忍者ブログ
自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
[1119] [1118] [1117] [1116] [1115] [1114] [1113] [1112] [1111] [1110] [1109]
航海でボロボロになってしまったので、
戻った次の日の午前中に病院へ
診断結果は、レッドカード
要ステロイド

もうワガママは許されません
生のリンデロンVを処方されたけど、
塗りにくいし、そんなに強くなくても、という部分もあり、
自分で1:1のプロペト割りにして使用

木曜昼に塗って日中は寝て過ごす
木曜夜には赤み、かゆみが7割回復
この日の夜はまだムズかった
しかし金曜朝には9割回復
出勤したし飲酒もしたけどぐっすり睡眠
土曜は昼寝までできた

これからは継続的に使用しつつ、
じょじょに強度を抑えていき、
最終的に離脱する方向で治療をすることになる
数年かかりかもね

やはり、
体調に悩まされることなく普通に生活できるというのはデカイ
研究の進行を考えても、
もっと大きく人生を考えても、
やはりあの不快感を味合わずに暮らせるなら、
それにこしたことはない

ただ、それでも忘れてはならないのは、
あくまで薬を使用した上で現状があるということ
それを再認識できた三週間であったし、
それは収穫だったと思う




今回の突発的脱ステロイド実施の三週間で、
あらためてこの病気と向き合ったわけだが、
色々と思うところが多かった
これからはこの病気について書くことも無くなるだろうから、
この機会にまとめて書き残しておこうと思う

やや長いし、明るくない内容です
読みたい人は下記の「つづきはこちら」からどうぞ



+ + + + + + + + + +


まず、この病気はしんどい
日々のケアや環境への過敏さなど、
日常生活に多大な労力を持ち込まざるをえない
「かかなければ治る」という理屈はわかる
しかし痒みは容赦なく襲ってくる
痒みの魔力の前には気持ちを強く持ち続けることはできない
そして掻いてしまった自責と後悔
肉体的・精神的な下降スパイラルである

でもまぁ、自分で言うのもおかしな話だが、
幼少の頃からこういう負担を負いながら生きてきたことで、
精神的なタフさというか、
つらい現状への耐性というのは強いと思う
そう考えると悪いことばかりでもない



また、周囲の視線というのも大変な精神的な負担である
赤みや白みを持った肌、服に付着する落屑、掻いている姿
周囲の人にとっては不快で、嫌悪感を持たれるということを認識しているだけに、
いかんともしがたい自分の外的様子が憎い
もちろん、温かい目で見て、接してくれる人も多い
しかしながら、過去に経験した心の傷は深い
「掻くな」「粉吹いてる」「その肌でよく薄着になれるね」
そんなこと、お前らに言われるまでもなくわかってるよ、バカヤロウ
だからといって、
哀れまれたり、同情されたり、気を使われるのも、結構つらいものがあります

逆に軽く「大変そうやなぁ」ぐらいのコメントならありがたい
「状態に気付いている意思表示をしつつ干渉しない」のが良いのかな
まぁそれぐらいの接し方をしてあげてください

しかし周囲の視線に対する劣等感というのも、
人生のトータルで見れば良い糧になっているとも思う
過去に負った心の傷を乗り越えて、
引きこもりなど他人との接点を無くす方向に行かず、
むしろ周囲の目に気付いても意図的に無視して、
選択的に人目を気にしない方法を身につけ、
図太く生きていけるようになった



最後に、
家族についても記さなければならないと思う
この病気は遺伝と生活環境が主原因と認識されている
つまり、家族で共有するものが原因なのだが、
なぜか家族の中でも発症するものとしないものがいる
発症している家族が病気の負担を負うことはもちろんだが、
発症していない家族(特に親)にかかる精神的な責めには胸が痛む
これについてはいろんな気持ちがうずまいてうまく書けないけど、
「苦しみをわかってあげられない」とか、
「そんな体に産んでごめん」とか、
そういうことは思わないでほしい
この病気の唯一の救いは「命に別状はない」こと
そう考えると、遺伝的な意味で言えば、
ブサイクに産まれるのと同じようなものだから
ある意味、ブサイクに産まれる方がつらいよ
実際、ボクの症状はステロイドで抑えられているけど、
ブサイクを抑える薬はないからね

治療においては健常な家族にも衣食住に様々な努力・制約が要求されるけど、
それもあまり必死にならないでほしい
これもやっぱり、治療の努力を怠っても死ぬわけじゃないからね
健常な家族が健常な生活を続けることも、
病気の治療と同じくらい重要だからね

この病気には症状と対処法は個人差が大きいから必勝法は存在しない
だからこそ、特に自分で治療する術を持たない小さな子供に接する場合には、
ある種のゲーム感覚で、
「これをやったら改善した気がする」「あれを食べさすのはダメだった」
と、治療過程を楽しんでもらえればいいと思う
そして、それこそブログなんかに経過を書き記せば、
記録と共有ができていいんじゃないかな



書いていて、あらためて気付いた
ボクはよく他人から「言い過ぎだ」と言われる
それはたぶん、
ボク自身が病気について、
「言われ過ぎ」ていることを受け入れて育ってきたからなんだと思う

たとえば中学時代に、
皮膚が粉を吹いていることからパウダーと呼ばれた
それはそれは屈辱的で、家に帰って悔し泣きをしていた
でも、なんかよく覚えてないけど、耐えたし、逃げなかった
率先してパウダーと言っていたTATSUOとは未だ、というか今こそ良い友人だ
このことで恨んだりなんだりということは、無いなぁ

上にも書いたけど、
「命をとられるわけではない」という現状を受け入れられれば、
多少のつらいことや言われ過ぎなんてことは大したことではないのだ
また、病気自体や、それに付随する様々な負担を負ってきたことで、
自分が人並み以上には苦労してきた自負があるのだと思う
だから(?)、
命に影響がないことへの挑戦や、努力次第でどうにかなることについて、
グダグダと言い訳をしているのを見ると許せないので、
つい言い過ぎ(辛口)になってしまっているのだろう

そういえば相方の結婚式の時にコニシから、
「kawagucciは大体言い過ぎだけど、最後の一線は絶対に超えない」
というようなことを言われた
それはたぶん、
もちろん無意識なんだけども、
遺伝的だったり不治だったり、
そういうその人自身ではどうしようもないというコトに対しては、
配慮しているからなんだと思う

何が言いたいのかわからんが、
強引にまとめると、
「努力すればいいだけ」という状況は、
どう考えても極めて見通しの良い状況だ




最後に変な方向に展開してしまったけど、
言いたいことは概ね書けたと思う
うん
PR
プロフィール
HN:
kawagucci
HP:
性別:
非公開
自己紹介:
海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
ブログ内検索
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
アクセス解析
カウンター
Powered by ニンジャブログ  Designed by ゆきぱんだ
Copyright (c) kawagucci's Weblog All Rights Reserved
忍者ブログ / [PR]