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自由と信念の箱船で恍惚と不安を抱きストロングスタイルで爆進します!
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一昔前であれば、
「人の口に戸は立てられない」
という部分で、
今となっては、
「デジタルコンテンツの流出は制御できない」
なのだろう

これから通信速度や記憶容量がどんどん大きくなって、
今ならDVDに乗っているようなコンテンツですら、
オンラインで取得できるようになるだろう
だから、
音楽業界やスポーツ業界が、
コンテンツ販売で利益をあげるというビジネスモデルは、
もはや縮小の一途をたどっていると判断しておく方が賢明だろう

また高速通信はテレビとネットの垣根を取り払い、
テレビと密接に絡んだ広告ビジネスも、
すでに悲鳴を上げているが、いずれ滅びていくだろう

では、時代はどこに向かうのだろう
娯楽としては、
やはりライブへの回帰だろうと思う
その辺りは以前書いた

懸念されるのは、
デジタルとアナログという評価の違いで、
消費者行動、つまりは国民の趣向が二分化してしまうこと
つまりは、
ネットで情報をできる限り取得して、
商品をより原価に近い価格で取得しようとするデジタルな判断
もう一方は、
ネットで情報を取得してもキリがないので、
自分のフィーリングで商品選択をするアナログな判断
前者は量的な判断で、
後者は質的な判断と言えるかもしれない
そしてこの二分化はすでに日本を覆い始めている、と思っている

匠の技とホスピタリティの国、日本が好きなので、
できれば後者の価値が認められる国であってほしいと願う


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県知事の育児休暇が世間を少し騒がせておるようなので、
個別の案件については事情もあろうことでしょうから、
ここでは男性育児休暇の哲学について少し私見を記しておこう

というのも、
色々と考えているうちに、
これまでの自分の考えの浅薄さに気づいてしまったから





男性育児休暇の要諦は、
「業務に支障を”きたす”出産・育児について、
女性のみでなく相当の男性を追ってもよろしかろう(追うべきだ)」

という部分にあるのだろう
だから、
「業務に支障の無い範囲での育児休暇」
というのは、
ただの家族サービス休暇であって、
育児休暇には勘定されない

これまでの社会では、
女性のみが出産育児に関わる休暇を取っていた
これを会社視点で見た場合には、
「不定期に長期間の非戦力化する」女性は、
戦力として計上できないため非常にハイリスクな雇用であり、
これが男女雇用機会均等の理念に対する、
現場からの生の声、つまりは異論として、
長らく(今もなお)唱えられてきた

社会制度をどのように改訂しようとも、
出産は絶対的に女性にしか担えないものであり、
また出産は社会的に否定されざる絶対的な行為であるから、
(人間がいなくなったら会社はいらないから、って意味で)
女性にこのリスクを回避することを強いるのは、
社会的、道徳的な観点からも許されざることである


こうした背景を勘案すると、
女性のリスクを排除できない以上、
男性も同等にリスクを負うことが、
男女雇用機会均等の理念に叶う次善の策となる
(最善は女性がリスクを負わないことだけど、それは無理筋)


こうして男性の育児休暇をとらえると、
それは常に「会社人女性の育児休暇」とトレードオフでなければならない
感情的には「専業主婦の育児も云々」となるところだろうが、
これは男性の育児休暇を語る上で計上してはならないだろう
男性の育児休暇論の本質は「業務に支障をきたすリスク」にあり、
「育児労働の男女不均等負担」ではないからだ
(そもそもの雇用機会という視点などではこれも重要なのだろうけども)


繰り返しになるが、
男性の育児休暇(制度)については、
「会社人としての女性と同等」の、
「不定期・一定期間の非戦力化」を、
「潜在的リスクとして備えた上で就職」することで、
はじめてその理念を実現しうるのである(と思う)



というようなことを考えると、
夫婦が同じ組織で仕事をしていないと、
トレードオフ感がまったくないのだが、
それは社会全体で勘定すれば良いことにすればいい

だから、
何度も繰り返していますが、
男性の育児休暇には妻の社会復帰が伴わねばならない
理念的には、ですが

現在の問題は、
「雇用機会均等」と「家事労働負担」とが区別されていないこと、
そして、
男性の育児休暇は、理念的には、
「妻が出産した場合の休暇は"強制されるべき"もの」である、
という認識がないことでは無かろうか

