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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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大量のキャベツがあるから晩ご飯はお好み焼きにしようと思ったら、
小麦粉が10gぐらいしかなかった
卵でムリヤリつないで食べたけど

培地が白濁していたのは、
おそらく重炭酸の入れすぎな気がしてきた
早く次を作らねば

論文のイントロを書いたけど、
どこかシックリこない感じが残っている
早く投稿してしまわないと

専業主婦問題が頭から離れない
どうしたものか

薬指爪の化膿が拡大
肘のヘルペスも肥大
左腕が使えないと不便
ぶつけると痛いし


しかしまぁ、
今日も幸せだね
なんてね
 
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専業主婦という存在はどうとらえたら良いんだろうか

1つは働いている主婦と比べて
少なくとも家事にさける時間は圧倒的に多い
そこからして、
専業主婦の家事は質的にも量的にも、
仕事をしている主婦に比べれば高いものになることが期待される
もちろん個人差が大きいので一概には比較できない

1つは働いている夫と比べて
夫が外で稼ぎ妻が家を整えるという分業体制であるが、
夫の稼ぎに見合うだけの家事という考え方もあろう

難しいのは、
家事というものに対しては度量衡がないことと、
安心感などの精神的なものが関わってくること

とはいえ、
社会の成員として、
働けるのであれば何らかの貢献をすることも求められよう

未来の成員であるがまだ自立できない子供の守護者として、
社会の仕事をまっとうしているという見方もあるだろう
そうすると働く主婦との整合がとれない
 
家電の発展は、
家電制作者や購入資金獲得者を勘案した「家事の分担」とも言え、
それによれば、
家事に要する負担は軽減されたことになる

一方で拡大家族の解消、核家族化によって、
従来よりも家事負担は増加したと見る向きもある

子供がいるか否か、
また子供の年齢がどれぐらいかも重要なファクターだろう

しかし、
そういうすべての事象を個別の事情としてすっ飛ばしたとして、
専業主婦というものの、
社会的・家庭的・経済的な立ち位置というのを、
どう考えたら良いんだろうか

誤解を恐れずに言うならば、
ニート論とほぼ同根だと思う

つい近い過去まで一般的であった「農家のヨメ」という位置は、
大体が農業にも従事していたと思う

もう少し時代をさかのぼると、
「誰かがサボると誰かが死ぬ」というリンクが目に見えて切実だった
そういう時代においては、
専業主婦(やニート)という生き方は、ありえなかったのではないか
(そんなことしていたら家族が死ぬか家族に殺されただろう)


うーん
難しい
もっと勉強しないと語れないなぁ

別にだからどうしろということじゃなくて、
自分の中でどうにか納得する理屈を設定しないと、
自分がこの時代の男に生まれた偶然に平然とアグラをかいている気がして、
大変に心地が悪い

木曜未明に出発
途中、由比PAで駿河湾上に「ちきゅう」を発見
あいかわらず下品なヤグラをおったててやがった

安城によってヨメとムスメを義父母宅からピックアップ
車から溢れんばかりの生活用品を積込み宝塚へ 
14時過ぎ到着
実母が初孫であるうちのムスメにデレデレ
それを良いことに預けヨメと宝塚の阪急百貨店でデート
帰宅してマンガ
実父もデレデレ

金曜はひたすらゴロゴロしてマンガ
いくえみ稜の「潔く柔く」に舌鼓、名作
夜はヨメとイタリアン

土曜は実父母のリクエストによりアリスで写真撮影
その後、中山寺でお宮参り
ヨガとバレエに夢中のお局OL実姉が来て実母の還暦祝い
実父と実姉は、
実は同じビルで働いているが、
それぞれ同僚には秘密にしており、
ビル内で会っても他人の振りで通しているらしい
面白そうなのでここに暴露しておく
文系博士実兄は多忙のためか来ず

日曜朝一で出発
滋賀に入ったあたりから降雪
伊勢湾岸からは暴風雪
豊川あたりから晴れはじめる
休憩・徐行込みで通算7時間で帰宅
家を三人暮らし仕様にマイナーチェンジ
疲れが溜まったので薬を飲んで20時就寝
5時まで寝てました

