。ただ,科学者同士での競争のために,研究のスピードを上げることに注力し過ぎているのが現状ではないか。もっとゆっくりやっても,明らかにすべきことは変わらない。過度な競争のために,人的・経済的・地球的な資源を最悪燃費で浪費する必要はない。新たな資源を発掘するような研究であっても,その実現可能性やそれにかかる様々な意味でのコストは常に勘定に入れねばならないし,そうした時に,競争原理で大量の資源を投入して急ぐ必要はどこにもない。研究者人口は,今の半分になっても良いと思っている。しかし,人類が科学をすべて放棄することは,それはそれで大変危険なことだとも思う。人間は”すでに”科学無しでは生きられないから。

ついに受理されました
GRL
上々です

ボクはプロジェクトの後半になって参加して、
ぺろっと同位体分析をして、
少し論文に手を加えただけなので、
超ごっつぁんです

とはいえ、
著者3人の論文の2番目ですから、
ぱっと見の貢献度もそれなりでしょう
(実際は圧倒的に筆頭著者の貢献が大きいのですよ、もちろん)

地震の物理データと発生するH2量の比を実験で明らかにして、
マグニチュードからH2量を推定できるようにしたのがメインポイント
さらにちょろっと同位体データも載せていて、
無機的H2の中では圧倒的に重水素リッチなものができると指摘
ただこれについては、
ドライでの実験なので、ウェットの実験だと、
周囲の水の効果でまた変わったものができるかもしれない
いずれにせよ、
ある過程での分別係数を出しておくということは重要かと
この数字があるだけで、
次からの論文で議論が1パラ分ぐらい充実するのだ

今リジェクトされたばかりの論文と、
これから書き始める研究生の論文とで、
「地震水素三部作」となる予定

さてさて
まずは自分の論文です

科学がダメだったので、次は自然
自然がダメなら自然会話、そして自然地球、ダメなら地質
早い段階で、今年中に雪崩落ちがストップすることを祈るのみ
予定とかやるべきこととか、
本当に自己管理ができない
 
定型通りの書類を書くのは疲れるし、
ウェブ入力とかだといい加減になってしまう
 
秘書がほしい
秘書の給料をボクの給料から出してでも、
秘書がほしい
自動装置のスイッチ押すだけ程度の実験もしてくれれば、
本当に助かるのに 
 
しかしまずは、自分でちゃんと論文書くことだな
 
高岡蒼甫が韓国に肩入れした番組を多く流すフジテレビに反感を示した騒動
会社は高岡を解雇、フジテレビはスルー

まず何はともあれ、
高岡は業界人で、事務所に所属していて、
事務所の取引先であるフジテレビに無礼を働いたわけだから、
所属事務所としては行動を問題視し解雇するのは当然
自分が確固たる思想を持っていて、
相手の思想がそれと大きく食い違っていても、
会社の看板の下で商売している以上は、
自分の思想は横に置いて振る舞わねばならないのは、
ビジネスの常識です
商売相手の思想がどうにも気にくわないのであれば、
商売からおりて、会社の看板をおろしてから(会社を辞めてから)、
相手を批判すればいいのだ

次に、フジテレビが韓国に肩入れするのは、
ネトウヨさん達が大喜びしているような思想ゆえというよりも、
もっと単純に営業的な意味合いが強い様子
たとえばKARAはフジテレビ系列の音楽会社が著作権を有するらしい
安く買えて高く売れる韓国(人)を利用して金儲けをしているということでしょう
そういう意味で、むしろネトウヨさん的にはフジGJ!なのではないのかとも思う

ただここで重要な点が一つ
高岡はフジテレビが「韓国」を推していることについて、
右翼的な発想で怒っているわけではない
彼は「この国難の時に海外のモノを売り込むこと」について、
異議を申し立てているのであって、
その異議自体は考慮に値するモノである
ようするに、
高岡にとっては「韓国」でも「米国」でも一緒なのだから、
そういう意味では、今回は「8」と名指ししているが、
たとえばメジャーリーグ放送に熱心な国営放送なども、
本来的には槍玉にあがってもおかしくないのである

フジテレビやNHK含めテレビ局が抱える問題は、
(日本に敵意を持っていると考える人もいる)「韓国」を推す思想的な問題でなく、
この国難の時に、
公共の電波利用の認可を得ているメディアとして、
自分たちの営利目的で特定の国・企業に肩入れしている場合か、
今この国で起こっていることの深層を考え、伝えるメディアとしての任を果たしているのか、
という、
倫理的な問題だろう
そして高岡が指摘したのもまた、この点なのではないか
この点でボクは高岡に同意するものだし、
テレビ局にこういう意味での倫理観がまったく欠如していることは明らかだと思う

無料放送のテレビが持つ強い影響力を考慮した時、
対等な立場で意見できるチェック機構があっても良いと思う
一番理想的なのは、
テレビ局同士が相互に(前向きに)批判しあえることなのだが、
その「タブー」に踏み込むのは大変だろう


これは予想であり希望でもあるのだけれど、
経営に行き詰まり広告の取れなくなったテレビ局が、
一気に翻って、広告主の影響を考慮しないメディアになることは、ありえる
スタジオも簡素に制作費を抑え(ジャパネット体制)、
一年中、朝ナマをしているような、
そんなテレビ局が誕生するのではないか、誕生すれば良いな、と
もちろん、
政治経済ネタだけでなく、
音楽やスポーツや芝居や科学や、何でも論じれば良いし、
使用料の発生しない映像などはバンバン利用すれば良し、
有料放送会社と提携するのも手かも知れない
持ち込みのパワポ画像を流しても良い
広告主の意向を気にしなければ、結構なんだってアリなんだ
互いを牽制して雁字搦めにしているBPOだって、この際ムシだ
とにかく、論客だって研究者だって芸術家だって、
「金を払ってでも自分(意見・作品)を公共の電波に乗せたい」ってのはゴマンといるのだから、
そういう意欲的な連中を吸い上げて、拡げることを手伝うような、
そういうメディアがあって良いし、というか、
本来的にはそれがメディアの役割なのではなかろうか