要するに、
会社が「育児休暇を取る権利を男性に与える」うちは、
まったく男女平等は不十分であって、
女性社員が出産する時に生じる「必要な休暇」を、
男性社員にも「強制」することが、
会社視点での社員の扱いとしては、男女平等に叶うのでは無いだろうか

そこで、
知事など会社の長にあたる人が、
ロールモデルとして男性の育児休暇を実践するということは、
今後、育児休暇という理念を浸透させていく上では重要なのである
で、あるからして、
知事が、
「業務に支障のない範囲で育児休暇」とか、
「男性の皆さんもどんどん育児休暇とりましょう」とか、
そういうことを言うのは「違う」のである


なんだか意味がわからなくなってきましたが、
本当に男女雇用機会均等を目指すのであれば、
出産時に絶対必至な産休相当の休暇を、
男性にも育児休暇として強制しなさい、ということです
その間の非戦力化は「そういうもの」として社会全体が認識し、
そのリスクを社会全体が負い、
新たな人間が誕生したという計り知れない利益を社会全体で享受し、
それでトレードオフということにしましょう、というのが、
理念的には、辻褄があうのじゃないかな、と思うのです


しかし、
個人的には、
そもそも男女は別の機能を有しているんだからナンセンスじゃね?とか、
妻が専業主婦の場合は別に休む必要なくね?とか、
思うところも色々あるわけです

やばい
まとまらない
 
という風に、
だんだんと自分の中での考え方が変わってきていて、
帰国後に育児休暇をどうしようかというのが悩みになってきています

当初は、
1ヶ月(自ら)強制的にラボから隔離される、
その状況を広く公表する、
それでもちゃんと研究者として生き延びる、というのが、
自分に課したミッションのようなものだったのですが、
それも何だか違う気がしています

もう少し考えます


板井君(井上雄彦)の不覚の話と、
内田樹(福沢諭吉)の公共性の話は、
根っこの部分でつながっている感じがして、
非常に面白い

覚悟を決めるというのは、
誰に言われるでもなく自ら足を踏み出し、
勝手に何かを背負い込むことなのだろう

そしてそれは、何も大それたことではない
「せっかくだから頑張ろう」というのは、
まさにこれなのではないか

剣の道でも、
国家の行く末でも、
家事でも、
研究でも、
対象の大小や時間の長短があるだけで、
覚悟を決めるということ自体に優劣は無いと思う


Island Lifeさんの「手段としてのプロ
非常に面白い論説


研究者が職業研究者として働かねばならない以上、
こういう意識があると、
また趣が違うのでは無いかと思う
とはいえ、
この論説で対象となっている役者などの場合、
飯の種はヨソでも舞台に上がることは可能なのだが、
研究者は職業研究者になっていないと研究が(ほぼ)できない
この違いは考慮しなければならないけどもね


ボクみたいな研究に情熱的で無い人間というのは、
たぶんこの論説で言うところの「プロ」であって、
「手段としてのプロ」では無いと思う
「最高の作品を作りたいという内なる衝動」という
「アマチュアリズムに基づく研究への関心」が、
びっくりするぐらい無いですからね

一方で、
ボクは研究では無いところに強い関心があって、
それを達成するためにプロ研究者をやっているから、
「(やりたい研究をしたいがための)手段としてのプロ研究者」ではないが、
「(やりたいコトをしたいがための)手段としてのプロ研究者」ではある

一般的には、
「自分で手を動かしてデータを取って論文を書きたい」
「でも雑用や指導があるから中々それが叶わない」
という研究者が多いと思う
前者はもちろん「研究」であり、
後者であげた「雑用や指導」も広義には研究であるが、
彼らは後者を「自分の研究」にカウントしない
学生にテーマを与え指導しているなら、
たとえば論文上ではコレスポだったりするわけで、
つまり外見的には「自分の研究」であるだろうに、
それをカウントしないのはなぜか
それは、
彼らにとっては内から沸き上がる自らの感情と、
それを実現する行動を為すことが「研究」であり、
彼らにとっての「研究」は極めてアマチュア的であるということになる