ムスメがついに生活リズムに入り込むわけで、
どんな生活になるか、楽しみ

ある女史との私信で、
「否応なく」という言葉が出てきて、
これはキーワードだなと思った

子供が産まれた以上は「否応なく」相手をする必要があるし、
生きていくためには職場復帰も「否応なく」せねばならない
そうなると「否応なく」子供を職場に連れて行くことになろう

この「否応なく」については以前、
(理念的には)男性の育児休暇は強制されるべき
という論を書いた
自分で強制という言葉を使っておいてしっくりこなかったが、
「否応なく」のカウンターパートというか、
そういうものだと思えば良いのかもしれない


女性・仕事・社会の問題を論じると、
総論に隠れる各論が山ほどあるし、
一方で各論に触れると総論が見えてこないという問題があって、
それがこの問題の解決を遅らせている気がする
ある時、知の巨人があらわれて語ってくれれば良いのだが、
デリケートな問題なせいか、なかなかですな

おっと、
「問題」という言葉を使ってしまったけど、
problemではなくissueのようなイメージですよ
皇后陛下が高齢化社会について、
高齢化が常に「問題」としてのみ取り扱われることは少し残念に思います
と述べられているように、
女性・仕事・社会の話題は、別に悪いことだけではないはずだしね


で、「否応なく」だけども、
やはりこの「否応なく」の部分と、
個人の意向の部分というのが、
この案件を語る上での一つの切り口になるのかもしれない、と思う
個別の案件について、
「それは否応なくそうなりますなぁ」かどうか、ってのを、
案件を分類する指標として使ってはどうだろうか、ということ

それって、
社会生物としての人間の女性という部分と、
生物学的な人間の限界点というか、
そういうことにもなるのかな
どんな社会的な問題も、
生物学的な限界(空腹・排便・老いなど)は超越できないので、
最終的な線引きがココになるのは、当然っちゃ当然か

一方、
たとえば会社に勤める女性と専業主婦の女性という分類は、
この案件では必ず出てくる話題だけども、
この線引き(問いかけ)を採用していること自体が、
絶対に解決できない罠に自らを追い込んでいるような気がしてならない
現在流通しているステレオタイプな問題点(対立軸・問いの立て方)を、
今一度洗い直して見つめ直すという作業も必要なのかな

だって、
どんなに議論しても、
「ワタシは否応なく今の状況にあるのです!」と宣言されてしまうと、
どんな論理的論説も具体的対策もすべて水泡に帰すわけですからね
だから、
「否応なく」とそうじゃないものを切り分けて、
「否応なく」の中身には手を突っ込まないようにする
その上で、
「否応なく」の周辺を整理して柔らかくしていくことで、
「否応なく」な事象本体にも流動性とか柔軟性をもたらす、
そんなアプローチも考えてみると良いのかなぁ


って、
やっぱり実感がないボクでは何を言っても空論なんだよな


特に結婚してからこっち、
「女性と仕事」みたいな話題をよく考える
うちのヨメが専業主婦宣言したことも原因かなぁ
うちの母はパートに出てたので専業主婦というものの実態がわからない
そこから逆の線で、
女性が働くという部分について考えるのだと思う
だって、
社会で女性が働くことが非常に重要だったりしたら、
専業主婦は非難されるべきものになりかねないし、
そういう考えに辿り着いた時にボクはどうしていいかわからなくなるから


そんな去年の3月に、
某集会でコデラさんに出会った
どうやらそういった業界(?)では有名人らしいのだが、
非常に面白い存在だった
特にその集会で飛び交う「ステレオタイプ言説」に辟易していたこともあって、
(実際ガマンできなくなってプチギレしてしまったけども)、
彼女の実感のある、生身の発言に引き込まれた
なので、
帰り道、ムリヤリ、ボクの車に乗せてお話する時間を稼いだ
なんという「送り狼」だ


それはさておき、
女性の社会進出を語る時に、
表に見えてくるのは意見は大きく3種類
・女性は社会的弱者であるから守られるべき、という一般的な(実感のない)論説
・男女に格差があるのは当然、という格差甘受強制論
・ワタシは子育ても仕事も両立させてやっています、という自己主張
上の二つは主に男性から発せられ、
下は女性にしか出せない意見