 
研究者がある研究を行ったとする。その研究者は、着眼点や発想力が凄いので、研究構想の段階で既に他を凌駕している。そしてシンプルな検証でその正しさをほぼ確かであることを示す。おぉぉ、エレガント、後は皆に任せた。

これでいいと思うのは「チョビっと優秀なヤツの自己満足」にすぎない。実は、ほぼ確からしいことを「確かにする」最後のツメが一番困難で苦しい。その一番困難な完成への道のシナリオがないなら、そこでやめればいい。それは単なる能力不足。シナリオがあるのにやめるのは、単なる努力不足。

ある研究の完成(それは研究の美と言っていい)は、その研究を無から生み出した研究者の創造力の観念的責任である。特に、「近代数学」のように目の前にある明確な社会的価値に結びつかないような科学を対象としているなら、ある研究の完成途上での放棄は、研究の美しさへの冒涜だけでなく、その研究へのパトロンたる国家や組織、国民や組織構成員への責任放棄とも言える。そして、そんな事より何より、研究を一番美しく完成させることができる人間が完成させなければ、その研究に直接・間接に関わるすべての人の思いが矮小化されてしまいかねない。それは一言で言えば「利己的思考」。

もちろん研究なんてある意味「好奇心におかされたヒトの利己的行為」にすぎないわけだが、そこに社会資本が関わる以上、「利己」と「利他」の折り合いをつける必然性がある。そして「利他」を追求すると「最終目的を共有した他者」との研究の完結性を共有できるため、研究の美しさへの責任は軽減されるかもしれない。しかし、「利己的でかつ利他的」を追求するなら、やはり利己的な研究には、その生み親の研究者の100%の努力と完成の美しさに対する「他者の思い」が、当面唯一の利他性ではないだろうか。つまり、独創的で優秀な研究者なら100%の努力をつぎ込むことが自分の、周り人々の、そして国民や人類のためのシアワセにつながるではないかと。「自分のスタイルや価値観の反映」は極めて重要な事ではあるが、研究の完結性美しさは研究者の思惑とは離れた絶対的座標軸にあるものだと思うのです。



 
震災以来継続してきた調査に関するお仕事が、
そろそろ自分の手元を離れそう
(ようするに投稿するってこと)

こいつは色んな意味で大変だった

まず自分の中で、
地震に関係あるが復興とか予知とかに関わらない研究を、
今の時点で、研究船を使って実施することに、
まったくもって納得できなかった
今も納得できていない
そんなことしてるなら、
福島沖で海底堆積物やプランクトンを集めた方が、
よほど世に資する行為だと思う
しかし、ボクのようなポスドク風情ではいかんともしがたく、
「やるからにはちゃんとやる」というお題目を自分に掲げて、
自分を奮い立たせて調査したわけです

次に調査のために、色んな人に連絡して、
分析など調査への協力を呼びかけたが、
これまた若造のボクにとっては、
基本的に「偉い先生」との接触になるわけで、
これまた疲れました
メールが返ってこないという忙しい研究者にありがちなパターンや、
モノの輸送の期限が間に合うかなど、
そういう面でも疲れました

しかし何よりしんどかったのが、
最後、論文にまとめる時のオーサーシップ
ボクは調査のとりまとめと、現場作業員だったのだけど、
項目が多岐にわたっていたり、
関わった人同士の面識がなかったりで、
ボクが執筆することになった
もちろんそれは望むところで、ありがたいことなのだが、
それはそれで重荷だった(今も)

ボクが書くことに決まった時点で思ったことは、
調査自体を良いサイエンスとしてちゃんと早く報告すること、
調査に関わった多くの人がちゃんと幸福感を得られること、だった
しかしまぁ、
「だからって、なんでお前なんだ」という問いに対しては、
「ボクが一番顔がきくから」というだけの理由で、
それってサイエンス関係ないじゃない、みたいな、
そんな感情もあったりで、やる気喪失も度々だった
 
大親分みたいな人の名前を一番前に掲げて、
形だけでも「オールジャパンの研究ですよ」とするのもアリだが、
そうすると共著者同士が知らない者同士だったりして、
不満を言う人もいたりして、
なんだかんだとあって、
最終的にやっぱりボクが筆頭になっている
はっきり言って、
「エグ味」はほとばしるけど、
大親分自らが「朕を筆頭にすれば良かろう」と言ってくれれば、
どれほど楽だったか
結局、上に立つ人間の度量というか、器というか、
そういうものの問題なのかもしれない

筆頭著者なことについては何度か「荷が重い」と言ったりしたが、
「「ワシがやればベストになるはずだから、外野は黙ってろ」と思えるかどうか」
「傲慢さが嫌悪を与えるかむしろ潔さを与えるかは「利己を捨てた傲慢さ」かどうかだ」 とか言われたりして、
なんとか踏みとどまったりしながら、
なんとか原稿を仕上げられそうなところまで持ってきた

って、
なんかもう終わったようなこと言ってるけど、
まだ投稿もしてないので、
まだまだ先は長いんだけど、
投稿してしまうと後出し感が出てしまうので、
投稿前にちゃんと書き留めておこう、と

今日英文校正が返ってくるので、
今夜には投稿してしまいたいね

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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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