要するに、
彼らはまさにこの論説が指摘しているように、
精神的にはアマチュア研究者であるが、
自らの研究意欲を昇華せんがために、
「手段としてのプロ」を選択しているのである

で、まぁそれはそれで良いのだが、
中堅以上、つまりはテニュアに乗った研究者の中には、
「自らの研究意欲を昇華せん」として、
「手段としてのプロ」を選択したにもかかわらず、
「自らの研究意欲」を失ってしまう人もいる
おそらく多くの場合は、
「第一線で研究できていないことに気づいた」
からなのだろうけども、
そういう人は、
「目的を失い手段だけが責務として残った人」
になったわけだ
そう(実力不足に)なるのはある意味仕方がないし、
そう(目的を失ったから)といって収入を放棄しろとは、
口が裂けるまでは言わないが、
であれば、せめて
「その道のプロ」としての仕事はまっとうしてほしいと思う

「プロ(職業)研究者」としての責務というのは、
教育も、組織運営も、研究も、
すべてを最低限の水準で実施することだろうが、
それは必要条件であって十分条件ではないだろう
なぜなら求められる最低限の水準というのは、
えてして「現状維持」のラインでしかないからだ
学生も組織も研究も「常に変化する」宿命を背負っている
であるから、
皆が現状維持しか目指していないと、
気づかれない綻びがいつしか取り返しのつかない状態に陥ってしまうだろう
だから、
最低限の水準をこなすと同時に、
少なくともどれか一つには、
「最高の作品を作りたい」というアマチュアリズムを持っているべきで、
それが「プロ(職業)研究者として"存在しても良い"」最低限のラインだと思う


===========(以下引用)==============
プロとアマを分かつのは単独の作品の質ではない。 長期的に見た場合に「出来が悪い時でも一定の水準を越えていること」がプロの条件だ。(中略)顧客は払ったものに対するアウトプットが出てくることを あてに出来るから払うのである

プロとアマの違いは何だろうかと時々考えるのだけれど、ひとつ確実に言えるのは、 プロはどんな場合でも仕事の質がある下限以上であることが期待されているということだ。 (中略)プロかどうかを分けるのは山の頂きではなく谷底の標高が一定の高さをクリアしている ことではないかと思う。

通常のプロの水準を大きく飛び抜ける作品をアマチュアが生み出すこともある。(中略)そのことと、その人が継続して役者や小説家を仕事としてゆけるかどうかということは 別の話なのだ。

一発屋ではなく継続してその分野でより良い作品を 産み出してゆきたいと思うなら、理想的な状態は作品を創ることだけを 24時間365日続けられる環境にいることだろう。(中略)プロになるという選択は、「最高の作品をつくりたい」という目的の ための手段であり得る、

「いつでも確実に要求水準をクリアする」というプロ意識と、 「持てる力の全てを注ぎ込んで最高のものをつくる」という一種のアマ意識は 同居し得るもの

業界そのものを成り立たせている「しくみ」の部分は 「頼まれた水準をきちんとクリアする」という 割り切ったプロ意識で支えられているわけで。それが崩れると 新しい地平にジャンプしようとしても土台が無くなっちゃう
「頼んだ仕事は必ずきちんと仕上げてくる」というのがhigh reliability。
「いつどんな時に仕事を頼んでも引き受けてくれる」というのがhigh availability。

会社勤めだとreliabilityは気にしてもavailabilityを 気にすることは少ない。自分の手がふさがってれば他の誰かを手当てするのが会社の役目 だから。でもフリーランスだとavailableでないということは仕事が取れないということだ。