しかしいずれも、
なんか違うんだよなぁ
特に(カツマー的な)成功体験を持つ女性の自己主張って、
本当は弱者のことを考えているわけではない感じというか、
弱者を脱却して強者になるための指南という感じで、
本当の弱者に対してリーチが届いてない、よねぇ
いや、
弱者という言葉は誤解があるだろうけども、
なんというか「不便してしまって困っている人」みたいなニュアンスです
単純に強い弱いじゃないです
でも妥当な言葉がないので

で、
たとえばコデラさんは、
「自分で稼がないと自由がないと思っているからと、
誰かが確実に養ってくれることなんてありえないと思っているから。
  自分以外の誰かの収入に頼って暮すことは恐怖ですらある。」
と自分が働く(働きたい)理由を述べた上で、
「でも、そしたら本当に働けない状態の人は一体どうしたらよいのだろう」
という問いを自分に向けている

こういうのはすごく共感できる
自分の中には確たる思想があって、
自分はそれに従って行動をしている
でも世の中には、
自分と同じ思想を持っていても、
自分とは異なる肉体的・社会的条件におかれている人がいて、
そういう場合はどうしたら良いのだろう、
ということだと思う
それは未来の自分へ宛てた問いであるし、
現実に存在するもう一人の自分への問いかけであると思う


ボクが彼女のことを考えて思うのは、
彼女自身が抱いている実感と、
世間が彼女の生き方を見て描く像の不一致みたいな部分

世間は、
彼女のこれまでの行動に敬意を抱くからこそ、
彼女の意見を、他とは違うものとして、
十分に耳を傾ける
でも、
それってちょっと違うんじゃないかと

十人十色の生き方があって、
それぞれにそれぞれの意見や立場があって、
その中の一つがワタシのようなケースですよ、
という部分が彼女にはあると思う
(上の問いの立て方を見ると、ボクはそう思う)

彼女がいたずらにシンボル化されて、
その生き方や想いがデッサンされると、
彼女の抱く実感の部分が抜け落ちる気がする

と、
ここで勝手に解釈するのも違うよねぇ



で、
じゃあボクが実感を持ってやれることを考えるわけだけども、
娘を連れて出社してみることぐらいかな
一週間続ければ何か見えてくるかな?

うるさくて嫌がられるだろうなぁ、
と想像する自分の精神的負担は大きいなぁ、
目立ちたがりとか思われるだろうなぁ
実験室には連れて行けないかなぁ、
かと言ってデスクだと周りに人が多いしなぁ、
やっぱり難しいなぁ
でもシミュレーションでは見えてこないものもあるしなぁ

もっともっと色んなことを考えて想像して実感しないと

何度も書いてるけど、
内面と外面に境界が無いように見える人はすごい

特に芸能人などは、
芸能人として取り繕っていて、
私生活は別物としていそうな人が大半

でも、
明石家さんまとか、
タモリとか、
郷ひろみとか、
その辺の人たちは、
「この人たちは私生活もこのまんまなんじゃないか」
と思わせるオーラがある、ように感じる
いわゆる「アイドルはウンチしない」という言説が、
「確かにこの娘がウンチしているところは想像できないなぁ」
という説得力を伴う感じ

これの逆筋なのは、
朝青龍
この人はたぶん、
あれだけ注目を集め得る立場にありながら、
本当にあのまんまの人間なんだろうと思わせる感じだった
これはこれでステキ

これは、
島田紳助や、
ビートたけしや、
岡村隆史や、
西城秀樹や、
野口五郎や、
千代の富士や、
白鵬や、
その辺の人たちとは明らかに違う
 
大抵の場合、
どうでも良いことはどうでも良いけど、
自分のことを言われたらムキになる

でも、
どうでも良いことに散々ムキになっていながら、
自分のこと言われたら「そうかもしれんなぁ」と受け入れる

そんなヤツの方が、ステキやん


って、
ほぼ日のつるべ読んで思った


 
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海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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