素晴らしいものを創り出す才能に何とか報いたいという想いがあるのなら、(中略) 具体的には、才能とそれを求めている人とをうまくつなげる役割を買って出ることだろう。

 
先日、実家に帰省したときにオクムラと話し、
ハマダの話題が出て懐かしかったので、
思い出話でも書き出して記録しておこう


ハマダはハウマーとかハマコーとか呼ばれていた
そういえばハマダの名前が思い出せない
まあ、ハマダですよ

知り合った当時、
ハマダはアパートの二階に、働いているハマダ母と二人で住んでいた
ハマダの家は小学校の目の前で、
気付いたら根城のような状態になっていた
当時ハマダは小学校の夕方教室みたいなヤツに入っていて、
そこにはモリマリモなんかもいた気がする
ボクはそれに入ってないけども一緒に遊んでいた

ハマダの家には風呂は無かったがスーパーファミコンがあって、
初めの頃はスーパーマリオをやっていた記憶がある
またハマダ父がスーファミを置いていった時についてきたという、
「ジャンボ尾崎のホールインワン」というゴルフゲームもあった
通称ジャンオザ
ジャンボと対戦するモードで、
自分の名前をジャンボにすると、
コンピュータのプレーするジャンボと成績が入れ替わるバグがあり、
相手のジャンボに負ければ負けるほどコチラのジャンボは勝てた
まぁどうでもいい話だ

ハマダの家の下、一階には宇野さんが住んでいて、
ファミスタで中日を選んでは「宇野!宇野!」と叫んでいた
あのファミスタでは落合が中日にいて、
落合に送りバントをさせて喜んでいた記憶がある

小学校卒業するかしないかぐらいのタイミングで、
宇野さんは引っ越していきハマダ家は一階に引っ越した
一瞬だけ「一階も二階もハマダ家」という状態があり、
その時は思いっきり二階でドタバタしたなぁ

ドラクエ5は発売と同時に入手して、
当時はダイの大冒険も流行っていたから、
かなりドラクエに深入りしていた
隣の棟に住んでいるミウラも遊びにきて一緒にやっていた
セイジ君のお母さんが亡くなった時も、
ハマダの家でドラクエをしていた

ハマダは基本的にシャイで、
小学生の頃からいわゆる厨二病のようなものをこじらせていた
BoysBeとか全巻揃えていたしね
中学の時にはそれをいじって教室で殴られた記憶がある

休みの日は朝からハマダ家に行って、
9時頃にハマダ母を見送り、
20時頃にハマダ母を迎えてから帰宅していた

佐野商店にはじまり、
ゲーセンの格闘ゲームをよくやっていた
ハマダは金がないくせに熱くなるタイプで、
大体予定より多くのお金を費やしていた
ハマダはそれなりに強かったので、
対戦申し込みがくるとお金をかけずに長く楽しめ、
ハマダは喜んで対戦していたが、
勝った時のハシャギっぷりと、
まけた時のブチギレっぷりがキモイのが大問題だった

阪神大震災の日はデグに誘われて学校に行ったが、
帰りにハマダの家に寄ったら玄関のドアが歪んで閉じ込められていた
ベランダから出入りすることで事なきをえたハマダ家に、
震災の翌日から入り浸り、
ここぞとばかりに桃鉄をやっていた
ミウラも一緒にジャスコに買い物に行ったときには、
レジの列が長すぎて手に持った総菜を会計前に食べてしまった

中学に入るとヒラパーと元イチローも加わり、
ハマダ家のゲーム屋敷化に拍車がかかった
当時、セガサターンと電話回線でネットゲームができて、
ハマダ家にとんでもない額の請求がいったとかいう話があったような気がする

そういえば、これも中学の時の話だけど、
ヨコタとスミッチがハマダ家に飯島愛のAVを持ち込んだところ、
ハマダは見たくないと言って台所に逃げたものの、
ここぞとばかりに大音量で視聴するという嫌がらせに屈し、
部屋の片隅で見ないように、しかし音量を上げないよう見張っていた

4.2にFF6が発売されて、
4.4の時点でクリアして、
4.7の始業式か何かで鼻高々だったなぁ
あれは始業式じゃなく中学の入学式かな?

ブシドーブレードという糞ゲーにはまった時は、
グローブのアルバムをリピートで流しながら、
どちらが先に100勝するか勝負をして、
99勝99敗にもつれ込んだ
まさに実力伯仲だ
ハマダの持ち物なのに

高校に進んでからも通学などでは行動をともにしていたが、
2年になったぐらいからバイトやなんやで遊ぶことは減っていった
オクムラやヒラパーなどは毎週末に遊んでいたようだけど、
受験の頃にはほとんど話もしてなかったんじゃないかな

高校時代ハマダは軽音部か何かに入っていて、
文化祭でバンドパフォーマンスか何かをしたのだけども、
見るのも恥ずかしいので見に行かなかった気がする
でも見たような記憶もあって、
やはり恥ずかしい気分になったような気がする
ちなみに高校の文化祭については色々と逸話があるが、
それはほとんどハマダと関係ないので割愛

ハマダはどこか忘れたけど関西のそれなりの私大に合格して、
それはうちの高校としては立派なもので、
その時にハマダ母が喜んでいたことを覚えている
ハマダとは友達であったけども、
ハマダ母との付き合いも長かったので、
ハマダ母の友達として、
友達の息子が大学に受かったような気分になったことを覚えている
なんか変だけどね

郷ひろみがゲリラライブでの謹慎から復活するということで、
阪神競馬場に見に行ったのは高校3年の秋
生アチチと生エキゾチックジャパンで、
震えるほど感動したのだが、
その時ハマダも一緒にいた、はず

3年の3月上旬に北大の後期受験から帰って、
元イチローの部屋に集合してテレホーダイの時間帯にMSチャットをして、
なんやかんやで大阪のオンナノコをひっかけた
後にヒラパー・ハマダと3-3の合コンを開いて、
その時の娘のことで一悶着あった期間もあった
今となっては思い出だけど、
あの娘には大きな金額を使ったなぁ
あら、名前が思い出せない

で、
そんなこんなのハマダとは、
たぶん地元であった成人式を最後にあってないんじゃないかな
成人式であったかどうかも記憶がない
風の噂、というかオクムラから、
大学を卒業して公務員試験の勉強をしていると聞いた
小さい頃からハマダを見てきたボクが言えることは、
ハマダは公務員試験を受けそうだ、ということぐらいで、
受かりそうだとか、公務員が肌にあってるとか、
そういう部分はよくわからん

ボクの結婚式に来てほしくてメールをしたけど断られた
たしか「お金がない」とかいうのが理由だった気がする
ハマダ家で育ったボクとしては理解できる理由だけども、
それはないだろー、と思ったことも事実だ

次に会うチャンスがあるとすれば、
ハマダの結婚式だろうか
呼んでもらえるかどうかということと、
はたしてハマダが結婚できるのかということが相まって、
あまり期待はしていないけども、
久々にあって、
ファミスタかスト2かブシドーブレードか007か、
まぁそのあたりの対戦系糞ゲーでもしたいなぁ

ということで、
ハマダとの思い出話でした

23日は家で沈没 

24日起きて出社するもネットが不安定で仕事できず
昼前に家を出て横浜で吉村家に行って三河安城
ヨメの相手してヨメの両親とすき焼きして祖父母に愛想振りまいて就寝

25日10時に名古屋駅でイワモトと缶ビール→瓶ビール
相変わらずの変人で安心と不安が入り交じる
14時に三宮でナカタニとコーヒーとビールと餃子
家買ったとかすごすぎ
17時に大阪でオクムラとネギ焼き
同居人がクレイジーですばらしい
20時前に甲東園でアキちゃん12分だけ
石油王も枯渇して結婚するらしい
20時過ぎに宝塚駅でウッチャンと居酒屋
カナッペがかわいいらしい
23時に実家に帰宅
親父が留学話をしたそうだけどこちらはそんな余裕ない

26日朝一で帰宅
昼過ぎに出社して書類をやっつける
車の修理に行ってラーメン食べて帰宅
明日から通常営業かと思うとぞっとする

しかし、性格的に、
いくらでもさぼれるけど、
休めない人間なんだろうな
理想は休むけどさぼらない人間なのだが

買い込んだ本の在庫が20冊ほどになった
アメリカに持って行くか否か
やはり持って行かない方がいいよなぁ


スタイリストTATSUOさんの住居論

何回でも言ってしまうけど、やっぱりビタイチ好きじゃないよ、井の頭線。なんだろう?環境が良いのは伝わってくるのだけれど、東京という大都市にわざわざ移り住んだ人間なら、もう少し常に刺激を得れる環境に身を置かねばならないと思うんだよな。この辺が実家とか、子育てするとかなら別としてもさ。

そもそも「住みやすい」とか「落ち着く」って理由でこの辺を住居に選んできた連中って、この10年でことごとく実家に帰ってる気がする。

「落ち着く」みたいな所に住みたくない理由に、自分の職業(スタイリスト)の仕組みが二次創作で成り立っているという事も、起因しているかもしれない。常に素晴らしい一次創作にアンテナを張りって感性を高めねばならないから。

逆に言うと一次創作者(無からデザインや造形を産み出す人)にはあまりそれを求めていないんだよな。彼らには良い意味で情報を遮断する統べだったり、時間だったりを持って貰いたいので、意外と郊外とか、地方とか、むしろ大自然の中に住んでいて貰いたい。



いや、ほんとそうですよ
住居とか家庭環境とか、
そういう生活のベーシックな部分が与える、
感性とか知性とかへの影響ってのが、
世の中では本当に過小評価されていると思う

たとえば職場とか学校とか塾とか、
つまり気持ちのスイッチをオンにするような環境については、
みんな慎重に検討してより良い場所を求めているくせに、
気持ちのスイッチがオフになるような、
家庭生活環境については本当に無頓着だと思う

と言うと語弊があるなぁ
むしろ逆だな

気持ちをオンにする環境で最大限の仕事を達成するには、
気持ちをオフにする環境について、
精神的にはオフになるけども感性や知性はオンになっているような状態を保つ、
そういうことだろうか

それは我が実家で実施されていたという、
「時計はすべてアナログ」にして「常に頭を働かせる」とか、
(デジタル時計で数字を読むだけよりも数倍頭を使う)
そういう仕掛けで十分に達成されうると思う

本当にちょっとしたことなんだけど、
そういうことに気を配って家庭環境を作り上げたいなぁ、
そういうことに気を配った自分の研究室を立ち上げたいなぁ、
そんな風に思うのです

これはこちらの勝手な解釈だけど、
コバさんが学生を外に出して、外から人を迎え入れて、
ということを非常に積極的に実施しているのは、
家族的・家庭的な側面が拭えない研究室での生活が、
知性・感性の意味でも家族的・家庭的になって、
知性・感性が鈍重になることを回避するための方策で、
常に研究室環境に刺激を入れることで、
あるいは外の研究室環境に触れ刺激を持ち帰ることで、
研究室環境に常に刺激を持たせることを意図しているのではないか、
なんて思ったりするわけです

そういえば、
ボクの身分の大半を保障してくれている「海底下の大河」計画では、
ボクのこういう思い込みをぶつけて実現してもらった、
「国内留学制度:T-MORE」を実施しています
(TAIGA-Mentorship on Research and Educationです。Teach more!です。強引です)

現在、第一弾が実施されていて、
その様子が「大河ブログ」で絶賛更新中です
第一弾のミヨシさんは、
「博士課程の学生がたくさんいる環境に身を置きたい」
「結婚・出産・育児をしながら活躍する女性研究者を間近に見て肌で感じたい」
という意識を持って留学をしています
良いことですね
9月・10月には第二弾・第三弾が実施される予定です

子供の頃は、
お小遣いの額が基準となって、
もちろん借金などはできないから、
お小遣いの範囲で何が買えるかと考えていた
月1000円だと週190円のジャンプなら毎週買えるが、
それをしてしまうとジュースの1本も買えなくなってしまう
そんな「収入と支出の相対性の中での金銭価値」

高校生になると携帯電話とバイト収入がやってきて、
様相がガラリと変わる
月1万程度の携帯代の出費と月数万のバイト収入
「あぁ、世の中ちょろいもんだなぁ」と思ったりする

しかし、大学に入って一人暮らしをはじめると、
これまた様相が一変する
家賃、光熱費、学費、車経費、そして交際費
高校時代に自由に出来たバイト代は、
こういうものをすべて親が払ってくれていた上に成り立つもので、
人生というのはこんなにもお金が必要なのかと痛感させられる

と、思いきや、
就職してみると、ビックリするぐらいバカスカお金がもらえる
ついつい「車買おうかな」みたいな考えがよぎるぐらいに
しかししかし、子供ができるとまた違ってきて、
「え、育児ってこんなにお金がかさむの?」ってなもんなのだろう

と、いうように、
収入と支出の金銭価値の相対性というのは、
自らの社会的ポジションと密接に関係していて、
こういう階段をステップバイステップで経験することで、
いわゆる「まっとうな金銭感覚」を身につけていくのだろう

だから、
家を出ないで大学生・社会人になったりするってのは、
その後、家庭人になることを考えると、
ちょっと怖いなぁ、という感じがする


もう一つは、費用と質の相対的な価値
徒歩ならタダ、電車なら有料、特急は別途特急料金
野宿はタダ、カプセルホテルは安価、スイートルームは高価
そういう、同じ移動、同じ宿泊という行為でも、
その質には大きな隔たりがあって、
それに伴って費用も変わる

「18切符と野宿で大阪-札幌」なんて旅をしたかしないかでは、
「伊丹-千歳便」の航空券の値段の感じ方が違うだろうし、
「ヒッチハイクで札幌-函館」なんて旅をするとしないとでは、
「250km分のガソリン代と運転の疲労感」に対する感じ方が違うだろう


多様な価値観に触れるということは、
人間の成長にとっては非常に大事で、
無限の価値基準を想起しながら、
次第に収れんしていくというか、
あるいは徐々にシフトしていくというか、
そういう振れ幅のある価値観を身につけ、
他人を許容し、自分を律する
そういう人間に成長したいし、
我が子にもそうなってほしい
「かわいい子には旅をさせろ」の一側面だと思うわけです


とか考えてたら、
ヒラカワさんが下記の文章を載せていた
あいかわらずステキだ


俺たちが税金を納めているのは、俺たちが使うべき、俺たちの金を、国家に管理させる

ためではないだろう。

この世の中が、人が暮してゆける程度の安全と、清潔を保守するために本来は、自分がしなくてはならないことを誰かに代行してもらうコストだと俺は思っている。

俺はそのときに、その金の使い道について厳密さを要求する権利もまた一緒に譲渡したのだと思っている。

社会資本とは、そのような権利の譲渡の積み重ねによって蓄積されるものであると思う。

自分が管理しているわけではないから、そこには無駄もあり、見落としもある。

遣り勝手が違うことを前提にしたコストなのだ。




あれやこれやしていたら、
あまり改訂が進みませんでした
ぐすん


水-金で休んだせいで、
タイトルだけでも舐めねばならない論文達も放ったらかしだったので、
それを舐める
熱水関係でいくつか論文あり
いまいち面白くないものから、
ちょっと面白いものまで、
まぁ、あまり興奮するようなものはなかったです


最近、Whiticar1999の図を書き換えることばかり考えています
あの論文が教科書である現状は、良くない
いや、あの論文自体はすごく良いのだけど、
なんというか、
「もう役目は終わった」んですよね
Kさんのいう「あの論文は・・・」ということでしょうか

WHOIでやる実験と、
研究生コバヤシさんの培養実験で部品を作り、
レビュー論文で引導を渡します
Whiticarが1999ですから、15年後の2013年が目安でしょうか
向こう3年間のボクの使命です


 
7~9月で5航海」な状態なのですが、
10/7~12/7の2ヶ月間、WHOIに短期留学することが決まりました
わー、ぱちぱち

そして、
12月中旬にはkawagucci家に第一子が誕生する予定です
わー、ぱちぱち


と、いうことで、
2010年のカレンダーはすべて埋まりましたとさ
わー、ぱちぱち



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kawagucci
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性別:
非公開
自己紹介:
海洋系の某独法で働く研究者が思ったことをダラダラと綴っています
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